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第86話 「覚醒のピースファーム」

 本当のことを言うと、キキレアはちょっぴりだけ後悔をしていた。


 はぁ……。と彼女は人知れずため息をつく。ホットランドへと向かう馬車から降りて、その夜である。馬車の周りに寝袋を並べて、みんなで野営をしている最中だった。


 星降る夜の野宿。まぶたを閉じれば思い浮かぶのだ。自分のすぐそばで悪戯っぽい笑顔を浮かべているあの男が。


 不本意だが、認めざるをえない。


 自分は間違いなく、あの男――マサムネに心奪われているのだと。


 やんなっちゃうわ、とキキレアは声なき声でつぶやいた。


 甘ちゃんのナルやなにも考えていないミエリならともかく、海千山千の自分があんな男に引っかかるなんて。自分への怒りがこみあげてきて、キキレアはきょうもなかなか寝つけなかった。


 あいつは、あろうことかこの自分をハーレム要員のひとりとして数えたのだ。キキ家の自分を、だ。他の人員が四大至宝の竜穿使いであるナルルースと、女神のミエリとはいえ、無礼にもほどがある。


 自分は家を捨てた身とはいえ、プライドまでは捨てていない。それなのに堂々と目の前でハーレム宣言をしてみたのだから、これは屈辱と言うしかあるまい。キキレアはその場でマサムネをボコボコにしてやりたかったが、しかし思いとどまった。そんなことをしても自分の心が晴れるだけで、きっと彼は変わらないだろうと思ったのだ。


 よってキキレアたちはマサムネを置き去りにした。


 もしマサムネが魔王を退治するためにホットランドに来るのならば、彼は魂まで腐ってはいないと認めよう。


 だが、追いかけてこなければ、彼とはそのままバイバイだ。マサムネはキキレアの認める男ではなかったということだろう。


 まったくもう、とキキレアは頬を膨らませる。


 ナルやミエリは寝袋の中ですーすーと寝息を立てている。もやもやしているのは自分だけなのだろうか。あのふたりはあっさりとマサムネを捨てることに、なんのためらいもなかったのだろうか。だったら未練があるのは自分だけか?


 そんなことを考え始めると、屈辱に思わず耳が赤くなってしまう。


 そう、キキレアはちょっぴり後悔しているのだ。


 なぜならキキレアは、もしかしたらもうマサムネが自分たちを追いかけてこないのではないか……、と少し思っている。


 彼は魔典の賢者だ。幾多の戦いを切り抜け、多くの人々を救ってきた。生きていこうと思えば、ひとりでも生きていけるだろう。望めば彼が抱ける女など山ほどいるだろう。それなのに意地を張っているのは自分のほうだ。


 最初の出会いを思い出す。彼はひとりで死ににいこうとしていた自分を助けてくれたのだ。あのときにはほとんど打算もなかったはずなのに、命を懸けて七羅将と戦ってくれた。あのときに感じた恩義は今でも覚えている。マサムネはあの瞬間、間違いなくキキレアにとっての勇者だったのだ。


 それなのに! 彼は、その口で今度は三人をまとめてハーレムに入れるだとか言い放った。もう完全にどうかしている。あれは自分たちから好意を向けられていると知って調子に乗ったのだ。マジで許せない。


 今ならわかる。どちらも本当のマサムネだ。大好きな部分と、大嫌いな部分が同時に存在している。本当にもう、やめてほしい。せめてどっちかなら、こんなにも迷ったりしないのに。


 だからキキレアはせめて願う。


 マサムネが自分たちを追いかけてきてくれて、そうして一緒に魔王を退治してくれるのなら。


 もし彼が真の魔典の賢者であるのなら。


 自分の見込んだ男であるのなら。


 そのときには、彼がどんなにどうしようもない男でも、魂だけは高潔なのだと――生涯信じよう。キキレアにはその覚悟があった。


 だが、現実はそううまくはいかないんだろうな……。はぁ…………、とキキレアは深いため息をついた。


 ナルルースやミエリのようにお気楽にマサムネのことを信じていられたらよかったのに。自分にはそれができない。悔しいのか、悲しいのか、あるいはマサムネがきっと自分たちを選んではくれないことが寂しいのか、キキレアの目の端に思わず涙が浮かぶ。その姿を星空にも見られたくなくて、キキレアは寝袋に潜り込んだ。


