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カエルになる魔法  作者: 未田
第12章『カエルになる魔法』
35/76

第35話

 八月二十七日、日曜日。

 午後四時になり、玲奈は茉鈴と共にアルバイトを終えた。

 衣装から私服に着替え、店を出る。そして、駅に向かい――玲奈は茉鈴と同じ電車に乗った。

 明日の月曜日は、おとぎの国の道明寺領は定休日だ。この夏季休暇中、玲奈にとって日曜日は週末であり、月曜日は休日だった。

 だから、週末を茉鈴のアパートで過ごすのは、おかしいことではなかった。玲奈は今朝、鞄に着替えを入れて自宅を出た。


 茉鈴と特に喋ることなく、電車に揺られた。玲奈としては、側に居るだけで良かった。

 茉鈴はいつも通り、穏やかな雰囲気だった。部屋に突然訪れられることになっても、何も口を挟まない。

 就職活動の相談をされた時や、スミレから守ってくれた時の一面を、玲奈はここ最近見ていない。なんだか、遠い日の出来事のように感じた。

 やはり、玲奈の持つ茉鈴の印象は『余裕のある大人』だった。それでいて茉鈴からの愛情を感じるから、もう一度恋をした。

 だが、気持ちは伝えられなかった。


 午後五時頃、茉鈴のアパートの最寄り駅で降りた。

 そのままアパートへは行かず、スーパーマーケットに寄り道した。


「茉鈴は何を食べたいですか?」


 玲奈としては、外食でもいいように思えた。だが、夕飯もあの部屋で過ごしたいので、何か料理をしようと考えた。


「生姜焼きでも作りましょうか?」

「それも魅力的なんだけど……お米よりお酒なんだよねぇ」

「わかりました。そういうことなら、任せてください」


 玲奈はメニューを頭に思い浮かべた。買い物カゴにゴーヤ、ベーコン、にんにく、唐辛子、そして枝豆を入れた。

 次にドリンクコーナーに移り、オレンジの缶チューハイと――茉鈴は缶ビールを手に取った。

 会計を済ませると、荷物を玲奈のエコバッグに詰め、店を出る。


「私、持つよ」

「ありがとうございます」


 一泊する分、ただでさえ玲奈の荷物は多かった。茉鈴の気遣いに甘え、エコバッグを茉鈴に渡した。

 八月も終わりに近づいているが、まだこの時間でも昼間のように明るい。それでもアルバイトの疲労を引きずりながら、茉鈴と歩いた。

 やがて到着し、茉鈴が部屋を開けた。そして、すぐにリモコンでエアコンを動作させた。


「さて、と……」


 まだ汗が引かないまま、玲奈は茉鈴からエコバッグを受け取った。

 時刻は午後五時半。このまま夕飯の支度に取り掛かろうかと考えたが、汗が気持ち悪かった。鞄から、汗拭きシートを取り出す。


「先にシャワー浴びてきたら? ご飯まだでもいいんじゃない?」


 しかし、茉鈴からそのように提案された。

 玲奈は本音を言えばまさにシャワーを浴びたかったが、客人の立場である以上、言えなかった。だから、素直に嬉しかった。

 茉鈴に理解されているのだと感じた。


「はい。先に使わせて貰いますね」


 玲奈はエコバッグの中身を冷蔵庫に一旦仕舞い、鞄から着替えを取り出した。茉鈴からバスタオルを受け取ると、ユニットバスに入った。

 浴槽のカーテンを閉め、ぬるいシャワーを頭から浴びる。これだけでも気持ち良かった。

 前髪をかき上げ、シャンプーで毛髪を洗おうとしたところ――ユニットバスの扉が開いた。


