第81話 「判断材料はこの手の中に」
俺はその場にあった椅子を手にした。
なんの伏線もなく現れたヒゲモジャのオッサンは、いまだにベッドに寝転びながら「わたしミエリですぅー。初めてなんで優しくしてくださいですぅー」と裏声を発している。
こいつはこの世に生きていたらいけない生き物なんだ。俺は椅子を振り上げ、そうしてオッサンに叩きつけようと振りかぶる。
「死ね!」
「うおっ!?」
椅子はベッドのスプリングに弾かれて、跳ね飛んでいった。オッサンは青い顔で俺を見返す。
「あっぶねえなてめえ! 普通は躊躇とかするだろうが! なんて容赦ないやつだ! これがいまどきのキレる若者か! おおこわいこわい!」
どこまでも人をおちょくるような口調だ。頭の先まで怒りに支配されている俺は、勢いのまま叫ぶ。
「黙れ! 人の純情を弄ぶような野郎は、俺に蹴られて死んじまえ!」
「カルシウム足りてないんじゃないんっすかー?」
アホみたいな顔で煽ってくる白ヒゲのオッサンに、俺は怒りのハイキックをぶちかました。見事、側頭部にヒット。オッサンは部屋の中をごろんごろん転がって壁に叩きつけられて止まる。
オッサンは即座に起き上がった。手を払うと、半裸だったオッサンはミエリのような白い衣をまとう。不思議な力を使うオッサンは、チンピラみたいな顔で叫んできた。
「てんめええええ! 誰に足向けてやがんだおらぁ! ぶっ殺すぞごら!」
「やってみろこのクソ野郎!」
「あぁん!? なめんなよクソガキが!」
俺は拳を握って殴りかかる。オッサンは俺の拳を避けると、カウンター気味にショートアッパーを繰り出してきた。まともに顎を打たれ、俺はのけぞった。そこにオッサンが右フックをかましてくる。俺の体は一瞬宙に浮いて、ベッドにまで吹っ飛ばされた。
オッサンは白髪交じりの髪をかき上げながら、勝ち誇る。
「はっ、ガキが調子に乗ってんじゃねえぞオラ。テメェがどこの誰に手を出そうとしたか教えてやろうじゃねえか。ワシの名はゼ――」
「オンリーカード・オープン。【レイズアップ・エナジーボルト】」
俺の手のひらから無色透明の力が放たれる。
言葉の途中で体をのけぞらして避けるオッサン。魔力の力場はオッサンの後ろの壁をぶち抜いた。
「な、なんだぁ!? 童貞処刑隊かあ!?」
隣の部屋に寝ていた童貞の男が目を丸くして驚いているのが見えた。それはともかくとして。
「そんなクソみてえな覇業、ワシに効くかよ。なんたってワシの名はゼ――」
今度は椅子をブン投げる。オッサンはそれを受け止めようとして――。そこに俺の【レイズアップ・ヘヴィ】が重なる。椅子は急激に重さを増した。
オッサンは椅子に潰されるようにして、床に這いつくばる。
「ぬごごごがががてめ」
「【グリス】!」
間髪入れずに椅子とオッサンの体を接着させた。起き上がろうとしてもできないオッサンに対して俺は、バインダを高々とあげる。
「てめえは何者だ、オッサン。ミエリをどこに隠した。なぜこんなことをした。言えば、なるべく苦しまずに地獄に送ってやろうじゃねえか」
「どっちみち地獄送りかよっ!」
オッサンが余計なことを喋る。俺は手に【マサムネ】を呼び出す。するとその刃は黒々と輝いていた。今までに見たことがないような刀身の光だ。そうか、これが今の俺の魂の力。俺は今までにないほどに怒りを覚えているのだ。
【マサムネ】を見て、オッサンはたまらず叫ぶ。
「だから言ってんだろうが! ワシは――」
そこで乱入者だ。クローゼットの中からもぞもぞと現れたのはミエリだった。もぞもぞというのは、彼女が口にさるぐつわを食らい、手足を縛られているからだ。俺がシャワーに入っている間に、拘束されたのだろう。
ミエリは魔法で縄を焼き切ると、さるぐつわを外す。そうして俺ではなく、オッサンに向けて慌てて叫ぶ。
「お父様!」
「――あ?」
俺は顔を歪めた。
……お父様って、じゃあこいつが……?
