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カエルになる魔法  作者: 未田
第17章『友達には戻れない』
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第50話

 九月十二日、火曜日。

 午後四時過ぎ、茉鈴はおとぎの国の道明寺領へアルバイトで訪れた。


「ちわーっす」

「あっ、安良岡さん。お疲れさまです」


 スタッフルームでは、春原英美里がテーブルにレポート用紙を広げ、何やら書き物をしていた。

 英美里を初め周囲から、もう髪型について触れられることも、反応されることもなくなった。短時間だが見慣れたのだと、茉鈴は思った。


「なにそれ? 夏休みのレポート?」


 茉鈴はパイプ椅子に座り、水を飲んだ。

 まだ残暑は厳しい。汗が引いてから、衣装に着替えるつもりだ。


「はい。あたし、昔っから夏休みの宿題はギリギリにやるタイプで……」

「私は速攻で終わらせたよ」


 とはいえ、夏季休暇で課題が出るのは、ゼミぐらいだ。茉鈴は楽なゼミを選んでいたので、そもそも課題は少ない。


「へぇ。なんか意外ですね」

「面倒事は早く終わらせたいのと……放っておいたら忘れちゃうから」


 主に後者の理由で、茉鈴は過去より早く片付けることを心がけていた。

 怠ける性格だと自覚しているが、結果的にそのような習慣が付いていることだけは、誇れた。


「なるほど。安良岡さんっぽいですね。……就活の方は、どうですか?」


 英美里は集中力が切れたのか、テーブルにペンを置いて茶を飲んだ。


「今はなるべく説明会に行って、自分なりに業界研究してるところ」


 茉鈴は口にしなかったが、それよりも自己分析に手間取っていた。

 先月、玲奈が手伝ってくれるも泣いてしまった時から――全く進んでいない。自分という人間が、理解できない。

 いや、向き合うのが怖いのだ。

 就職活動の手順が破綻していることは、理解している。それでも、嫌なことを後回しにしていた。

 この問題は忘れることがないから大丈夫だと、英美里に気づかれない程度に小さく自嘲した。


「いやー、完全に出遅れたね。就活は早めに動いた方がいいよ。早すぎて困ることは、たぶん無いと思うから」

「大変ですねぇ」


 英美里の物言いが、茉鈴はなんだか他人事のように聞こえた。

 実際、まだ二年生の彼女に実感は湧かないだろうから、おかしくないが――茉鈴には違和感があった。決して、悪い意味ではない。しかし、何かが引っかかる。


「エミリーちゃんは、進路考えてるの?」


 だから、ふと訊ねてみた。


「はい。ここの社員というわけではないですけど……卒業したら、領主様とこのお店を盛り上げていきます」


 英美里の答えに、茉鈴は納得した。

 進路がそのように確定しているなら、就職活動など他人事になる。


「へぇ。ちゃんと夢に向かって進めるのって、凄いね。応援してるよ」


 茉鈴は皮肉を漏らしたわけではない。英美里の選択を、心から尊敬した。

 確かに、収入面では世間一般から劣り、また不安定だろう。しかし、店の発展と共に大きく飛躍する可能性があると共に――何よりも、楽しく働けることが、茉鈴には羨ましかった。

 玲奈にしても、そうだ。外資系金融業に就職するという、確かな夢を持っている。

 彼女達の姿が、茉鈴は眩しく見えた。いや、世間では何も特別ではないのだろう。それで『普通』なのだ。


「安良岡さんこそ、もしその手の雑誌に関わることあったら、取材に来てくださいね」

「う、うん……」


 茉鈴はやや視線を逸しながら、頷いた。

 英美里や玲奈と違い、何が何でも出版業界で働きたいわけではない。なんとなく文学部に進み、なんとなく食べ口を探した結果だ。出版業界といっても漠然としているため、英美里の言う地域情報誌に携わるのか否かも、未だはっきりとしない。

 考えるほどに、不安になる。そして、誇れるような『夢』を持ち合わせていないことが、後ろめたかった。

 茉鈴は、誤魔化すようにテーブルのレポート用紙に目を落とした。


「あれ? そこのところ、文章なんか変じゃない?」


 軽く文章を読むと、些細な文法間違いに気づいた。

 該当箇所を指でなぞりながら、英美里に訂正内容を説明した。


「あっ、本当だ。こういうの、書いてる本人はわからないものですね」

「そうだねー」


 書きながら気づかないといけない次元の間違いだと茉鈴は思うが、偉そうな物言いになりそうなので黙っておいた。


「そうだ。いっそのこと、これまでの分チェックして貰っていいですか」


 まだ書きかけなのだろう。茉鈴は英美里から、二枚のレポート用紙と赤色のボールペンを手渡された。一度口を挟んだ以上、乗りかかった船だと思った。


「うん。いいよ」


 受け取り、順に目を通していく。

 レポートにおいて、最も大切なことは――かつ最も基本的なことは、分野外の人間でも読める内容であることだと、茉鈴は考えている。その意味で、専門的な知識を持たない茉鈴が推敲することは、適している。

