表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カエルになる魔法  作者: 未田
第12章『カエルになる魔法』
36/76

第36話

 八月二十八日、月曜日。

 玲奈は目を覚まして携帯電話を手に取ると、時刻は午前六時過ぎだった。

 おそらく、アルコール摂取の影響で、睡眠が浅かったのだろう。寝起きで頭がぼんやりする。だが、不思議と眠気は無く、代わりに疲労が残っているようだった。

 暗い部屋で、カーテンの隙間から光が漏れる。エアコンの音がうるさく聞こえる。

 玲奈は二度寝できないと思い、仕方なく身体を起こした。

 ふと視線に気づいて見下ろすと、柔らかな笑みを浮かべた茉鈴が見上げていた。玲奈はなんだか、照れ臭かった。


「おはよう、玲奈」

「おはようございます……。すいません、起こしましたか?」

「ううん。私もちょうど今、起きたところ」


 玲奈は安心すると、ふたりでベッドから起き上がった。

 何か朝食を作ろうとするが、冷蔵庫には食材が何も無かった。朝食代わりに、ふたつのグラスに牛乳を注いだ。


「私、そろそろ帰りますね」


 洗顔後に牛乳を飲み干し、グラスを狭いキッチンシンクに置いた。

 昨晩は玲奈にとって、とても心地良い時間を過ごせた。アルバイトが休みの今日一日、この部屋で過ごしたい気持ちはあるが――いつまでも自堕落な気分ではいけないと思った。メリハリをつけて行動したい。


「え?」

「一旦帰って……午後(ひる)からでも、図書館で勉強してきます」


 玲奈は、きょとんとしている茉鈴に予定を告げた。

 夏季休暇中も勉強が習慣付いているため、この勢いを大切にしたかった。


「そ、そう……。頑張ってね」


 茉鈴が苦笑しながらも頷いたところで、玲奈は帰宅準備に移った。

 シャワーを浴びたいところだが、帰宅してからだ。キャミソールとショーツの上から、昨日着ていた――カットソーとワイドパンツを着用した。そして化粧を適当に済ませ、毛髪をまとめた。

 鞄を持ったところで、茉鈴に対して素っ気ない態度だったと気づく。


「寂しいですけど、またバイトで会いましょう」

「うん……」


 玲奈は本心を口にし、最後に茉鈴とキスをした。

 時刻は午前六時四十分。この時間帯でも空は青く、強い陽射しが照りつけていた。

 折り畳みの日傘を広げ、茉鈴のアパートを後にした。


 午前七時半、ワンルームの賃貸マンションに帰宅した。

 玲奈はすぐにシャワーを浴び、洗濯機を回した。

 眠気は無いがとても気だるいため、ベッドで横になった。

 勉強は午後からの予定だが、それを含め、今は何をする気にもなれなかった。ただ、ぼんやりとした。


 しかし、頭に浮かぶのは茉鈴の穏やかな表情だった。

 ついさっきまで一緒だったから――離れたから、わかる。

 ずっと側で、一緒に居たい。離れたくない。

 茉鈴を好きだという気持ちが込み上げる。愛されたい。大切にされたい。これは紛れもなく恋心だ。

 だが、茉鈴に伝えられないため、切なくなるばかりだった。


 玲奈は寝返りをうち、部屋中央のテーブルを眺めた。小さなクリアケースが置かれていた。

 茉鈴から誕生日に贈られた、レイナホワイトと呼ばれる白い花が飾られていた。

 女王のように、豪華さと気高さと純潔さを求められている。

 どれも、自分に欠けたものだと自覚している。決して高貴な人間ではない。むしろ、つまらない人間だ。過去の失敗にいつまでも怯えている、臆病者だ。だが、それらさえ備えれば、茉鈴と恋人関係に成れるのだ。

