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カエルになる魔法  作者: 未田
第20章『最後の授業(後)』
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第58話

「だから、これからキミに……もう二年も開いちゃったけど……最後の授業を始めよう」


 昼下がりのパンケーキ屋で、茉鈴はテーブルに肘をついたまま、正面に座る菫に微笑みかけた。

 随分と長い時間、ふたりの――いや『三人』の時間が止まっていたと思う。

 かつて、目の前に居る女性の家庭教師を請け負った。喜志家の姉妹との繋がりを持った。そして、喜志菖蒲に恋をした。

 だが、自分が逃げ出したあの日に、全て崩れた。

 あれから、二年の時間を要した。茉鈴は自らが経験することで、就職活動が如何に大変か、よくわかった。きっと現在なら、菖蒲に慰めの言葉をかけることが出来るだろう。

 しかし、過ぎ去った出来事である以上、もう遅い。

 本当に無力であったと、改めて身に染みる。現在も変わらないのかもしれないが、気持ちは違う。

 もう逃げたくない。前へ進むために、教職に就くために、そして蓮見玲奈を迎えるために――傷つけたかつての少女、喜志菫と向き合わなければならない。


「なんやねん。いきなり教師ヅラしよって……。お前なんか、うちの先生でも何でもないわ」


 茉鈴は菫から、鋭い目つきで睨まれる。大声で怒鳴られこそしないが、とても強い憎悪の圧を感じた。先程まで一緒に買物をした女性は、もう居ない。

 これまでも感じたことがあった。その度に、主に罪悪感で――躊躇っていたが、今は不思議と落ち着いていた。

 今も罪悪感が無いわけではない。むしろ、自分のために利用することで、さらに強まっている。

 だが、こうして利用することが、茉鈴なりの罪滅ぼしでもあった。


「それじゃあ……キミの『友達』として言わせて貰おう」


 家庭教師として接していた頃からだった。そういえば、菫から一度たりとも『先生』と呼ばれたことが無かったと思い出す。

 あの頃は茉鈴としても、臆病さから教師を名乗ることに抵抗があった。それに、菫のことは『妹』のように思っていた。菫からも『姉』のように慕われていた実感があった。

 現在はどうなのかと思うが――確かめてはいけない。一片の希望すら持ってはいけない。


「キミには『力』があるじゃないか。オシャレのセンスは、並の人間よりも明らかに優れているよ」


 茉鈴はキャラメルラテを一口飲み、隣の席のショップバッグに目を落とした。

 菫のコーディネートはどちらも素晴らしかった。勘違いでなければ、少なくとも『一般人』では到達し得ない域だ。

 今日はこうして話すために、買い物という体で菫を連れ出した。これまで菫にセンスがあるとの確証は無かったが、想定以上の成果だった。身内を名乗ってもいいのなら、誇りにすら思う。


「人の役立つようにとか、社会貢献とか、そんなことは言わない。どう使おうと、キミの勝手だよ」

「せやったら黙らんかい、アホが」

「ただ――その力があれば、少なくともこの世界に関われる。対価を得られる。誰かと繋がることが出来るんだ」


 今日の買い物を通じて、茉鈴が言いたいことはそれだった。菫自身に知って貰いたかった。

 菫が高校を不登校になった理由は、未だに知らない。だが、およそ察していた。

 おそらく、イジメの類ではない。周囲に馴染めず孤立し、退屈していたのだと、茉鈴は考える。

 かつての自分もそうだったのだ。勉強の義務感と読書という娯楽があったから学校に通っていたものの、それらが無ければ同じだったと思う。

 やはり、菫とは親近感のある『似た者同士』だった。


「だから何やねん。偉そうに言うなや。お前、何様や?」


 まだ抑え気味ではあるが、菫の声が少し荒いだ。認めたくない、否定したいことの表れだと、茉鈴は捉える。


「キミの友達としての意見だって、言ってるだろ? キミにはそれだけの力がある。臆病になることなんて、ないんだよ」


 傷心した菖蒲を慰めることが出来なかったのは、菫も同じだ。菫もまた自分と同じく『臆病者』なのだと、茉鈴は近頃感じていた。

 臆病になる原因は、茉鈴は自身の経験から、自信の無さだと考える。

 自信とは、相対的な認知――他者から認められる、或いは他者との比較で手に入れる。たとえ力があろうとも、認知出来なければ意味が無い。

 それも今日、菫に知って貰いたかった。


「お店の店員さんだって、菫ちゃんのこと褒めてたじゃないか」

「あんなん、客をカモにするための、ただのリップサービスに決まっとるやろ。どんだけめでたい頭してたら、バカ正直に信じるんや」


 店員の言葉は手応えとして充分だと茉鈴は思ったが、菫の持つ疑惑を否定できない。根拠が無い以上、その可能性は捨てきれない。

 いや、それについて話したところで、水掛け論になりかねない。だから、考え方を見直した。


「万が一、そうだとしても……キミが動き出す『きっかけ』にはなるよね? 悪いように考えるのなんて、いくらでも出来るんだ。でも、ちょっとでも良いように信じて飛び込まないと、何も始まらないよ」


