表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カエルになる魔法  作者: 未田
第21章『ふたりで流す涙』
61/76

第61話

 十月九日、月曜日。

 祝日の今日、午前十一時過ぎに茉鈴はおとぎの国の道明寺領を訪れた。


「お疲れさまっす」

「先輩! 大丈夫だったんですか!?」


 スタッフルームの扉を開けるや否や、パイプ椅子に座っていた蓮見玲奈が勢いよく立ち上がった。

 何事かと、茉鈴は驚く。だが直ぐに、玲奈の口振りから、昨晩の帰り道――喜志菫との一件を心配していたのだと理解した。


「ああ、ごめん。ちゃんと解決したから……大丈夫だよ」


 結局はあの後、菫と駅まで歩いた。

 帰宅しない日もあるようだが、菫の寝床はまだ実家らしい。茉鈴は送ろうと思ったものの、終電の都合で出来なかった。それに、菫が明るい笑顔を見せたことから、さほど心配ではなかった。

 茉鈴は、何か困ったことがあればすぐに相談するよう『人生の先輩』として言い聞かせ、駅で別れた。

 自堕落に過ごすことがいけないと、他人の人生を否定するわけではない。ただ、これからの菫は、きっとより良い方向へと進んでいくだろうと思った。


「無事なら無事で、連絡してくださいよ……。心配したんですから」


 玲奈が、脱力気味にパイプ椅子へと座った。

 心配させたことは悪かったと、茉鈴は反省する。

 そもそも、玲奈とは携帯電話でやり取りを行う習慣が無かった。茉鈴には携帯電話を触る習慣すら、滅多に無いが――過去の『友達』だった頃の名残だと思った。当時は対面の有無に関わらず、言葉が交わらなかった。

 だが、これからは社会人の一般常識として、些細なことでも報告や連絡しなければいけないと思った。

 とはいえ、今回の件はそれほど心配することなのかと思う面もある。茉鈴は改めて考えたところ、自分にとっては違うにしても、玲奈にとって菫は『敵』のような存在なのだと思い出した。

