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第78話 「恋人はキキレア その3」

 先にシャワーを浴びた俺は、ベッドに腰を掛けていた。パンツを履いているが、上半身は裸だ。


 シャワー室からは水音がする。俺以外の誰かがシャワーを浴びているのだ。誰だ? 言うまでもない、マイスイートラバー、キキレア・キキだ。


 夕食を終えた俺たちは、休憩所と呼ばれる場所にやってきていた。どうやらここは、恋人たちの間で睦言に使われる部屋らしい。なんてこった。まったく想像できなかったぜ。


 俺たちは今、大人の階段を登ろうとしていた。


 まさかキキレアとこんな風になる日が来るとは、出会ったばかりの頃はまったく想像もしていなかった。本当に人生っていうのは不思議なものだ。


 水音が止まって、ガチャリとシャワー室のドアが開いた。更衣室から出てきたキキレアは、体にバスタオルを巻いていた。肌は白く、きめ細かくて美しい。ナルに比べても明らかに体の凹凸がはっきりしていた。ナイスバディーである。


「恥ずかしいから、あんまり見ないでほしいんだけど……」

「一生に一度の記念だろ?」

「……まあ、そうね。……ほどほどなら見てもいいわ」


 キキレアは恥じらいながらつぶやく。いつもツンツンしているキキレアが、こんな風にしおらしい姿を見せていると、なんだか心がぽかぽかしてくる。これが萌えるということなのだろうか。


 そのままの格好でキキレアは俺の隣に座った。バスタオルを巻いただけの姿なので、あれをほどけば今にでもキキレアの全裸が見られるというわけだ。やばいな。心がポレポレしてきた。


「マサムネって、ここではない異界からやってきたのよね」

「ああ、そうだ」

「……なんだか、すごいわね。マサムネの故郷はどんなところだったの?」

「んー、そうだなあ」


 ベッドに並んで腰かけながら、俺は故郷のことを語っていた。その世界では魔道具のようなものが発達していて、馬車の代わりに車が、あるいは電車や飛行機が飛んでいることなど。携帯電話で遠方の人と簡単にお喋りができること。魔物がいなくて暮らしが平和なことなど。


