第82話 「正妻宣言」
俺は間違っていた。
ミエリの手を引いて夜の町を駆けながら、幼少の頃の記憶を思い出す。
なぜ俺は、慎重で冷静なことを尊ぶ性格になってしまったのだろうか。
それは決して、失敗をしたくないから、ではなかったはずだ。
失敗したことも自分の責任だと受け入れるために。反省を糧にして、それを己の中で新たなる判断材料として集めるために。俺はなにごとも慎重で冷静に事を運ぶようになったのだ。
人生はなにが起きるかわからない。盤上の出そろったカードですべてが決するトレーディングカードゲームとは違う。
猫を助けたと思ったら、車に轢かれるかもしれない。突然異世界に飛ばされるかもしれない。不思議な力が手に入るかもしれない。現実は強大だ。
それでも俺は、己の頭一つで立ち向かうために、現実のクソ野郎に負けないために、慎重で冷静に生きようと決めていたのだ。
それなのにどうしてだろう。俺はいつからか極端に失敗を恐れていた。ビビっちまっていた。いつまでも失敗しないなんてことは無理だってのに。
こんなんじゃ慎重でも冷静でもない。臆病で怠惰なだけだ。
俺は思い出す。かつての想いを。衝動的に飛び出して猫を助けたときだって、そうだ。俺はやれる限りのことをやったんだ。反省点はあるが、後悔なんてしていない。
大切なのは、自分で選んだ結果に俺自身が納得すること。俺自身が責任を負うこと。それが一番大事なことだったんだ。それができるのならば、慎重でも衝動的でもどっちでもいい。どっちでも構わない。
それがゼノスの言っていた『俺自身の心に従うこと』だったんだ。
手を引かれているミエリが、たまらず叫ぶ。
「ま、マサムネさん! どこに行くんですかぁ!?」
「ナルとキキレアの泊まっている宿だ!」
「ええっ!? 童貞Tシャツ着ているんだから、中には入れませんよお!? 捕まっちゃいますよお!」
「そんなの知ったことか。俺自身が法だ!」
「ちょっ、ええっ!? だ、大丈夫ですか!? ちょっと頭冷やした方がいいんじゃないですか!?」
俺は走りながらもミエリに振り向き、笑う。
「心配いらん! 今の俺の頭脳の回転速度は冷静係数86を突破している! 普段よりも遥かに冷静だ!」
「その発言がなんかバカ丸出しなんですけど!? 普段はいくつなんですか! いくつがすごいんですか!? 意味わからないんですけどお!」
うっせえなこいつ。せっかく俺のテンションがあがっているのに……。
俺は内心毒づきながら宿に戻ってくる。すると受付でうつらうつらしていたおばちゃんが、俺を見てハッと顔をあげた。
「あん、あんた童貞の……、ど、童貞が女の子の手を引いている!? 童貞なのに!?」
「悪いな、仲間の部屋に邪魔するぜ」
「っ、まさかそんな顔で笑う童貞がいるなんてね……。負けたよ、兄さんには。ほら、入りな」
異常に物分かりの言いおばちゃんは、俺に鍵を放り投げてくれる。それをキャッチしながら俺は思う。大丈夫かこの宿のセキュリティは、と。
それはともかくとして、ミエリの手を引きながらなおも階段を駆け上り、俺たちはナルとキキレアの泊まっている部屋のドアの前にやってきた。
俺は鍵を差し込み、ゆっくりと深呼吸をした。
どんなに慎重で冷静に行動をしようとしても、他人の気持ちまで推し量れるものではない。だったらせめて、俺は俺らしく生きてやろうじゃないか。待っていろ、ナル、キキレア。俺は誰よりも自由だ。
ドアを開け放つ。
「ナル! キキレア! もう一度お前たちと話をするために、俺は戻ってきたぞ!」
腕を掲げながらそう言うと、ぎょろりと睨まれた。
「ああー?」
「はあー?」
ふたりはリラックスした格好で椅子に座っていた。キキレアは片足を抱きながら、ナルは椅子の上にあぐらをかいて。
テーブルの上には空になったボトルが四本。それぞれグラスを持ち、こちらに向かって据わった目を向けてきている。
酒臭っ。こいつらめちゃめちゃ飲んでいやがる!
