第49話
九月六日、水曜日。
この日、茉鈴は初めて企業説明会に参加した。複数の企業が出展した、合同説明会だ。
出版社の他、業界違いだが名前を聞いたことのある大手企業からも話を聞くことが出来た。
実際に企業の採用担当と接触したことで、ようやく茉鈴に就職活動の実感が湧いた。とても疲れたが、良い刺激を与えられた。
九月七日、木曜日。
茉鈴は服屋でリクルートスーツを購入した。動きやすい、パンツスタイルのものだ。
これまで、大学入学式の際に購入した一着しか所持していなかった。昨日の説明会では、恥ずかしかった。
スーツの他にも、鞄と靴も購入した。アルバイトでの貯金があるため、買い物には余裕があった。
そして、その足で、前日に予約した美容室へと向かった。
九月八日、金曜日。
午後四時過ぎ、茉鈴はアルバイトでおとぎの国の道明寺領を訪れた。
スタッフルームの扉を開けると、玲奈と英美里のふたりが居た。
「ちわーっす」
「お疲れさまです……って、先輩?」
「ええー!? どうしたんですか、その頭!?」
ふたりの驚く反応は、茉鈴にとって想像通りだった。
「これ? ガチで就活始めるから……」
茉鈴は苦笑しながら、毛先を触った。
昨日、美容室で縮毛矯正の施術を受け、黒色に染めた。現在は前髪無しのショートヘアだ。
縮毛矯正よりも、髪色を変えることに戸惑った。カーキグレージュを勧めてきたのは喜志菖蒲だったと、ふと思い出したのだ。
髪色を変えたところで、菖蒲との出来事が無かったことになるわけではない。気分が一新するどころか、むしろ罪悪感が重く圧し掛かったのを感じた。まるで、二年前の――現在よりさらに無力だった頃に戻ったかのようだった。
「どう? 似合うかな?」
だから、周りからの新鮮な感触を求めた。
しかし、玲奈と英美里は複雑そうな表情で顔を合わせた。
「先輩のその髪型、似合ってることは似合ってるんですけど……」
「うーん……なんていうか……」
ふたりの歯切れの悪い物言いから、茉鈴は欲しかった感想ではないことを察した。特に、玲奈の様子が残念だった。
それほどまでに似合っていないのだろうかと思っていると、スタッフルームの扉が開いた。
「さあさあ、本日も頑張って参りますわよ――って、マーリン様!?」
部屋に入ってきたハリエットが、大げさに驚いた。
ふたりと同様、良い意味ではないように茉鈴は感じた。
「うっわ! どないしたん!? 個性丸潰れやん!」
そして、素の口調であることから、紛れもない本心に聞こえた。
「ちょっと、領主様! 安良岡さん、就活のためにシャキっとしたんですから、その言い方はあんまりですよ」
「でもまあ、確かに……そこらに居てる有象無象のひとりになった感じがするわね」
「ねぇ。みんな好き放題言ってるけど、褒めてるのか貶してるのか、どっち?」
周りの主張を――おそらく似合っていないわけではないが『失敗した』のだと、茉鈴は理解した。
しかし、就職活動の人間としては、間違いなく正しい選択だった。後悔は無い。仕方のないことだ。
「慣れるまで、時間かかりそうですわね」
確かに、これから次第に馴染んでいくだろう。もっと早くからこうしておくべきだったと、茉鈴は反省した。
とはいえ――茉鈴としては、なんだか複雑でもあった。
これまで、強い癖毛を嫌っていた。だから、ようやく綺麗に伸ばしたことで、周りからも好感触を得られると思っていた。だが、予想に反し手応えがあまり良くない。
ハリエットの言った通り、良い意味での『個性』だったのだと、今になって理解した。
――うちは好きですよ。綿菓子みたいで。
――わたしは今の茉鈴の髪型……好きですけど。
かつて、ふたりの女性からそのように言われた時は、素直に嬉しかった。それでも、もし縮毛矯正したならば、より気に入ってくれると思っていた。
しかし、どうやら違ったようだ。『二択』として並べた場合でも、ふたり共おそらく癖毛を選ぶであろう。
だから、仕方ないとはいえ、茉鈴は残念に感じた。
