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カエルになる魔法  作者: 未田
第20章『最後の授業(後)』
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第59話

 十月七日、土曜日。

 午後四時過ぎ、茉鈴はアルバイトでおとぎの国の道明寺領を訪れた。


「お疲れーっす」

「あっ、先輩……。お疲れさまです」


 スタッフルームに入ると、ひとりで居た玲奈が顔を上げた。テーブルに教材を広げ、勉強をしているようだった。

 過去より玲奈が図書館で勉強していることを、茉鈴は知っている。おそらく自室ではあまり捗らない人間なのだと、察した。


「来週だっけ?」

「はい。そうですけど……よく知ってましたね」

「学校の掲示板で、張り紙見たからね」


 校内交換留学選抜のための筆記試験と面接が行われることを、茉鈴は記憶していた。学部を問わず、一斉に行われるようだ。

 目前に控え、玲奈が緊張しているように見えた。

 なお、結果は来月の十一月に発表される。


「玲奈なら大丈夫だって、私信じてるから」


 どれほどの努力をしてきたのか、茉鈴は把握している。願書の確認まで行った。

 だから、報われて欲しいと願い、その言葉を口にした。

 根拠や立場など、自分のことは棚に上げない。ごく自然に出たことに、茉鈴は気づかなかった。いや、そのようなことを考える余地は無かった。


「ありがとうございます。先輩の方も、上手くいくといいですね」


 玲奈はペンを一度置き、微笑んだ。

 向かう先は違うが、それぞれが目標を持っている。自分の方はまだ先だが、共に励まし合い頑張りたいと、茉鈴は思った。茉鈴もまた、笑みが浮かんだ。

 そのようにしていると、扉が開き、ハリエットが姿を表した。


「皆さん、ごきげんよう……。あら、マーリン様! 貴方、凄いですわよ!」


 茉鈴の姿を見るや、興奮気味に詰めかけた。

 突然何事かと、茉鈴は戸惑った。


「貴方の動画、一週間で三万再生達成ですわ!」


 ハリエットの言葉に、ちょうど一週間前――月見の雑学教室で動画を撮られたことを思い出した。すぐに最も有名な動画投稿サイトで公開したと、聞いていた。

 茉鈴自身は、恥ずかしくてとても観られなかった。いや、動画を撮ったという事実を記憶から抹消したかった。

 嫌な気分になる一方で、ハリエットの興奮する理由が今ひとつわからなかった。


「それって、どのぐらい凄いんですか? 今ひとつピンとこないんですけど……」

「全く無名の素人が一から可愛く踊ってみても、一週間で数千――いっても一万ぐらいでしょうね」


 過激な衣装で性を武器にすれば、桁が変わってきますけれども。ハリエットがそう付け足す。

 そのような説明を受け、茉鈴は大体を理解した。


「え? 先輩……それって普通に凄くないですか?」

「そうですわよ! わざわざチャンネル開設しましたけど、収益化の登録者数はとりあえず超えたんですもの!」


 卑しい笑みを浮かべるハリエットに、興奮している理由は主にそれかと、茉鈴は納得した。

 とはいえ、この反響は純粋に嬉しい。三万という数字を冷静に考えると、相対的でなくとも大きいと思う。想像以上だ。


「そういえば……最近、お客さん増えたような気がしますよね」

「うーん。気のせいじゃない?」


 玲奈がふと漏らすも、茉鈴はすぐに否定した。

 顔がにやけるのを、必死に堪えていた。茉鈴としても、今週はそのように感じていたが――これ以上は浮かれたくない。勘違いであって欲しい。


「気のせいではありませんわー! 売上の方は、すこぶるよろしくてよー!」


 だが、経営者であるハリエットが満面の笑みで事実を告げる。

 茉鈴は思わず、俯いた。半笑いになっているのを感じた。


「そうそう。コメント見てると……授業が面白いという意見も割りとありますのよ。コンカフェとは無縁そうな方々も観ていますわ」


 その言葉に、茉鈴は笑うのをなんとか堪えながら、顔を上げた。ドレスのどこから取り出したのかわからないが、携帯電話の画面をハリエットから見せられた。

 教師としての『マーリン』に関するコメントが多い中、確かに内容についての考察や意見も書かれていた。『色モノ』ではなく、ひとつの講義として捉えられていることが、とても嬉しかった。

 そして、我慢の限界に達した。茉鈴は、顔中の筋肉が一斉に緩んだのを感じた。

 にやける姿は、きっと気持ち悪いだろう。いっそ、周りからそのように触れて欲しいところだが――玲奈とハリエットは顔を見合わせた後、微笑んだ。


「やりましたね、先輩」

「せやで。あんたやから出来たんや。もっと胸張りや」

「ありがとうございます……」


 ふたりから讃えられ、茉鈴ははにかみながら、改めて嬉しさを噛み締めた。

 だが、今は自己満足よりも、喜志菫の顔が頭に浮かんだ。

 やはり、菫は近頃この店を訪れていない。あの日以来、会ってもいない。

 それでも茉鈴は、菫にこそこの動画を観て欲しかった。

 菫が衣服を選んだ実績から――菫も少なくとも、自分と同じ目線の高さに立てると思った。あの時だけでなく、彼女が他にも経験を積むことを願った。


「というわけで、次のこと考えますわよ! ハロウィンの前に、何かありませんこと?」


 ハリエットが話を切り替える。意味合いとしては次の『教室』についてだと、茉鈴は察した。

 さらに、先程の台詞から、動画の収益化を優先的に考えているように感じた。茉鈴は詳しく知らないが、いくつか条件があるのだろうと思った。そのひとつが動画の公開本数であるならば、ハロウィンを待たずして、こうして急ぐことにも納得する。