「ねぇ。私も一緒に入っていい?」


 茉鈴の声が聞こえるや否や、浴槽のカーテンが開いた。全裸の茉鈴が立っていた。


「……断れないじゃないですか」


 玲奈は半眼を一度投げかけた後、微笑んだ。茉鈴もまた微笑み、浴槽に入った。

 背後から茉鈴に抱きしめられ、耳を甘噛された。首筋にキスをされた。

 玲奈は思わず、吐息を漏らした。

 頭上から、弱いシャワーが絶え間なく降り注ぐ。浴槽に水音が響く。

 茉鈴と素肌が――汗も触れ合うが、不思議と不快ではなかった。暑苦しい中、確かな熱に茉鈴を感じ、心地よかった。

 玲奈は振り返ると、茉鈴に唇を重ねた。舌を絡めた。

 性交へと移るのは、自然な流れであった。


 どのぐらい時間が過ぎたのか、玲奈はわからない。

 ひとしきりの『行為』を終え、気づいた時にはふたりで浴槽に座り込んでいた。そのうえで、茉鈴の胸元にもたれ掛かっていた。

 小雨のようなシャワーが降り注いでいた。水音のリズムが心地良かった。

 玲奈は自分の毛髪を、肩へと流した。そして、茉鈴の頬にへばり付いた毛髪を払うと、頬に触れた。

 そのまま手繰り寄せるように、茉鈴の唇にキスをした。

 とても狭い浴槽は、閉じたカーテンで隔離されていた。ふたりきりのこの空間は、永遠に続くとさえ思いながら――シャワーの水音に耳を傾けた。


 ユニットバスから出た頃には、午後六時十五分頃だった。

 疲労――というより気だるさが重く圧し掛かり、玲奈は何もする気にもなれなかった。

 茉鈴から冷水の注がれたグラスを差し出され、それを飲んだ。そして、床に座ると、背後から茉鈴にドライヤーで毛髪を乾かされた。


「手入れは念入りにしないとね」

「ありがとうございます」


 毛髪に触りたいだけだろうと玲奈は思いながらも、茉鈴に任せた。

 テレビのリモコンを操作すると、この時間帯はアニメと報道番組ぐらいしか映らない。どれも観る気になれず、かつ茉鈴に毛髪を乾かさせていることから――仕方なく立ち上がった。


「それじゃあ、ご飯作りますね」

「悪いね、わざわざ」


 茉鈴が、爆発したかのような自分の毛髪にヘアオイルを塗る傍ら、玲奈は食事の準備に取り掛かった。とはいえ、実に簡単だった。

 買い物した食材を冷蔵庫から取り出し、包丁で切る。次に、フライパンにオリーブオイルを引き、にんにくと唐辛子を炒める。香りづいたところで、最後に切ったベーコンとゴーヤを加えるだけだ。


「はい。とりあえず、出来ました」


 ベーコンとゴーヤの炒め物を皿に盛り、テーブルに置いた。


「わぁ、良い匂い。美味しそうだね」


 玲奈はさらに缶ビールと缶チューハイ、氷を入れたグラスふたつも置いた。

 そして、食塩で揉んだ枝豆と水を鍋に入れ、火をかけたところで――自身もテーブルについた。


「さあ、食べましょう」


 酒で乾杯し、ひとつの皿をふたりでつついた。


「私、ゴーヤ苦くて嫌いだったんだけど……こうして食べると結構いけるね。ビールに合うよ」


 茉鈴が上機嫌にビールを飲んだ。

 玲奈は酒に合う料理をスーパーマーケットで咄嗟に考え、思いついたのがこれだった。とはいえ、にんにくと唐辛子で炒めると、大抵は酒に合うと思っただけだが。実際のところ、香ばしさとゴーヤの苦味が入り混じり、想像通りだった。オレンジの甘い缶チューハイにも合った。