 確かに、茉鈴とは現在のままの関係でいいと妥協した。しかし、この気持ちを捨てたわけではない。

 相反するふたつを抱え、玲奈は苦しかった。出来ることならば、白い花を見たくないほどだ。どこまでも臆病だと自覚していた。


 ふと、洗濯機の動作終了音が聞こえた。玲奈は仕方なくベッドから起き上がり、洗濯物を干した。

 それでも思考は途切れない。再びベッドで横になった。

 茉鈴のことを想えば想うほど、切ない気持ちが加速する。やがて、玲奈の手は股間へと伸びた。

 昨晩、茉鈴と素肌を重ねた。だが、気持ちは交わらなかった。

 伝えられないこの想いは――自分で慰めるしかないのであった。切なさが、涙となって瞳から溢れた。

 強弱あるが五回は絶頂を迎えた頃、意識が飛ぶように、玲奈は眠りについた。


 玲奈が次に目を覚ましたのは、正午過ぎだった。

 三時間ほど寝たのだと理解する。疲労と気だるさの他、昂った気持ちも和らいでいた。

 再びシャワーを浴び、昼食を作った。冷蔵庫にある余り物の野菜と麺を炒め、塩ダレで味付けした焼きそばだ。茉鈴が好きそうな料理だと思いながら、平らげた。

 食後にアイスコーヒーを飲み、片付けまでを済ませると、午後一時半になっていた。

 心身ともに、勉強ができる状態まで回復していた。玲奈は準備をし、部屋を出た。


 午後二時前に、学校の図書館に到着した。

 夏季休暇中は特に人気が無く、この日も館内は静かだった。

 玲奈は個席の学習机に座り、外国語能力測定試験の教材を広げた。

 きっと、余計なことを考えたくないからだと、玲奈は思った。茉鈴への気持ちから逃げるため、勉強へと集中した。意外と捗った。

 だが、それはあくまでも一時的なものだった。午後三時過ぎ、集中力が一旦切れ、机から顔を上げた。口での呼吸方法を思い出したかのように、空気を大きく吸い込んだ。


 茶を飲んで休憩しようと、立ち上がろうとした――その時だった。

 ひとつの人影が近づき、机の隣に立った。

 まずは、白いスキニーパンツが玲奈の目に映った。見上げると、次は濃い青色のシアーシャツだった。ゆったりとしたシルエットであり、黒いキャミソールが微かに透けていた。

 そして、その上には、横に広がったショートヘアが見えた。柔らかな毛髪は、玲奈に綿菓子を彷彿とさせた。


「茉鈴?」


 そう。安良岡茉鈴が立っていた。

 どうしてここに居るのだろうと、玲奈は疑問に思う。別キャンパスの図書館ならまだしも、この図書館で茉鈴を見ることは初めてだった。茉鈴の賃貸アパートからここまでの移動に四十五分ほどを要するため、気楽に来られるわけでもない。

