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カエルになる魔法  作者: 未田
第18章『十六夜』
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第53話

 九月二十六日の火曜日から、おとぎの国の道明寺領では月見イベントが開催された。先週から店内とウェブサイトで告知されていた。

 イベント期間中、演者は皆ウサギの耳を模したカチューシャを着けた。

 そして、期間限定の季節メニューとして、団子が販売された。プレーンの他、きなこや餡子までがオプションとしてある。団子自体は、仕入れた分が連日完売するほどの盛況だった。

 また、季節メニューの酒は『紅い月とウサギさん』だった。サングリアに、ウサギの形に切ったレモンを添えただけだ。とはいえ、こちらもよく注文が入っていた。

 ちなみに、甘い団子にはキレのある麦焼酎が合うと茉鈴はハリエットに意見するも、却下された。


 六日間と短いイベント期間だが、茉鈴の目には客の入りが通常に比べ良いように見えていた。どうかと思う面もあったが、効果はあるようだ。

 客は皆、月見という行事を深く考えずに楽しんでいる。何らおかしくない本来の姿だと、茉鈴は思う。

 だから、客が雑学になど興味があるのか疑問だった。二十九日当日に寂しくならないかと、不安だった。


 九月二十九日、金曜日。

 十五夜の当日、茉鈴は正午過ぎにテレビの天気予報を観た。昼間と同じく夜も晴れであり、そして満月のようだ。絶好の月見日和だと、天気予報士が言っていた。

 まあ、お店に窓が無いから観れないんだけどね――そう思いながら、午後四時過ぎにおとぎの国の道明寺領へと入った。


「お疲れさまっす」


 店の扉を開けると、ハリエットと英美里が店内にホワイトボードを運んでいた。


「あら、マーリン先生……本日はよろしくお願い致しますわねー」

「マーリン先生、この位置で大丈夫ですか?」


 すっかり見慣れた店内だが、壁際にホワイトボードがあるだけで随分と違った雰囲気だと、茉鈴は思った。

 椅子とテーブルの位置はそのままだ。それでも、なんだかカジュアルな教室のように感じた。


「うん、そこでいいよ。たぶん、どの席からでも見えるでしょ」


 茉鈴に、講師として雑学を語るという実感が湧いてきた。そして、緊張と共に不安も大きくなっていった。

 告知では、午後八時から雑学教室が始まる。その時、どれほどの数の客が、話を聞きに訪れているのだろうか――

 だが、不安はじきに消えることになる。

 午後五時を回り店が開くや否や、三十分で満席になった。外には行列が出来るほどだ。


「よかったじゃないですか、先輩。これだけも集まって貰えて」


 店内で、玲奈に耳元で囁かれた。心なしか、嬉しそうな声に茉鈴は聞こえた。

 予想外の反響に、戸惑う。喜びたいところだが、混雑から店内の空気が荒れているように感じた。

 これほどの盛況を、どの従業員も予想できなかったに違いない。事態の収拾を図るべく、ハリエットが動いた。茉鈴はスタッフルームへと連れて行かれた。


 神妙な面持ちのハリエットから提案されたことは、ふたつ。

 今日だけではなく土日も合わせ、同じ内容の雑学教室を三度開くこと。そして、インターネットで後日配信するため、動画で記録を残すこと。

 茉鈴は、後者について恥ずかしさから躊躇したが、そうしなければ客達は納得しないだろうと思った。この状況を前に、渋々頷いた。

 了承を得たハリエットは英美里も使い、すぐ対処に当たった。店内と店外の客達にそれぞれ、店側の対応を説明した。また、なるべく多くの客に参加して貰いたい意図から、複数回の参加は自重して欲しいとも頼んだ。

 店側の狙い通り、ほとんどの客は納得したようだった。午後八時になる頃には、落ち着いていた。


「さて……。今夜こうして集まってくれて、ありがとう」


 茉鈴が腹を括ってホワイトボードの前に立つと、店内が静まり返った。客はおろか演者のまでも、一斉に視線を集めた。

 それぞれのテーブルには酒や団子があった。学校のような堅苦しさはなく、気楽で落ち着いた空気だった。

 玲奈の頭にウサギの耳が揺れていのが見えた。自分にも同じものが載っているのだと、茉鈴は頭の感触を改めて確かめた。

 実におかしな格好をしている自覚があった。ローブ姿にウサギの耳をつけ――さらに賢そうに見えるからという理由で、英美里に伊達眼鏡まで渡された。

 もはや、方向性がわからない。『先生』という人物像から、遠く離れているような気がする。

 それでも、大勢の人達が話を聞きに来てくれたという実感が、改めて押し寄せた。緊張していたが、自然と肩の力が抜けた。三脚に取り付けられたビデオカメラが目の前にあっても、気にならなかった。

 そう。茉鈴は楽しもうと思ったのであった。


「今夜はお月見……俗に言う十五夜だね。これは旧暦の八月十五日、お月さまが一年で一番綺麗に見える日のことを言ってるんだ」


 茉鈴はホワイトボードで旧暦と新暦の違い、そして月の満ち欠けの周期が十五日であることを説明した。


「とりあえず、歴史から話していこうか。旧暦という概念と同じで、十五夜という文化は海外から伝わったんだよ。えっと……千百年ぐらい昔に」


 近辺の国でもまた、同じように――いや、より根深く、美しい満月を眺めて祝う風習がある。満月を円満の象徴としているからである。中には、仕事をいつもより数時間早く切り上げる文化を持つ国さえある。

