第8話 「屑にはなりたくないからな」
朝だ。
こんなに晴れ晴れしい気持ちで目覚めるのは、いつぶりだろう。
俺はベッドから起き上がる。
窓から差し込む光は、とてもこの世界のバランスが乱れているとは思えないほどに、平和なものだった。
やはり、いい。
ベッドはいいものだ。
タンポポの寝床でふかふかだー、とか言っていた自分が今では空しく思えてくる。
あれはただのかわいそうな奴だ。
すがすがしく目覚めた俺の頭上から、一枚のカードが降り注いできた。
って、え?
なんだこれ、新しいオンリーカードか。
なぜこのタイミングで。
寝るとレベルアップする仕組みとかなのか?
頭の中に声が響く。
『異界の覇王よ――。其方の快眠に、新たなる力が覚醒めるであろう』
どういうことなの。
いやマジで、この声って誰なんだよ。
『其方のささやかな身だしなみは、その覇業によって叶えられるで
あろう』
いいから攻撃魔法よこせよ。
身だしなみとかいいからさぁ!
カード名がバインダに記載される。
そこには【マシェーラ】と書いてあった。
そして、もう声は消え失せる。
なんだよ、快眠によって目覚める魂って。
俺はバインダを浮かべ、手に入れたばかりのカードを唱えた。
「……【マシェーラ】」
窓に映っているのは、ばっちりと寝癖が直った俺の姿だった。
……寝癖を直すための覇業か。
屑カードにもほどがある。
いつになったら俺は、レアやスーパーレアを入手できるんだ。
まさかパンやホール、マシェーラで魔王を倒せとは言わないよな。
いや、せめてスーパーレアとは言わない。
オンリー・キングダムの大会で使っていても、おかしくはないカードをくれ。
ほんの少しの攻撃魔法でいいんだ……。
俺がいったいなにをしたあああああああああ!
だが――。
俺は髪にドライヤーを当てている絵柄のこのカードを見つめながら、思う。
……やってみたい。
くそう。
よからぬ考えだとはわかっている。
今起きたばかりだというのに、一日分のMPを使うわけにはいかない。
衝動的はいけないんだ。
だが……!
【レイズアップ・マシェーラ】をやってみたい……!
いったいどんな髪型になるんだ!
「おっはよー、寝ぼすけさんだねー。って、あれ? もしかして先に起きていた? すごいすごい、髪型バッチリ決まっているね」
「ん」
結局、レイズアップは使わなかった。
やるとしたら寝る前だな。試してみよう。
ナルルースさんは、ラフな格好で俺への部屋にやってきた。
ちょっと無防備すぎやしないかい。
瑞々しい肌が惜しげもなく露出されているよ。参っちゃう。
ふわりといい香りが漂ってきた。エルフだし、森の香りかな。
いかんいかん。
彼女の肩には、ぴょこんと白猫のミエリが乗っていた。
「よく眠れたか?」
「にゃーん」
彼女は嬉しそうに鳴くと、目を細めた。
そうかそうか、久しぶりのベッドだもんな。
ミエリの毛並みはツヤツヤと光っている。
闇の力の場所を離れたから、汚れも匂いも吹き飛んだようだ。
「それにしても、すごいね、この子。お行儀もいいし、お利口さんだし、すっごく綺麗だね。まるで人の言葉がわかるみたい」
「まあな」
「ミエリちゃんっていうんだよね。女神様と同じ名前だね。うん、似合っている似合っている」
ほう、この世界でもミエリの名前は知られているのか。
有名人なんだな、お前。
俺の視線に気づいたのかそうではないのか、ナルルースさんの肩に乗ったミエリは、ドヤ顔をしていた。
キリッ、という声が聞こえてきそうである。
あんま調子に乗るなよ。
鼻先をピンと突くと、ミエリは「に゛ゃー!」という声をあげて隣の肩に飛び移り……かけて、しかし足を滑らせて落下した。
その様子を、ナルルースさんはきょとんと見つめている。
「でもちょっとどんくさい子、だね……」
「そうだな」
食堂になっていた宿の一階で、食事までごちそうになりながら、俺たちは話を聞いていた。
「ま、そういうわけで、別にドラゴンはあたしひとりで退治するんだけど、その活躍を見て語って広めてくれる証人がいないとね」
それで俺たちか。
しかし分け前を半分もあげるとか、ずいぶんと豪胆なことだ。
なにか裏があるんじゃないのか?
