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第83話 「【ゴッド】のカード」

 フィン・フィリアは、六代前に魔王を退治した勇者の名門、フィリア家によって生まれ育った。


 彼はその血筋にふさわしく、幼い頃から剣術の才能に優れていた。大人たちは彼に期待し、その技術の髄を叩き込んだ。


 同年代の少年たちから頭一つ抜けている存在であったフィンは、皆の期待に応えようと一層の修業に努めていた。剣こそが自分の存在証明であり、剣の腕前によってのみ彼は周囲の人々に愛してもらえるものだと思っていたのだ。


 十三歳。しかしフィンは初めて同年代の少年に敗北を喫する。相手はフィンと切磋琢磨し合っていたライバルのような存在であった。この一度の敗北はフィンの自信を打ち砕いた。


 少年は自らの全能感を否定された。己が決して特別ではないと世界によって明らかにされたのだ。


 名門の生まれであり、周囲から才能があるともてはやされていたひとりの天才が、ただの少年に成り下がった瞬間であった。


 大人たちはそんなフィンを励ましたが、もはやフィンはどれだけ鍛錬してもかつての強さを取り戻すことはできなくなっていた。


 転機は彼が十五歳のときだった。


 かつて封じ込められていた魔王が、復活したのだ。


 世界は闇に覆われ、そして魔王領域が誕生した。魔王軍の誕生によって、魔王領域近くの町や村は次々と襲撃を受けた。フィリア家のある町、ロードストーンもこのままでは無事では済まないだろう。


 この危機を受け、フィリア家当主は代々伝えられていた至宝のひとつを解放した。それは伝説の剣『鬼薙おになぎ』。魔族に対し三倍撃の特攻を誇る四大至宝のひとつだ。


 だが、剣は岩に深く突き刺さっていて、封印をされていた。この剣を抜けるものこそが、魔族に対抗することができる勇者であると言われ、数々の力自慢が鬼薙を引き抜こうと挑んだが、そのすべてが失敗に終わった。


 結果、剣を抜いたのは――。


 当時十五歳の少年。フィン・フィリア、その人であった。


 かつて特別を失った少年は、再び特別に返り咲いた。それも今度は、四大至宝と呼ばれる伝説の剣を手に。彼は選ばれたのだ。もはやその勇者性を疑う者はどこにもいなかった。


 彼は冒険者となり、旅に出る。それからフィンは数えきれないほどの魔族を斬った。鬼薙がある限り、フィンは魔王軍に対して圧倒的な強さを誇った。


 フィンは宿屋でゆっくりと目を覚まし、天井を見上げた。


 ついにここまでやってきた。フィンは鞘に収まった鬼薙を掲げ、小さくつぶやいた。


「……あれから六年か」


 寝るときでも、彼は鬼薙を手放したことはない。それは自らの強さが至宝によって支えられていることを知っているからだ。


 誰もがフィンを勇者だと謳う。今となってはその特別性を信じていないのは、この世界でただひとりしか存在していないだろう。


 それは己自身だ。


 フィンは魔王を倒すことで初めて、その存在を世界に知らしめることができると考えていた。この世界に平和をもたらすのだ。


「……ふー」


 できるならばもう少し。あと少し魔王軍の戦力を削いでおきたかった。七羅将は残り三人もいる。その全員は魔王城付近で警護に当たっているだろう。


 だが、魔王城に攻め入ることができるチャンスなど、今を逃してはありえない。自分はもう六年も旅をした。肉体も魔力も、ピークに近づいている。ランクスのようにいつ自分も戦えなくなるかわからない。ならば、ここで勇気を振り絞らなければならないだろう。


 フィンはため息をつきながらベッドから身を起こした。


 するとそこに、ノックの音が響く。


 ここはホットランドの宿だ。フィンを含めた名だたる精鋭たちが、ホットランドに集結をしている。


 フィンは顔をあげて人を招く。すると入ってきたのは長い黒髪を持つ少女、ユズハだった。


 彼女は最近フィンのパーティーに加入したS級冒険者だ。もともとはランクスの代わりとして一時的に補充要因として入った少女だったが、その後に居ついてしまった。無論それは、彼女の能力のたまものである。


