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第85話 「やばい、寂しい」

 本当のことを言うと、ナルルースはちょっぴりだけ後悔をしていた。


 はぁ……。と彼女は人知れずため息をつく。ホットランドへと向かう馬車の中である。他のふたりは座席によりかかってくーくーと穏やかに寝息を立てていた。ナルルースひとりが物憂げに窓の外を眺めている。


 マサムネを置き去りにしてホットランドに向かおうというのも、酔った勢いで決めてしまった。あの場ではそれが最善の方法であると信じていたし、これ以上マサムネを甘やかしてしまえば彼のためにもならないと思った。


 だからこそ、ナルルースも心を鬼にした。マサムネのことを口に出せば彼への未練が募ってまた甘やかしてしまうだろうということで、マサムネの名前を言わないでおこうゲームも始めた。


 彼の目を覚ますためにはこのぐらいのことをしなければいけないんだ! と考えたのは酒が入っていたからだとはいえ嘘じゃないし、実際は今もそれが間違っているとは思わない。思わないのだが……。


 ナルルースは再び、はぁ……。とため息をついた。


 心配なのである。マサムネの身が。


 今回はそばにキキレアもミエリもいない。もちろん自分もだ。マサムネはひとりで起きられるだろうか。マサムネはちゃんとご飯を食べているだろうか。マサムネはお買い物にいって帰ってくることができるだろうか。悪い男たちにからまれて可哀想な目に遭っていないだろうか。


 そんなことを考え始めると、胸の奥がきゅー……っと締め付けられるような気分に陥ってしまうのだ。


 できることなら、今すぐマサムネのところに飛んでゆきたい。そうして彼が嫌な気分になったり、つらい気分になったり、悲しい想いをしないように、そばでちゃんと尽くしてあげたい。そんな気持ちは今でもナルルースの中に残っている。


 それでも、だ。マサムネがナルルースに言ったあの言葉。『ずっとそばで尽くしてほしい、ゴロゴロする俺を養ってほしい』、というのは少し引っかかる。


 なぜなのかは自分でもわからない。だが、やはりナルルースはマサムネにカッコいいマサムネでいてほしいのだ。


 実は、キキレアやミエリと一緒に彼の下で暮らすというのは、ナルルース的にそう嫌な未来ではなかった。マサムネならばそれぐらいの度量はあるだろう。なんといっても、女神に選ばれた賢者さまなのだから。エルフ族は一夫一妻の文化が当たり前だが、マサムネならばきっと皆を幸せにしてくれるだろう。


 それが嫌なわけではないのだ。


 ……けれど、彼が自ら成長や歩みを止めるようなことを言い出すのは、ナルルースとしても、う~~~ん……、という気分になってしまう。


 キキレアに言わせてみれば、それもすべて自分たちが甘やかしてしまった結果だ、ということらしいのだが……。


「……マサムネくん」


 ナルルースは思う。


 マサムネのようなカッコよくて、頭も良くて、度胸もあって、強くて、誠実で、心の清らかな男なら、少しくらい調子に乗ってもいいのではないだろうか、と。


 むしろ、彼のワガママを聞き入れることができなかった自分が狭量だったのではないだろうか……、とも。


 ナルルースは悩んでいた。そうして、ちょっぴりだけ後悔をしていた。彼と離れ離れになってからも、やっぱり彼のことを考え続けてしまう自分は女々しいのだろうか。そうなのかもしれない。


 だが、もしマサムネが本当に魔典の賢者足らんとするならば、自分たちを追いかけてホットランドに来てくれるはずだ。魔王を倒すために、きっと彼は駆けつけてくれるだろう。


 ナルルースはその可能性に賭けていた。


 そうして、もう一度彼が自分たちのもとに来てくれるのなら……。


 ――そのときは、他のふたりがなんと言おうと、今度こそ自分だけは。


「ふふっ……」


 ナルルースは想像し、口元を緩めた。そしてナルルースは間違いなくマサムネが来てくれると信じているのであった。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 ラバーズガーデンから北上すること一日半。俺たちはピースファームへと到着した。


