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カエルになる魔法  作者: 未田
第21章『ふたりで流す涙』
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第63話

 茉鈴は玲奈と、ワインの注がれたグラスを軽く突き合わせ、乾杯した。

 そのまま一口飲む。安物だが、芳醇な味と香りが口に広がった。


「うん。美味しい」

「そうですね。思ってたより全然いけます」


 茉鈴としては飲み慣れない種類の酒でもあるため、飲みやすいわけではない。しかし、飲めないわけでもない。味の濃い食べ物と一緒に、楽しみたかった。

 ボロネーゼにパルメザンチーズをたっぷりと載せ、口に運んだ。挽肉がゴロゴロと多く入っていることから、パスタが無くとも食べられると、茉鈴は思った。

 濃厚な味わいを――赤ワインの渋味とコクが引き締め、相性はとても良かった。


「いやー、最高だねぇ」


 茉鈴は普段どちらも口にする機会がほとんど無い。この部屋での食事ということもあり、大人の味わいに感じた。


「喜んで貰えて、よかったです。鮭も食べてみてください」


 玲奈に促され、鮭のムニエルを口にした。

 おそらくバター醤油とにんにくで味付けされているのだろうと、茉鈴は思った。見た目に反し、この料理もまた濃厚な味付けのため、ワインが進んだ。


「魚料理って白ワインのイメージあったけど、めっちゃ合うね」

「はい。わたしの思った通りです」


 玲奈が誇らしげな笑みを見せる。

 料理の腕を、茉鈴は以前から尊敬していた。いや、落ち着いた雰囲気から外食にも負けない料理を出すことが、玲奈の魅力のひとつに感じていた。

 小さなテーブルで、ふたりで食事を楽しんだ。やがて、カマンベールチーズを少し残し、皿が全て空になった。

 玲奈が立ち上がり、キッチンへと向かった。そして、ひとつのアイスクリームを手に、戻ってきた。小さなカップの、世間では高級品に扱われているものだ。


「デザートにしましょう」


 アイスクリームはともかく、玲奈はスプーンもひとつしか持っていなかった。

 そのような分けるのか、茉鈴は疑問に思っていたところ――玲奈が近づき、隣に座った。肩にもたれ掛かってきた。

 飲酒による軽い酩酊の中、突然のことにドクンと胸が高まった。


「はい。先にどうぞ」


 スプーンでバニラのアイスクリームをすくい取り、上目遣いと共に差し出された。茉鈴はなんとか落ち着き、口を伸ばして食べた。

 普段食べている安物と違い、牛乳の濃厚さを味わえた。さらにワインを流し込むと、これも相性が良かった。口に残るはずの甘さが無くなり、いくらでも食べられる気がした。

 玲奈がふたつの口へ交互に運び、小さなカップはやがて空になった。スプーンと共にテーブルへ置くと、茉鈴の肩から胸元へと、改めてもたれ掛かった。

 まるで、何もかもを投げ出したように、茉鈴には見えた。


「ごちそうさま……」


 茉鈴は背後のベッドにもたれ掛かり、玲奈の頭を撫でた。長く綺麗な髪の手触りは、まるで絹のように心地良かった。

 テレビの雑音が耳に触れる。バニラの甘い匂いが微かに漂っている。

 ぼんやりと前方を眺めると、ワインボトルが見えた。まだ少し残っているが、ふたりでほとんどを飲んだ。


「ねぇ。酔ってる?」


 ワインのアルコール度数は約十二パーセントと、酒の中でも高い方だ。食事に合うという理由でつい飲んでしまうと、あっという間に酔ってしまう。

 茉鈴はまだ素面に近いが、玲奈がこのような行動に出たことを疑った。


