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カエルになる魔法  作者: 未田
第22章『自分達の歩調で』
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第64話

 十月十一日、水曜日。

 二日前、茉鈴は蓮見玲奈と気持ちを確かめ、晴れて恋人の関係となった。あの日は結局、玲奈の部屋で一夜を過ごした。

 帰宅して、一日以上が経過した。今でもあの夜は、夢のようだったと茉鈴は思う。記憶は残っているが、どこか不確かで曖昧な感覚だった。それぐらい幸せだった。

 だが、ようやく掴み取った手応えはあった。


 幸せな気持ちの一方で、不安もあった。これまでの人生で、誰かと恋人関係になったことは無い。だから、恋人としてどのように交際をすればいいのか、わからなかった。

 恥ずかしくて借りられなかったが、学校の図書館でその手の本を手にすればよかったと後悔した。いや、そもそも恋愛心理の本が置いているのか、わからないが。

 そのように悩んでいると、あっという間にアルバイトの時を迎えた。あれ以来、初めて玲奈と顔を合わせることになる。

 午後四時頃、茉鈴はおとぎの国の道明寺領を訪れた。


「お、お疲れさまでーす……」


 これまでに無い種類の緊張感を持ちながら、スタッフルームの扉を恐る恐る開けた。


「あっ、安良岡さん。お疲れさまです」


 部屋には、携帯電話を触っている春原英美里ひとりしか居なかった。

 茉鈴は胸を撫で下ろし、英美里の正面にひとまず座った。鞄から取り出したペットボトルの茶を飲んだ。


「ねぇ。エミリーちゃん、ちょっといいかな?」

「なんですか?」


 一息ついたところで話しかけると、英美里が顔を上げた。


「えっと……私の友達の話なんだけどね。恋人できたみたいなんだけど……一日以上相手と連絡してないのって、結構ヤバいと思う?」


 茉鈴の本心では、玲奈と恋人関係になったことを、誰彼構わずに大声で言いふらしたいほど幸せだ。

 しかし――以前からおよそのことは周囲に知られているが――伝えていいのか、茉鈴ひとりでは判断できなかった。

 それに、昨日から薄々と感じていた相談内容がとても恥ずかしいため、そのような体にした。


「ヤバいどころじゃないと思いますけど……あたしには全然理解できないというか……それ、本当に付き合ってるんですか?」


 英美里がけろりとした表情で、ありえませんと付け加えた。

 茉鈴は自分の顔が一気に青ざめるのを感じるが、なんとか笑顔を作った。

 携帯電話の電話帳を開くも通話ボタンを押せなかったり、メッセージアプリを開くも言葉が浮かばなかったり――結局は、帰宅してから玲奈と何も話していない。

 良くないと理解はしていたが、英美里の意見から、事は思っていたより深刻のようだ。


「いや、そもそもさ……そういうのって、何話していいのか、わからなくない?」


 茉鈴は純粋な疑問を挙げるが、英美里のにんまりとして笑みを見て、我に返った。

 口振りといい内容といい、焦りが出たことに気づいた。英美里に勘付かれたかもしれない。


「へー。賢者マーリン様でも、わからないことあるんですねぇ」


 英美里はわざわざ立ち上がり、茉鈴の隣の席まで移動した。

 にやにやした笑みで顔を覗き込まれ、茉鈴はつい視線を外した。


「難しく考えなくても、何だっていいじゃないですか。好きな人からなら、どんなにしょーもない話でも……たぶん、嬉しいと思いますよ」


 だが、英美里の明るい声に、思わず振り返った。


「暑いとか寒いとか、美味しいとか不味いとか、面白いとかつまらないとか……大事なのは感じたことの共有だと、あたしは思います。そのためには、とりあえず言葉のボールを投げてみないと、始まりませんよね?」


 英美里の言葉に、茉鈴はとても納得した。

 確かに、何らかの意見を発すれば、それに対して肯定か否定か――嫌でも『会話』が成立する。そして同時に、相手のひとつを知ることが出来る。まさに『共有』や『繋がり』だ。その積み重ねが理想だと思った。


