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カエルになる魔法  作者: 未田
第18章『十六夜』
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第52話

 九月二十日、水曜日。

 今月も、もう残り少ない。まだエアコンは必要だが、暑さが少し和らいできたように、茉鈴は感じた。

 そして、九月が終わると同時に、長かった夏季休暇も終わる。

 就職活動には確かに出遅れた。だが、後期授業が始まるまでには、なんとか動き出せた。それだけではなく、夏季休暇はアルバイトに精を出し、貯金がある。その点だけは心強い。

 茉鈴は己の行動を肯定した。そうしなければ、精神面が保たなかった。

 就職だけではない。将来の不安は、もうひとつあるのだ。


 午後四時過ぎ、茉鈴はアルバイトでおとぎの国の道明寺領を訪れた。

 今週は月曜日が祝日のため、昨日が休業日だった。この店にとって、今日が週初めとなる。


「お疲れーっす」


 残り少ない夏季休暇だが、アルバイトを最後までやり遂げようと思いながら、スタッフルームの扉を開けた。


「……お疲れさまです」


 部屋には、蓮見玲奈がひとりで居た。テーブルに向き、パイプ椅子に座っていた。

 顔を上げて茉鈴を確かめると、すぐに視線を外した。よそよそしい態度だった。茉鈴は寂しく感じるが、仕方のないことだと思った。

 あの日、玲奈の部屋に招かれて以来、このような感じが続いていた。マーリンとレイナとして、演じることは可能だ。しかし、茉鈴としては玲奈に触れられなかった。

 玲奈の気持ちを把握しているのが、救いであり――辛くもあった。

 茉鈴もパイプ椅子にひとまず座る。何も話せないので携帯電話を取り出そうとしたところ、部屋の扉が開いた。


「おっ、ふたり共居るね」

「さあさあ、ミーティングをしますわよ!」


 英美里とハリエットが入ってきた。

 ハリエットはともかく、英美里も既にメイド服姿だった。英美里から進路について聞いているので、頑張っていると茉鈴は思った。


「え……。ミーティングって、何するんですか?」


 玲奈が邪険な目をふたりに向ける。

 開店前に準備を行いながら、ハリエットを中心に店の話をする習慣は、これまであった。茉鈴としては、既にミーティングをしているつもりだった。


「なんか、随分張り切ってますね」


 茉鈴は思ったことを述べる。改めて定義されると、なんだか仰々しかった。玲奈が不審がるのも、おそらく同じ理由だろう。


「みなさんと一丸になって、ひとつの目標に突き進む……。美しいお話ではありませんか」


 芝居がかった様子でハリエットが言う。

 従業員の意識を高めていくのは良いことだが、アルバイトにまで求めることではないと、茉鈴は思った。俗に言う『ブラック企業』になりかねない。

 玲奈も同じように感じているのか、身構えた様子だった。


「いやー。これまでイベント事は総スルーしてきたんだけど、力を入れていこうってことだよ。ハロウィンとかクリスマスとか、これから控えてるからね」


 英美里からわかりやすい説明を受け、茉鈴は納得した。いや、これまでその手の行事ごとを無視してきたのが、驚きだった。


「おとぎの国に、そのような文化はありませんでしたが……こちらの世界のお客様に合わせていきますわ」

「つまり、商売のためにコンセプトを捻じ曲げるということですね」

「黙らっしゃい!」


 玲奈と同じ意見を、茉鈴も持っていた。

 愉快な飲食店にも関わらず、書き入れ時を潰してまで些細な『設定』を重んじてきたのは、到底理解できない。ある意味で、ハリエットらしいとも言えるが――こうして折れて良かったと思う。

