第91話 「さらばピースファーム」
柵を挟んで、村の前には多くの魔物がいた。コボルト、ケンタウロス、ミノタウロス、狼男、どうも半獣半人のやつらが多い。
しかし、結構な数だ。百匹ぐらいはいるだろう。これだけの数がピースファームに攻め込んできたら、村は一巻の終わりだ。
一瞬、もしかしたら俺を狙ってきたのだろうか、と脳裏によぎる。だが、違ったらしい。
「この村はきょうから俺様たちがいただくガル!」
先頭に立った隻眼の狼男は、腕を振りながらそう語った。
「だが、すぐに殺しはしないガル! じわじわと嬲り殺しにして、ここに少しずつ騎士団を引き寄せてやるガル! お前たちは第二次イクリピア攻撃作戦の、その囮になってもらうガル!」
村人たちはざわつき出す。
ふむ、第二次イクリピア攻撃作戦か。前の作戦が失敗してからまだ三か月ぐらいしか経っていないのに、もう動き出したんだな。
だがこの様子だと、魔王城への転移陣の情報は掴んでいないようだな。
そうかそうか。だったら一日二日待っていれば、先に魔王も滅びるだろう。タイミングが悪い魔王軍だな。
周囲の村人たちは青ざめている。その中で俺は人に紛れながら、のほほんと突っ立っていた。事態を静観しているのだ。
「お前たちはこの村から生きて出ることはできないガル! 怯えたまま死を待つがいい! ガールガルガルガルガル!」
狼男はおかしな高笑いをあげる。いや、いくらなんでも無茶があるんじゃないか、その笑い声。
ま、別に出られないならなんてこともないだろう。解散だ解散。俺は踵を返して、宿でもう一度一眠りをしようと思った。だがしかし――。
「もしもお前たちがよからぬことを考えたときのために、このガキは人質にするガル! 決して逆らったりはしないことガル! ガールガルガルガル!」
そう言って狼男が腕を掴んで持ち上げたのは――。
「クルル!」
どこかでラースの叫び声がした。その通り。彼女はお下げ髪のクルルであったのだ。水汲みにいっているときに捕まってしまったのか。村人たちはいっせいにクルルの名を叫ぶ。愛されているな、あの子。
狼男は村人たちのリアクションに、いい気になっているようだ。
「このガキを助け出そうなんて思わないことだガル! 俺様達の腹が減るまでは生かしておいてやるガル!」
なにがおかしいのか、その言葉で魔物たちはドッと笑った。
クルルはすっかりと怯えた顔で俺たちに手を伸ばしているが、しかし逃げ出せるはずもない。
「くっそう、クルルを離せ! 離せよお!」
「やめるんだ! ラース!」
頭に血が上ったちびっ子を、あの素敵な髪型の男が取り押さえている。今走っていったって、無駄死にだからな。
「お前たちはこのまま絶望をしているといいガル! ガールガルガルガルガル!」
村人たちは屈辱を秘めたまま、それぞれの家に戻る。それから、代表者たちが集まって話し合いのときが作られた。
バッカスの宿だ。
疲れた顔の男たちが、集まっていた。奥さんが皆に茶を出しているが、誰も手を付けようとはしていない。俺以外は。
「俺たちはもう、どうすればいいんだ」
男が顔を手で覆った。皆も沈み込んでいる。
「騎士団の到着を待って……」
「でも、それじゃああの子はどうなっちまうんだ! 待っている間に食われちまう!」
「だからって、ここには騎士も冒険者もいない……。俺たちにできることなんてなにも……」
「くそっ、助けを待つことしかできないのかよ……」
「なんだって関所が突破されたんだ! ここはずっとずっと平和だったのに!」
俺は会議の末席で、茶をすする。うまい。やっぱりあとで買って帰ろう。
誰かがさめざめと泣いている。見やれば、奥さんだった。両親が亡くなって以来、クルルを実の娘のように育てていたんだろう。その肩を旦那さんが抱いた。さらに雰囲気が重苦しくなる。
なんか前もこんなことがあったな。あれはホープタウンが攻め込まれたときか。でもホープタウンは冒険者が山ほどいたからな。それと違ってこの村は戦闘職なんていないようだ。
あのときは、キキレアが『私に任せて』って言って立ち上がったんだよな。だが今回はそんなことを言うやつは。
「おれたちに任せてくれよ!」
いた。階段の上からやってきたのは、ラースであった。
このちびっ子、なにを勘違いしたか腰に剣を帯びた姿で、頭に鉢巻きを巻いて現れた。騎士団時代に装備していたと思しき革鎧を身に着けている。
そうして沈み込む大人たちに向かって、怒鳴る。
「おれがクルルを助け出す! 今度こそ、クルルを守るんだ!」
その堂々とした宣言はなかなか格好良かったが、しかし大人たちは誰も相手にしない。
ラースは確かに騎士の修業をしていたが、まだまだ子どもだ。大人と本気で喧嘩をしたらあっさり負けるようなクソガキだ。ひとりで魔物の大群を相手にできるはずがない。
なのにラースは自信満々だった。
「任せてくれよ! な、兄ちゃん!」
「あー」
ラースは俺に向かって拳を握り締めた。そう来るだろうと思っていたよ。
村人たちが顔を見合わせる。
「……そ、そうか」
「この村には、魔法使いさまが……」
「七羅将を打ち破った魔法使いさまが、いるんだ!」
村人たちは急に活気づいてきた。