「早いね、ユズハ」

「話がある」


 フィンはあくびを噛み殺す。


「そうだろうけれど、ふたりきりじゃなければならない話かい?」

「もちろんだ」

「そうか、ところでマサムネくんたちはまだ姿を見せていないんだよね。このまま彼らは決戦に顔を出さない気なのかな」

「……やつらが姿を現さないのは好都合だ。私の目的に一歩近づくことになる」

「なんだって?」


 もうすっかり目は覚めていた。フィンが改めて問い直すと、ユズハは抜身の刃のような雰囲気を発しながら口を開く。


「魔王のことだ」


 ユズハも魔王城へと出撃するためのメンバーだ。その日はもうあと四日後に迫っている。


「……魔王がどうかしたって?」


 ユズハは拳を握り固める。


「魔王と戦うそのときが来たら、まず私を戦わせてほしいんだ」

「ん?」


 フィンは首を傾げた。


「それは、君が魔王と一対一と戦いたいということかい?」

「そうだ」


 確かにユズハは不思議な力を使う。魔物を呼び出して使役する。神から力を借りずに魔法を放つ。この世界の常識には囚われない発想を持っている。


 だからといって、魔王とひとりで戦うなんて、不可能だ。


 フィンは頭をかき、極めて端的にユズハに忠告をした。


「死ぬよ」

「私は勝つ」


 まあそういうのだろうな、とは思う。それだけの覚悟がなければわざわざ自分に言いに来たりはしないだろう。


「といっても、僕だって魔王の首はほしい。君ひとりの言葉にうなずくわけにはいかないな」

「……そうか」


 ユズハは静かにうなずいた。だが部屋を退出する気はなさそうだ。なにか言い足りない言葉があるのだろう。


「では、こういえばお前は納得してくれるだろうか」

「しないと思うけど、一応言ってみればいいんじゃないかな」


 黒髪を流し、ユズハは告げる。


「私は女神フラメルの命を受けて、魔王を退治しに来た。私こそが、魔典の賢者だ」


 さすがのフィンもこれには驚き、しばらく言葉が出なかったのだった。




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇




 やあみんな! ぼくマサムネ!


 なんの因果か猫を助けたら異世界に飛ばされて、ゆかいな仲間たちと魔王退治の旅に出ていたはずなんだけど、気がつけばラバーズガーデンのカフェでひとりぼっちでお茶しているんだ!


 いったいどうしてこんなことになっちゃったのかなウフフ! ぼくのせいかな!? やっぱりぼくのせいなんだろうな! そうだね! 自分の心に従った結果だから、少しも後悔なんてしていないけどね!


 嘘だ。俺の心は後悔に満ちていた。


 相変わらずの『私は童貞です』Tシャツを着ながら、俺はオープンカフェにいた。しかもここ分煙ならぬ分童貞ゾーンらしく、俺の他には誰も客がいない上に、テーブルはボロボロで椅子はミカン箱のような木箱だった。俺は窮屈そうに身を丸めて座っている。つらい。


 道を歩く人々が俺を指差し、笑っている。ひとりでお茶をする童貞が無様なのだろうか。わかる。無様だよな。みんな俺を笑ってくれ。笑ったやつを並べて端から【ホール】で生き埋めにして回りたい。つらたんです。