 そう説明すると、客席がどよめいた。これに限らず、海外との文化の違いは確かに面白いと、茉鈴も思う。


「伝わった当初は、お祝いというよりも……綺麗なお月さまを眺めながら騒ぐという感じだった。でも、それは貴族に限ったお祭りだったんだ。よそから伝わっても、貴族の間にしか広まらなかったからね」


 酒を飲んだり団子を食べたりする風習は、当時からあった。それ自体は現在まで様変わりしないことを、茉鈴は凄いと思う。


「庶民にまで広まったのは、今から三百か四百年前。その頃にはどういうわけか、この国独自に……収穫祭のニュアンスに変わってたんだ。無事に稲を収穫できたことを神様に感謝するお祭り、みたいな」

「ちょっといいかしら?」


 店内の隅で立っていた玲奈が、手を挙げた。凛とした、女王らしい佇まいだった。

 真剣に話を聞いているんだと思いながら、茉鈴は一度中断した。


「なんでしょうか? レイナ様」

「お月見といえばススキだけども……収穫祭と何か関係があるのかしら?」

「はい、仰る通りです。ススキはその頃から、魔除けと豊作を願うアイテムとして、飾られていました」


 きっと手助ける意味で挙手したのだと、玲奈の意図が伝わった。

 茉鈴としては部分的に対話形式を挟むことにより、話しやすかった。


「そんな感じで路線変更した結果、十三夜と十日夜(とおかんや)という、この国独自の風習が誕生した」


 それぞれ、旧暦の九月十三日と十月十日に行われる月見だ。

 十五夜が収穫始めとするならば、十三夜と十日夜は収穫終わり――地域によっては十三夜で終えている――に感謝する風習だ。団子の他、栗や大豆、果物など秋に関する作物が供えられる。


「十日夜に至っては収穫祭がメインで、お月見はついで。地域によっては新暦の十一月十日にやるって決まってるし、別の地域では『亥の子(いのこ)』とも呼ばれてるし、もうメチャクチャだよね」


 茉鈴が苦笑すると、店内も一斉に続いた。


「でも、十三夜はちゃんとお月見して、収穫に感謝してるんだ。正確にはちょっと欠けた満月なんだけど、十五夜に次ぐ名月だって言われてる。不完全さが美しいと感じる、この国ならではの風習なのかもね」


 ホワイトボードに十三夜の月を図示するが、茉鈴としても何が美しいのかよくわからず、首を傾げた。

 また、十五夜には団子を十五個、十三夜には十三個、三宝にピラミッド型で積むのが一般的だと補足した。


「ちなみに……十五夜と十三夜と十日夜の三回とも晴れ空で、それぞれのお月さまを見ることが出来たら、縁起が良いみたい。逆に、十五夜と十三夜は『二夜の月』と呼ばれてるんだけど……どちらかしかお月見やらない『片見月』は縁起が良くないと、昔の人が言ってます」


 そう説明すると共に、茉鈴はハリエットをじっと見つめた。

 念のため十三夜を促すが――茉鈴としては開催しようがしまいが、どちらでも構わないが――ハリエットはとぼけた様子で視線を外した。店内に笑いが起きた。


「まあ、お月見の歴史はこれぐらいで……お月さまについて話そうか」


 茉鈴はホワイトボードの板書を一度消し、月の満ち欠けの周期を簡単に図示した。


「満月――ひいては狭義で十五夜の満月のことを『望月(もちづき)』って言うんだ。どうしてこう呼ぶようになったのかは、諸説あるんだけど……私は、海外文化の受け売りを推す」


 新月の図に『(さく)』と、満月に『(ぼう)』と書いた。とある暦法では、このように呼ばれている。

 よって、月初めの一日目は『朔日(さくじつ)』となる。また、新月として月の満ち欠けが始まることから『月立ち(つきだち)』とも呼ばれていた。それが『一日(ついたち)』へ変化したと言われている。

 そのように説明して、店内から感心を集めたところで――茉鈴はふと『望』の字に目がいった。


「ごめん。ちょっと話が脱線するけど……この字って、不思議だよね」


 マーカーで『望』を指した。

 茉鈴がそのように感じるのは、今に始まったことではない。


「『望む』って言葉には『眺める』と『願う』の全然違う意味合いがあるよね? 皆は疑問に思ったこと、ない?」


 その問いかけに、店内がざわついた。玲奈を初めとする従業員達まで、揃って首を傾げた。

 初めて疑問に思ったのはいつなのか、茉鈴は覚えていない。だが、調べて納得したことが、今でもとても印象的だったのだ。


「『望む』は『眺める』と違って『見える可能性があるものを見ようとする』という意味もあるんだ」


 それが転じて『希望』に近い意味合いとなった。正確には『良い結果を期待する』となる。

 なお『願う』は神も含め『他者に要求する』という意味であることから、ふたつの言葉は似ているようで違う。

 茉鈴は『望』という字が、前向きであるため好きだった。特に――将来に迷いがある現在は、顕著だ。


「これは、ただの自論だけど……お月さまってどんな形でも、丸い影があるよね。丸い形を見ようと思えばいつでも見えるから、望みの到達する意味で『望月』なのかも」

「マーリン様、ロマンチストですね!」


 英美里から茶々を入れられ、茉鈴はつい赤面した。

 店内に笑いが起きる中――小さく笑っている玲奈を見据えた。


 店の外では、暗い夜空に綺麗な望月が浮かんでいることだろう。

 その月に、思いを馳せたい。たったひとつの結果を望みたかった。

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