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第96話 「藤井正宗」

 俺は歯を食いしばっていた。


 この手のひらの中には、ゼノスがくれた最強のカード【ゴッド】がある。


 三分間だけ絶大な力を得ることができる、最強クラスのカードだ。MPも枯渇した俺にとっては、このカードだけが唯一ドレイクに勝利を得られるカードだろう。


 だが、これを使うと……。


『女性といざ事に及ぼうとすると、お前のリトルマサムネが爆発する体になる。つまり一生童貞のままだ』


 ゼノスの言葉が俺の脳裏に思い浮かぶ。


 なんでだ。なんで今なんだ。どうしてこの瞬間に使わなければならないんだ。どうせ使うんだったら、せめてナルやキキレア、ミエリと再会してからでもいいじゃないか。


 俺は引き抜いたカードをそっとバインダに戻す。そうして突っ伏していると、ドレイクは少しずつこちらに迫ってきた。


 くそう、もう俺はどうすればいいんだ……。


「……それならば、いっそ……!」


 俺は地面を叩く。どうせ生涯童貞ならば、ここで死んだとしても一緒じゃないか!


 ドレイクに斬り殺されても、変わらないよ! 俺の未来はどっちみち絶望に覆い尽くされているんだ!


 そうだ、殺すなら殺せ! 俺は逃げも隠れもしないぞ! でもいやだ、本当は死にたくない! なんとかうまいこと生き延びたいよお!


 嘆き悲しむ俺の前に、ラースが立っていた。


「く、くそう! 来るんじゃない! このドラゴンめ!」


 お、お前……!


 俺は慌てて叫ぶ。


「バカ! なにやってんだ、逃げろ!」

「兄ちゃんを置いてなんて逃げられないよ!」

「俺はもういいんだよ! それに震えているじゃねえかよラース! そんなんで戦えるのかよ!」

「戦えないとしても、ひとりだけ逃げるなんてもういやなんだ!」


 ちくしょう、こいつ……。なんでこんな俺のために……!


 俺の目の端から涙がこぼれ落ちる。それがなんの涙なのか、俺にはもうわからなかった。


 ドレイクは俺を警戒しながらも、ゆっくりと近づいてくる。


「くくく、ならば小僧ごと斬り殺してやるわ! まとめて地獄へ落ちるがいい!」

「っ……!」


 ラースは怯えながらもすがりつくように剣を握り締めていた。このままでは俺よりも先にラースが殺されてしまう。たかが十年しか生きていないようなガキがだ。


 俺はさらに強く地面を叩く。


 なんなんだもう。ひとりであっさりと死なせてくれよ! 俺をかばったりするんじゃない、ラース! 諦めることすら許さないっていうのかよ!


 なんでこいつら俺にどうしても【ゴッド】を使わせようとしているんだよ! もういいんだ、俺の役目は終わったんだよ! これ以上俺を追い詰めないでくれ! 俺はここで死ぬんだ……! 死なせてくれ……!


 俺は絞り出すようにしてうめいた。


「くそ……、頼む、ドレイク……」

「なんだ?」


 俺は地面に突っ伏したまま、ドレイクを見上げる。涙があふれる俺の目を見て、ドレイクは怪訝そうな顔をしていた。


 俺は恥も外聞も投げ捨てて、ドレイクに平和を訴えた。


「ここで俺たちを、見逃してくれないか……。どちらにとっても悪い話ではないはずだ……。俺たちを見逃してくれたら、お前たちの命も助けてやるからさあ!」

「なにを言っている! この期に及んで気が狂ったか!」

「うううううう……!」


 俺は何度も地面を叩く。


 なんでなんだ。どうして人たちは平和に暮らすことができないんだ。争い合わないといけないんだ。俺が【ゴッド】のカードを使ったら、俺だけではなくお前たちも不幸になるっていうのに!


 そんなの誰も幸せにならないじゃないか! 不毛だよ! なんでそれがわからないんだ! いやなんだ、俺は一生童貞になんてなりたくないんだ!


「頼む、ドレイク! 引いてくれ! 金ならやるからさ! なんだったら俺を気の済むまでボコボコにしても構わないから! お願いだ! 俺がすべて悪かった! なんでもするから命だけは助けてくれ!」

「……ほほう、なんでもすると言ったな? ならばその命をもらい受ける!」

「なんでだよお!」


 俺は涙ながらに叫ぶが、ドレイクは聞き入れてくれない。


「だったら鬼ごっこ! いや、オンリーキングダムのカードで決着をつけようじゃないか! 負けた方は丸坊主とか、そういうのでさ! 坊主になるのはいやだけど、ちゃんと約束を守るからさあ!」

「なにをわけのわからないことをほざいている! 貴様はここで死ねえ!」

「いやだあ!」


 ラースや村人たちは、魔力の枯れた俺のその必死な態度を見て口々につぶやく。


「兄ちゃん、俺たちを守るために……!」

「ああ、マサムネさま……、あんなにも頭を下げて……」

「なんて人だ……、縁もゆかりもないこんな俺たちのために、命まで懸けて……、あの人こそが本物の聖人なのか……!」


 中には胸を打たれてハラハラと泣き出している人たちもいる。違うんだ。俺は、俺は、一生童貞になりたくないだけなんだよ!


