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カエルになる魔法  作者: 未田
第22章『自分達の歩調で』
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第66話

 十月十二日、木曜日。

 茉鈴は午前に大学へ顔を出し、午後からは自宅で教員採用試験の勉強を行っていた。

 否、今日は論文を書く『訓練』だった。出題されやすいテーマに沿って、時間を計ったうえで書いた。

 制限された時間と文字数で考えをまとめる感覚は、一朝一夕では掴めない。筆記試験の勉強と併せ、地道に慣れていくしかない。

 最後に、茉鈴は赤色のボールペンで添削を行い、今日の計画は終了した。


 時刻は午後四時半だった。今日はアルバイトのシフトが入っていないため、これから夕飯の支度を考えるはずだった。

 ふと、携帯電話を手に取り――交換留学の筆記試験と面接が明日行われることを、思い出した。玲奈にとって、とても大切な日だ。

 目前に迫っているため、一度頭に浮かぶと、なんだか落ち着かなかった。当事者ではないにも関わらず、そわそわする。


 メッセージアプリの、玲奈とのやり取りを開ける。

 昨日話し合った通り、昨晩から文字での会話を始めていた。今のところは挨拶や天気など、本当に些細な内容だ。少なくとも茉鈴は、難しく考えることなく、何気ない態度で接しているつもりだった。