 そう。玲奈は事情を何も知らないのであった。


「あの子ね……昔、家庭教師で受け持ってたんだ」


 茉鈴もパイプ椅子に座った。

 喜志菖蒲のことは玲奈に話したくなかったが、それを避けては説明できないので、腹を括って全て話した。


「なるほど……。先輩にとっては、妹みたいな感じなんですね」

「うん。この店にまた客で来るのか、わからないけど……もし来ても、行儀よくするはずだから……出来たら、普通に接してあげて欲しい」


 玲奈に対し、無理な注文をしている自覚がある。それでも、そのような機会があるならば、自分以外の人間にも受け入れて欲しかった。


「わかりました。なるべく前向きに考えてみます」


 玲奈は少し躊躇った後、大きく頷いた。

 約束でなくとも、その返事だけで茉鈴は充分だった。菫には遊びに来て欲しい。


「ありがとう」

「って、どうしたんですか?」


 玲奈の驚いた様子に、茉鈴は気づいた。目に涙が溜まり、今にも溢れそうだった。

 どうして泣きそうになっているのか、わからなかった。目尻を指先で拭いながら、考えた。


「それぐらい、嬉しいんだよ」


 茉鈴はきっとそうだと思い、苦笑して見せた。

 いや、そう思い込むことにした。

 頭に浮かんだのは、昨晩のことだった。菫と、あの部屋で過ごした時間が終わった。ふたりで部屋を出て、それぞれの道を歩き出したまでだ。

 名残惜しいわけではない。これまでのことを振り返ると――やはり、寂しさが込み上げた。


 感情が、負の方向へ大きく揺れ動く。いっそ流れに身を任せたいところだが、目の前には玲奈が居る。

 どのような理由であれ、この女性の前では、もう二度と弱い姿を見せたくなかった。また泣いてしまっては、カエルから人間に戻れない。

 茉鈴はそう自分に言い聞かせ、込み上げるものをぐっと堪えた。


「これだけ親身に向き合うことが出来るなんて……先輩は、やっぱり先生に向いてますね」


 玲奈が微笑み、茉鈴はなんだか違和感を覚えた。

 言葉にした理由が違うとはいえ、泣き出しそうな姿を見せた。再び幻滅されることを危惧した。

 だが、玲奈からは白けるどころか尊敬の念を向けられている。どうしてなのか、全く理解できなかった。


「あ、ありがとう……」


 なんだか拍子が抜け、ひとまず落ち着いた。


「そろそろ準備しようか」

「はい。そうですね」


 茉鈴として結果的には良かったものの、なんだか釈然としなかった。だが、その疑問を追うつもりはなく、気持ちを切り替えた。

 玲奈とふたり、パイプ椅子から立ち上がり、衣装へと着替えた。



   *



 午後四時になり、おとぎの国の道明寺領は祝日の昼営業を終えた。

 茉鈴は玲奈と共にスタッフルームへと移動した。ふたり共、今日のシフトはこれまでだった。

 アルバイトに集中していたため、その間は菫や玲奈のことを考えずに済んだ。しかし、こうして再び玲奈とふたりきりになると、アルバイト開始前のことを思い出してしまう。


 茉鈴は複雑な気分になり、ぼんやりとした。

 まじまじと見るつもりは無かったが、玲奈がドレスを脱ぐ姿が視界に入った。アルバイトで、これまで何度も目にした光景だった。

 ピンク色の下着が可愛い。白い肌が綺麗だ。茉鈴の内に、ある欲求が静かに込み上げる。

 こちらの視線に気づいたのか、玲奈が振り返った。


「どうしたんですか?」

「いや……なんでもないよ」


 このような場所で性的な目で見てしまったことに、茉鈴は自己嫌悪に陥った。複雑な気分からそのように移ったので、尚更だった。視線を外すように、俯いた。

 かつては、あの肌に散々触れてきた。未だに感触を覚えている。

 最後に素肌を重ねたのが、八月の終わり――もう一ヶ月以上開いているのだと、茉鈴は振り返った。

 肌に触るどころか、口すらきけないと思っていた。だが、玲奈の気持ちを知り、なんとも言えない関係で現在に至る。


 性欲が無いと言えば、嘘になる。むしろ今は、生理前でないにも関わらず昂ぶっている。

 しかし、玲奈にぶつけてはいけないと分かっていた。

 もう『友達(セフレ)』ではないのだから。互いの蛙化を防ぎ、早く恋人になるべきだ。

 茉鈴はなんとか割り切り、自身も着替えた。


 着替え終えると、茉鈴は玲奈とふたりで店を出た。

 外はまだ明るい。夕方のこの街は大勢の人達で賑わっていると、外の空気に触れただけでわかった。

 その中を、玲奈と並んで駅まで歩くはずだった。

 ふと玲奈が店の前で立ち止まり、振り返った。


「先輩……もし予定無いなら、久しぶりにご飯でもどうですか?」


 口振りといい表情といい、実に何気ないものだむた。茉鈴は言葉の意味を理解するまで、数秒の時間を要した。


「う、うん! 行こう! どこでもいいよ!」


 突然のうえ、想像もしなかった提案だった。あまりの嬉しさから、興奮気味に返事をした。

 それは反射的な言動でもあり――アルバイトの疲れはあるものの、この時間はさほど空腹ではないと、後になって気づいた。ちなみに、茉鈴にこの後の予定は特に無い。


「だけど……この時間って、中途半端だよね」


 アルバイトの昼営業が終わる時間として、仕方のないことだった。腹の空き具合だけでなく、洒落た飲食店もまだ営業していないところが多い。

 今日に限った話ではなかった。かつて、玲奈の誕生日を祝った時もそうだった。午後六時まで時間を潰したことを、覚えている。


「お腹ペコペコなら、どこか適当な店に行こうか?」


 とはいえ、ファミリーレストランやハンバーガーショップ等のチェーン店なら今からでも入店可能だ。

 アルバイトで賄いは出たが、玲奈がわざわざ提案するということは、腹を空かせている可能性を考えた。


「いえ。まだお腹は大丈夫です」


 しかし、玲奈も同じようだった。


「それじゃあ、カフェにでも入って、とりあえずお店でも決めようか」


 夕飯時まで時間を潰すことになり、全くの無計画な現状では、まずはそれからだと茉鈴は思った。

 面倒ではない。むしろ、ふたりで店を選ぶことは、きっと楽しいだろう。それに、可能であれば予約までを入れておきたい。


「それもいいんですけど……」


 だが、玲奈は表情を変えることなく――穏やかに否定したうえで、別の提案した。


「今から移動と料理の時間を考えたら、ちょうどお腹減る頃ですよね?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