第88話 「すんごい癒されてゆく日々」
さてさて。
俺たちの周りには、多くのガキどもがいた。こういう決闘をするのは久々だな。ユズハんとき以来かもしれない。さすがに事情を聞きつけていないのか、その中に大人は混じっていなかった。
ラースは俺を力強く指差す。
「いいか! おれを今までのおれと思ってバカにするんじゃないぞ! おれはこの村に帰ってきてからも、毎日陽が沈むまで剣を振っていたんだ! おれはもう、あのときのおれじゃない! 叩かれたって泣かないぞ!」
「はいはいわかったわかった」
俺は肩を竦める。
すると輪の中から、前に見たあのおさげの女の子が歩み出てくるのが見えた。クルルと言ったっけか。
彼女を見た途端、ラースの顔が赤くなる。
「ばっ、な、なんでクルルまで見に来てんだよ! おうちのお手伝いはどうしたんだよ!」
「おばさまが心配するよ、ラースくん。危ないことはやめようよ」
「あ、危ないこととかじゃない! おれは騎士道にのっとって、これから決闘をするんだ! 女はだまってみていろよな!」
ラースがぶんぶんと腕を振り回すと、クルルは小さくため息をついて輪に戻っていった。ぼんやりとした目でこちらを眺めている。
ははーん。
思わぬところでラースの弱点を見つけてしまった。そうか、そういうことか。俺は声をひそめてラースに語り掛ける。
「なあラース、負けてやろうか?」
「は、はあ!?」
にやりと笑うと、ラースは明らかに顔を赤らめていた。本当にわかりやすい、こいつは。
「お前、あのクルルって子が好きなんだろ? あの子の前でカッコいいところを見せたいんだろ? だったら負けてやろうか? なあ? その代わりお前は、俺がこの村にいる間、ずっと子分な?」
「ば、ばかにすんじゃねえよ!」
ラースが思いっきり怒鳴ってきた。俺は半笑いで返す。
「いいのかー? 負けたらお前泣くだろー? みっともないよなー、かっこ悪いよなー、いいのかー? またわんわん泣いて、クルルちゃんにかっこ悪いところ見せてもいいのかー? なあラースちゃんー?」
「うるせえうるせえ! 今ここでおじさんをぶちのめせばいいだけだろ!」
ふむ、そうか。やる気なら仕方ねえなあ。
それはカードバインダを呼び出した。それを見たラースが慌てて言ってくる。
「お、おじさん! 魔法はなしだぞ! 剣の勝負って言ってるだろ!」
「わかってんよ。ええと、そうだな……、オンリーカード・オープン、【ダブル・パゲット×マサムネ】!」
俺が使用したカードによって生み出されたのは、めちゃめちゃカッコいい刀である。子どもたちはそのかっこよさに目を奪われ、ざわっとした。この名刀の前では、ラースの持っている剣などただの子どものおもちゃのようであった。ラースが唐突に震え出す。
だが、俺が鞘から刀身を抜くと、辺りは一気に笑いに包まれた。そう、この刀、俺のカードの効果によって刃がなく、ていうか鍔から上がパンなのである。
「な、なんだそれ!?」
ラースが驚いて目を丸くする。どうリアクションしていいかわからないようだ。少年のキャパシティをオーバーしてしまったらしい。シュールな武器ですまないな。
俺はパンソードを軽く振る。うん、今にも折れそうだ。
「なんだそれって、パンソードだが」
「……そ、それをどうするんだ? 食べるのか?」
「いや、これが俺の武器だ。お前相手にはこれで十分だ」
「っ」
ラースはいよいよ剣を抜いた。
「ふざけているんじゃないぞおおおおおお!」
叫びながら突進してくる。確かに以前見たときよりも速い。この年頃の子どもだ。日進月歩の勢いで成長しているのだろう。体だって一回り大きくなっているしな。
だが、すまんな。俺の成長のほうが遥かに速かった。