 うん。


 なんにもねえな、ここは……。


 ド田舎のバス発着場にも似たようなだだっ広い空き地に、俺とゼノスはぽつんと立っていた。そう、馬車がもう行ってしまったのだ。


「……なんつーか、癒し系の場所っていうか、ただなんにもないだけなんじゃねえかな、ここ」

「……うむ。土と草の匂いがすげえな」


 とにかく見晴らしのいい平野だった。とりあえず奥の方には村が見える。周囲を柵に覆われた村だ。その中で牛っぽい茶色の毛に覆われた生き物が、はむはむと草を食んでいた。


 ゼノスはぽりぽりと頬をかく。


「なあ、マサムネ。こんなところに立ち寄らず、そのままホットランドに向かえば良かったんじゃないか? 温泉にでものんびりと浸かったほうが、癒されるんじゃないか?」

「……癒されるかどうかは個人の感覚だ。俺はここが一番癒される。うわー癒されるなー、癒されてきたー」

「あ、そう」


 両手を大の字に広げて、俺は天を向く。


 今にも大自然のパワーが体中に集まってくるようだ。やはりこの地を選んだ俺は間違いではなかった。うおー! 癒されるぞー! なんという癒しパワーだもうだめだ癒され尽くされてしまうー!


 と、自分をごまかしていると、ゼノスの冷たい視線を感じたのでやめた。


「しっかし、まさか旅のパートナーが美人の女神から、こんな髭面のオッサンになるとはなあ」

「うっさいわ。ワシだって一緒に旅するならお前みたいな辛気臭い顔したガキより美女がよかったわ。チェンジだ、チェンジ」

「おっ、今の言葉インプットー。ぼく覚えちゃいましたー。創造神ゼノスさまは美女と一緒に旅をしたいとのことですねー。今度ミエリに会ったら言ってやろーっと」


 俺が笑いながら言うと、ゼノスもまたこめかみをひきつらせながら笑顔を作った。


「ははは、マサムネくんなにがほしいんだい? 新しいカードかい? よしそれじゃあ君には【ヘヴン】のカードを差し上げようじゃないか」

「もうその手には乗らねえよ。……で、どんな屑カードなんだそれは」

「使うと相手にささやかな幸せを与えることができる。ただし使ったお前は永遠に精神崩壊ヘヴンする」

「代償すごすぎねえ!?」

「どうやらお前の心は、人を幸せにする効果を持つカードを生み出すことに対して、極端に相性が悪いようだな……」


 ゼノスの言葉に俺は顔をしかめる。納得がいかねえ。


 と、そんなときである。


「やべえ」


 唐突にゼノスがつぶやいた。俺に対してではないようだ。


 ちらりと見ると、ゼノスは青い顔をしていた。なんだなんだどうした不良中年。


「いや、別に大したことじゃないんだが」


 ゼノスはなにかをごまかすように髪をかき上げた。そうして目を泳がせながら、つぶやく。


「ワシの担当している世界でワシが姿を消したから、太陽が消えて世界が暗闇に包まれているらしい。現在それが三日ほど続いて、農作物が枯れ、疫病の兆候が出始め、民は嘆き怯えているだとか……。まあ、その程度のことだ。よし、ピースファームにいこうじゃねえか」