 茉鈴がわざわざ来た理由は、わからない。だが、今日は午後から図書館で勉強することを、今朝茉鈴に伝えたと思い出した。

 だから、偶然の遭遇では無いとだけ、ひとまず理解した。茉鈴は明らかに、会う意図で訪れている。

 座ったままの玲奈からは、天井の灯りが逆光となり、茉鈴の表情が見えなかった。


「ごめん……。ちょっと、外で話いいかな?」


 茉鈴がぽつりと漏らす。

 館内で喋ることは原則禁止なのだから、話があるならば連れ出すことは理に適っている。冷静に考えれば、何らおかしい言動では無いはずだ。

 だが、玲奈は瞬時に――なんだか嫌な予感がした。

 一年前の出来事が、頭の中で鮮明に蘇る。あの時は自分が、図書館から茉鈴を連れ出した。

 そう。きっとあの時も、こんなにも心細い声だったはずだから。


「はい……」


 断る理由が無いため、玲奈は頷いて席を立った。

 この予感は違う。そんなはずがない。込み上げるものを否定しながら、茉鈴の背中を追った。

 会話ならばロビーで構わないはずだが、玄関を通り抜け、屋外へと出た。

 蒸し暑い中、強い陽射しが眩しかった。玲奈は手元に日傘が無いため、手を額の高さまで上げた。

 茉鈴は建物の裏手まで連れ出し、立ち止まった。人気は皆無だった。

 ようやく茉鈴が振り返り、玲奈は表情を目にした。


 驚いた。いや、失望した。

 いつものような穏やかな笑みは無かった。余裕のある雰囲気も無かった。

 そこに立っているのは、怯えた表情を浮かべている、とても弱々しい女性だった。今にも泣き出しそうにしていた。

 玲奈は、あまりの暑さに目が眩みそうだった。この目に映る姿は、不確かな――ゆらゆらと揺れる陽炎であって欲しかった。


「私、玲奈のことが好きだよ。だから、友達じゃなくて……ちゃんと付き合って欲しい」


 だが、茉鈴の気持ち(こえ)がはっきりと耳に届いた。

 この瞬間を、玲奈はどれほど待っただろう。出来ることならば、一年前に聞きたかった。

 ショートヘアだった頃の惨めな気持ちを思い出すが、この際どうでもいい。それほどまでに、茉鈴も自分と同じ気持ちだったことが、たまらなく嬉しかった。

 嬉しいはずなのに――玲奈の中には、それ以上に失望感が留まり続けた。

 確かに、目の前に居るのは自分が好意を抱いている人間だ。

 彼女の弱々しい姿を見ることは、初めてではない。その度に立ち直り『理想』で居てくれた。それで構わなかった。


 だから、この状況は玲奈にとって想定外だった。

 怯えた瞳のままで、縋り付くような好意を向けられると――嬉しいどころか、傷つけられたような気分だった。

 やめて欲しい。こんな人間に、愛されたくない。気持ち悪い。いっそ、別人ならいいのに。

 そのような思いが交錯した結果、玲奈の瞳から涙が溢れた。


「ごめんなさい……」


 返事に躊躇は無かった。ただ純粋に、嫌なものを拒んだだけだった。

 もはや、詳しい理由は自分でもわからない。目の前のものに対し、直感で嫌だと判断したまでだ。

 柔らかな毛髪が、綿菓子ではなく――カーキグレージュの髪色が、玲奈にカエルを彷彿とさせた。きっと、魔法使いが自身に魔法をかけたのだと思った。

 そう。気持ち悪いものを目の前にし、生理的嫌悪感が込み上げたことから、玲奈は泣いたのであった。

 この結果が残念ですらなかった。


 目の前のカエルは驚いた表情のあと、ぎこちなく苦笑し――この場を黙って立ち去った。

 強い陽射しの下、玲奈の額に汗が浮かぶ。蝉の鳴き声がうるさい。八月も終わりだというのに、夏だと実感させた。

 そして、暑い季節が早く過ぎ去って欲しいと思いながら、玲奈は自分で涙を拭った。


 とある童話で、女王はカエルに付き纏われていた。嫌悪感からカエルを壁に投げつけたところ、カエルは王子の姿になった。王子は魔法で、カエルの姿になっていたのだった。

 女王はカエルに抱いていた嫌悪感から一変、王子に好意を持つようになる。

 その真逆――好意を抱いていた相手から好意を向けられた途端、嫌悪感へ一変する現象を、心理学で『蛙化現象』と呼ぶ。

 原因は様々だが、理想と現実との隔たりに幻滅することが、ひとつとして挙げられる。



   カエルになる魔法

   cowards cling to ideal.

前編 完


次回 【幕間】第13章『絶対に許さない』

春原英美里は蓮見玲奈の愚痴を聞く。


申し訳ないですが、よそのサイトの短編百合小説コンテストに応募するため、次回更新は7月31日を予定しています。

コンテストといえば、第5回百合文芸コンテストに一次選考で落選しました。そんな拙作『海と空が繋がる場所』を、7月19日から7月27日の9日間にかけて、なろうさんにも投稿します(全9話)。


幕間を挟み、第14章からの後編は茉鈴視点で進みます。振られたセフレに、もう一度恋をする。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