俺は身を横にかわしながら、しなるパンソードをラースの手首に向かって叩きつける。ちょうど突き出してきた剣に合わせる形だ。
一瞬の早業である。この場にいたもので俺の動きが見えたものはいなかっただろう。ラースも痛みに剣を落としたまま、なにがあったかわからないような顔をしていた。
戦いは決着した。俺のパンソードがラースの腕から剣を叩き落としたのだ。
圧倒的な強さである。これが俺のブレイブカードだ。ふふ、ふふふふ……。この程度のガキ、パンソード一本であしらうことができる! 俺はこの光景をフィンに見せてやりたい。
「ん」
だがラースは信じられない者を見るような顔で、俺を見つめていた。きっと俺が強くなりすぎたからだろう。
違ったようだ。
「レッド隊長……?」
「……ん?」
俺はラースを見返した。ラースが俺を見る視線は先ほどまでの敵意にあふれたものではない。
それはまるではぐれた両親と再会した子どものような――。
「おじさんそれ、剣の腕はめっぽう立つのに向こう見ずで衝動的に突撃を繰り返しては窮地に追いやられる、体力のないレッド隊長が得意だった技じゃないか! どうしておじさんが使えるの!?」
「ええっ?」
なんだ、お前知り合いなのか? そうだな、なんて答えようか。
「いやまあ、俺はレッド隊長の友達だったんだ。あいつとは一緒に剣を学んだ仲でな……」
そう告げると、ラースは納得したような顔になって、うなずいた。
「そうなんだ……。レッド隊長の……」
ラースはそう言って俯いた。だが負けたはずなのに、先ほどよりもずっとスッキリしたような顔をしていた。負けたはずなのに、ラースはまったく泣かなかった。負けたはずなのに。
なんか面白くないな……、と思いつつも、俺は事情を聞いてみる。すると、ラースが仕えていた騎士はレッドだったということがわかった。こないだの戦争で死んだ男だ。そうか、レッドだったんだな。
それからガキどもに冒険の話をせっつかれて、俺はめんどくせえな、と思いつつもイクリピアに向かうまでの冒険の話を語ってやった。するとガキどもはめちゃめちゃいい反応をした。ここまで喜ばれると、なんだか余計に舌が回ってしまう。
村で育ったチビたちは娯楽に飢えているらしく、俺の武勇伝はちょうどよかったんだろう。しかも俺は現役の冒険者だしな。
中でも特に目を輝かせていたのはラースだった。こいつさっきまで俺を『おじさん』呼ばわりしていたのに、いつの間にか『マサムネ兄ちゃん!』って呼んでいやがる。ずいぶんと変わり身が早いもんだ。調子いいもんだな。まあそんなに悪い気はしないが。
そんなことをしているうちに昼になった。腹ごしらえに宿に帰ると、「いらっしゃいませ」と頭を下げてきたのは、早朝の決闘にも顔を出したクルルだ。
「あれ、お前なにしてんの?」
「おばさまのお手伝いで、ここの食堂を手伝っているんです」
そうなのか。エプロンをつけて髪を後ろで結んでいる姿は、なかなかかわいらしいな。
クルルはコースターを抱えたまま、頭を下げた。
「今朝はすみません。ラースくんがご迷惑をかけて」
すると俺の後ろにいたラースが慌てて抗弁する。
「クルル、おまえまた余計なことを言うなよー!」
「余計じゃないよ。ラースくんこそ変なことしておばさまに心配かけちゃだめだよ」
「おれの騎士道をヘンって言うな! ねえ、マサムネ兄ちゃん!」
「そうだな。お前はもうちょっと落ち着け。クルルちゃんの言うことをよく聞いた方がいいと思うぞ。家の手伝いもしろよ。あともっと勉強しろ。いきなり人に斬りかかったりするなよ」
「うるせーなー!」
わーわー聞こえなーいとするように耳を塞ぐラース。クルルは小さくため息をつきながらも笑っていた。
