表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カエルになる魔法  作者: 未田
第19章『最後の授業(前)』
56/76

第56話

「それ食べてから、ちょっとお出かけしない?」


 茉鈴はテーブルで牛丼を食べている菫の隣に座り、微笑みかけた。

 箸を動かしながら、菫が露骨に嫌な表情を浮かべる。


「なんや、いきなり……。気持ち悪いやっちゃな」


 菫との付き合いは二年になる。外食程度ならあるが、ふたりで『外へ遊びに出かけた』ことは、茉鈴の記憶には無かった。だから、菫が気味悪げに警戒するのは当然だ。


「ほら。今、季節の変わり目でしょ? 秋物の服欲しいから、付き合ってよ」


 優先度は極めて低いが、その用件があることもまた、事実だ。嘘ではない。

 しかし、茉鈴の意図は別にあった。


「は? なんで、うちが?」

「菫ちゃん、センス良いよね」


 少なくとも、私よりは――茉鈴は心中で付け加える。

 決して、菫のような格好をしたいわけではない。ただ、どこで耳にしたのかは思い出せないが、菫が服飾の専門学校に通っているという情報を持っていた。

 具体的にどのようなことを学んでいるのかは、知らない。服を制作する技術と、似合う服を選ぶことは、違うとも理解している。だが、どちらもセンスが問われることには違いない。


「きっしょ……。おだてても、何も出えへんで」

「むしろ、私が手間賃出すよ。甘いものでも晩ごはんでも、私が奢るね。菫ちゃんの貴重な時間を借りるわけだから」


 茉鈴は貯金に余裕がある現在、有無を言わさず頷かせるには、それが手っ取り早い手段だと思った。

 菫はまだ警戒している様子だが、少しの間を置き、溜め息をついた。


「なーんか解せんけど……そこまで言うんやったら、しゃーないなぁ」

「ありがとう。急いでないから、ゆっくり食べてね」


 ひとまずは漕ぎ着けたと、茉鈴は微笑みながら、内心で肩の力を抜いた。

 しばらくして菫が食べ終え、ふたりで部屋を出た。

 衣服の購入なら、量販店があるため近場でも可能だった。だが、それではなんだか味気ないと茉鈴は思い、電車に乗った。向かう先は、アルバイト先でもある繁華街だ。


「えへへっ。菫ちゃんとデートだね」


 電車に揺られながら――茉鈴にそのつもりは無いが、冗談のつもりで隣に座る菫に微笑みかけた。


「何がやねん……」


 菫は気だるそうに相槌を打った。

 空回りしている自覚は、茉鈴に無かった。ここまでは狙い通りだ。いっそ、こちらの意図が見え透くぐらいで構わないと思った。

 やがて電車を降り、少し歩いた。

 週末や休日に比べては空いているが、平日のこの時間帯でも街は賑わっていた。外国人観光客が目立つ。


「そういえば、この前凄かったらしいね。ここから飛び降りたりしてさー」


 大きな橋に差し掛かり、茉鈴は河を見下ろした。

 二週間ほど前、地元の野球チームが十八年振りに『リーグ優勝(アレ)』したのであった。この橋一帯はとても混雑し、ファンの伝統行事らしいが――何人もが、この汚い河に飛び込んだのであった。

 熱気から一部が暴徒化した。フライドチキンのチェーン店の象徴である老人の像も、胴上げされた末、河に投げ込まれたと茉鈴は聞いた。

 それほどまでに、あの日の夜は大賑わいだった。


「あいつら、アホやわ」

「え? 菫ちゃんも『Vやねん』じゃないの?」

「知らんがな」


 話を振るも、菫は白けた様子だった。

 鬱陶しく絡まれていることよりも、野球自体に興味が無いように、茉鈴には見えた。茉鈴も野球については詳しくないが、確かにこれまで菫と話したことが無いことに気づいた。

 そして、地元民の割には意外だと思った。

 あの日の夜、茉鈴はアルバイトだった。店内も試合で持ち切りであり、各々が携帯電話で状況を追っていた。優勝が決まった瞬間は、大いに盛り上がった。地元民であるハリエットが興奮し、客に一杯ずつ奢ったほどだ。