「大丈夫です。酔ってません……」


 もし酔っているにしても、本人はきっとそのように言うのだろうと、茉鈴は思った。

 玲奈の頭を見下ろすも、顔は見えない。だが、まだ呂律が回っていることから、信じることが出来た。

 玲奈は振り返ると、細い指先で茉鈴の頬にそっと触れた。

 まったく酔っていないわけではないのだろう。とろんとした瞳と紅潮した頬を、茉鈴は艶やかだと思った。

 そして、その矢先――顔を伸ばした玲奈から、唇を重ねられた。

 唇を割って口内へ侵してきた舌に、絡められる。玲奈はアイスクリームだけを食べていたのか、バニラの甘い味が茉鈴の口に再び広がった。

 あの日以来のキスだった。最後のキスも、この部屋だった。

 唇の柔らかい感触と共に、茉鈴は玲奈の泣き顔を思い出した。自分の気持ちに整理がつかず、焦燥に苛まれていたのだ。


 顔を離すと――今夜も、玲奈は今にでも泣き出しそうな表情だった。

 茉鈴は座ったまま玲奈を抱きしめ、確信した。きっと、最初からこうすることが目的で、自宅まで食事に誘ったのだ。


「どうしたの?」


 だが、このような計画を思い立った理由がわからなかった。

 茉鈴は常に、悪い可能性を考えていた。待たせている以上、玲奈の恋心が冷める可能性はいつだってある。時間は限られているが、具体的な境目は見えない。

 愛想を尽かすにしても、このような真似をするだろうかと、疑問に思う。しかし、そのような思考は一瞬だった。

 再び、玲奈の悲しげな表情を見てしまった。茉鈴は自分の無力さを味わい、焦燥が込み上げた。


「わたし……来週、選考試験じゃないですか。怖いんですよ」


 腕の中の玲奈が、上目遣いを向けた。手は茉鈴のシャツの胸元を掴んでいた。

 この理由で部屋に招いたのだと茉鈴は理解するが、意外だった。玲奈も緊張や不安に駆られることもあるのだと、驚いた。

 これまで、玲奈の弱々しい姿を見てこなかったわけではない。しかし、こうして弱音を吐くことは顕著に感じた。

 ふと、テーブルに飾られた、白い花が見えた。

 そう。気高く凛々しい――女王(りそう)から遠く離れた姿なのだ。幻滅を招く恐れがある。


「大丈夫ですか? わたし、カエルになったりしません?」


 それを気にしているのは、玲奈も同じのようだった。

 以前訪れた時の記憶が、茉鈴の頭にふと蘇る。


 ――このままだと、たぶんまたカエルになっちゃうから。


 そのように玲奈を制止したので、確かに心配するだろうと茉鈴は思った。だが、玲奈が勘違いしていることを理解した。


「ううん。キミはいつだって、私の女王だ。何なりと命令していいよ」


 茉鈴は否定し、優しく微笑んだ。

 あの時、玲奈の泣き顔を見たからではない。そもそも、過去から――幻滅が全く無かったわけではないが、茉鈴が玲奈に蛙化現象した理由は、別にあった。そもそも、幻滅して蛙化したのは玲奈の視点だ。

 茉鈴の場合、自身の無力さから、恋愛に対して臆病だったのだ。あの時も、そうだった。


 強い陽射しの下で、涙を流した。それからもう、暑さは和らいでいた。短い時間だが、茉鈴にはとても長く感じた。カエルから人間に戻るため、可能な限りの努力をしたつもりだ。

 まだ就職が決まっていない現在、目に見える成果は確かに無い。その意味では無力だと、茉鈴は思う。しかし、雑学教室と菫の一件を得て、教職への夢へと進んでいる身としては、もう怖くなかった。玲奈を迎える準備が出来ていた。

 とはいえ、今回のことは理想と現実の隔たりがあまりに大きいため、幻滅する可能性は充分にあった。それでも何も起きなかったことに、茉鈴自身が驚いていた。原因はわからない。