 今朝早く、ナルとキキレアとミエリは御者さんの買い直した馬車に乗って、ホットランドに向かった。俺はハブられたのだ。


 せめてナルかミエリぐらいは残ってくれるんじゃないのかなー、って淡い期待はあったが、それも全部無駄だった。三人ともいなくなった。


 この世界にやってきて初めての孤独が、俺の心に風を吹かせていた。なんでこんなことになってしまったんだろうか……。


 つまり俺はもう、マサムネパーティーに必要のない男なのだ。俺がいなくても彼女らは魔王に挑むのだろう。俺なんていらない人間だったんだ。俺なんて、俺なんて……。


「はあ、つらい……」

「ひっ、童貞さんが喋った!?」

「……」


 近くを通りがかった女の子が悲鳴を上げて逃げていった。俺はもうこれから一生喋らずに生きていこうと誓った。


 ミエリもいない。ナルもいない。キキレアもいない。俺にあるのは親からもらったイケメンの顔と、回転の早い頭と、そうして結構な額の現金だけだ。


 さて、とりあえず……、俺はこれからどうしようか。


 イクリピアに帰ろうか。ランスロットに頼んで城で毎日だらだら漫画を読むだけで給料をもらえるような仕事をもらおうか。


 それともホープタウンに帰ろうか。あそこになら俺の家があるからな。毎日薬草でも引っこ抜いていれば、それなりに暮らしていけるだろう。


 あ、でもホットランドの旅館を放っておくのはいやだな……。でもあそこには戻りづらいしなー……。


「……はぁ……」

「ひいっ! 童貞がため息ついている!!」

「…………」


 俺が小さくため息をつくと、近くを通りがかった女性が青ざめた顔で逃げていった。俺はもう一生呼吸をせずに生きていこうと誓った。


 つらい。


「落ち込んでいるなー、ガキ」

「……ん」


 どこかで見たことがあるオッサンが、俺の前に座った。


 昨日の半裸とは違う。しっかりとしたスーツに着替えた創造神ゼノスだった。そうした格好をしていると、威厳があるように見える。どこかの国の王様のようなオーラがあった。


 が、俺はこの席に座ったゼノスを見て、目を見開く。


「……まさか、お前も童貞……!?」

「娘が三人いるわい」


 切り捨てられた。ムカつくオッサンだな……。


「で、なんだよ、なにしにやってきたんだよ」


 俺がうめくと、ゼノスは耳をほじりながらつぶやいた。


「お前に渡したいものがあってなー。それにしても一晩でやたら老けた顔になってんな」

「余計なお世話だってーの」


 ムカつく相手だ。俺をからかいに来たのか。


「さっさと置くもの置いていなくなってくれよな。俺は心の弱さと向かい合っているんだ」

「いやー、まさかお前がパーティーから追い出されるとはなあ。人生なにがあるかわからんよなあ」

「……話がないんだったらいくぞ」


 俺が立ち上がろうとすると、ゼノスは「待て待て」と声をかけてきた。


「そう急くな急くな。どうせ暇なんだろ」

「暇じゃない。俺もこの町を発つんだ」

「へえ、ホットランドに向かうのか?」

「……それは」


 俺は目を逸らす。とりあえずこの居心地の悪い町は今すぐにバイバイしたいところだが……、かといって行く当てがあるかというとまた違う話だ。


「とりあえずというか、なんとなくというか……、まあ、ちょっとずつ北に向かってみようかな、なんて……」

「そういえば北にいい温泉街があるって聞いたぞ」

「それホットランドだろうが! すげー知ってるよ! 俺が掘った温泉だよ!」


 ゼノスはわははと笑う。こいつ、気楽そうに……。


「ま、ワシも見ていたからな。お前には色々と楽しませてもらっているよ、ガキムネ」

「……天の声だからな、そうだろうな」


 誰がガキムネだと思いながらも俺はうめく。そこでゼノスは手のひらを差し出してきた。


「娘にも見捨てられ、仲間にも見放されたガキムネよ」

「お前、俺の傷口を抉りに来たのか!?」

「いいや、特別にいいものをやろう」


 するとゼノスの手のひらの上に、一枚のカードが現れた。それはゆっくりと回転をしながら宙に浮かんでいる。


 ……いいものだと?


「なんだ、それは。また俺をからかおうっていう算段か?」

「疑り深いやっちゃな。こいつは正真正銘の神カードよ。使い方を間違えなければ、まさしく絶大な効果を発揮するぞ」

「……」


 本当かよ……。


「さて、――『異界の覇王よ――。其方の孤独に、新たなる力が覚醒めるであろう』――」


 オッサンの口調が変わった。それはまるで神のような声で、天上から俺の頭の上に降り注いでくるようだ。


「――『其方のささやかな無双は、その覇業によって叶えられるであろう』――」


 ささやかな無双ってなんだ。まれによくある、みたいなものか。


 一枚のカードが俺のカードバインダに収まる。


 そこに描かれていた名は【ゴッド】。なんかもう名前からしてすごい。


「……どういう効果なんだ?」

「こいつはすごいぞ。一度しか使えず、効果時間も三分だけだが、まさしく神のごとき力が手に入る」


 神のごとき力って……。俺はミエリの顔を思い出す。神もピンキリだからなあ。


「お前にわかりやすく言えば、そうだな。パワーもスピードもとてつもなく向上し、どんな相手でもボコれるようになる、って感じだな」

「……それ、魔王も倒せるのか?」

「倒せるだろうな」


 マジかよ。だったらもうフィニッシャー集める必要ないじゃん。これ攻略カードじゃん。最強じゃん。


「ただ、使うかどうかはお前さん次第だ」

「……どういうことだ?」


 俺が問うと、ゼノスは髭を撫でる。


「あまりにも強すぎる力というのは、そのモノの性質を変容させる。体に劇毒をぶち込むようなものだ。お前はその力の代償に耐えられるかな」

「……」


 なんだそれ、危ないカードじゃねえかよ。いくら強いカードがほしいって言っても、別にそこまで強いカードを求めているわけじゃないんだぞ……。


 たった一度しか使えない【ゴッド】を眺める。いつの間にか、バインダを握る手に汗をかいていた。


 ゼノスはそのすべてを見通すような目で、俺をじっと見つめている。


「それでも力がほしいのならば、使えばいい。ワシはお前の覚悟を見届けよう。お前はきっと今までのようには生きていけなくなるだろうがな」

「……」


 今までのように生きていけなくなる、だと。


 それが単なる脅しではないことを、俺はなんとなくわかっていた。ゼノスの目を見返しながら、俺は問う。


「このカードを使うと、俺はどうなっちまうんだ……?」


 ゼノスは大仰にうなずいて、語った。


「女性といざ事に及ぼうとすると、お前のリトルマサムネが爆発する体になる。つまり一生童貞のままだ」

「絶対に使わねえよ!!!」


 俺はバインダを叩きつけながら叫ぶ。めちゃめちゃ直接的な被害じゃねえか!

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