 キキレアは俺の話を楽しそうに聞いていた。


「魔物も魔族もいないんだったら、冒険者はどうしているの?」

「冒険者もいないよ。みんな学校に通って、そのまま就職をする」

「ふ~ん……。なんだか、つまんないわね」


 キキレアはそう切って捨てた。まあそうだろうな。キキレアが現代社会に生きている姿というのは、あんまり想像ができない。早々に警察に捕まってそうだ。


「ま、なんだかんだで死んじまって、それでこの世界にやってきたんだけどな」

「誰かにいつものように暴言を吐いて、そうして刺されて殺されたの?」

「俺をなんだと思ってんだよ。俺は……、あー」

「??」


 疑問符を浮かべるキキレアに、俺はぽつりとつぶやいた。


「……猫を助けて、代わりに車に轢かれたんだよ」

「え? あんたが?」

「そうだよ。悪いな、似合わなくて。考える暇もなく、衝動的に行動しちまった結果だよ」


 俺は頭をかく。キキレアはまた俺をバカにする言葉を吐くのだろうと思っていると。


「そっか、やっぱりあなたは私が選んだ人だったわね」

「……え?」


 キキレアは優しい目をしていた。


「普段は偽悪的にわーわー言っているくせに、いざってときはそうなるのよね、あなたは。だからきっと、女神さまにも選ばれたんでしょ」

「……いや、どうかな。ってか正面切って褒められると、ハズいんだが」

「ば、ばか。あんたが恥ずかしがっていると、私も恥ずかしいでしょ」


 俺たちは顔を背けあった。その際に、互いの手が触れ合う。思わずどきっとした。だが、どちらも手は離さなかった。


 繋いだ手から、心臓の鼓動が伝わってくるようだ。俺たちはしばらく喋ることをやめて、互いの体温だけを感じ合っていた。


 そのときが近づいてきている。俺たちはそう理解していた。キキレアが顔をあげて、わずかに目を潤ませながら俺を見た。


「えっと……、そ、そうね。なにか、ロマンチックなことでも、言う?」

「そ、そうだな」


 俺はこほんと咳ばらいをした。こういうときになんて言えばいいのかわからないが、まあ適当にやろう。


「好きだぞ、キキレア」

「っ」


 その一言でキキレアは顔を真っ赤にした。俺の言葉にキキレアが反応するのが面白いというか、嬉しいというか、不思議な感覚だ。


 キキレアはたどたどしく尋ねてくる。


「わ、私の、どんなとこが好きなのよ……」

「んー、そうだな」

「えっ、な、ないの!? ないのね!? やっぱり体が目当てなの!? マサムネのドクズ! ゴミ虫! この童貞!」

「待て待て、早い早い」


 バッとこちらを批難がましく見上げるキキレアを、俺は手で押しとどめる。誰が童貞だ。


「キキレアはなんでも知っているところとか、いつも助かっている。芯が強いところとかも、頼りになるな」

「そ、そぉ?」


 こちらをチラチラと見ながら、キキレアはにやけていた。喜びを押し殺そうとしながらも、まったく隠せていない状態だ。


 普段は褒められても『ハッ、そんなの当然でしょう。雑草でも食えば?』って態度のくせに、きょうはやけに可愛いリアクションである。俺に媚びを売っているというわけでもなさそうだ。これがキキレアの一面なんだろう。


「ね、ねえねえ、他には? 他には?」

「そうだな、努力家なところも尊敬しているよ。勉強熱心だし、ストイックなところもあるよな」

「そ、そうでも! ま、まあ、あるけどね!」


 キキレアはベッドに倒れ込んで足をばたばたとさせる。バスタオルでそんなことをするから、白いふとももの隙間から、奥が、みえ、みえ――見えなかった! くそう!


 ぴょこんと起き上がったキキレアはさらに俺をせっつく。


「ね、ね! 他には!? もっとあるでしょう!?」

「あ、うん」


 その後、俺は二十分にわたってキキレアのいいところを褒め続けた。


「えと……、あとは、こう、滑舌がいいところとか……。ナイフとフォークが上手に使えるとことか……」

「うんうん! あとは、あとは?」

「いい加減にしろよ! もう出ねえよ!」


 俺は立ち上がって怒鳴る。お前いつまでやらせんだよ! 陽が昇っちまうよ!


 キキレアはそこそこ満足そうにうなずき、髪を払う。


「ま、しょうがないわね。あんたの愛は伝わったわ。そんなに私のことが好きで好きでたまらなかっただなんて、ちょっと照れちゃうわね」

「お前良い性格してるよなあ!」

「あら、まだ褒める気?」

「今のは褒めてねえからな!?」


 ふふっ、とキキレアは笑った。こいつ、俺をからかって楽しんでやがるな……。なんてやつだ。小悪魔か。


 小悪魔キキレアは笑いながらベッドに横になった。その表情は艶やかだ。心臓の鼓動が跳ね上がる。バスタオルを巻いている彼女は、ゆっくりと足を組み直す。


「ねえ、マサムネ。本当に私でよかったの?」


 ナルじゃなくてよかったのか、ということだろう。この期に及んで不安の色を瞳に奥に浮かべたキキレアに対し、俺はしっかりとうなずいた。


「ああ、お前がいいんだよ、キキレア」

「……それって、慎重で冷静に検討した結果?」

「無論だ。俺は何事も決して『衝動的』に選ぶことはない。お前を選んだのは俺の意志だ」

「ふふっ」


 キキレアは目を細めて笑った。


 彼女は俺の手を引く。寝転ぶキキレアの上に覆いかぶさるような体勢だ。俺はキキレアの目を見つめていた。紫色の綺麗な瞳に、ひどく緊張してこわばった俺の顔が映っていた。


「えと……、先に、おっぱいする?」

「あとでまとめて味わうよ」

「そ、そう」


 キキレアは恥ずかしそうに身をよじった。ついに俺がキキレアのバスタオルを剥ぐことになるんだ。この中にあるのは、とてつもないお宝だ。俺はレジェンドのみが封入されたカードパックを開くような気持ちで、キキレアのバスタオルに手をかけた。