「わたしが不安じゃなくなるまで――抱きしめてください」

「うん。キミならきっと、選考試験なんて大丈夫だから……。絶対に上手くいく」


 茉鈴は頷き、涙ぐんでいる玲奈を、より強く抱きしめた。

 どのぐらいの時間そのようにしていたのか、わからない。腕の中の確かな温もりを、二度と離したくない気持ちだった。ふたりだけのこの空間が、永遠とさえ思えた。

 しかし、永遠など無かった。

 茉鈴の頬に、一筋の涙が流れた。


「……あれ?」


 どうしてなのか、わからない。突然の出来事に茉鈴自身が戸惑い、慌てて指先で拭った。

 まだ涙ぐんでいる玲奈が振り返った。心配そうに茉鈴を見上げた。

 玲奈の前で、もう泣かないと決めた。もう弱い姿を見せないと決めた。『余裕のある大人』で在りたかった。玲奈にこそ、幻滅されたくなかった。

 茉鈴は手の甲で必死に涙を拭うが、涙は溢れるばかりだった。

 やがて――玲奈に腕を掴まれ、ようやく落ち着いた。一呼吸さえすれば、原因はすぐにわかった。


「寂しかったんだ……」


 茉鈴は泣きながら微笑んだ。

 玲奈に振られて、一ヶ月以上の時間が過ぎていた。そして『似た者同士』であった菫とそれぞれの道を歩むことになり、ここ最近は孤独に似たものを強く感じていた。

 今日の夕方、着替えている玲奈に性欲が湧いたのは、人肌の恋しさからだったと理解する。

 こうして玲奈に触れている今、ようやく満たされた喜びから、涙を流していたのであった。


「ごめん、カッコ悪いよね。私こそ、またカエルになっちゃうよね」


 だが、理由が何であれ、僅かなものであれ、泣いている姿を見せていることに変わりはない。

 一刻も早く茉鈴は止めようとするが――玲奈が腕を掴んだまま、離さなかった。


「茉鈴はカッコいいです!」


 愛する人から、涙を流すことを許された。

 まだ教職に就けると決まったわけではない。『強さ』である確かな根拠は無い。

 しかし、これまでの姿をすぐ近くで見ていた人間からは、そのように判断された。茉鈴にとっては、誰よりも何よりも信頼できる意見だった。


「ありがとう」


 カエルは激怒した女王に壁へ投げつけられ、魔法が解けたと言われている。

 茉鈴なりに、これまで痛みを味わっていた。それでも、無理をしてでも玲奈の理想であろうと努力した。

 最近は進路を含め、自然に立ち振る舞えているという自覚がある。そして、少しの弱さを見せてもなお玲奈に認められた今、ようやく報われたと感じた。


 もうカエルにならない。

 もう幻滅させない。

 やっと魔法使いに戻れた。


 安心した途端、茉鈴はさらに涙が溢れた。幸せだからであるが、今の茉鈴には理解できず、ただ感情に身を任せた。


 玲奈と共に泣きながら、抱き合った。

 互いに弱さを曝け出し、互いに受け止める様は、まさに『支え合う』と言えよう。

 初めてだった。

 かつては、自身の臆病さから表面(りそう)にしか触れられなかった。いや、臆病だからこそ、女王のような美しさに憧れた。

 だが、茉鈴はこの瞬間、ようやく同じ目の高さに立ち、互いの内面(きもち)に触れ合ったのだと思った。

 だから、しばらくして涙が落ち着いた頃――改めて伝えた。


「私、玲奈のことが好きだよ」


 恥ずかしさも焦りも無かった。とても穏やかな気分だった。


「わたしも、茉鈴のことが好きです。だから――付き合いましょう」


 茉鈴の思っていた通りの返事だった。

 床に座ったまま、涙でぐちゃぐちゃになった顔で向き合った。あまりの不格好に笑いあった後、唇を重ねた。

 気持ちの確認であり、返事でもあり、そして――誓いのようだと、茉鈴は思った。

第21章『ふたりで流す涙』 完


次回 第22章『自分達の歩調で』

茉鈴は玲奈と、恋人の交際を始める。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 蛙化現象というのを初めて聞いたのですが、よくある話だけどそれで恋人になるのは気を使うしんどい関係にしかならなさそうというのが初めに出てきた感想でした。 常にカエルにならないように気を張って…
[一言] 愛することを学ぶ必要があります。 結局のところ、私たちは常に、奇妙なものに対する善意、忍耐、公平さ、優しさによって報われ、その結果、奇妙なものがゆっくりとベールを取り除き、新たな、言葉では言…
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