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カエルになる魔法  作者: 未田
第19章『最後の授業(前)』
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第57話

 茉鈴は菫と話しながら街を歩いた。やがて、菫に連れられ、地下へと下りた。

 この街の地下は広く複雑であり、地理感覚も薄れることから、まるで迷宮のようだと茉鈴は以前から思っていた。ひとりで迷わず歩く自信が無かったが、今は地元民の菫が居るから安心した。

 地下道は地下鉄の駅へ続くだけでなく、無数の店が並んでいる。買い物として訪れることは、おかしくない。


「ここにしよか」


 菫の案内で、一軒の店に入った。


「なんか……普通だね」


 茉鈴は率直な感想を述べながら、菫の全身を眺めた。

 落ち着いた雰囲気の店だった。店頭の割とカジュアルな品揃えから、菫が普段着ているような衣服を扱ってはいないようだ。


「なんや? ケンカ売っとんのか?」

「いや、そうじゃないんだけど……。ありがとう」


 菫が普段利用している店に連れて行かれると、茉鈴は考えなかったわけではない。

 この女性にも、最低限の良心――いや『常識』に近いものがまだ残っているようだと、安心した。

 店の奥へと進んでいく菫の背中を、茉鈴は追った。


「とりあえず、これなんかどうや。花柄とかチェック柄とか、レトロな柄が最近のトレンドやで」


 菫が取って渡したのは、ガンクラブチェックのワイドスラックスだった。


「へぇ。詳しいんだね」


 どこのどの層で流行っているのかは定かでないが、茉鈴は信じるしかなかった。

 それを抜きにしても、柄物パンツを持っていないので新鮮だった。確かにレトロな雰囲気があり、なんだか上品な印象を持った。


「そうやな……それに合わせるんやったら、これや」


 続けて菫が取ったのは、一枚のニットだった。

 明るい緑色なのは、コーディネートとして合わせたのか、それともアルバイトのローブを意識してのことか――茉鈴には、わからない。


「ありがとう。一度、試着してみるね」


 茉鈴はフィッティングルームに入り、着替えてみた。

 サイズに疑問があったが、菫の目測が正確なのか、丁度良かった。

 そして、鏡を見ると――まるで自分ではないような姿が、映っていた。


「ちょっと、菫ちゃん! 私、超クールなお姉さんみたいなんだけど!?」

「自分で言うて、どこがクールやねん」


 茉鈴は興奮気味にカーテンを開けた。

 現在の髪型も合わさり、知的で落ち着いた雰囲気だった。それに、秋らしさも感じる。勿体ないぐらいの上品な格好に見えたのだ。

 間違いなく、自分ひとりでは選ばない衣服だ。どれほどの年月を重ねても、きっとたどり着けない姿だと思う。

 だから、菫のセンスを素直に尊敬した。


「ゴールドのネックレスでもあったら、完璧なんやけどな」

「えー。そんなの持ってないよ」


 確かにアクセントとして引き締まると、茉鈴は思った。

 菫がにんまりと笑っていた。かつて、家庭教師をしていた時に見た――幼くも、どこか誇らしげな笑みだった。

 茉鈴まで嬉しくなり、笑みが漏れた。


「菫ちゃん、ほんと凄いよね。これ買うからさ、もうひとつ……スカートのコーデもお願いしていい?」


 着替え終えてフィッティングルームから出ると、目を輝かせて訊ねた。

 自分の衣服として欲しいというより――菫の可能性を、より確かめたかった。

 菫は気だるそうに溜め息をつくと、踵を返して歩き出した。


「トレンドの色は、シンプルに赤と青や。それも、アホみたいにはっきりしたやつな」

「赤は……たぶん私には似合わないよね」

「当たり前やろ」


 菫の言葉から、茉鈴は真っ赤とも言える派手な色を想像した。蓮見玲奈なら似合いそうだと思った。


「お前に真っ青なんも似合わんわ」


 茉鈴はふと、鮮やかな青色のシャツが見えた。いくら青色とはいえ、難易度が高そうだった。


「一応は、トレンドに近い色やな」


 菫は、くすんだ青色の――カーディガンを掲げた。

 前開きでボタンの付いたニット製品だから、茉鈴はカーディガンだと理解した。丈が短く、見た瞬間は何かわからなかった。

 菫がカーディガンのハンガーを手に悩みながら、次にマキシ丈の黒いフレアスカートを取った。


「ショートカーディガンもフレアスカートも、トレンドや。上半身(うえ)は引き締めて、下半身(した)はボリューム出すで」


 ふたつのハンガーを重ねて見せる。

 茉鈴は菫の言葉に納得し、それらを持って再びフィッティングルームに入った。

 普段はやや大きめのカーディガンを着ることが多いため、ゆったりとしたシルエットを鏡で見慣れていた。

 しかし、このカーディガンの丈は、ちょうどスカートのウェスト位置までだった。だから、ショートヘアであることからも――すっきりとした三角形のシルエットになった。

