第93話 「俺の戦い」
さて、どうするか。
俺の脳裏を苦い記憶が通り抜けてゆく。魔王領域にてドレイクに出会い、初めて死の恐怖を味わったあのときを。
口八丁で切り抜けようとしたがうまくいかず、あと一歩で死ぬところだったのだ。
ドレイクはそんな俺のことを覚えているだろう。
しかし、一時は魔王軍をやめて田舎で隠居していたって聞いていたのに、戻っていたのか……。こんなところで出会っちまうとは、運が悪かった。
なんせこのドレイクは、俺がタンポポ神ではないと知っている魔王軍唯一の存在だ。こいつにだけはタンポポ神の威光も通用しないのだ。
おまけに俺は今、ただひとりだ。さらに人質まで取られている。戦いに持ち込んだら分が悪いだろう。
俺の頭脳は激しく回転を始める。
「……ほう、どこかで会ったことがあるのかね?」
いや、いい、ここで騙し通すしかない。
設定としてはこうだ。俺は数いるタンポポ神の分神に過ぎない。ドレイクと敵対したのは別の個体だ。そのため、俺はドレイクとは会っていない。そうと決まったら、これで押し切ってやろうじゃないか。
「確かに私はタンポポ神だ。だが、この姿は多くいる分神のうちのひとつに過ぎない――」
その直後である。ドレイクが迷わずに踏み込んできて、剣を振るったのだ。
もう少し距離が近ければ避けきれなかったかもしれない。稲妻のような太刀筋だった。俺は【ラッセル】のカードによって身体能力を強化していたとはいえ、刃をかすってしまった。身に着けていた花かんむりが裂かれ、タンポポの花はぽとりと地面に落ちる。クルルがハッと息を呑んでいた。
この野郎――。
思わず叫び出すところだったが、叫び出さずに済んでいたのは俺以上に驚愕したやつらがいたからだ。見張り+ガルヴォルである。
『ひいいいいいいいいいいいいいいい!』
四匹はムンクのような顔で悲鳴を上げた。それからドレイクを取り囲む。
「な、なにやっているんだ隊長! 錯乱したか!」
「隊長が、隊長がおかしくなった!」
「相手は神だぞ! 神にケンカを売るなんてどういうことだ!」
「違うんですタンポポ神さま! 俺たちはこいつとはなんの関係もないガル!」
徹底的に保身に走るガルヴォルはともかく。
ドレイクはなにも気にせずに、俺に向かって一歩足を踏み出してくる。
「へえ、神様の血っていうのは、赤いのかァ?」
一同が俺を見た。
俺の頬からつう……と血が流れ落ちている。さっきの一撃を避け切れなかったためだ。
ごくりと唾をのみ込みながら、俺は言い放つ。
「この姿は肉の体を借りている。傷つけば傷つくものだ。それもより今の一撃、いったいどういうつもりだ?」
「どうもこうもねェさ。俺様にはお前のちんけな小細工なんて効かねえってことだ。今すぐ化けの皮を剥がしてやるぜ」
ガルヴォルが「怯えて南の島で暮らしていたくせに……」と小さくつぶやいた。ドレイクがガルヴォルを睨む。ガルヴォルはそっぽを向いて口笛を吹き出した。
ドレイクは俺に向き直る。
「……そうさ、俺様はこいつのせいで大変な目に遭ったんだ。この手で斬り殺してやらなければ、気がすまねェ」
やばいな、そろそろ見張りが俺の正体を疑い出している。なんせなにもしていないのに殺されるかもしれないと思っていたやつらだ。ましてや俺に一太刀を浴びせようとしてきたドレイクがいまだのうのうと生きていることが、信じられないだろう。
いや、ここは神の度量を示す場面か。
「ふむ、迷えるリザードマンよ、お前はいったいなにに怯えているというのだ? 【タンポポ】!」
「――あァ?」
ドレイクの足元にポンッと花が咲く。ドレイクはその花をものともせずに踏み潰した。見張りたちは「タンポポがぁぁぁぁぁ!」と絶叫した。
「この俺様が怯えているだと!? まさか! 嬉しいのさ! なんたって恨みの主がのこのこと現れてくれたんだからなァ!」