そこに厨房のほうから奥さんがやってくる。
「困ったわねえ……、クルルちゃん、ちょっとお店をお願いしてもいいかしら」
「どうかしたんですか? おばさま」
「あのね、買い置きの小麦粉がネズミにかじられちゃっていたのよ。だからちょっと隣村まで、わけてもらいにいかなくちゃ……。しばらく留守にしちゃうから、ラースのことをよろしくね」
「はい、わかりました。気をつけてくださいね」
クルルが小さく頭を下げる。よくできた娘さんだ。ラースとは大違いだな。
と、その前に俺は奥さんを呼び止めた。
「パンが足りないのか?」
「え? ええ。そうなんです。なのできょうは、パンなしで過ごしてもらうしか……、本当にすみません……」
「まあまあ、そんなに気を落とさないで。俺に任せてくれ」
きょとんとする奥さんの前、俺はバインダを呼び出してカードを使う。
「オンリーカード・オープン、【パン】」
するとテーブルの上に小さなコッペパンが出現した。奥さんたちは目を丸くして驚いていた。
「えっ、こ、これ、どうやって……? 今、パンを出しました……?」
「ああ、クリエイトフードって言ってな。俺ぐらいの魔法使いになれば無限に手からパンを出すこともできるんだ。他にも【クロワ】。それに【パゲット】。なんてな」
テーブルの上にはどんどんとパンが積まれてゆく。俺はそのひとつを手に取ってクルルに差し出した。
「ほら、ちゃんとしたパンだぞ。おいしいぞ」
「あっ、や、焼きたての匂いがしますね」
クルルはおそるおそるパンを口に運ぶ。一口かじった彼女は、その直後に目をきらっきらに輝かせた。
「わ、おばさま、ラースくん、すごいこのパンおいしい。わたし焼きたてのこんなにおいしいパン、初めて食べました」
「え、どれどれ……、わ、すげえ! 本当だ! 兄ちゃんこれうまいよ!」
「そうだろうそうだろう」
はっはっは、と笑う。こう見えても一時期はパンの神様って言われていたんだぜ。自慢にならねえな……。
奥さんは積みあがったパンピラミッドを前におろおろとする。
「あ、ありがとうございます。でもこんなにパンを……、いったいおいくらぐらいになりますか?」
「え? いや、お金とか別にいらないよ。魔力の続く限りいくらでも出せるし」
「ええっ!?」
俺がさらりと言うと、奥さんにめちゃめちゃ驚かれた。所詮屑カードで出したパンだから、別に大したことはないんだが……。むしろ申し訳ないのは俺のほうなんだが……。
奥さんは俺の困ったような態度を見て、手を打つ。
「あ、だったら宿代は結構ですから。ラースやクルルもあなたのことを気に入っているようですので、いくらでも滞在してくださいませ!」
「え、いやそんな、さすがに悪いんじゃないか?」
だがラースは喜んでいた。
「やったあ! 母さん、そりゃいいや! な、兄ちゃんずっとこの村にいなよ! そうして俺に剣術を教えてくれよ!」
「ええー?」
そんなことを言い出すラースに、奥さんが目を吊り上げる。
「こら、だめでしょ、ラース。旅の人には旅をする理由があるんだから。変なことを言って困らせないのよ」
「なあなあいいだろう? 兄ちゃん、なあ?」
「ラースくん、だめだよ。こんなにかっこいいお兄さんなんだから、きっと待っている人はいっぱいいるよ」
奥さんとクルルがふたりがかりで説得すると、ラースは口を尖らせながら「ちぇっ」とつぶやいた。今朝俺を台車に乗せて拷問にかけようとしたガキとは大違いだ。やはり男は強い男に憧れるものだろう。
俺は大量のパンの山を見上げながら、この村の和やかな雰囲気にすっかりとあてられてしまった。
ピースファームは本当に、俺にとって癒しの村なのかもしれないな……。




