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第87話 「癒されてゆく日々」

 本当のことを言うと、ミエリは大して後悔はしていなかった。


「あー、きょうもごはんがおいしいです!」


 ホットランドへと向かう馬車の中で食べるお弁当のパンは、きょうもおいしかったのである。人生とはなんて幸せなんだろう。すばらしい。実にすばらしかった。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 あの後、クルルの誤解を解いた俺が宿の場所を聞くと、ラースの家が宿を開いていると言う。では今度はラースを探さなければ……、と思いきや、目の前にいるふてくされたガキがラースらしい。


 話が早くて助かる。俺はラースに案内させ、無事今晩の宿を確保したというわけだ。


 ちなみにこのガキ、俺がイクリピアでフィンの前で対戦をした相手なのである。あのとき俺はフィンと戦うのはまだ早く、かといって中学生ぐらいの子も体が大きくて怖かったため、小さなガキを対戦相手に指名した。それがラースだったということだ。


 でもこいつ、イクリピアで騎士になるための修業をしていたんじゃないのか。


 クルルと別れ、道すがら暇つぶしがてら俺はラースに尋ねる。


「なあガキ。なんでお前ここにいんの?」

「……」

「イクリピアで騎士見習いをやっていたんじゃないの? 悪さをやって追放されたのか? お前悪ガキっぽいもんな。どうせイタズラでもしたんだろう。よくないぞそういうの。品行方正に生きろよ。そう、俺みたいにな」

「あーうるさいなあ!」


 俺が話しかけると、ラースはぶんぶんと手を振る。


「少しは黙って歩けないのかよ、おじさん!」

「お前そのおじさんっていうのよくないと思うぞ。俺はまだ未成年だからな。ちゃんとお兄さんって言え」

「はいはい、わかったよおじさん」

「このガキ……」


 俺はうめく。道案内するラースの後頭部を見下ろしつつ、ぼそっとつぶやいた。


「女の子に助けられたくせに」

「――!」


 すると、ラースは顔を真っ赤にしながらすごい勢いで振り返ってきた。


「べ、別に助けてもらう必要なんてなかった! クルルは余計なことをしたんだ! おれひとりでなんとでもなったし! あんなゴーレム、こわくなんてなかったし!」

「ははーん、言ったな? 言ったな?」


 俺がカードバインダを呼び出すと、ラースは「うっ」とのけぞった。


「ほれ見ろ、ビビってんじゃねえか」

「び、ビビってない! おれにはこわいもんなんてないし!」

「真っ青な顔で腰抜かしていたくせになー。強情なやっちゃなー」

「くっそ! わらうんじゃねー!」


 するとガキが俺のすねを蹴り飛ばしてきた。いってぇ!


「ざっけんなよガキ! ぶち殺すぞてめえ! 全身を切り刻んで手ごねハンバーグにして塩と胡椒で味付けてキキレアのイラプションで燃やし尽くしてやっかんな!」

「やめろよおおおおおおうわあああああああああ!」


 俺がラースの頭を握り潰さんばかりの力で圧迫していると、温和な声が届いた。


「あのお……、うちの息子がなにか……?」


 振り返る。ぽっちゃりとしたおばさんがこちらを見ていぶかしげに眉をひそめていた。ラースの母親だろう。


 俺はパッと手を離して、頭を下げた。


「あ、客です。今夜泊めてください」

「は、はあ……」


 ラースは「うわあああああああああああ!」と泣き叫んでいた。胸のすく思いだった。




 ラースんちの宿は、民家と食堂と民宿が混ざったような作りだった。食事も家族と一緒に食べるということで、なんだかホームステイをしているような感覚だ。


 食卓を囲むのは、俺とラース、それにラースの両親と婆さんと小さな赤ん坊だった。気を遣ってか、奥さんが色々と話しかけてくれるのを、俺は適当に返していた。ときどき赤ん坊が泣くと、婆さんや奥さんがあやしにいく。ラースの弟で、名前はハリスだそうだ。


 なんかあれだな。さすがにこうしていると、日本にいた頃を思い出しちまうな。


 旦那さんは寡黙な人で俺に一言「なにもない村ですが、ゆっくりしていってください」と言って、引っこんでいった。なにをしている人なんだろうと聞いてみると、裏の畑を耕しているらしい。宿の料理はすべて畑で採れたものだとか。


 陽が沈むと、ラースはすぐに寝た。さすがお子さまだ。


 俺が食卓でのんびりしていると、奥さんがお茶を出してくれた。これもこの地方で採れたものだとか。


「どうぞ、夜は冷えますからね」

「あ、すみません、ありがとうございます」


 俺は頭を下げて受け取る。奥さんはいかにも人の良さそうな顔をして、俺の前に座った。


「ラースのお知り合いなんですか?」

「ええまあ、イクリピアで会ったことが少々」

「冒険者の方ですものね」


 奥さんは上品に笑う。なんか、一億年ぶりぐらいに真人間と話をしている気がする。俺は茶を一口すすった。適度な渋みがうまいな。あとで茶葉を買っていこうかな。


「なにかラースがご迷惑をおかけしませんでしたか?」

「ん……、まあ、子どものやったことですから」


 俺は頬をかく。囲まれてリンチされそうになったときは、逆にゴーレムを出してひとり残らずミンチにしてやろうかと思ったが、奥さんの穏やかな雰囲気にあてられて俺はまあ許してやってもいいな、という気になっていた。