「いいや、別にね、あたしはお金に興味ないからさ。この子がやりたいようにさせてあげたいだけなの」
そう言うと、ナルルースさんはドン、と床に巨大な弓を下ろす。
「大弓・竜穿。竜族に特別な威力を発揮する至宝のひとつさ」
「なんだかすごい武器だな……」
「そりゃあ、そうだよ。うちの里でも一番有名なものだからね。ただひとり、里でこの弓を引くことができるのは、あたしだけだったのだよ」
彼女はえへんと慎ましい胸を張った。
「というわけでね、あたしたちは竜の血に飢えているんだ。ねえ、だめかなあ? もったいないと思うよ。タダで金貨4枚もらえるチャンスとか、そうそうないよ。あたしたちの活躍を後ろから見守ってくれているだけでいいのに」
「だったら聞かせてもらおうか、ナルルースさん」
「あたしのことはナルでいいよ」
「だったら、ナル」
俺はテーブルに肘をつき、彼女を見やる。
そうして、肩を竦めた。
「いくらなんでもそんなの、話がうますぎる。さすがの俺でも、疑わずにはいられないだろ。タダで金が入るなんてありえないさ」
「用心深いねえ。さっすが」
ナルは苦笑する。
これぐらい当然のことだろう。
判断材料がなさすぎる。
「別に、あたしだってそんな深い考えがあって、キミを誘ったわけじゃないよ。なんだろうね、ビビッと来たんだよね」
「……そうか」
ビビッと来た、とか言う奴を俺は信用しない。
根拠のない自信を持つのはいいが、それに俺を巻き込まないでほしいものだ。
うさん臭いしな。
「あ、それにさ」
ナルは自分の髪をくるくると回しながら、爽やかに笑う。
そして猫ミエリを指差した。
「キミ、猫ちゃんとすごく仲良かったでしょう?」
「……そうか?」
「……にゃ?」
俺たちが顔を見合わせると、ナルはぷっと噴き出した。
「まあ、扱いはぞんざいだったけどね。そんな風に、猫ちゃんと心を通わせられる人が、悪い人なわけがないんじゃないかって思ったんだよ。それだけ。ダメ?」
「……」
俺は眉根を寄せた。
その判断は……。
……合理的では、ないな。
結局、俺は宿でナルと別れた。
ミエリは不満そうな顔をしている。
「にゃ~ん……」
大方、『タダで金貨がもらえるのにぃ……』という辺りだろう。
俺の故郷には、タダより高いものはない、って言葉もあるんだぞ。
宿を出たはいいが、別にやることも、行くところもない。
いや、銅貨10枚ももらったからな。これでカードを作るか。
そんなことを考えながら町を歩いていると、昨日は気づかなかった町の雰囲気に気づく。
ホープタウンは、寂れている。
それは建物の劣化という意味ではない。なんというか、通り過ぎる人たちの顔に活気がないのだ。
皆、どことなく沈み込んでいるようだ。
それは恐らく、ドラゴンがこの町の近くに居座っているからなのだろう。
冒険者ギルドのばあさんは、たくさんの人死にが出たと言っていた。
つまりはそれが、町全体に暗い影を落としているのだ。
その影響からか、この町には今、盗人までもはびこっているらしい。
ホープタウンとは名ばかりだな。
そんなとき、ふと昨日見たあの禿げ頭の男を見かけた。
きょうは冒険者ギルドから出てきたときよりは、ずいぶんとマシな顔をしているようだ。
その男は、道端で酒を飲んでいた。
取り巻きが、男をなだめている。
「だめっすよ、アニキ……。そんな風に酒を飲んでたって、あいつは戻ってきませんよ……」
「バカ野郎! だったらどうしろっつーんだよ! どんなに情報を集めたって敵いっこねえ! 俺はあいつの仇を討つことすらできねえんだよ!」
男はわめく。
なるほど。
あいつは冒険者で、仲間がドラゴンに殺されて、その仇を取りたいわけか。
だが、相手があまりにも強く、自分では歯が立たないからいかない、と。
なるほどな。
賢いやつじゃないか。
「ああん!? てめえ、なに見てんだよ!」
「いや、悪いな」
恫喝され、俺はかぶりを振った。
まあ、好きで付き合いたい人種でもない。
立ち去るとしようか。
「ガキが、見せもんじゃねえぞ、てめえ!」
「アニキぃ……」
そうこう思っている間に、男はこちらにやってきた。
取り巻きたちは情けない顔で禿げ頭の男を眺めている。
おいおい、止めてくれよ。
まあ、いいか。
とりあえず穴にでも落として、頭を冷やさせてやるか。
そんな風に俺がバインダを取り出した途端だ。
おおっ、と男たちは目を剥いた。
「な、なんだそれ……」
「光り輝く本……? いったい……」
「手品か……?」
おっと。
そうか、人前であんまりバインダを出さないほうがいいな。
普段から出しっぱなしにしていればいいのか。
「別になんでも……」
と、言いかけて、俺は目を丸くした。
ハゲが腰に差しているその短剣に、一枚のカードが突き刺さっている。
なんだこれ。
昨日は気づかなかった。
「おい、お前、それ」
「あぁ!?」
そうか、こいつらには見えないのか。
足元で「にゃ! にゃ!」とミエリが鳴いている。
俺は思わず手を伸ばして、カードを引き抜いていた。
「てめえ! 弟の短剣に触るんじゃねえ!」
ガツンと鼻に衝撃が走る。
しまった。
つい、衝動的に行動をしてしまった。
そのお返しが、パンチか。
まあ、しょうがない。これは俺のミスだ。
それよりも……。
俺のバインダに収まったカードに、色がつく。
これは、最初から使えるのか。
頭の中に、声が響く。
本日二度目の声だ。
『異界の覇王よ――。其方には、滅びしラッセルの力が宿るであろう』
なんだと。
言っていることが、いつもと違うぞ。
そのカードの名はそのまま【ラッセル】とあった。
ラッセル……?