オッサンは我が意を得たりとうなずいていた。
「ああ、娘よ、元気だったか。そうだ、ワシだ。この世界の創造神、ゼノスだ」
「ははあ。そうか」
なるほど。俺は掲げた【マサムネ】を両手で握り締める。
創造神であろうが、童貞の想いを嘲笑ったやつを俺は決して許さない。
「わかった、言い訳は地獄で聞こう」
「ええええええええええええええええええええええ!?」
「マサムネさんだめですってえええええええええええ!」
後ろから必死にミエリが抱きついてきて、なんか背中に胸の感触がめっちゃ当たったので俺はわずかに理性を取り戻す。
「ミエリ! 離せミエリ! こいつは俺たちの邪魔をしたんだ! このオッサンはこの世界の童貞すべてを敵に回した! 殺さなきゃいけないんだ!」
「ま、待ってください、待ってくださいってば!」
「オッサンじゃなくて創造神ゼノスだって言ってんだろうが!」
わけのわからないたわごとをオッサンが叫ぶ。叫びながらも椅子を抱えたまま起き上がってきた。ほう、タフだな。
「てめえもう絶対に許さねえからなクソガキ! 人の娘をたぶらかそうとしやがって! てめえみたいなやつにミエリをやれるか!」
「ああ!? 別に俺だってミエリがほしかったわけじゃねえよ! 手頃に童貞卒業できそうな女が周りにミエリしかいなかっただけだっつーの!」
「わたしそんな理由でここに連れて来られたんですか!?」
はっ、いけない。本音が漏れた。俺は振り返ってミエリに微笑む。
「そんなわけないじゃないかマイスイートラバー、ミエリ。さ、変なオッサンは放っておいて別の宿にいこう。夜はまだまだこれからだぞ」
「今の言葉を叫んでおいてまだわたしをどうにかできるって思っているマサムネさんのメンタル強すぎないですか!?」
「どっせーい!」
「ぶべっ!」
起き上がったオッサンに頬を殴られて、俺は再び床を転がった。いつのまにか【ヘヴィ】が切れていたのか……。流れ出た鼻血を手の甲で拭いながら、俺は立ち上がる。
「て、てめえ……。もういい加減許さねえぞ……」
「うるせえよクソガキ! 親の目の前で人の娘を口説いているんじゃねえぞ! 未来永劫その魂を毒虫に転生させてやっかんな!」
「やってみろオラ! その前にてめえの命をここでぶっ潰してやるよ!」
俺たちは拳を握り締めたまま、互いにぶつかり合う。
長い夜の始まりであった――。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「……はぁ、ぜぇ、はぁ……」
俺とオッサンは青あざだらけになりながら向かい合っていた。どちらも息が切れている。ミエリなんかはもう止めるのを諦めて雑誌を開きながら、「はいはいがんばれがんばれー」と適当な応援をしていた。
そんなときだ。オッサンはにやりと口を歪める。
「……フッ、マサムネか。なかなか骨のある男じゃねえか」
「あんたもな。やるじゃねえか、オッサン」
「ゼノスと呼べ。娘も暇していることだし、ここらで手打ちとしようじゃねえか」
ミエリが「おおー!」と手を叩いた。ゼノスは肩を竦めながら、俺に向かってゆっくりと歩いてくる。
「ああ、いいだろう」
「じゃあ仲直りの握手だな」
「だな」
ゼノスが手を差し出してくる。と、そこにはキラリという光。俺はその手首を掴んでひねりあげる。ゼノスは鉄芯のようなものを隠し持っていた。
「おいてめえ」
「誰が仲直りとかするかよぶっ殺すに決まってんだろクソガキが」
「いい覚悟じゃねえかてめえが死ぬまでやってやんよこら」
「ああ? 死ぬのはてめえだっつーのこのクソガキ」
俺たちは互いに手を組み合いながらにらみ合う。そこに稲光が瞬いた。
「ああもうふたりともいい加減にしてください! メガサンダー!」