 ただ、茉鈴には疑問がひとつあった。


「話はわかるんですけど、ハロウィンってだいぶ先ですよね?」


 この国でも馴染んできたその行事だが、十月の終盤だったと記憶している。

 今から備えるのか、それとも『おとぎの国の設定』で季節すら都合よく扱うのか、わからなかった。


「安良岡さん、今回はハロウィンじゃありません」

「九月といえば、お月見ですわー!」


 ハロウィンとクリスマスに繋げていくための前座なのだと、茉鈴は理解した。

 とはいえ――古来からの行事ごとにも関わらず、世間の馴染みは今ひとつだと思った。商売利用している例が、あまり思い浮かばない。


「で、具体的に何するんですか? ハンバーガーに卵でも挟みます?」


 腕を組んで白けた様子の玲奈と同じく、茉鈴にもその程度の印象しかなかった。

 そもそも、この店は建物の地下にあり、窓も無いため月が見えない。そのイベントを開催することは、根本的におかしいとさえ思う。


「え? 皆でウサミミ付けて、期間限定メニューで団子出すぐらいですけど」


 ハリエットがポカンとした様子で答える。それ以上に何を望むのですか、と言わんばかりだった。

 茉鈴としては、ウサギの耳をつけることに今さら抵抗は無い。だが、あまりにも安直すぎる内容だと思った。

 その感想は、茉鈴だけではないようで――玲奈と英美里も、何か言いたげな様子だった。


「マジでそれだけなんですか? やる意味あります?」

「あらー。だったら何か提案してくれませんかー?」

「ちょっと、ふたりとも……。折角こういう場なんだし、話し合いましょうよ」


 玲奈の意見にハリエットが満面の笑みで怒っているのを、英美里がなだめた。

 確かに、文句を言うだけでは埒が明かない。だが、茉鈴はそれ以前にある疑問があった。携帯電話を取り出し、インターネット検索で調べた。


「今年のお月見は……二十九日みたいです。良かったですね、金曜日で」


 月見イベントを開催するにしても、まずは具体的な日程を定めるべきだと思ったのだ。二十九日を本番とし、その週で開催するのが無難だろう。


「お月見の日って、毎年変わるんですか?」


 英美里が訊ねた。

 茉鈴には些細な疑問に聞こえた。だが、日付が定まらないことが、馴染み難い原因のひとつだと思った。


「うん。お月見……俗に言う『十五夜』は、旧暦の八月十五日のことだよ。月の満ち欠けを基準にしてる旧暦と、太陽の動きを基準にしてる新暦じゃ、そもそも一年の長さが違うからね」


 旧暦と新暦では、一年で約十一日のずれが生じるため、十五夜の日付は毎年変わる。

 また、月の満ち欠けの周期は、正確には一定ではない。だから、必ずしも十五夜に満月が浮かぶとも限らない。


「へぇ。初めて知りました。安良岡さんって、やっぱり物知りですね」


 英美里は納得したうえ、新しい知識を得た喜びからか、目を輝かせていた。

 対して、ハリエットと玲奈のふたりは、つい先程まで口喧嘩していたにも関わらず――揃って茉鈴に怪訝な目を向けていた。


「うっざ! うんちく披露、最高にうっざいわ!」

「先輩……そういう空気じゃないですよね?」


 いくら玲奈とはいえ、そのように言われると、茉鈴は流石に苛立った。ハリエットに至っては、領主としての演技を忘れ、腕の鳥肌を抑えるように自身を抱きしめている。


「大体、お月見って言いますけど、十三夜はどうするんですか? 十月の終わりにやるんですか? 十五夜だけの片見月は、縁起が悪いって言いますよね?」


 茉鈴は抑えるつもりだったが、露骨な態度を取られた今、遠慮なく問い詰めた。ハリエットには効いているようで、苦しむ身振りを見せた。

 確かに、たかがコンセプトカフェのイベントで、ここまで真剣に取り組む必要は無いと、茉鈴は思う。

 だが、滅多に聞かないであろう十三夜という言葉を耳にしたからか、英美里がより目を輝かせていた。


「思ったんですけど……二十九日の当日に、マーリン様のお月見雑学教室やりませんか?」


 そして、そのように提案した。

 ハリエットと玲奈は、ポカンとした様子で顔を見合わせる。


「え……」

「いや……面白いの、それ?」


 玲奈が口を開いたところで、茉鈴自身が訊ねた。おそらく玲奈と同じ意見だと思った。


「あたしは面白かったですよ。秋の静かな夜に、雑学を聞きながらお酒を楽しむ……そういうまったりした感じが、お月見イベントで全然アリだと思いますけど」

「ふむふむ……。一理ありますわね」


 英美里の意見に、ハリエットが先程までと打って変わって、真剣な表情で腕を組んだ。

 茉鈴は、なんだか嫌な予感がした。この場で否定したいところだが――他の案が浮かばない。このままでは、決定してしまう。

 ふと玲奈を見ると、この状況を察したのか、関わるまいと視線を逸した。


「マーリン様……ぶっちゃけ、いけますか?」


 茉鈴は、ハリエットから真剣な眼差しを向けられた。

 王手をかけられた。ここから巻き返す手段は無い。それに、自分から墓穴を掘った以上、駄々をこねる気にもなれない。

 十五夜に関して、読書で得た――実生活上では無駄とも言える知識を持っている自覚がある。雑学になるのかわからないが、皆の前で披露することは可能だ。

 だから、潔く諦めた。


「たぶん、三十分ぐらいは喋れます」

「上出来ですわ!」


 ハリエットが笑顔で頷く。


「まあ、就活で忙しいとこ、無茶振りするんやから……『授業料』は出すで」

「よーし。そうと決まれば、あたしはイベント限定カクテルを考えます!」


 開店前という都合上、会議を長々とは行えない。ひとまず話が一段落ついたからか、ハリエットと英美里が席を立ち、部屋から出て行った。

 特別手当と言われても、茉鈴の気分は浮かばなかった。とはいえ、このように話が決まった以上は、軽く準備をしなければいけない。


「なんか、先生みたいですね」


 一緒に取り残された玲奈から、苦笑される。

 何気ない言葉だろうが、実際どのように思っているのか、茉鈴は気になった。

 私が学校の先生になれると思う?

 いっそ、そのように訊ねてみたい。この女性が肯定してくれるなら、今からでも進路を考え直したい。

 だが、内から込み上げる衝動を――ぐっと飲み込んだ。代わりに、茉鈴も苦笑した。


「まあ……悪くないんじゃないかな」

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