なんだそれは。
いや。
……まさか、これは。
「なあ、オッサン」
「ああ!? なんだてめえガキが! オッサンとか言うんじゃねえ! 俺にはゴルムっつー名前があるんだよ!」
「その弟っていうのは、もしかしてラッセルって名前か?」
「あ……?」
男は途端に勢いを失った。
きょろきょろと、取り巻きたちを見回す。
「んだよ、こいつ、ラッセルの知り合いか……? 見たことねえぞ」
取り巻きたちは知らない知らないとばかりに、首を振った。
男はバインダを持つ俺を、不思議そうな目で眺めている、が。
俺は深いため息をついた。
そうか。
俺の力には、まだまだ未知の要素が多いようだ。
どうやら俺は、天の声が正しければ――。
――そのラッセルの遺品から、力を継承してしまったらしい。
バインダの中には、1枚のカードがあった。
そこには、シルエットだけの人の顔。
恐らく、ラッセルだろう。
冒険者として、若くして竜に食われたのだ。
無念だっただろうな。
……参ったな。
今までは知らぬ存ぜぬで押し通せてきたのに。
まさか、ここまで深く関わってしまうことになるとは。
遺品、遺品か。
くそ。
俺は頭をがじがじとかく。
そばにちょこんと座るミエリがきらきらした目で。俺を見上げている。
やめろ、そんな目で見るな。
お前はいい宿に泊まりたいだけだろ。
しかし、金貨4枚……。
……金貨4枚か。
いや、いいだろう。
わかったよ。
ここまで判断材料が揃ってしまえば仕方ない。
やるしかないだろう。
――ここで逃げたら、それこそ俺が屑になる。
「なあ、オッサン」
「あっ、てめえまたオッサンって言いやがったな!」
「あんた、ドラゴンについて、詳しいんだろ?」
「ああ? それが、どうしたっていうんだ……よ……」
気圧されるオッサンの前、俺はけだるそうにしていた。
言いたくはないが。
いや、これも相手からの信用を得るためだ。
俺はこんなに熱い性格ではない。だから、今回だけだ。
そうだ、今回だけだからな。
「その判断材料を、俺にすべてくれ。――俺たちがあんたたちの仇を取ってやる」
まったく、……遺品か。
今度のはさすがに屑カードじゃないといいが……。
というわけで、冒険者ギルドにやってきた俺を、ナルの笑顔が迎えた。
「なーんだ。素直になるんだったら、最初からそうしていればいいのに」
「不本意だ」
俺は小さく首を振る。
すでに【ラッセル】のカード効果は確認済みだ。
これはどうやら、『身のこなし』に修正を得るカードのようだ。
ここに来るまでに軽く走ってきたが、身体能力が今までと比べて明らかに高くなっているのがわかる。
引きこもりの屑カード使いが、一瞬にして陸上部員並の運動神経になったわけだ。
自己強化系のオンリーカードは、ありがたい。
唯一の難点と言えば、これが常時発動のカードであるため、レイズアップなどの強化ができないことぐらいか。
しかし、それは逆に言えば、コストを消費しなくても済むということだ。
遺品のカードをくれたラッセルは、その通り器用で身のこなしが軽い男だったらしい。
その力が俺に宿ったのは、なんのために。
考えるまでもない。
ドラゴンを倒し、仇を討ち、そしてこの町に平和を取り戻すために、だろう。
俺はナルの前の席に座る。
ミエリは行儀悪くテーブルの上に乗って「にゃん」と鳴いた。
「ナル、お前は倒すドラゴンのことを知っているか?」
「ん、ドラゴンなんだから、空を飛んで火を吹くんでしょう?」
お前……。
まあそれが一般的なドラゴンの印象か。
ゴルムのオッサンは、俺に知っている限りのドラゴンの知識のすべてを預けてくれた。
俺たちが戦いに行くドラゴンは、普通のドラゴンとは違うようだ。
そのあたりはしっかりと、先に話し合っておく必要がありそうだな。
俺がそんなことを言い出すと、ナルは猫ミエリの背を撫でながら、わずかに顔を曇らせた。
「といっても、戦うのはあたしだよ? 別にいいじゃん。あたしが倒すって言っているんだから、キミは後ろで見ていてくれればいいんだってば」
「……ま、そうかもしれないな」
俺は小さくうなずいた。
ナルがドラゴンを一撃で仕留めてくれるなら、別に俺がこんなことをやる必要はなかったわけだ。
だが、しょうがないな。
俺は十分すぎるほどに、用心深いんでな。
「やれるだけのことはしたいんだ」
さあ、ドラゴン退治の始まりだ。
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