ミエリの一発によって、俺たちはまとめて気絶させられたのだった。
ボロボロになった部屋。いったい誰が弁償するんだろう……とかそういうのはとりあえず今は置いといて、俺たちはミエリを挟んで会話を交わす。
オッサンの名は創造神ゼノス。つまりこの世界を作り、そうしてミエリに試練を与えた神であり、そして――。
「俺に延々と指示を送っていたあの天の声だったっつーのか!?」
「ああ、そうだよ」
「声も全然ちげえじゃねえか!」
「あれは威厳のためよ」
オッサンは髭を撫でる。自分の乱暴でいい加減な口調は威厳がないと暗に認めているようだ。
「なんでそんな偉いやつが、俺とタイマン張るぐらいよええんだよ」
「……娘の危機に、肉の体をろくに作らずに降りてきたからだ。あと一分でもあれば、てめえなんざ今頃ミンチよ」
「あ? 殺すぞ、あ?」
「あ? やってみろよ? あ?」
俺たちの間で、ミエリが大きなため息をついた。
「お父様、いくらなんでも簡単に地上に来すぎです。この世界で闇を祓う仕事は、わたしたち女神に任せてくれたはずじゃないんですか」
「で、でもー!」
急にゼノスは涙目になった。
「ミエリがこんなクソガキにチョロまかされそうになってんだぞ! これ以上の危機なんてないでしょ!?」
「ありますよ、もっともっと……」
「えっ、なんで怒っているの!? ミエリ、パパ助けに来たんだよ、パパ! 『うわーん会いたかったですパパー!』とか言ってくれないの!?」
「いうわけないじゃないですか、恥ずかしい……」
「はずかしい!? はずかしいってなによミエリ! ワシが他の世界なんて見殺しにするような覚悟で駆けつけたのに!」
ダッセー。娘に嫌われてやんの。俺がにやにやしていると、ゼノスは俺を睨みつけてきた。全然こわくねえよ。
つーかそれよりもな。こいつが天の声の主だってんなら、言いたいことは山ほどあるんだ。俺は恨みを込めてうめく。
「ロクなカードを寄こさねえで、俺に屑カードばっかり流しやがって」
「あれはワシが選んでたんじゃねえよ。お前の心が屑だから屑カードばっかり手に入るんだろ」
「ああ!?」
俺は立ち上がった。
「だったら今の俺の境遇はなんなんだよ! てめえが『心のままに動け』とか言うから、動いたらキキレアのカードもナルのカードも手に入らなかったじゃねえか! あれのどっちがフィニッシャーだったんだよ! もう魔王なんて倒せねえぞ! ああ!?」
「あ? どっちもフィニッシャーじゃねえよ」
「……は?」
ゼノスはそっぽを向いたまま、語った。
「別にどっちを選んだってよかったんだよ。つか選べよな。そのせいでワシの娘に魔の手を伸ばしやがって……、このグズが……」
……なんだって。
「じゃあ、俺は別に『誰かひとり』を選ぶ必要なんてなかったってことか……?」
「え? ああ、そうなんじゃねえの? 知らねえけど」
ゼノスは乱暴にぶつぶつとつぶやいていたが、その声は俺には届かなかった。俺は自分の考えに耽っていた。
そうか、あのふたりが『フィニッシャー』でないとするなら……、俺は、今まで俺のやってきたことは……。いや、でも、ということはつまり……。
その瞬間、俺の頭の中のピースが組み合わさった。ひとつの大きなパズルが完成したのだ。
そう、判断材料は今、すべてが揃った――。
俺はミエリの手を掴んだ。
「あっ、えっ、マサムネさん!?」
「ミエリ、行くぞ。今すぐに、俺の愛するパーティーメンバーのもとへ!」
後ろからゼノスの呼び止める声が聞こえてきたが、俺は気にしなかった。あんなオッサンに構っている時間はない。明日になればこの町から旅立つのだ。この町でやり残したことは、この町で果たさなければ――。
俺は走り出した。
そう、この心の叫ぶがままに――!