「魔法使いさまと一緒なら、俺たちも!」
「そうだ、俺たちが魔法使いさまを守るんだ!」
「マサムネさんだけになんか任せていられねえ!」
「俺たちは俺たちの村を守ろう!」
「クルルちゃんを取り返すんだ!」
俺は端っこで茶をすすっている。
つか、……バカなやつらだな、こいつら。
たったひとりの女の子のために、命を投げ出すつもりか。どんだけお人よしなんだ。
俺は「あー」とうめきながら手を挙げ、立ち上がった。
皆が俺を見つめる。その目に宿った希望を確認し、俺はきっぱりと口を開いた。
「盛り上がっているところ悪いが、先に言っておく。俺は戦わないぞ」
目を丸くする村人たちに、俺は続ける。
「このまま助けを待つのが得策だ。クルルだってきょう明日に殺されると決まったものではない。逆に魔王軍はもうあとがない。待っていればやつらはすぐに撤退するさ。悪いことは言わない。下手にがんばらず、いつも通りに過ごせ」
俺の慎重で冷静な意見に、誰も言葉が出ないようだった。俺は指を立てながら続ける。
「あくまでも自分たちで倒せるかも、なんて思うんじゃないぞ。相手は人殺しのプロだ。毎日人を殺すための訓練を積んでいるようなやつらを相手に、なにができる。お前たちだって急に荒くれ者が畑を耕しても、自分たちと同じ収穫量になるはずがないってことぐらいわかるだろ。犠牲が増えるだけだ。犬死だ」
俺の一言一言に、村人たちはどんどんと沈み込んでゆく。奥さんも旦那さんも、ラースもだ。
「だいたい、いいじゃないか」
その場にいる全員に向けて両手を広げ、俺は言ってやった。
「さらわれたのは身寄りのないガキだろ。だったらまた産んで育てればいいじゃねえか」
誰もが愕然としていた。
そんな中、俺は二階の部屋に戻っていったのだった。
俺が身支度を整えていると、ラースがやってきた。
「……兄ちゃん」
「ん」
振り返ると、その目に決意をたたえたラースがいた。
「兄ちゃん。……さっきの、かっこよかったよ」
「あ?」
ラースは拳を握り締めている。
「ああ言って、無駄な犠牲を出さないようにしたんだろ。父さんとか、村のおじさんたちが飛び出さないようにしてさ。さすがだよな、兄ちゃんは。人の二手三手先を考えているんだ」
「……」
俺はラースを冷やかな目で見下ろす。
「そんで、これからクルルを助けに行くんだろ? かっこいいよな、兄ちゃんは! そうやってひとりでこっそりとさ! でも隠していたって無駄だぜ! おれだって一緒に行くからな!」
「ラース」
ひとりで勝手にテンションをあげてゆくラースに、俺は首を振る。
「俺はこの村を去る」
「……え?」
誤解のないように、言ってやらないとな。
しっかりとな。
「こんな面倒事に巻き込まれるのは、ごめんだ。ここにいたんじゃ俺まで戦わさせられるかもしれないからな。じゃあな、ラース。お前も元気でな」
「えっ、えええっ!?」
ラースは目を剥いて、俺に近寄ってきた。
「なんでだよ! 兄ちゃんはすっげー強い伝説の冒険者なんだろ!? だったらあんな雑魚ども、大したことねえだろ! 七羅将に比べたらさ!」
「そうだろうな。だが、七羅将を倒したのは俺ひとりじゃない」
「……だ、だから、おれも一緒に戦うって!」
「お前じゃ俺のパーティーメンバーの代わりにはならねえよ」
俺はそう告げると、荷物を担いで宿の二階の窓を乗り越える。
ラースは走って追いかけてきた。だが俺は振り返らない。お前との遊びは終わりだよ、ラース。
「兄ちゃん! レッド隊長は困っている人を見捨てて逃げるような人じゃなかったよ! だったら兄ちゃんも、レッド隊長の親友だったら兄ちゃんだって!」
「悪いな」
俺はバインダを呼び出し、【ホバー】を使いながら告げる。
「それも嘘だ」
俺は夜に紛れて村を出た。
夜風が気持ちいい。
あ、でも、しまったな。あのお茶っぱだけはもらってくればよかった。
まったくそれにしても、なんで俺みたいなやつが女の子を助けに行くんだって思うかね。俺が数日話しただけのやつのために、命を懸けるような男に見えるのか?
だいたい、俺が本当に強そうかどうか、見ればわかるだろうが。筋肉だって全然ないぞ。カードだってあいつらの前に使っていたのは屑カードばっかりだしな。
それなのにぞろぞろと正面切って戦いに行くだとか、どうかしているぜ。
俺は去り際に見たラースの泣き顔を思い出す。あいつは自分の手でクルルを助け出したがっていたんだろうけどさ。人にはできることとできないことがある。
もし俺がフィンのように強ければ、あいつの前で颯爽と助けてやれたんだろうが、俺はフィンじゃないしな。
だから。
俺は誰にも気づかれないように【ホバー】を使って、村の柵を飛び越えた。
すでに俺は着替えている。さらに鞄の中から取り出したのは、この村のチビどもに作ってもらった花かんむりだ。
いつもの格好に着替えた俺は、ゆっくりと魔物たちの群れに近づいてゆく。気づいた見張りが俺を指差して仰天した。
「な、なんだてめえは!?」
俺は背筋を伸ばして告げた。
「旅の神。こういえばお前たちにはわかるだろう。俺はタン・ポ・ポゥだ」
俺には俺の戦い方がある。
まったく、世話が焼ける村人たちだぜ。