 先入観をなるべく捨て、純粋な読み物として文字を追った。そして、気になる箇所をボールペンで記していった。

 きっと、編集はこのような仕事なのだと、ぼんやりと思った。


「はい。終わったよ」

「ありがとうございます!」


 最後まで確認し、レポート用紙とボールペンを返した。

 英美里は受け取ったレポート用紙に目を通すが、どれも納得しているようだった。


「安良岡さんって、こういうの得意ですよね」

「得意ってほどでもないよ」

「そんなことないですよ。勉強教えるのも、上手かったじゃないですか。出版系もいいですけど……学校の先生もアリだと思いますよ」


 編集のような仕事だと感じていたので、その言葉が茉鈴には意外だった。

 しかし、驚くよりも、あることを思い出した。

 以前、菫に家庭教師が向いていると言われた。教職向きだと他の誰かにも言われた記憶があったが――英美里の試験勉強に付き添った時だった。やはり、少なくともふたりには推されていた。


「でも……教えるの上手いだけだと、先生には成れないんだ」


 ――お前はガキの成長を導けへんからな。責任感があらへんもん。


 菫から言われた通り、その能力に著しく欠けている自覚が茉鈴にはある。だから、数少ない『根拠』を得たとしても、鵜呑みにしてはいけないと思った。


「ああ、教員って資格取るの大変そうですよね」

「うん……まあ、そうだね」


 資格を取得するための権利なら持っているが、話がややこしくなりそうなので、茉鈴は黙っておいた。


「お疲れさまです」


 ふと扉が開き、玲奈の声が聞こえた。

 茉鈴は顔を上げると、玲奈が白けた表情でテーブルを見下ろしていた。


「何やってるんですか?」

「あっ、玲奈ちゃん。安良岡さんに、夏休みのレポート見て貰ってたの」

「ふーん」


 玲奈は相変わらず冷めた様子で、テーブルに鞄を置いた。


「勉強教えるの、すっごい上手いんだよ。ほんと、先生に成れると、あたしは思うんだけどなぁ」

「いやいや……わたしには想像できないわ」


 笑いながら否定する玲奈に、茉鈴は貶されていると感じなかった。適当でいい加減な人間だと理解されているのだから、そう捉えられるのは当然だ。

 そのように割り切るが、テーブルに俯いた。


「さて……着替える前に、お手洗い」


 英美里はテーブルを片付け、席を立った。

 スタッフルームに、茉鈴は玲奈とふたり取り残された。


「でも、英美里が言うんだから本当なんでしょうね」


 ぽつりと、玲奈が付け加えた。

 茉鈴は顔を上げる。


「先輩。就活で忙しいところ、すいませんけど……時間ありますか?」

「え?」


 玲奈は腕を組み、やはり白けた表情だった。

 何かを要求する台詞だと、茉鈴は理解する。ただでさえ、突然の会話なのに――態度と言葉が一致しないため、とても困惑した。


「わたし、交換留学の願書を書き終わったんで……提出前に、一度見てくれませんか?」


 玲奈がどこか恥ずかしそうな表情で、腕を組んだまま漏らした。

 茉鈴にとって、思いもしない要求だった。いや、頼られた。たとえどれほど些細でも、玲奈からまだ価値を見出されたことが、ただ嬉しかった。


「うん! 見るよ! 絶対に見る!」


 だから、ふたつ返事で頷いた。予定は合わせよう。これが最優先事項だ。

 必死な返事だと、茉鈴は自覚している。玲奈は少し驚いた後、苦笑した。


「それじゃあ……金曜日、お願いできますか?」


 玲奈が、壁のホワイトボードに目を向ける。

 十五日の金曜日はどちらもシフトが入っていないため、休日が重なっていることになる。

 茉鈴はその日の予定が思い出せない。だが、もし企業説明会の予定があったとしても、取り消すつもりだった。


「わかった。何時でもいいよ」


 携帯電話で予定を確かめることなく、頷いた。


「場所は、どこにしようか?」


 てっきり、適当なカフェが挙がると思っていた。

 だが、玲奈が少し悩んだ末に――茉鈴にとって思いがけない場所を口にした。


「そうですね……。わたしの部屋に来てください」

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