「ありがとう。そんな感じでがんば……るように言っておくよ、友達に」

「あたしからおめでとうって、伝えておいてください。そのお友達さんに」


 茉鈴は、体裁に言葉を合わせた。しかし、にこにこと笑っている英美里の言動から、やはり勘付かれていると察した。


「お疲れさまです」


 その時、扉が開いて玲奈が姿を現した。

 玲奈の何気なかった表情から――瞳が大きく見開き、次第に驚いていく変化を、茉鈴は視認した。


「ちょっと! なに英美里とイチャイチャしてるんですか!?」

「えー。玲奈ちゃん、それは誤解だよー。安良岡さんと、ちょっとした恋バナしてただけだよー」


 英美里が隣に座っているからだろう。玲奈が茉鈴に対して怒るものの、すかさず英美里が擁護した。

 いや、あくまでも自分自身の潔白を証明したい意図が茉鈴には見えた。厳密には、擁護ではないのかもしれないが。


「大体、あれから何も連絡よこさないで……だから、言われのない疑惑が生まれるんじゃないですか!」

「ご、ごもっともです……」


 玲奈が自分の勘違いを正当化しているだけだと、茉鈴は思った。だが、反省する部分は確かにあるので、頭を下げて大人しく謝罪した。

 些細な出来事でこうして玲奈に怒られることが、なんだか懐かしかった。これまで何度怒られたか、わからないが――この姿こそが『かつてのふたり』だったのだと感じた。茉鈴は、さほど嫌な気分ではなかった。むしろ、少し嬉しかった。

 隣に座っている英美里は流石に居辛いのか、或いは気遣ってか、そそくさと立ち上がった。そして、こっそりと部屋を抜け出した。


「何話したらいいのかわからなかったから、相談に乗って貰ってたんだ。……私、誰かと付き合うの、初めてだから」


 茉鈴は玲奈を見上げて正直に話すも、恥ずかしくなった。すぐに視線を伏せた。


「わ、わたしもですよ……。ずーっと、スマホ持ってはいました……」


 小声が聞こえ、茉鈴は再び顔を上げる。玲奈の綺麗な顔が、耳まで赤くなっていた。

 玲奈もまた自分と同じだったのだと理解し、茉鈴は小さく笑った。玲奈も連れられ、ふたりで笑いあった。


「これからは、どんな些細なことでも、メッセージ送るようにするね。バイト以外でも、玲奈と文字や電話で繋がっていたい」


 言葉にしながら、このアルバイトこそが唯一の接点なのだと、改めて気づいた。

 同じ大学に通っているにも関わらず、学部もキャンパスも違う。移動する機会も互いに無いため、現実的に学校で顔を合わせることは無い。

 長かった夏季休暇が終わり、アルバイトの頻度は減るだろう。つまり、玲奈と会う機会も減っていく。

 茉鈴はそのように考え、携帯電話を用いてのやり取りがより大切だと思った。


「でも、もしウザかったら言ってね。自重するから」


 茉鈴の目から、玲奈が効率と合理性を大切にしているように映っていた。必要な内容のみ送って欲しいという要望があるかもしれないと思った。


「いえ。そんなことないと思います……たぶん。わたしも、茉鈴となるべく繋がっていたいですから……」


 玲奈のどこか戸惑った、しかしゆっくりと言葉を紡ぐ様は、本心のように茉鈴には聞こえた。杞憂だったようで、胸を撫で下ろした。

 そして、楽しみだという気持ちが込み上げ、玲奈に頷いて見せた。


「そういえばさ……言ってよかったの?」


 茉鈴は、英美里の出て行った扉を眺めた。先程の玲奈の台詞から、ふたりの関係を英美里はおそらく確信しただろう。これまでの経緯を把握しているが、この『現状』はまた違う。

 玲奈は部屋に入るなり感情的に動いたが、もしかすれば黙っておきたかったのかもしれない。


「まあ、いいんじゃないですか。改めて大々的に言いたくはないですけど、隠すものでもないですし……」

「そうだね。お祝いしてくれー、なんて言うのだけはやめておこう」


 俗に言う『バカップル』が茉鈴の頭に浮かぶ。あのような真似だけはしたくなかった。玲奈も同じだろうと思った。

 ハリエットもまた、遅かれ早かれ知るだろう。周囲から触れられたなら答えるが、こちらからは動かない姿勢だと、玲奈と確かめた。


「TPOだけは弁えましょう。バイトでも、公私混同はナシです」

「うん、わかった。でも、その前に……」


 話が一段落つき、これからアルバイトの衣装に着替えようとする。

 茉鈴は、この部屋でまだふたりきりだと確かめると――玲奈に近づき、唇にそっとキスをした。玲奈の両腕が、首の後ろに回った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 尊い、すでにそこまで進んでしまった二人は、その関係に名前がついたときにどう行動すればいいのかわからないということ
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