「ウチの店も、凄かったよ。とにかく、お祭り騒ぎで」

「お前らも、アホやなぁ」

「そうかもしれないけど……。喜びは皆で分かち合うのが、人間さ」

「は? 何言うてんねん」


 確かに臭い台詞を口にしたかもしれないと、後になって茉鈴は思った。しかし、恥ずかしさは無かった。

 菫が誰かと喜べるようにって欲しいと願うのは、茉鈴にとっての本心だった。


「そうだ。菫ちゃんも、ウチでバイトしてみない? それなりに楽しいし、それなりに儲かるよ?」


 この場で浮かんだ、ただの思い付きを、茉鈴は提案した。

 菫は目を丸くした後、大笑いした。周辺の通行人が、何事かと目を向けるほどだ。


「なんで、お前らみたいにアホな真似せんとあかんねん」

「私も最初は恥ずかしかったけど、コスプレって皆でやれば案外楽しいよ」


 そもそも、菫の格好こそいつもコスプレじみていると茉鈴は思うが、口には出さなかった。


「冗談で言ってるんじゃないからね。一回、考えてみてよ。ほら……菫ちゃんなら、小悪魔的なキャラが似合いそう」

「誰が小悪魔やねん」


 茉鈴が具体的な姿まで提示したところ、菫から足を軽く蹴られた。

 まるで『小悪魔じゃなくて本当の悪魔』のような物言いに聞こえた。しかし蹴られた感触としては、恥ずかしい、或いは癇に障ったと言いたげだった。


「大体……うちは出禁リーチ食らってるんや。あんな店、もう二度と行かんわ」


 その事実に対し、菫は呆れているように、茉鈴は感じた。少なくとも、後悔や物寂しさは無い。


「暴れたりするのはナシで、普通にしてればいいじゃん。お客としてでも、全然歓迎するよ」

「は? 来んな言うたん、そもそもお前やんけ」

「あれ? そうだっけ?」


 茉鈴は苦笑するが――言われてみれば確かにそうだったと、思い出す。

 そう。事の発端は、菫が蓮見玲奈と接触したからであった。玲奈を守るために、店に近づくなと言った。ハリエットが菫に警告を出した日も、入口で揉めたのであった。


「ごめん。私が間違ってたよ」


 これまでは、主に余裕が無かったせいで、茉鈴はそのような態度を取っていた。

 しかし現在は、明白にかつての言動を否定した。

 この件だけではない。喜志菫を排除してはいけなかった。どうにかして彼女を受け入れるべきだったと、今は思う。


「……そんなにコロコロ変えられてもなぁ。まあ、どうでもええけど」


 菫は僅かに驚いた後、素っ気なく漏らした。

 確かに、迎えようとしたところで菫が素直に応じたとは、茉鈴は到底思えない。だが、すぐ結果に現れなくとも構わなかった。こちらから歩み寄る姿勢を見せることが、大切だったのだ。


「もう二度と、絶対に変えないよ。だから、お客さんとして楽しもうよ――行儀よくしてさ」

「いや……そういうの、ええから。ウザイで? ほんま」


 菫が白けた様子で歩く。その少し後に、茉鈴は付いた。

 暑くはないが、晴れて暖かい昼下がりだった。世界は明るく、喧騒が耳に触れた。


「ていうか、お前があの店でバイト始めて、ここまで続いたんが……ほんま意外や」

「そうだよね。私も、信じられないよ」

「なんでや? ……って、あのオンナやな」

「うん……。ぶっちゃけ、それ目当てだった」


 間違いなく、菫に見透かされている。だから茉鈴は、照れながらも素直に頷いた。

 菫の前で余所の女性を出すことは、喜志菖蒲の件から、失礼にあたると思っていた。今でも、罪悪感が全く無いわけではない。しかし、以前に比べ肩が軽くなっていた。

 この態度に、菫が怒ることを覚悟した。

 だが、ここは街の真ん中であり周辺に人も居るからか、菫は振り返ることなく歩き続けた。


「あの日……あんな店で働いとるあのオンナを見せたいがために、お前を行かせたんや」


 ふと菫が立ち止まり、振り返った。やはり、白けた――つまらないものを見るような目で、茉鈴を見上げた。

 六月のことを、茉鈴は思い出した。菫からの急な電話が不可解ながらも、それに従いおとぎの国の道明寺領へと足を運んだのであった。

 あの時は、玲奈との再会で頭がいっぱいだったため、菫の意図など考えなかった。

 今の台詞から、幻滅させたかったのだと、理解する。

 だが、玲奈の美しい姿はまさに理想通りであり、幻滅どころか見惚れたのだ。


「ありがとう、菫ちゃん」


 皮肉の意図は無い。茉鈴は純粋に、菫に感謝した。

 きっと、あの機会が無ければ――二度と再会できなかったような気がした。


「菫ちゃんは、私のキューピットだね」


 茉鈴は思ったことをそのまま漏らしたところ、菫から足を、今度は割りと強く蹴られた。


「いった」

「やかましいわ! 死ね!」


 足を擦り痛がる素振りを見せながら、調子に乗りすぎたと少し反省した。

 とはいえ、菫が怒っているのは何気ない一言だけではないと、茉鈴は理解していた。


「この世界には、大勢の人達が居るんだ。隙間をすり抜けて自分の思い通りに事を運ぶのは、難しいよ」


 ごく当たり前のことだ。しかし、ひとりでは意外と気づかないと茉鈴は思う。


「私がそうだったから……」


 茉鈴は、蓮見玲奈との出来事を振り返った。恋心を抱くが、理不尽さに阻まれ届かなかった。

 そう。他人の気持ち(こころ)を理解することは、とても難しい。だが、この世界で生きていく以上は、避けて通れない。

 茉鈴は菫に、まずはそれを伝えたかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