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カエルになる魔法  作者: 未田
第16章『女王との再会』
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第47話

 茉鈴はオリーブグリーンのローブに着替えた。玲奈をはじめ、他の従業員らと開店の準備をした。

 やがて午後五時を迎え、おとぎの国の道明寺領に客が次々と訪れた。

 今日から九月だが、店に変化は無い。


「レイナ様、お久しぶりです。お帰りになられたのですね」

「はい。やっと、この領地に帰ってまいりました。本日からまた、よろしくお願い致しますね」


 ただ、ここ何日か不在にしていた女王レイナの姿があることで、客達は喜んでいた。

 先程、賃上げの話があったからか、玲奈本人はいつも通りに振舞っているように、茉鈴の目には見えた。

 そう。まるで、何事も無かったかのように。


「レイナ様が戻られて、マーリン様が誰よりも嬉しいですよね?」

「え?」


 ふと、客のひとりから振られ、茉鈴は困惑した。

 些細な反応にも書かわず、玲奈だけでなくハリエットと英美里からも、さり気ない視線を受けるのを感じた。

 この質問を想定していなかったわけではない。およその回答も事前に用意していた。しかし、いざ振られると詰まるどころか、回答も忘れ――頭の中が真っ白になった。

 ただ、長い沈黙は不審を招く。かろうじてそう思考が働いたのは、茉鈴にとって不幸中の幸いだった。


「と、当然じゃないか。私こそが、女王様に最も近い側近なんだから……」


 玲奈と一緒にアルバイトをするのは、数日ぶりのはずだ。だが、茉鈴は随分と長い間が空いたように感じた。女王レイナに対して、魔法使いマーリンがどのように接していたのか、思い出せなかった。

 きっと、このような軽口を叩いていたはずだと、手探りで演じて見せた。

 玲奈の理想に成ると、決意をした。しかし、まだ無力な現在、何をするにしてもぎこちなくなると感じた。

 余裕など、無かった。


「あら? わたしには、それほど嬉しそうには見えませんけど……。帰るべきじゃなかったかしら?」


 玲奈が腕を組み、白けた様子で言った。

 これまでもよくあった、特に意味の無い『茶番』だと、茉鈴は思い出す。玲奈に悪意があるわけではない。

 だが、とても演技には思えなかった。まるで玲奈の本心に聞こえ、苦しかった。


「そんなこと無いですよ。何を仰るんですか……」


 茉鈴は苦笑しながら、否定した。

 しかし、周りからどこか不安げな視線を向けられる通り――まだ何かが足りないという手応えを、茉鈴自身感じた。説得力が全く無かった。

 言うのは簡単だ。口だけでなく、身体を使って表現しなければいけない。きっと、客はそれを期待している。

 こういう時、マーリンはどうしていただろうと振り返った。そして、ようやく思い出した。

 茉鈴は玲奈に近づき、躊躇しながらも正面から抱きしめた。

 もしも、玲奈の身体が震えるなど――少しでも拒否反応を示されたなら、どうなっていたかわからない。だが、そのようなことは無かった。むしろ、こちらの不安が玲奈に伝わっているはずだ。

 ただ、懐かしい温もりが、感触が、腕の中にあった。


「私が誰よりも、レイナ様を大切に思っているのですから……」


 茉鈴は紛れもない本心を、自然とこぼしていた。

 玲奈に振られて以来、このように抱きしめるどころか、触れることすら叶わないと思っていた。だから、たとえアルバイトでの茶番だとしても、涙が溢れそうになるほど嬉しかった。

 腕の中の玲奈が、どのような表情をしているのか、わからない。醜いカエルに抱きしめられ、鳥肌が立っているのかもしれない。

 それでも、この時だけは――茉鈴は、存分に感じていたかった。出来ることならば、放したくなかった。

 だが、客席からの歓声が、雑音として耳に触れていた。しばらくすると、仕方なく放した。


「そういうことなら、勿体ぶらずにさっさと態度で示しなさいよ」


 正面の玲奈が、不機嫌そうな表情で見上げた。

 立ち振舞も台詞も、女王レイナとは少し違うように茉鈴は感じた。どちらかというと、蓮見玲奈としての素の部分が出ていると思う。

 だが、この場で注意するわけにもいかず、苦笑した。


「レイナ様が寂しがっていたのは、よーくわかりました」

「どこがよ!」


 実にふざけた茶番だが、茉鈴にはとても懐かしい感触だった。

 かつては特に何も考えず、演者として楽しんでいたのだと、感傷にそっと触れる。

 いや――過去も現在も、玲奈とは全てが『仮初の茶番』だったのだ。本来は、そこに愛情が挟まることはないはずだった。

 茉鈴はそう理解すると同時、ひとまず百円昇給分の仕事はしたと思った。


 やがて午後十一時になり、茉鈴は玲奈と共にスタッフルームへと移った。

 このアルバイトには慣れたつもりだったが、今日は一段と疲れたような気がした。


「おつかれ」

「お疲れさまです……」


 茉鈴は玲奈と、素っ気ないやり取りを交わす。

 横目でちらりと見ると、玲奈に笑顔は無かった。ついさっきまで店内で茶番を繰り広げていたのが、まるで夢のようだった。

 この部屋に戻ってきた時点で、マーリンとレイナではないのだと、当たり前のことを改めて理解した。あくまでも賃金のため、アルバイトでのみ仲良くするのだと、いつか話したことを思い出した。