 それでいて、どこか穏やかな印象でもあるため、なんだか不思議な感触だった。とはいえ、茉鈴としてはこちらもとても似合っていると思う。


 そして、確信した。

 トレンドを知識として振りかざすなら、誰でも出来るかもしれないが――さらに似合うコーディネートを考えるなら、センスが必要だ。

 菫はそれを持っている。元々あったのか、或いは磨かれたのか、茉鈴にはわからない。だが、万人が持つことのできない、貴重な能力であることには違いない。


「私、もう無敵になったよ。ありがとう。ていうか……菫ちゃん、ファッションリーダーになれるんじゃない?」


 その言葉はおそらく誤用だと自覚しながらも、茉鈴はカーテンを開け、感激の意を述べた。


「なにアホみたいなこと言うてんねん」


 菫はやや照れくさそうに、視線を外した。

 茉鈴が再び着替え終えて出ると、店員がやって来た。手持ちの商品が四点もあることを気にしてだろうと、茉鈴は察した。


「これ全部買いますんで、お会計お願いします」

「ありがとうございます。……先程から眺めていましたが、とてもお似合いでしたよ」


 商品を受け取りながら、店員が漏らした。

 冷静に考えれば、世辞のひとつだったのかもしれない。だが、茉鈴の頭にその可能性は無く、純粋な感想として受け取った。


「でしょ? いやー、この子のセンス、ほんとヤバいですよね。私、尊敬しますよ」

「はい。とってもオシャレなセンスですね」


 笑みを浮かべた店員と共に、茉鈴は誇らしげに菫を見る。

 菫は驚いたように――いや、どこか挙動不審にふたりを見渡した後、店の出入り口へと去っていった。


「お、表で待っとるからな。はよ金払ってこい」


 明らかに照れている様子が、茉鈴には珍しかった。

 そして、視界から消えようとする菫の背中に、連れてきて良かったと思った。


 その後、地上に上がった。

 時刻は午後三時前。菫に言った通り、衣服を選んだ礼をしなくてはいけない。それに、茉鈴としても買い物と試着で疲れたため、休みたかった。

 菫の提案で、近くにある大型商業施設に向かった。六階にある、一軒のカフェに入る。時間帯から、少し混んでいた。だが平日のせいか、十五分ほど待った後、四人がけのテーブル席へと通された。茉鈴は菫と向かい合って座った。

 カフェとはいえ、海外のとあるリゾート地をモチーフにしたパンケーキ屋だった。菫はミックスフルーツパンケーキとミルクティー、茉鈴はマカダミアナッツパンケーキとキャラメルラテを注文した。

 茉鈴はこのような店に来る機会がほとんど無いため、少し落ち着かなかった。だが、豪勢なパンケーキを美味しそうに頬張る菫を見ると、年相応の女性なのだと思い、微笑ましかった。


 明るい雰囲気の店内だった。窓からの陽射しも、心地良い。初秋の昼下がりは、とても穏やかだった。

 滅多に口にしないパンケーキを、茉鈴もまた美味しく食べた。もしも『機会』があるのなら、玲奈を連れて訪れたいと思った。

 マグカップのキャラメルラテを飲みながら、隣の席に置いた大きなショップバッグを眺めた。衣服が四着も入っている。自宅まで持って帰ることを考えれば、やや億劫だ。


「菫ちゃんと買い物したのって、たぶん初めてだよね」

「そうか? そんな気せえへんけど」

「外食はあるんだけどね……。ほんと、どうして今まで無かったんだろ」


 無邪気にパンケーキを頬張っていた菫だが、外食という言葉に眉が少し動いたのを、茉鈴は見逃さなかった。

 そう。茉鈴の記憶では『三人』で外食していた。

 触れるべき過去ではないと、茉鈴は思う。しかし、触れなければいけない。もう避けては通れない。


「私ね、学校の先生を目指すことにしたんだ。誰かに教えるのが、楽しいから……」


 茉鈴はテーブルに肘をつき、菫に微笑みかけた。

 ようやく、今日こうして菫を連れ出した真の目的に触れた。


「でも、キミの言うことも正しい。確かに私には、生徒を導いていく自信が無い――今までは」


 菫がフォークを皿に置いた。そして、先程までとは打って変わり、険しい表情で茉鈴を睨みつける。

 場所など関係ないのだろう。今にでも大声で怒鳴りそうだと、茉鈴は思った。


「キミのため、だなんて綺麗事を言うつもりは無いよ。あくまでも、私のため……。そうさ、私は聖人なんかじゃない。自分本位で狡賢い、クズだ」


 それでも茉鈴は肘をついたまま、苦笑した。

 その意図は無いが、煽っているような口調だと自覚した。しかし、紛れもない本心だった。

 自分自身のために。乗り越えて、前へ進むために。教師になるという夢を掴むために。

 巻き込んだこの女性がどうなるかは、二の次だ。その考えで、騙すように連れ出した。

 だが、願わくば――彼女にとっても、少しでも良い方向へ進んで欲しいと思う。


「だから、これからキミに……もう二年も開いちゃったけど……最後の授業を始めよう」

第19章『最後の授業(前)』 完


次回 第20章『最後の授業(後)』

茉鈴は菫に、ひとつの可能性を説く。

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