「あの子にとって、この村は退屈なんだと思います」

「そうですか? のんびりとしていて、いい村だと思いますけど」

「……そう言ってくださるのは、嬉しいですね」


 奥さんはお茶のお代わりをくれた。あ、どうもどうも。


「ラースは騎士になれると思っていたはずですが……、先日にイクリピアに魔王軍が攻め込んできたじゃないですか」

「ありましたね」


 素知らぬ顔でうなずく。


「あの一件で、騎士団の再編が行なわれたらしく……、ラースの仕えていた騎士さまが亡くなったこともあって、あの子は村に返されたんです。もう少し大人になったら騎士学校に入れると約束してもらったようですが、でもあの子は待ちきれないみたいで……」

「へえ……」


 そういう理由だったのか。


 夢があるのに、その夢から遠ざけられるっていうのは、つらい話だよな。俺も年齢が理由でオンリンの大会に出られなかったことがあるからわかる。


 俺はぼんやりと茶をすすりながら、明日になったらラースにはもう少し優しくしてやろうかな、と思った。



 翌朝、俺が起きるとこの俺の体は縄でぐるぐる巻きに縛られて、なにやら台車らしきものに乗せられていた。


「………………」


 芋虫のようにされているため、身動きが取れない。なんだこれ。


「ぼ、ボス! あくのしょうかんしが、おきました!」

「ああ?」


 俺はなんとか首を持ち上げると、辺りを見回した。するとここはあぜ道だ。ちっこいガキどもがわんさかといて、台車を引いているではないか。なんなの? 俺売られるの?


 なにげに人生で一番のピンチを迎えている俺に、さらに声がする。ラースの声だ。


「おはよう、おじさん。いつでもどこでもかかってこいって言っていたから、言う通りにさせてもらったよ」

「て、てめえ……」


 なんてやつだ……。甘くしてやろうだなんて考えていたのが間違っていた。こいつはとんでもないやつだ。


「俺をどうするつもりだ、てめえ!」

「ふっふっふ、これがなにかわかるかな、おじさん」


 いつもの格好に剣を帯びたラースは、台車の上に寝かされている俺に対してなにかを突きつけてくる。


「……な、なんだそれは」

「くっくっく、なんだと思う? そう、バターだよ!」


 えっ、バターなの? パンに塗るとおいしいやつじゃん。


 ラースは悪そうな顔をして、身動きの取れない俺に言う。


「今からおじさんを牧場につれてゆく。そこでおじさんの足の裏に、このバターを塗ってやるんだよ!」

「えっ」

「するとエサだと思った動物たちが、ざらざらの舌でおじさんの足の裏を舐める……。最初はくすぐったいだけかもしれない。でもだんだん皮が削れていって血が出る! そうなっても動物たちは舐めるのをやめない! おじさんが泣き叫んで骨が見えても、舐め続けるんだ! ざらざらの舌で! ざらざらの舌でね!」


 こ、こいつ、なんつーことを考えるんだ……。


「さすがぼす!」

「あたまいい!」

「てんさいだー!」

「われらがぼすのちから!」

「このむらのへいわはまもられたー」

「あーっはっはっはっは!」


 早朝のピースファームにラースの高笑いが響く。いい性格してんじゃねえかこいつ……。


「イクリピアで、先輩の騎士さまにおしえてもらったんだ! あくにたいする拷問方法だ! これでおれの勝ちだね!」


 文字通り手も足も出ないと言いたいところだが、なんてことはない。俺にはこの口がある。俺の最強の武器を封じなかった時点でガキの負けだ。


 俺はこれみよがしに、大きなため息をついた。


「やれやれ……、まったく、恥ずかしいと思わないのかね」

「……なんだよそれ」


 顔をしかめるラースに、俺は首を振った。(それぐらいしかできるモーションがないのだ)


「お前は仮にも騎士を志していた男だろう。俺は確かにお前よりも年上だが、だからといって複数人でひとりの男をいたぶるのがお前の騎士道か。やれやれ、これじゃあ幻滅だな。剣を交えたときはお前だっていっぱしの騎士だと思ってたのにさ」

「っ、な、なんだよそれ!」

「おまけになんの罪もない家畜に人殺しの罪を着せようとしている。自分で手を汚すこともできないようなガキがやっているのは、しょせんは騎士ごっこってわけだな。そんなんじゃ一生騎士になれるはずもないよなー。諦めて村でガキ大将を気取っているんだな。やれやれ」

「くそ、くそっ! おいおまえら! おじさんのロープをほどけ!」


 ラースは顔を真っ赤にしている。なんて扱いやすいガキだ。


「そこまで言うんだったら、おれの騎士道を証明してやる! 勝負しろ! 今度こそおれが勝つ! たたきのめしてやるからな!」

「いいさ。相手になってやるよ」


 俺は台車の上に寝かされたまま、ニヤリと口元を緩めた。この勝負、俺の勝ちだな。



 ロープをほどいてもらった俺は、手首をさすっていた。


 目の前には俺を睨みつけているラースと、その取り巻きがいる。


 と、その前に。


「おいラース」

「んだよ」

「ちょっとこっち来い」

「ああ……?」


 怪訝そうな顔をして近づいてくるラースの頬に、俺はビンタを食らわせた。


「!?!?!?」


 目を白黒して後ずさりするラース。その目の端にじわりと涙が浮かぶ。、だがガキどもの前だから泣きはしなかった。代わりに怒鳴りつけてくる。


「な、なにすんだよ! ちゃんと決闘するって話だろ!」

「うん、でもこれは朝早く起こされてムカついたから」

「えっ……、えっ!?」


 改めて言い放つ。


「『俺』が『ムカついた』から」


 ラースは俺を見上げながら、『なんかやべえやつとかかわっちまったかも……』という顔をしていたのだった。


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