 わかっている。十分に理解している。キキレア・キキは、自分のことをメンドクサイ女だと思っていたのだった。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 ここがピースファームか。


 村の門で冒険者証明書を差し出し、たったひとりの俺は中に入った。とてつもなく牧歌的で、牧歌的でない風景が一ミリもない村だ。おい大丈夫か。ここ宿あるのか?


 不安が忍び寄る。


 いや、ないはずないだろう。だって冒険者なんてどこにでもいるだろ? あ、でもこの村、冒険者ギルドなさそうだよな……。農家しかなさそう……。


 俺は荷物を肩にかけて、あぜ道をとぼとぼと歩く。


 癒し系っていうより、俺にとってこの村は疎外感しかない気がする……。


 せめて知っている人でもいれば、また違うのだが……、と考え方がネガティブ一直線に向かっていたそのときだ。


 俺に向かって「あー!」という声が響いた。


 し、知り合いか!? 都合よく知り合いが現れてくれたのか!?


 振り返る。するとそこにいたのは、小学生ぐらいのガキだった。皮鎧を着て、腰におもちゃのような剣を差している。なんだこいつ。


「おい、人を指差すんじゃない。失礼だろう」

「うるせえ! このやろう、覚悟だ!」

「ええっ!?」


 なんなの! 急に剣を抜いたんですけど! あっ、しかも、これ真剣っぽいし! この村ってガキでも辻斬りとかすんの!? 山賊だらけの村なの!?


 ひょっとして『ピースファーム』という名前も、『グリーンランド』みたいに人を呼び込むための罠だったんだろうか。なぜ俺はその可能性に気づかず!


 心で叫ぶ。その間にもガキはこちらに向かって突進をしてきている。子どもがよくやるようながむしゃらで無鉄砲な感じではない。それはつたないながらも、しっかりとした剣技であった。


 思わず後ろに飛びのきながら、俺は手のひらを差し出す。


「ま、待て! 俺は無実だ! いつだって清く正しく生きてきた!」

「うるせえおじさん! 覚悟だ! お前らやっちまえー!」


 するとその直後、思い思いの武器を持った子供たちが、にょきっと草むらから現れた。木の棒やらクワやらシャベルやらパチンコやらで武装している。少年強盗団か!?


 うわっ、なんだこれ、煙幕みたいなのを投げてきやがった! やべ、催涙弾か!? いってぇ! 目に入った! しみる! ゲホゲホ、苦しい、息ができない! 死んじゃうよお! くそう!


 その間にも俺はボコボコと木の棒で殴られている。やめろ! やめろガキども! この俺様を誰だと思ってんだ! 俺は七羅将にも恐れられる冒険者だぞ! 女神さまに選ばれた魔典の賢者なんだぞ! いい加減にしろお!


「――くそっ、大人をナメんなよお!」


 俺は叫びながらカードバインダを呼び出した。そうして握り締めたのは――。


「テメェらを後悔させてやんよ!」


 握っていたのは【ゴッド】のカードであった。


「って誰が使うか! なんだよこれ! いつの間に手の中に入ってたんだよ! こわすぎる!」


 肝が冷えた。マジでこの世界に来て一番ビビった瞬間だったかもしれない。俺は慌てて【ゴッド】をバインダにしまい直す。その間にもガキどもはなにやら遠隔武器に持ち替えつつある。これだけの数に囲まれて石を投げつけられたらたまったもんじゃねえ。