ドレイクはブンと剣を振るう。レッド隊長のカードに切り替えても防げるかどうかわからない。凄まじい腕だ。以前より遥かに強くなっているのか。
このままではだめだ。ここで戦ってはいけない。俺は手のひらを突き出す。
「ドレイクよ。お前が私を誰と勘違いしているのかはわからないが、私は戦いを好まぬ。神との戦いなど、お前にとっても不毛のはずだ。きょうはお前たちに救いを持ってきたのだ!」
ドレイクは俺の言うことを聞いていない。今にも斬りかかってきそうだ。やつらの興味を惹けるかどうか、時間との勝負だ。
「お前たち魔王軍に仇為そうという勇者たちの声が聞こえる! なにかがお前たちを滅ぼそうと襲い掛かるぞ! 今すぐ魔王城に戻るがいい。お前たちの魔王が危ないのだ!」
俺が口早に告げると、見張りたちは顔を見合わせた。
というか、そうこうしている間に、次から次へと魔物が増えている。こんなに騒ぎになっちまっているのだ、仕方ないだろう。ひっそりとするのはもう無理だ。この聴衆を味方につけなければ。
「魔物たちよ! こんなところにいる場合ではない! このタンポポ神は善でも悪でもない! 旅を続ける中立神だ! お前たちの主人が殺されようとしているのをみすみすと見逃すのか!? お前たちにも忠誠や矜持というものがあるだろう!」
そこで俺は地面にカードを叩きつけた。
「【レイズアップ・タンポポ】!」
すると地面にことさら巨大なタンポポが誕生した。魔物たちはその神々しい姿に目を奪われている、ようだが――。
「戯言を!」
ドレイクの一喝によって、魔物たちはハッと気づいた。それはまるで長年の夢から目覚めたかのような瞬間だった。
「たかがタンポポ! タンポポがどうした!」
「っ――」
こ、こいつ!
「タンポポを生やせるからなんだ! タンポポを植えたからなんだ! この世界をタンポポで満たしてどうなるっていうんだ! それで争いがなくなるわけがねェ! 所詮タンポポなんぞ雑草だ! しかも根が深くて駆除するのに大変な雑草だろう!」
言い切りやがった! なんて根本的なことを!
俺が今までずっとずっと積み上げてきたなにかを、ドレイクはぶった切ったのだ。
その叫び声によって魔物たちはひとり、またひとりと目を覚ましてゆくのがわかった。
「そ、そうだ、そういえば……」
「タンポポってどこにでも生えるし、別にそんなに綺麗でもないかも……」
「うちの母ちゃんも、芝生がタンポポに染まって困っていたし……」
「タンポポ神っていったいなんなんだ……?」
タンポポ神がいったいなんなのかって? そんなの俺が一番知りてえよ!
ドレイクはガルヴォルが捕まえていたクルルの首を掴んで持ち上げる。クルルが苦しそうに顔を歪めた。それでも唇を噛んで耐えている。
こわいだろうに。今すぐ泣き出したいだろうに。あんなガキが苦痛に耐えているのだ。あんなガキがだ。
クルルはすがるような目で、俺をじっと見つめている。
やめろ、そんな目で見るんじゃない。俺は神ではないし、最強の冒険者でもない。俺はただの屑カード使いだ。
「……っ、く……」
このピンチを戦わずに切り抜ける考えが、もう俺には浮かばない。それでもドレイクは待ってくれず、叫ぶ。
「いいだろうタンポポ神! お前が戦わないというなら、今ここでこの娘を斬り殺してやろう! その後に、村も滅ぼそうじゃないか! お前がタンポポで世界を平和にできるというのならば、今すぐにやってみろ! 少なくとも俺はお前のタンポポで不幸になったがなァ!」
ドレイクが剣を振りあげる。
「やめ――」
俺はそのとき、意識の海にダイブした。
この感覚は覚えている。
車に轢かれそうになった猫を助けたときだ。
俺はオンリー・キングダムのチャンピオンになって、浮かれていた。できないことなどなにもないと思っていた。この頭脳があれば、誰にも負けることはない。俺は全能だった。
だが、事実は違った。