「待てぇ!」


 俺はガッとゼノスの手首を掴む。


「お前、それはやばいだろ! 完全に世界の終わりじゃねえか! 黙示録と化してんじゃねえか! さっさと自分の世界に帰れよ!」

「でもワシ、まだまだ遊びたいし!」

「いい加減にしろよ! そんなやつが隣にいて俺がのんびりと旅ができるかよ!」

「ぬぐぐ」


 ゼノスは己の手のひらを見下ろすと、大きなため息をついた。さすがにここで意地を張るわけにはいかないと思ったのだろう。


「……しゃあない、帰るか……。もう結構楽しんだしな。ミエリの顔も見れたし」

「もう来んなよ」

「来ねえよ。こう見えても、地上に降りてくるためには結構なパワーを使うんだからな。ホイホイと来れるわけじゃねえんだぞ」

「まっとうに生きろよ」

「ワシは囚人じゃねえんだぞ!?」


 俺がプラプラと手を振ると、ゼノスは眉根を寄せながら少し離れた場所に立つ。


 片手をポケットに突っ込んだゼノスは、そうしていると単なる不良中年にしか見えなかった。しかし、その雰囲気がわずかに変わってゆく。どことなく威圧感が漂い始めた。


 こちらをじっと見つめるゼノスは、別れの言葉を考えているようだった。いったいなにを言い出そうと言うのか。


 それからゼノスは咳払いをして、口を開いた。


「マサムネ、最後のフィニッシャーが手に入らなかったそのときはな」

「……ん」


 俺の目を見て、ゼノスは言った。


「お前が責任取って【ゴッド】のカードで魔王を倒せよ。ミエリのためにな」

「誰が使うか!」


 こいつ、そのために俺にカードを渡したのか!


 そんなことだろうと思ったよ! くそが! 誰がミエリを主神にするためになんて使うかよ! なんで俺が代償を支払うんだよ! それにしたって代償が重すぎるだろうが! だったらあいつが一生処女のままでいなきゃいけないカードを渡せよ!


 と、そんなことを叫ぼうとしたのだが。


 ――しかしその前に光が瞬いた。


「っ」


 目が潰れそうなほどの光量だ。地上に太陽が落ちたかのような。俺は慌てて顔をかばう。だが光はほんの一瞬だけ煌めき、すぐに姿を消した。


 俺がゆっくりと目を開くと、そこにはもう誰もいなかった。ゼノスが立っていたその草むらに、おかしな紋様が残っているだけだ。


 それは確か、イクリピアのあちこちに掲げてあった紋章だ。そうか、これがゼノス神のシンボルだったのか。


 誰もいなくなった空き地を見回して、俺は息をついた。


 ようやくこれで、せいせいしたぜ。


 肩を回しながら俺は村へと歩いてゆく。


 よし、俺はこのピースファームで第二の……いや、第三の人生を始めるんだ。未来はバラ色だ。牛や馬を育てて、小麦や作物を育んで、生きていこう。それこそが俺の本当の生きる道だったのかもしれない。


「なあ、オッサ――」


 俺は笑いながら口を開いて、はたと止まった。


 そこにはもう誰もいない。草木が足元で風に揺れているだけだ。吹き抜けてゆく風は冷たく、俺は思わず首を竦めてしまった。


「……あ、あー」


 俺は誰もいない空間に向かって、釈明するように指を立てた。


「い、今のはこう、違うんだよ。俺はたまに小さなオッサンが見えるんだ。だから、小さなオッサンに話しかけちまったんだよな。ああ、ミスったミスった。こんなことを言うと変なやつ扱いされるから、気をつけないとなー」


 はははー、と乾いた声で笑う。


 そうだ、どうせどっかからまた俺を見てんだろう。で、笑ってんだろ。


「見ているのは知っているんだぜ、ゼノス」


 俺は空に向かってドヤ顔でつぶやいた。


 すぐにゼノスからなんらかのツッコミが来るのだろうと思っていたのだが……、反応はなにひとつなかった。


「……ったく、しょうがねえな。行くか――って」


 俺はついつい、いつもの調子で振り向いた。ナルやキキレア、ミエリの幻影が俺に向かって微笑んでいるような気がしたけれど……。


 しかしやはり、そこには誰もいない。


「……」


 うわあ。


 やばい。


 風景も相まって、俺は今、寂しいって思ってしまった。


 いや、そんなはずはない。ピースファームに行けば、俺の望み通りの人生が手に入るはずだ。よし行こう。行こうじゃないか、癒しの里ピースファームに!


 早く、早く! 誰か人に会うために! 早く!


 早く!


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