「次は、領主様が何かされては如何ですか?」


 だから、茉鈴は意地悪に意見した。

 この場で考えが浮かばないことは、事実だ。大体、月見教室にしろ、提案した英美里こそが陰の立役者だと思う。


「わたくしは、ご遠慮いたしますわー。領主が出しゃばることじゃありませんので……」


 茉鈴はハリエットに自己顕示欲が強い印象が持っていたので、下がったことが意外だった。

 いや、商売を優先的に考えてか、或いは動画を公開したところで再生数の優劣がつくからか――後者について茉鈴は自惚れていると思ったが、そのような可能性が浮かんだ。


「やっぱり、引き続きマーリン様でしょ」


 ハリエットから、期待の眼差しを向けられる。

 とはいえ、茉鈴は何も思いつかなかった。再び講師として立ちたい気持ちはあるが、何について話せばいいのか、わからない。せめて、テーマの選択肢が欲しい。


「玲奈はどう? 外国語教室なんて、面白そうじゃん」


 苦しくなり、玲奈へと視線を向けた。

 突然振られた玲奈は、露骨に嫌そうな表情をした。


「先輩も、割りかし外国語の知識ありますよね? たぶん、先輩の方が面白く、わかりやすく話せますよ」

「いやー。本職には敵わないんじゃないかな」


 確かに、外国語をテーマに扱ったとしても、茉鈴もある程度は話せる自信がある。

 だが、外国語学部の生徒である玲奈の前で話すことが、恥ずかしかった。


「まあ……女王が先生役やるのも、なんか変だよね」


 茉鈴は自分から振っておきながら、こちらの分が悪くなる前に話を畳んだ。

 ふと――自身の発言に、強烈な違和感を覚える。

 玲奈の長く綺麗な髪と凛々しい雰囲気は、確かに女王と形容するに相応しい。過去より抱いてきた印象に違いない。

 しかし今、なんだか錯覚に陥ったように感じた。

 なんだ? 茉鈴は考えるが、どうしてなのか理由はわからない。


「いいですか? アイデア採用したら金一封出しますから、よろしく頼みますわよ」


 開店準備があるからか、ハリエットはその台詞を残して部屋から立ち去った。

 茉鈴は、横目で玲奈をちらりと見た。

 さっきのは何だったのかと疑問を抱くが――深く追おうとはせず、衣装に着替えた。



   *



 午後十一時になり、茉鈴は玲奈と店内からスタッフルームに移った。

 疲労でぼんやりしていると、壁のホワイトボードが目に映った。

 玲奈のシフトは、明日も――来週も、いつもと変わらない程度に入っている。


「ねぇ。バイト休まなくて大丈夫?」


 夕方この部屋で、勉強している玲奈を見た。玲奈にとって学生生活で最も大切であろう、交換留学の選考は目前だ。


「ありがとうございます。でも、わたしはじっとしてると緊張するんで、適度に動いた方がいいんですよ」

「そっか……」


 本人が言うことを、茉鈴は信じた。

 それに、今はきっと根詰めて勉強する段階ではなく、見直す程度だろうと思った。精神面で落ち着くことが大切なのだと、納得した。

 茉鈴は水を飲んだ後に衣装から着替えた。そして、玲奈と共に裏口から店を出た。


「そういえば、夕方も思いましたけど……今日の先輩、なんかオシャレですね」

「でしょ? 凄いよね」


 玲奈の視線が下半身に注がれる。茉鈴は、ガンクラブチェックのワイドスラックスを履いていた。

 そう。喜志菫が選んだものだ。

 上半身の、カットソーとロングカーディガンとのコーディネートはどうなのか、茉鈴はわからない。だが、パンツだけでも異彩を放っているようだ。確かに、よく知る人間からすれば『まず選ばないはずの衣服』として映っていることだろう。

 ちなみに、菫が選んだ全身コーディネートは、もしものデートの時に温存していた。


「凄いって、何がですか……」


 玲奈はどこか白けた様子で、隣を歩いた。

 それでも、一度褒められた以上、気分はとても良かった。やっぱりキミのセンスは凄いよと、菫に感謝を伝えたいほどだった。

 裏口から表通りに出ると、やはりこの時間帯でも街はまだ明るかった。疎らだが、人も歩いている。

 しかし、店から少し離れたところで――その人物は、ひとりで立ち尽くしていた。

 風景に紛れ込む有象無象の人間ではなかった。確かな攻撃の意図が、鋭い目つきとなって茉鈴に向けられていた。


「先輩……」


 不安そうなか細い声を漏らし、玲奈が立ち止まる。

 茉鈴は玲奈から一歩出て、立ち止まった。

 少し呆れる。しかし『彼女』がこのような真似をすることが、全く理解できないわけではなかった。

 だから、優しく微笑みかけた。


「こんな時間に、どうしたんだい? 菫ちゃん」

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