俺は帰り道に車道を横切る猫を見た。綺麗な白猫だった。危ないな、と思った。直後だ。そこに凄まじい速さのトラックが突っ込んできた。俺はなにも考える余地がなく、車道に飛び出した。
頭の中にイメージはできていた。飛び出して猫を拾ってそのまま反対側に転がり込むだけだ。俺はそのイメージをなぞるだけでよかった。しかし、体がついてこなかった。
結局、できもしないことをやろうとしただけだった。トラックに轢かれて即死した俺は、猫と引き換えに命を失ったのだ。
あのときの反省を生かしたら、俺はもっと賢く器用に生きるべきだったのだ。
できないことはできない。魔王にも挑まず、危ないことはせず、村人にチヤホヤされながらそこそこのお金をもらって過ごす。それが俺という身の丈に合っている生きざまだ。
ミエリは俺のことを『凄まじい覇業の使い手です!』なんて持ち上げたが、そんなの嘘だ。あいつはバカだから目が曇っているのだ。だってゼノスは言っていたじゃないか。俺が屑カードばかり手に入れるのは、『お前の心が屑だからだ』ってな。
そうとも、わかっている。
俺はナルやキキレアやミエリたちのように、立派な宿命を背負った冒険者ではない。ただのガキだ。ただのカードゲーム好きのガキだ。
全然違う。あいつらとは全然違うんだ。だから――。
「――兄ちゃん! クルル!」
雷鳴のように、少年の叫び声がした。俺は顔をあげる。
村の方からがむしゃらに走ってくる影がひとつ。月明かりに照らされたその姿は紛れもなくラース。あいつ、門を破ってきたのか。
違う、そのあとには多くの村人が続いている。全員で来たのか。なんでだ。
俺はラースを振り切って村から出てきたというのに、ラースは気づいていたのか。俺がひとりでクルルを助けに行くって。あんなにひどいことを言ったのに。
村人たちも皆、思い思いの武器を掲げて『マサムネさんに続け!』と叫んでいる。お前たちでは犬死だって言っただろうが。なんなんだよ。ピースファームの連中は。いや、この村だけじゃない。思い返せば今までこの異世界で出会ったやつらはバカばっかりだった。どいつもこいつも、バカばっかりだ。
俺は歯噛みした。バカ筆頭であるラースはこちらに手を伸ばして、今なお叫び続けている。人間にはできることとできないことがあるというのを、まだあの年のガキは理解できていないのだ。なんでも自分の思い通りになると思っていやがる。これだからバカは手が付けられない。
まったく、本当に。
「バカばっかりだ!」
俺は腰からライトクロスボウを引き抜いた。
同時にろくに狙いも定めず引き金を引く。射出されたボルトは【ロックオン】の効果により、クルルを掲げていたドレイクの手首に見事突き刺さった。ドレイクはうめきながらクルルを取り落す。どうだ見たかナル。これが本当のアーチャーってやつだ。
クルルはこちらに向かって走ってくる。ドレイクが剣を振るった。その剣は届かず、クルルのおさげを絶ち斬るだけにとどまった。クルルは一目散にラースの下へと走っている。ラースが彼女を受け止め、抱き締める。緊張の糸がついに切れたのか、クルルの目から涙があふれ出した。それを見て、俺は口元を吊り上げる。村人が湧き、魔王軍が叫び声をあげた。
だが、これでパーだ。すべてがチャラだ。今までコツコツと積み上げてきたタンポポ神の伝説はおしまいだ。なんたって神がクロスボウを使ったんだからな。化けの皮が剥がれたとはこのことだ。
しかしなんだろう。妙に気分がいい。
猫を助けてミエリのもとに飛ばされたときも、こんな気持ちだった。ただの自己満足に過ぎないが、それがどれほど大事なことなのかを痛感する。
まったく、本当に俺ってやつは――、なんてバカ野郎なんだ。冷静で慎重が聞いて呆れるぜ。
俺はカードバインダをこの手に呼び出しながら、魔王軍に向かって怒鳴る。
「――生まれ変わっても俺のバカは治らなかったようだなあ!」
どうやって勝つかまったく見えてねえからな!
生きたい!!!