 レイズアップホールで作った穴から這い出してきた魔物たちは、もはや俺たちの前に並んでいる。ドレイクは魔物たちを引き連れて、剣を構えていた。


 対する村人たちは、もう投げる石も尽きてしまった。このまま蹂躙されるのを待つだけだ。


 どう考えても【ゴッド】を使わなければ逆転ができない。でも、嫌だ……。使いたくない……。嫌だよお……。


 人々の命を救うためには、使うしかない……。でも、女性の温もりをもう一生知ることができないなんて、嫌だ……。


 俺がなにをしたんだ! なんでこんなにつらい目に遭わないといけないんだよ! この世界の人々を多く救ってきた! ギガントドラゴンだって倒したし、イクリピアだって救っただろう! ジャックとディーネの恋だって成就させたし、前世では猫を助けたんだぞ! お釈迦様でももうちょっとなんかこうさ、なんかこう、慈悲があってもいいじゃないかよおおおおおおお!


 ドレイクが剣を振るってきた。


「ひっ」

「くそおおおお!」


 俺は怯えるラースをかばって飛び退く。最後の力を振り絞った感がした。ラースを抱き締めたまま、俺は大きく息をつく。


「ドレイク、お前本気で俺を殺そうっていうんだな……! 俺がここまで忠告してやっているのに……!」

「当然だ! 貴様の言葉など、ただの命乞いに過ぎん! 諦めて死ぬがいい!」

「くそ、くそ、くそ……!」


 俺はラースを逃がす。手のひらにバインダを呼び出した。『俺を使え』とばかりに【ゴッド】のカードは光り輝いている。


 ゼノスはこの光景をどこかで見ているのか? そうして腹を抱えて爆笑しているのか? 他人事だと思って、あの野郎……! くそう……!


 嫌だ、嫌だ、嫌だ……!


 でも、覚悟を決めなければならないのなら……。


 今がそのときだというのなら……!


 俺は手の甲で涙を拭いて立ち上がると、ドレイクを指差した。


「ドレイク!」

「なんだ偽神!」


 俺は臆面もなく叫んだ。


「い、一時間だけ時間をくれ!」

「……な、なんだと?」


 指を一本立てて、懇願する。


「それさえもらえれば、俺はちゃんと戦うから! だから頼む、一時間だけ見逃してくれ! な、たったの一時間だ! でも俺にとってはこれから生きてゆく一生を支えるための一時間なんだ!」


 なあ頼むよドレイク!


 俺はその間に、童貞を卒業してくるから! たった一時間でいいんだ! 手早く済ませてくるから!


 だがドレイクは聞き入れてくれなかった。


「時間稼ぎとは見苦しい、見苦しいぞ、偽神! その間にまた姑息な準備を整えてくる気だろう! 逃すとでも思っているのか!」

「だったら五十分! いや、四十……ええい、もう二十分でもいいから! 二十分だ! たった二十分だぞ! 頼む、ドレイク! 男の情けだ!」

「知ったことか、偽神!」


 くそうううううううううううう!


 俺は拳を握り固めながら、絶叫する。


「お前にだってわかるだろ、ドレイク! 本当に大切なもののために人は戦うんだ! 命を失ったとしても、決して譲れないものがある! 俺は決して逃げない! 己の運命を受け入れて戻ってくる! だがそのために少しでいい、時間をくれって言っているんだ!」


 ドレイクは俺の言葉を受けて、足を止めた。


「……貴様のその目、嘘ではないようだな」

「っ! わかってくれたか、ドレイク!」


 俺は目を見開いた。


 やった! 必死の説得が心に響いたんだ!


 よし、ならば二十分の間に童貞を卒業してこないと! だったらまどろっこしいことはしていられない。相手を選ぶ暇もないだろう。


 そうだ、バッカスの宿の奥さんに頼もう。土下座でお願いして全財産を捧げば、きっと一回ぐらいなら受け入れてくれるはずだ。


 俺はこの村を救う英雄なんだ。旦那さんやラースには申し訳ないが、それぐらいならきっと、OKのはずだ! よし、よし!


 だが、ドレイクは俺の希望を絶ち斬るように告げてきた。


「しかし貴様を逃せば、俺様は千載一遇のチャンスを失うだろう。貴様の息の根を止めるのは、今しかないのだ!」

「――っ!」


 俺の顔が絶望に染まる。


 なんてこった。たかが二十分すら許されないのか……!


 こいつには人の心がないのか……! たかが二十分だぞ……! たったそれだけでいいって言っているのに……!


 待て、考えろマサムネ! お前はカード大会のチャンピオンだ! 今ここで考えなければいつ考えるんだ! 脳が焼けつくほどに考えろおおおおおおお!