ナルはこちらを見てにやにやと笑う。
「あー、マサムネくんだぁー。童貞卒業に失敗したマサムネくんだー、やーいやーいー、どうていどうていー。あはっはっははは」
一方キキレアはむすっとしていた。
「……なんなのよ、今さらなんの用なのよ。あんたは私を捨てたんでしょ……。もう二度と話しかけてこないでよ……」
いつの間にそんなことになってんの!? この酔っ払いどもめ!
しまった。ふたりが酔っ払い状態だなんてことはまるで予想していなかった。現実はなにが起きるかわからないな。本当に。
だが、怖じ気づいてなどいられない。俺は部屋の中にミエリを連れて入る。そうして酔っ払いたちの視線を浴びながらドアを閉め、咳ばらいをした。
「……お前たちがすっかりできあがっているとは思わなかった。大丈夫か? 今、話をしたいのだが、まともに会話ができる状態か?」
「だれのせいで酔ってると思ってんのよー! バカムネー!」
「そーだーそーだー! あはっははっはっははは」
キキレアはグラスを掲げ、ナルはバンバンと机を叩く。うるせえ。
どうもまともに会話ができる状態ではない気がする……。だが、まあいい。俺は俺のやりたいようにやるさ。
今まで童貞を卒業したい一心でこいつらのご機嫌取りをしていた俺にはバイバイだ。童貞卒業証書なんて丸めてゴミ箱に叩き込んでやるわ。
そう、ふたりにはずっと言いたいことがあったんだ。きょうは俺の想いの丈をぶつけてやろうじゃないか。
「聞け、ナル!」
「ふぇあー?」
俺はつかつかと部屋に立ち入ると、泥酔状態のナルの手を握り締めた。キキレアが「ああっ」と叫ぶ。今はナルのターンだ。
ほどほどに酔っぱらってとろんとしたナルの目を覗き込みながら、俺は訴えかける。
「俺はナルのことが好きだ」
ナルがハッとして口元を押さえた。だが別にプロポーズの言葉ではない。続きがある。
「初めてパーティーメンバーになってくれたあの日から、おかしなお前のことが気になっていた! 美人だったしな! そうじゃなかったらとっくにパーティーから追い出していたわ!」
「ええっ!? あたしの弓の腕を見込んで仲間に入れてくれたわけじゃなかったの!?」
「酔ってんのか! 現実を見ろ! てめえは百発零中のクソアーチャーだろうが!」
「将来性とか!」
「ねえよ! 食い下がってくるんじゃねえよ大馬鹿野郎が! でもそんなお前をパーティーから叩き出せなかった俺も大馬鹿野郎だけどな!」
怒鳴る。するとさっきまで「ナルに告白した、ナルに告白した、ナルに告白した……、ナルを選ぶんだわ……」と落ち込んでいたキキレアが、「あ、あれ?」という顔になった。
今度はキキレアの手を取る。両手でぎゅっと握ったその小さな手は、ぽかぽかしていて温かい。酔っているからだろう。彼女は「な、なによ」と身を引きながらもなにかを期待するような目で俺を見返していた。
「俺はキキレアのことが好きだ」
「っ」
キキレアの頬が赤く染まる。ナルもまたこちらを見て「おおおお……」とはやし立てていた。だが話はここからだ。
「弱り切ったお前を拾ったときはなんか面白いやつが手に入ったな、と思ったし、それからもお前は面白いことばかりやっていた! どんだけ叩いてもへこまねえし、見ているとマジで笑えた!」
「あんたそれ褒めてるつもりなの!?」
「当たり前だ! 面白いってことがどれだけ大事なことかわかってんのか! エンターテイメントの精神を舐めるなよキキレア・キキ!」
「なんで私怒られてんの!?」