「ゴーヤ苦手なら、スーパーで言ってくれたらよかったじゃないですか。別のやつ、考えたのに……」

「玲奈が作ってくれるなら、何だって美味しいよ」


 そのように言われるのは嬉しい一方で、茉鈴が苦い食べ物を苦手だと記憶した。今後料理をする機会があれば、避けようと思った。

 皿が空になると、茹でた枝豆を別の皿に盛り、テーブルに出した。

 ふたりで枝豆を黙々と食べた。

 やがて午後七時になり、茉鈴がテレビのリモコンに触れた。チャンネルを回すが、バラエティ番組ばかりで特に面白そうなものはなかった。


「あれ? 野球は……ああ、日曜だからデイゲームかぁ」

「茉鈴は野球観てるんですか?」

「いやぁ。ルールも選手のことも、なーんにも知らないんだけどね……。だけど、ここの地元のチームが勝つと、なんか嬉しいな」

「あー。わかります」


 玲奈がこの地域で住むようになって一年が過ぎたが、情報番組ではやはり地元チームを贔屓して扱っている。勝敗結果に一喜一憂する番組の雰囲気が、視聴者にまで伝わっていた。


「交流戦までは、調子良かったんだけどねぇ」


 確かに、暑くなるにつれて失速した印象を、玲奈は持っていた。ファンにしてみれば悔しいだろうと思っていた。

 結局のところ、つまらないバラエティ番組を観ながら、枝豆を食べた。


「動画のサブスクにでも、入ったらどうですか? そんなに高くないですよ?」


 茉鈴が普段からつまらなさそうにテレビを観ているのを知っているため、ふと提案した。


「え? 玲奈は海外ドラマ観てたりするの?」

「それなりには……」


 玲奈は『話題』のために抑えているのではない。実際、友人らとの間でその手の話はまず出てこない。

 数少ない娯楽のひとつとして、純粋に楽しんでいた。


「でも、茉鈴は――」


 出版業者を狙うなら、書物以外のメディアも多少は抑えた方がいいんじゃないですか?

 玲奈はそう言いそうになったが、口を閉じた。

 ちょうど、一週間ほどになる。あの日から、茉鈴の進路には触れていない。

 もう、涙を流す茉鈴の姿を見たくなかった。そう考えると、わざわざ触れるのは『余計なお世話』だと思った。


「へぇ。私も観ようかなー」

「テレビに挿すやつ通販で買えば、簡単に観れますよ」


 敢えて目を背けることに、玲奈は内心で戸惑っていた。

 それでも、見ない振りをした。都合の悪い一面を、見たくなかった。


 玲奈は晩酌の後に片付けを行い、ベッドで茉鈴と素肌を重ねた。

 気づいた頃には、午後十時を過ぎていた。

 就寝にはまだ早いが、アルバイトの他に性交で体力を使い果たし、眠気が押し寄せていた。茉鈴も同じのようで、暗い部屋でふたり横たわっていた。

 玲奈はぼんやりと、茉鈴の鎖骨から乳房にかけてを指先でなぞった。そんな些細な行為に、茉鈴が柔らかく微笑んだ。


 とても居心地が良かった。

 古くて狭い部屋だが、茉鈴と食事や性交を楽しみ――この時間がずっと続けばいいと、玲奈は願う。

 きっと、同棲とはこのような感じなのだと、ふと思った。

 一年前とは違い、意志が疎通できている。そのうえで、楽しかった。一緒に居たかった。

 だから、これはもはや『友達』の範疇ではなく『恋人』の関係だと実感していた。

 きっと、茉鈴も同じだと思った。きっと、茉鈴に気持ちを告白すれば受け入れて貰えると予感していた。


「おやすみなさい……」


 しかし、玲奈は気持ちを伝えられなかった。伝えようとする度、ショートヘアの感覚を思い出し、自我を抑えた。

 我慢した結果、この状況に甘んじ――妥協した。

 気持ちを伝えて関係を定義することに、何の意味があるのだろう。傷つくことのない、今のままで充分だ。

 玲奈はそう自分に言い聞かせた。


「おやすみ」


 穏やかな様子の茉鈴からキスをされ、瞳を閉じる。

 やがて玲奈の意識は遠退き、現実と夢の境が曖昧になる。

 いつの間にか茉鈴から抱きしめられてことは、認知していた。

 だが、手繰り寄せるような抱擁から不安や怯えが伝わったことは――玲奈にとって、曖昧だった。

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[一言] レナはもうフラれてしまった、彼女の不安はわかる 告白は向こうからしなければいけないと思うが、二人とも動きたくない
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