 俺はさらに手を突き出した。


「だ、だったらこの場で! この場から動かないから時間をくれ! それなら、それならどうだ!? なあ、それなら!」


 俺は返事を待たずに辺りを見回す。


 そうだ、やってきた村人たちはみんな男だけど、中にはたったひとり女の子がいるじゃないか。多少の年齢差に胸が痛むが、もうなりふりなんて構っていられないんだ。


 俺は彼女を見据えて、告げる。


「く、クルルちゃん! 結婚しよう!」

『!?』


 村人にかばわれていたおさげ髪の少女に、俺は手を伸ばした。彼女や魔物を含めた周囲の人々がいっせいに驚愕する。『え、なんで今!?』という声なき声だ。俺はそのすべてをスルーし、クルルちゃんだけを見つめていた。


 もう童貞を卒業するにはこれしかない。大丈夫だ。クルルちゃんの年齢は詳しく聞いていないから、倫理に触れることもないだろう。きっと実はミエリやフラメルのように人間ではない種族で実は満十八歳を超えているだとか、そういう伏線があったはずだ! 俺の記憶にはないけど!!


「頼む、一生幸せにする! 俺についてきてくれクルルちゃん! なあクルル! もう俺にはお前しかいないんだ!」


 俺は未来を掴むように手を伸ばす。村人の影に隠れていたクルルは顔を真っ赤にしていた。あわあわと口を動かす彼女の視線はまっすぐに俺を見ている。


 よし、よし、ここでゴールインだ。あとはなし崩し的に俺は童貞を卒業して……、衆人環視? 関係あるか! 俺の童貞の方が大事だ!


 そうだ! そうしたらきっと【ゴッド】を使っても、少しは悔いのない人生を送れるはずだ。そのはずだ!


 命を救って好感度もあげたはずだ。だったら、この勢いなら押しきれるはず。そうだろうクルル……、っていや、違う。彼女は俺を見ているんじゃない。俺の近くにいたラースを見ていた。


 クルルは顔を真っ赤にしながら、俺に頭を下げた。


「ご、ごめんなさい、お兄さん……。命を助けてもらったけど、でも、でも、わ、わたし……」


 最後まで聞いたら、【ゴッド】を使う前に死んでしまいそうだったから、俺は耳を塞いだ。


 俺は十一歳の女の子にもフラれたのだ。


 地面を叩いて慟哭する。


「うおおおおおおおおおおお! お前は俺のすべてを奪う気か、ドレイクうううううううううううう!」

「えっ、いや、う、うん。ここで貴様を殺すのが俺様の使命よ!」


 ひどい、ひどすぎる。なんで世界は俺にこんなにもつらいんだ。


 昨日までの俺はいったいなにをしていたんだ! きょうこんなことになるなんてわかっていたら、ピースファームになんてとどまってはいなかった! 癒しの村なんて知ったことか! すぐにでもナルとキキレアとミエリを追いかけて、土下座でもして許しを乞うていただろう! こんなに辛い未来が訪れると知っていたら!!


 俺は本当にバカだった。なんで彼女たちをみすみすと行かせてしまったんだ。時が戻れるなら、あの瞬間に戻りたい。岩にかじりついてでも、彼女たちを離しはしなかっただろうに。


 ナル、キキレア、ミエリ……。記憶の中のお前たちは本当に綺麗で、美少女で、温かくて、優しくて、かけがえのない存在だ。ああ、もう一度会えたら今度こそ愛していると伝えよう。俺が俺のままで会うことができたなら……!


 俺は自らの顔を両手で覆う。


 もうだめだ。


 終わりだ。


 俺の物語はここで終わりだ。


 世界とはこんなにも残酷で、悲しいのか。


 すべては夢。すべては幻。すべては無情。すべては死。この世界に希望なんてない。


 ドレイクは再び剣を掲げた。


「もういいか! 時間稼ぎはうんざりだ! 今ここで貴様の首を刎ねてやる!」

「あああああああああああああああああああああああああああ!」


 ――だったら、もういい。


 俺はバインダから一枚のカードを引き抜き、それをこの手で握り潰す。


「オンリーカード・オープン――!」


 ばらばらになったカードは光となり、その一かけらも残さずに俺の腕の中へと吸い込まれてゆく。


 俺の周囲から風が巻き起こった。まるで竜巻のように立ちのぼるのは魔力だ。


「な、なんだこのパワーは……!? なんだこれは……!?」


 ドレイクは目を見開く。


 凄まじい魔力が渦巻いていた。当然だ。俺が生涯を犠牲にして放つ最強のカードの発現なのだから。


 俺は髪をかき上げる。先ほどまでフラフラだったのが嘘のようだ。嘘のように力が全身にみなぎっていた。指先までエネルギーが満ちているのがわかる。体を貫く全能感だ。


 片手を広げ、すべてを捨てた俺はつぶやく。


「すべては夢。すべては幻。すべては無情。すべては死。この世界に希望なんてない」


 先ほどまで絶望していたこの俺は、もういない。ここにいるのは神の力を持つひとりの戦士だ。


「――だったら俺が、この俺が、誰かの、力なき人々の希望になってやる! 俺の前で人を殺すつもりなら! ドレイク! 俺はお前を決して許さねえ!」


 俺は血の涙を流しながら、ドレイクに向けてそう言い放った。



 この日、俺はついに【ゴッド】のカードを使った。


 おれの降臨だ。


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