そして俺は最後に振り返る。なんでわたしここに連れて来られたの……、という顔をしているミエリのその手を無理やり掴んだ。ミエリは「ふぇっ!?」と驚きながら俺を見返した。
誰にもはばからず、俺は言う。
「俺はミエリのことが好きだ!」
『えっ!?』
三人の声が唱和した。キキレアは愕然と、ナルは仰天を、そしてミエリは恥ずかしそうに目を見開いていた。
皆はまさか俺がミエリに告白するとは思っていなかったのだろう。どこかからゼノスの『ああああああ』という叫び声が聞こえてきたような気がしたが、それも構わず俺は続ける。走り出した俺の心はもう誰にも止められない。
「お前はずっとそばにいてくれたな。俺がダメになった日も、そうではない日も、ありがとうミエリ。俺もお前のあの白いもふもふの姿に何度癒されたことか。にゃーにゃーと鳴くお前の声は愛らしかったぜ」
「なんでわたしだけ猫ベースなんです!?」
「すまんミエリ。お前だけなんか魅力を言語化しようとしたら、俺の中の理性が猛反対してな。美人で胸が大きいよな、ミエリは。ただそれだけでまあいいんじゃないかな」
「投げやりじゃないですか!? ちょっとお!」
ミエリのツッコミが響き渡る。相変わらずいいものを持っていやがるな。その女子力の欠片もない腕前に、ナルとキキレアはほっと胸を撫で下ろしていた。
一通り告白を終えたところで、キキレアは酒を口に運びながら、俺を指差す。
「で、マしゃムネ。次々と私たちに告白してどうしようっていうにょよ」
「ろれつが回っていないぞキキレア」
「うっさいわね! 誰のせいだと思ってんにょよ!」
キキレアが怒鳴る。ナルも「そうだそうだー!」とコップを掲げながら同意した。そうか、俺のせいか。
「だったら責任を取らないといけないな」
『えっ!?』
キキレアとナルが急に背筋を伸ばした。
俺はしっかりとうなずく。
「今まで俺は間違っていたんだ。誰かに好かれようとして良い顔をするだなんて、俺らしくない。本当にダメダメだ。その瞬間から俺は俺自身を失っていた」
そう、女体の神秘に触れたあのときからだ。具体的に言うとキキレアのおっぱいを揉んで以降だ。俺はずっとおかしかった。小悪魔によって頭をおかしくされたのだ。
俺は復活しなければならない。俺は俺自身を取り戻す。俺は拳を固く握りしめた。
「だから隠し立てのない俺の本当の気持ちを、お前たちに知っていてほしくて」
「……なによ、それ」
キキレアは疑いの目だ。ナルもぼーっとしているように見えるが、狩人のように俺を観察していた。ミエリに至っては猫扱いがお気に召さなかったのか、口を尖らせている。
だが、今さら取り繕ったりはしない。
心の走り出した俺は無敵だ。全能感に支配されながら、俺はまとめて告げる。後先なんて考えない。俺は俺の筋を通す。
「ナルにはゴロゴロしている俺を一生養ってほしいし、キキレアにはいつもそばにいて俺を笑わせてほしい。そうしてミエリは俺のそばでぐーたらしているといい。そんな今までの環境が、俺は好きなんだ。だから――」
俺は両手を広げて告げる。
これが俺の決定打だ!
「――もう三人ともまとめて、俺の妻になればいいじゃないか! そうしろ!」
翌日、俺はひとりラバーズガーデンに置いてけぼりにされた。
なぜだ!!!!!!!!
第6章「正妻とは」完
作者より一言:マサムネさんが幸せになる未来が見えない。
***
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