午後五時になり、店が開く。
客達の反応も、同じであった。マーリンを一目見た瞬間、皆言葉には出さないにしろ、驚いた様子だった。
茉鈴はオリーブグリーンのローブを見下ろし、もう合わない髪色なのだと、ふと思う。初めて、周りからの視線がなんだか怖くなった。
ローブのフードに手を伸ばし、被ろうとするが――女王レイナに腕を掴まれ、阻まれた。
「あらあら。魔法使いでも、イメチェンするのね」
どこか鼻につく口調に、茉鈴は聞こえた。
客達の前で、きっと『笑いのネタ』として扱うのだと思った。
「悪くないんじゃない? わたしは好きよ?」
だが、その言葉に驚いた。
「胡散臭さは無くなったけど、代わりにインテリぽくなった感じね」
ただの世辞か、或いはこの短時間で見慣れたのか、茉鈴にはわからない。どちらにせよ、今日ずっと欲しい言葉だった。初めて肯定的な意見が貰えたような気がした。
いつの間にか、時刻は午後八時過ぎになっていた。満席では無いにしろ、いつも通り、最も客の入る時間帯だった。
茉鈴は玲奈の言動を好意的に解釈するならば――この髪型を客に紹介する機会を伺っていたように思う。
「これはイメチェンじゃなくて、魔法使いから上級クラスを目指すための準備ですよ」
そして、まさに今、説明も兼ねるべきだとも思った。
就職活動のためとは直接言えないため、茉鈴は言葉を選んだつもりだった。客が理解しただろうかと、不安になる。
「まあ。貴方、いずれ王宮を去るのかしら?」
少なくとも、玲奈が汲んでくれたようだ。とはいえ、その問はあまりに真っ直ぐだと感じた。
「確かに……ここを去る日が、いつかは訪れると思います」
茉鈴は正直に答えた。いつまでもこの店に残る気が無ければ、客を騙すことも嫌だった。
店内がざわめく。一際強い視線――おそらくハリエットのもの――を感じるが、制止する意図は含まれていなかった。
「ですが、私が仕えるのは……これからも、レイナ様ただひとりだけですよ」
擁護の意味で付け加えたのではない。茉鈴の本心だった。
つい先程まで茉鈴は気分が沈んでいたが、いつの間にか穏やかに落ち着いていた。玲奈に微笑みかけた。
玲奈は腕を組み、白けた表情を浮かべていた。
女王としてこの態度は正しいと、茉鈴は思う。だが、おそらく演技でもない素の様子だと察した。
少しの間を置き、まるで根負けしたかのように、玲奈が小さく笑った。
「それなら構わないわ。どこへ行こうと、わたしへの忠誠心は忘れないこと? いいわね?」
「はい。当然ですよ」
茉鈴が跪いたところで、店内は歓声に包まれた。
就職活動のことも髪型のことも、たとえ今すぐではなくとも客達が理解してくれることを、茉鈴は信じた。
やがて午後十一時になり、茉鈴は玲奈と共にスタッフルームへ移った。
ふたりきりになった途端、玲奈から肩を掴まれ、強引に向き合わされた。
「どういうことですか、あれ。強くてカッコいい大人になってみせるって、わたしに言いましたよね?」
玲奈が睨んだ目で見上げていた。
「それなのに、あからさまにヘコんで、また泣きそうになってたじゃないですか」
玲奈の言うことは事実だと、茉鈴は自覚していた。だから、玲奈から目を逸したくとも、逸らさなかった。
あの『助け舟』はこの擁護も含まれていたのだと、今になって理解した。
「ごめん。なんか、空回りしちゃって……」
この一連で茉鈴が感じたことは、まさしくそれだった。もがいて努力こそしたものの、結果が全く伴わない。
いや――突き詰めれば、周囲との大きな乖離が生じた。他者を理解していたようで、出来ていなかった。
きっと、蓮見玲奈さえも。
「空回りするのは勝手ですけど、しゃんとしてください!」
玲奈は肩から手を放し、不機嫌そうな様子で衣装から着替えた。
流石にそれを追う気にはなれず、茉鈴はもたもたと着替えながら、玲奈が出ていくのを見送った。
「自分だって、期待してないって言ったじゃん……」
そして、部屋にひとり取り残され、呟いた。