『今、何してるの?』


 だから、自然とその文字を入力することが出来た。

 だが、送信ボタンを押す前に――ひと呼吸置いた。いや、何かが引っかかり、立ち止まったのであった。

 本当に伝えたい内容は、それではないと思った。削除すると、改めて入力した。


『今からそっちに行ってもいい? ご飯作るよ』


 今日は玲奈もアルバイトが休みであることを、知っている。茉鈴は送信ボタンを押した。

 相手を窺うのではなく、初手からこちらの要望を伝える。玲奈はそれが許される相手だ。

 愛する存在を、大切にしたい。込み上げる気持ちを抑えながら、そのように正当化した。

 茉鈴は五分ほど返事を待つと、携帯電話が電話の着信を告げた。画面に表示された名前は、玲奈だった。


『いや、あの……来てくれて全然いいんですけど……むしろ、超嬉しいんですけど……本当に、ご飯作ってくれるんですか?』


 訪れること、料理をすること、そのどちらにも驚いている声が茉鈴の耳に届いた。

 後者に関しては、不安の意味も含まれている。確かに、茉鈴自身も料理には自信が無い。


「ほら、明日でしょ? ちょっとした勝負メシ作って、玲奈を応援したいなって……。最低限食べられるものだと思うけど、味にはあんまり期待しないでね」


 それでも、この気持ちに従いたかった。念のため、注意を付け足しておく。


『ありがとうございます。気持ちだけでも充分に嬉しいですよ。それじゃあ、待ってますね』

「うん。後でね」


 玲奈の明るい声に、茉鈴も嬉しくなった。料理を振るう緊張はあるものの、こうして信じてくれたからには、少しでも応えたいと思う。

 通話を切ると立ち上がり、出かける準備をした。



   *



 電車に乗り、玲奈の住む街の駅で降りた。

 駅に併設されている商業施設のスーパーマーケットで、買い物をした。

 牛肉のこま切れと生姜、ネギ、そして生麺のうどんを購入した。出汁を作る調味料は、玲奈の部屋に揃っていると思った。

 食材を持ち、玲奈のマンションまで歩いた。

 玄関のインターホンに部屋番号を入力すると玲奈が応え、扉が開いた。エレベーターに乗り、最上階まで上がる。


「お待たせ」

「いらっしゃい。とりあえず、お茶にしましょうか」


 玲奈に迎えられ、部屋に上がった。

 陽が暮れて外は暗かったが、時刻はまだ午後五時半だった。夕飯にはまだ早い他、移動してきたばかりの茉鈴としても、一休みしたかった。

 食材を冷蔵庫に一旦仕舞い、玲奈が温かい紅茶を淹れた。茶葉とティーポットを使用したようで、茉鈴は良い匂いと、芳醇でまろやかな味わいを楽しんだ。


「自分で淹れといて何ですけど……甘いもの、食べたくなりますね」

「うん、すっごいわかるよ。でも、もうちょっと我慢して」


 そのように話しながら、遅いティータイムを過ごした。

 やがて、午後六時十五分を回り、茉鈴は立ち上がった。


「そろそろ作るね。キッチン借りるよ」

「メチャクチャにするのだけは、ナシですからね! 楽しみにしてます!」


 心配気味の玲奈に苦笑し、茉鈴はキッチンに立った。玲奈のエプロンを纏った。

 何を料理するのか、訊ねられなかった。茉鈴としても黙っておきたかったが、食材を見られているため大体は知られているだろうと思った。

 だからこそ、必ず『それ』を作らねばならない。失敗は許されない。

 茉鈴はひと呼吸つき、冷蔵庫から食材を取り出した。


 二十分ほど料理を行い、やがて完成した。

 茉鈴はふたつの丼ぶりに盛り付け、テーブルへ運んだ。


「はい。お待ちどう」

「わぁ。肉うどん、美味しそうですね」


 そう。茉鈴が料理したものは、牛肉での肉うどんだった。

 過去に、自宅でレシピを確かめながら一度料理した経験があるものだ。今回も失敗しなかったので、胸を撫で下ろした。キッチンも無事だった。

 茉鈴はエプロンを脱ぎ、座った。


「いただきまーす。……うん、美味しいです! お肉が出汁に、とっても染み込んでますね」


 ひとまず玲奈から好評のようで、嬉しかった。

 茉鈴も食べてみると、あっさりした味わいながらも肉の旨味が確かに感じられた。かつて口にしたことのある料理に、近い味だった。


「この前ね、エミリーちゃんと肉吸い食べてきたんだよ」

「にくすい……ですか?」

「うん、お肉のお吸い物。肉うどんのうどん抜き、みたいな料理」


 茉鈴は、この地域では有名な料理だと説明した。

 二日酔いの芸人がうどん屋に入り、うどん抜きの肉うどんを注文したことが発端とされている。そのうどん屋が、アルバイト先からさほど離れていない所にあるため、春原英美里と足を運んだのであった。


「肉うどんって、普通は出汁とは別にお肉を炒めるじゃん? でも、これは出汁と一緒に煮込んでる」

「へぇ。だから、ここまで染みてるんですね」


 灰汁を取るの大変だけどねと、茉鈴は苦笑した。

 元々うどんの出汁が薄口であることは、この地域の特性だ。だからこそ、煮込むことで味を引き出す手法になったのかもしれないと思った。


「そこのお店では、卵かけご飯と一緒に食べるのがメジャーなんだけど……前日に生モノは流石に避けたいから、うどんにしたよ。消化によくて、なおかつお肉で力出そうかなって。これが、私から玲奈への勝負メシ」

「ありがとうございます! また今度、そこのお店にも行きましょう」

「そうだね。玲奈にも食べさせてあげたい」

「これでも充分に美味しいですけどね」


 やがて、ふたり共食べ終えた。うどんは一玉ずつだが肉が多めのせいで、茉鈴は満腹だった。

 玲奈が後片付けをしようとしたので、止めた。今晩はとにかく休ませたい。

 代わりに茉鈴が行い、湯呑に茶を淹れた。


「どう? 明日は頑張れそう?」

「はい。お陰さまで、だいぶリラックスできました。……それよりも、茉鈴が料理できたのが意外です」

「昼間はだいぶ適当に済ませてるけど、バイト無い日の夜は、なるべく自炊するようにしてるよ」


 自堕落な生活から抜け出す一環だった。まだ凝ったものには手を出さず、簡単な料理から手を出していた。


「かしこいですね、茉鈴は。大好きです……」


 玲奈が茶を一口飲んだ後、テーブルに湯呑を置き、座ったまま茉鈴の隣まで移動した。そして、茉鈴の肩にもたれ掛かった。

 うろたえずに料理が出来て良かったと、茉鈴は思う。玲奈ほどではないにしろ、最低限の料理の腕は『余裕のある大人』に成るための、条件のひとつだ。これからも、それを目指して頑張りたい。