「おじさんをぶちのめせー!」

「のめせー!」

「なぐれー!」

「なかせろー!」

「ぼすのめいれいだー!」

「うらうらー!」


 俺は思いきり息を吸い込んで、そうして怒鳴った。


「ざっけんなよ! こいつが俺の決定打フィニッシャーだ! 泣くのはテメェらだガキども! 【レイズアップ・ゴーレム】!」


 俺が地面にカードを叩きつけると、そこからにょっきりと生えてきたのはストーンゴーレムである。


 しかもかなりの大きさだ。高さ三メートル。横幅二メートル。それだけのゴーレムがガキどもを見下ろす。


 ガキどもは唖然としていた。先ほどの威勢もどこへやら。唐突に現れたゴーレムを前に立ちすくんでいる。


 俺はゴーレムの肩に乗りながら、ニヤリと口元を吊り上げた。


「さあて、やるってんなら相手になるがな」


 ガキどもは一斉に逃げ出した。逃げなかったのは、最初に俺に斬りかかってきたボスひとりだった。


 ほう、逃げないのか。いい度胸だな。俺は脅すためにゴーレムの足を一歩前に動かした。どしんと音がして、足が土に沈む。その振動でボスは思わずその場にへたり込んだ。


「どうした、テメェの覚悟はそんなもんか? いったい誰にケンカを売ったか、思い知らせてやろうじゃねえか、ああん? ゴーレムパンチでてめえの体なんざ一撃でぺちゃんこだぜ。ああん?」


 俺がめいっぱい脅すと、ガキはひくひくと口元をけいれんさせていた。これは今にも泣くやつだ。懲らしめるのはいいが、泣かせるのは面倒だな。俺が悪者みたいになってしまう。


 俺はゴーレムを消滅させようとして――。


 だがそこに、ひとりの女の子が現れた。どこかから走ってきた彼女は、ゴーレムの前に現れて両手を広げる。ボスより少し背の高い、利発そうな子だった。茶色の髪をおさげにしていて、どことなく感情の薄い瞳で俺を見上げていた。


「……だ、だめ……!」

「く、クルル! あ、あぶない……!」


 ガキは俺に手を伸ばすが、怯えた体は自由に動けないようだ。クルルと呼ばれた少女はきつく目をつむる。怖いはずなのに、ガキをかばって俺から逃げようとはしない。勇敢な少女だ。


 あ、ていうか、……なんかこれ、俺めっちゃ悪者じゃね? ガキを狙う悪の召喚師みたいになってねえ?


 俺はポンと叩いてゴーレムを消す。すると少女は緊張の糸が切れたかのようにその場にへなへなとへたり込んだ。俺は咳ばらいをしてから口を開く。


「んっん……、いやそこまで大事おおごとにするつもりはなかったんだ。急にガキが殴りかかってきてな。脅かすつもりでやったんだ。すまねえな」


 そう言うと、女の子は目を白黒とさせる。振り返って彼女はガキに「……どういうこと?」と問う。ガキは答えられなかった。


 クルルは俺を見上げ、首を傾げた。


「……お兄さん、悪い人?」

「いいや、ただの冒険者だ。悪いのは急に殴りかかってきたそいつだ」


 俺はガキを容赦なく指差した。悪いのはすべてこいつです。ガキは顔を真っ赤にして立ち上がった。


「ち、違う! そいつが悪いんだ! そいつが! だっておじさん、何度だってやってくれるって言っただろ! 逃げも隠れもしないって!」

「……ん?」


 そういえばさっきからおかしなことを言っていた名。どこかで会ったことがあんのか? こいつ。


 俺は顎を撫でる。でも、ガキになんて知り合いは……。


「あっ」


 いた。剣を握っていた姿から、俺はようやく思い出した。当時の記憶が頭に浮かぶ。


 そうだ。――こいつイクリピアで会った騎士見習い見習いの見習いだ。




 このガキ、名前をラースと言った。

 そうしてこの村唯一の宿は、ラースの家だった。


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