 茉鈴は疲れから、パイプ椅子に座って一息つこうとした。だが、玲奈がすぐにロッカーを開けて衣装を脱いだため、茉鈴も続いた。

 互いに無言のまま、着替えた。


 着替え終わるのも、店を出るのも、ふたり同時だった。偶然ではなく、茉鈴が意図的に合わせた。

 駅までの道も、当然同じだ。並んで歩いた。

 この時間でも、外はまだ蒸し暑い。この街は、まだ明々としている。


「……何なんですか? いったい」

「ん? 何のこと?」


 少し歩いたところで玲奈が不機嫌そうに漏らすが、茉鈴はとぼけた。

 玲奈にとって不快は言動だと、自覚はしている。それでも、玲奈と少しでも長く、一緒に居たかった。


「先輩が何しようと勝手ですけど……あんまり期待はしてないですよ」


 玲奈なりの抵抗であると同時、本心にも茉鈴は聞こえた。

 残念だが、これまでの過程を振り返ると、仕方ないと思った。


「もしも玲奈が、私以外の誰かを好きになったら、容赦なく私を切り捨てるってこと?」


 だから、意地悪なことを訊ねた。


「え……。そうじゃないんですか……たぶん」


 玲奈が困った様子を見せる。

 躊躇なく頷くことを茉鈴は想定していたので、この反応は意外だった。

 いや――この女性はそもそも恋愛に対して積極的ではないと、これまでの付き合いから茉鈴は思った。きっと、恋人と呼べる存在がどうしても欲しいわけではない。むしろ、不要とすら考えているのかもしれない。やはり、前提となる質問が、どこかずれていた。


「それでいいんじゃない?」


 そこまで把握しておきながら、茉鈴は素っ気なく肯定した。

 格好つけたつもりだが、最高に格好悪いと思った。


「へー。随分あっさりと諦めるんですねー」

「うん。玲奈が幸せなら、それでいいから……」


 その言葉に偽りは無い。万が一そうなったなら、素直に引き下がるつもりだ。


「だけど……私が玲奈を幸せにしてみせる」


 茉鈴は玲奈に微笑みかけた。

 もう何度目なのか茉鈴自身もわからないが、決意表明のつもりだった。

 白けていた玲奈が、それを聞いて大笑いした。この時間帯の通行人は少ないが、すれ違う人達から、酩酊の奇行だと思われているだろう。それほどまでに、おかしく笑っていた。


「就活の準備で詰まってる人が、何言ってるんですか」


 そのように笑うのはもっともだと、茉鈴は思った。何も言い返せない。無力であることに、違いない。

 だから頑張ろうと、改めて決意した。


「就活とはちょっと違うんだけどさ……もし単位をほとんど取り終えても、玲奈なら稼ぐ?」

「あー、履修登録ありますよね。ほとんど取り終えたら、あとは必修だけで大丈夫ですよ。就活で有利になることも、たぶん無いと思います」


 九月になった今日、前期の成績がインターネット上で発表された。茉鈴はひとまず、受講した科目の単位をほとんど取得したことを確かめた。

 それを踏まえて、後期の履修登録をしなければいけないが、どうするべきか悩んでいた。


「そっか……。それなら、けっこう時間作れそう」


 茉鈴は、これまで散々怠けてきた。しかし、大学三年生として、成績面ではまだ理想に近い状況であることが、不幸中の幸いだった。


「玲奈はどうだった? 文句無い感じ?」

「当たり前じゃないですか。ていうか、それどころじゃないんで……」

「願書の作成だっけ。海外留学、出来るといいね」

「出来るといいねじゃなくて、するんですよ」


 そのような会話をしている内に、駅に着いた。


「それじゃあ、お疲れさま。気をつけて帰ってね」

「はい……。おやすみなさい」


 茉鈴は玲奈と改札口で別れ、ひとりで電車に乗った。

 以前までは、何も言わずとも玲奈が付いて来て、ふたりで同じ電車に乗っていた。

 もう二度と、そのような事が無いのかもしれないと、ふと思う。寂しくないと言えば嘘になるが、茉鈴は落ち着き、穏やかな心持ちだった。玲奈とまだ、かろうじて『友達』として接することが出来たからであった。

 だから、次は『恋人』として同じ電車で帰りたいと、強く願った。

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