「さっきの話なんだけどさ……うどん屋だけじゃなくて、玲奈といろんな所に行ってみたいな。デートっていうか……」


 茉鈴は玲奈の頭を撫でながら、ぽつりと本心を漏らした。

 デートという言葉には恥ずかしさから多少の抵抗があるが、きちんと伝えておきたい。


「わたしもです……。それじゃあ早速、そうですね……再来週の土曜か日曜、ちょっと遠出しませんか? 軽い日帰り旅行のつもりで」

「え……う、うん」


 ここまで急に話が決まると、茉鈴は思っていなかった。

 驚きを隠しながら、玲奈と共に壁のカレンダーを眺めた。来週の土日は、ふたり共アルバイトのシフトが入っているため、今からの変更は難しい。確保するなら、再来週以降が現実的だ。


「明日、領主様に話してみて……それから行き先決めようか」

「はい。行きたいところ、いっぱいありますよ」


 現在は暑くも寒くもなく、出かけるには丁度いい気候だ。それに、玲奈とならどこへ行っても楽しめると、茉鈴は胸を踊らせた。


「って、いいの? 前日にこんな話して。なんか、戦争映画のよくあるシーンみたいじゃん」

「いいんですよ。モチベあった方が、頑張れます。ていうか、振ってきたの茉鈴じゃないですか」

「あー……そうだったね」


 ふたりで笑いあった。

 茉鈴には、明るく楽しいふたりの未来が、すぐ先に見えた。確実に届く画だ。

 一般的に考えれば、きっと何気ないものなのだろう。しかし、緊張から連絡できなかったり、些細なことで嫉妬したり、デートの計画ひとつで盛り上がったり――茉鈴にとっては、何もかもが新鮮だった。

 恋人としてふたりで歩き始めたばかりなのだと、改めて実感した。


「お互い、何もかも初めてだけど……初めてだから、楽しむぐらいでいいと思うんだ。ゆっくりでいいから、私達のペースで歩いていこうね」


 焦る必要など無い。これから先、時間はたっぷりとある。


「まだまだ、玲奈のカノジョとして頼りないね。でも……私、頑張るよ」

「そんなことないです。今日の茉鈴は満点ですよ。頑張らないといけないのは、むしろわたしの方です。だから、まずは明日――」


 玲奈は茉鈴を見上げ、力強く頷いた。

 自信に溢れた表情を見ることが出来てよかったと、茉鈴は思った。今日こうして、恋人として励ます役目を果たせた。

 これからも、玲奈をなるべく支えていくつもりだ。そのためには、努力を惜しまない。

 だが、ふと弱さを見せた時は、玲奈に受け止めて貰いたい。

 励まし合い、支え合い歩いていく――この姿こそが、茉鈴にとって現在の『理想』だった。ふたりでならきっと叶えられると、信じた。

 茉鈴は、玲奈の頭をくしゃりと撫でた。


「玲奈なら大丈夫だよ。絶対に上手くいく」


 そして、細い身体から不安が全て無くなるよう、しっかりと抱きしめた。

 この時、茉鈴は気づいていないが――テーブルに置かれた『白い花』は、視界の隅にも入らなかった。


「ありがとうございます、茉鈴」


 ただ、明るい未来を信じていた。

 こうして、玲奈にとって大切な日を目前に、最後の夜は更けていった。

第22章『自分達の歩調で』 完


次回 第23章『狐の棲む山』

茉鈴は玲奈と日帰り旅行をする。

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