 茉鈴は、自身が教職を目指した過程を振り返る。

 周りからの声こそあれど、自分には不向きだと言い訳した。その道へ進むのは、とても怖かった。

 それでも飛び込むことが出来たのは、教師の真似事で手応えを得たのと――蓮見玲奈が背中を押してくれたからであった。


「少なくとも私は、キミのセンスを信じる!」


 だから茉鈴は、この女性の背中を押すのは、自分の役目だと思った。かつての家庭教師として、かつての『姉』として、義務を果たさなければいけない。

 服飾に関しては素人以下であると、自覚している。こんな言葉など、何の説得力も無いだろう。

 しかし、必要なのは背中を押す存在だ。ひとりでは前へ進めない。

 きっと喜志菖蒲ですら、何らかの理由で妹の背中を押せなかったのならば――その役目は世界でただひとり、自分だけだと茉鈴は思う。

 損な役目であるとは、頭に一切浮かばなかった。ただ、感情的になるのを抑えることで精一杯だった。


「お前の言うことなんか、信じられるか……アホ」


 菫はやり切れない表情を浮かべながら、小さく漏らした。

 説得力の問題ではない。菫からの信頼の問題だと、茉鈴は理解した。

 キミには私しか居ないじゃないか――反射的にそう口走りそうになるが、思い留まった。今この場で、孤立を肯定してはいけないのだ。


「大体な……なんで二年も放ったらかしにしたんや? 今さら綺麗事ぬかすな」


 この空白の時間を、菫は――少なくとも悔やんでいないように、茉鈴は感じた。純粋な疑問のようだ。


「だから、言っただろ? これは、私のためなんだ」


 まるで自分に言い聞かせるように、確かめた。その体であるはずが、確かに『綺麗事』で取り纏めようとしていることに気づいた。

 抽象的な言葉のうえ、説得力も信頼も無い。いつの間にか、悪手を打っていた。

 このままではいけない。茉鈴は焦るが――不思議なことに、考えはすぐに浮かんだ。いや、この状況だからこそ、それにたどり着いた。

 実に単純なことだった。

 ここ最近は、雑学教室で勘違いしていた。茉鈴は、自身が何の実績も無いつまらない人間であることを思い出した。

 とても『見本』に成る人間ではなかった。


「そうだよ。これから一年……私がどうなるのか、見ていて欲しい」


 だから、これから『見本』に成る。


「恋愛に就職に……私はこの世界で、大勢の人間と関わろうと思う。努力するよ。とりあえず、その結末を見届けてからでもいいんじゃないかな?」


 この状況で『意見』を述べても意味が無かった。『友達』という立場に逃げることも、間違っていた。それでは届くはずがなかった。

 あくまでも、先生と生徒だ。そのうえで、自分の出来ないことを生徒に強要するのは、理不尽極まりない。

 生徒を導くためには、まずは自分が示さなければいけないのだ。

 茉鈴は、不敵な笑みを作ってみせた。似合わないことは、わかっていた。


「お前みたいな奴がどうなろうが、うちは知らんわ」


 菫は溜め息をついた。腕を組み、冷ややかな視線を向けた。

 いつもと変わらない様子だが――茉鈴には、なんだか揺らいでいるように見えた。


「私も、キミがどうなろうと知らない。でも、キミが……いや『私達』が、臆病者から抜け出せることを証明してみせる」


 菖蒲に対し、ふたり揃って無力だった。

 止まった時間を、再び動かすために。前に向かって歩けるように。

 服飾に関する定職に就けと、菫の未来を強要するつもりは茉鈴に無い。ただ、この身を以って、ひとつの選択肢を示したかった。


「そういうのが無責任やねん!」


 菫が声を荒げる。店内の視線が集まったのを、茉鈴は感じた。

 それから逃げるわけではない。菫に対し伝えたいことを伝えたので、席を立った。


「大丈夫。できるよ……私達なら」


 茉鈴は最後にそう付け足し、大きなショップバッグと、テーブルに置かれていた伝票を持った。菫に背を向け、レジへと歩いた。

 確かに、こうして期待をさせることには責任を負わなければいけない。

 いや、失敗したところで責任を追求されないだろう。その代わり、菫の信頼は一生をかけても取り戻せなくなる。

 かつての『妹』が他人と自分自身をもう一度信じることが出来るように、茉鈴は頑張ろうと思った。


 一方的だが、茉鈴は『最後の授業』として、やるだけのことはやったつもりだった。

 それなのに、手応えが無かった。むしろ、正体のわからない違和感が付き纏う。

 そして、エレベーターを下りながら、ひとつの疑問が浮かんだ。

 菫はなぜ、あそこまで徹底的に拒むのか。

 明るく前向きな話に、多少なりとも食いつくことを期待していた。だから茉鈴にとって、菫の態度は異常だった。

 人間として嫌われているにしても――理由はきっと、別にあるのだろう。そうでなければ、説明できない。

 だが、それがわからずに、違和感となっているのだと思う。

 とはいえ、もう済んだことだ。茉鈴は疑問を追うことなく、そう割り切った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 彼らが卑怯者だとは思いませんが、自分ではどうにもならないことで自分を責めているのだと思います。アヤメ自身は助けを求めませんでした。
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