 と、そのときだ。


「ねえ、マサムネ。一応、私も処女だから」

「ん」


 なんだろう。優しくしてね、ってやつだろうか。だが心配はいらない。俺は百戦錬磨だ。女の扱いなんて慣れている。童貞だけど。


「だから、お願いがあるの」

「ほう」


 押し倒されたような形になっているキキレアは、俺を見上げながら言う。


「私のこと、一生裏切らないって誓ってくれる?」

「……え?」


 俺の手が止まる。彼女は真剣な目をしていた。


 え、なに、急に。すごい重い。


 お前、こないだ『正妻だなんてマサムネは引くから恋人にしておけばいいのよ』ってナルに言っていたばっかりなのに! どういう心境の変化だよ!


 動揺を微塵も顔に出さないさすがの俺へと、キキレアはさらに重ねる。


「一生、私のこと好きでいてくれる?」


 急にまたそういうことを!


 俺は思わず硬直してしまった。ここでなにを言うべきなのかは、当然理解している。言ってやればいいのだろう、キキレアの望み通りの言葉を。


 今さら、キキレアだって本気で誓わせようと思っているわけがない。そんなの俺がどういう人間なのかをよく知るキキレアなら当然わかっているだろう。


 だからここは、なんでもいい。言うべきなんだ。それさえ言えば、俺は童貞を卒業できる。これは言わば、俺のための最後の試練だ。キキレアは俺の勇気か、あるいは覚悟か、それとも誠実さかなにかを試しているだけなのだ。


 言葉は喉元まで出かかっていた。


「俺は」


 一生裏切らない。一生好きでいる。それは童貞を卒業してからも、生涯キキレア以外の女を抱くことができない、ということだ。閉ざされた未来を俺は一瞬想像した。もしキキレアより良い女が現れたら……?


 いや、そんなに難しく考える必要はない。今だけだ。今だけ言えばいいんだマサムネ! どうせキキレアだってそこまで期待していない! 俺が裏切った次の瞬間、この顔面にファイアーボールを叩き込んでくるだなんてことはないはずだ! ただの精神攻撃だ!


 しかし、どうだろう。相手はキキレアだぞ。もしかしたら本気で言っているのかもしれない……。この言葉には魔術的な契約かなにかそういう意味があって、俺は永遠に囚われるのかもしれない! 裏切ったら死あるのみかもしれない!!


 考えすぎだ。そんなはずがない。


 俺の顎からぽたりと汗が流れ落ちる。キキレアはまだじっと俺の返事を待っているかのように、こちらを見上げている。


 なぜ今になってこんなことを言い出すんだ、キキレア! サクッと童貞を卒業させてくれるんじゃなかったのかよ! くそう!


 俺は乾いた声で告げる。


「俺はキキレアのことが、好きだ、ぞ」

「一生? 一生?」


 キキレアは間髪入れずに問い返してきた。わかんねえよそんなの! 明日のことだってわかんねえのに!


「俺は、お前のことが、好きだ……」

「一生? 永遠に? 未来永劫? 魂が輪廻して生まれ変わってまた出会っても? その先もずっと?」

「来世まで!?」


 矢継ぎ早に問いかけてくるキキレアから、俺は目を逸らす。


 だめだ。


 キキレアの意志は相変わらず鋼鉄のように強固に見えて、俺は自分の心が折れる音を聞いた。


「……わかんねえよ、先のことは……」


 俺は自分の浮ついた気持ちを鏡で照らされたような気がした。


 キキレアは「そっか」と言って、そのまま目を閉じた。


「別に、いいわよ。あんたがしたいなら。私も、あなたのことが好きだから」


 俺は聞きたかった。それは一生なのか? と。


 聞かなくても、答えは決まっていただろう。キキレアはきっとうなずくつもりだ。俺にはそれがわかった。重い。ナルとは違った意味で重い。こんな感じだとは思わなかった。キキレアはもっと、こう……、いや、もうなにも言うまい。


 俺は頭を振りながら、ベッドから降りた。後ろで小さくため息をつく声がした。



 そのまま俺は服を着て、休憩所を出ようとして。


「あっ、お童貞様! えっ、あっ、お、お早いですね!?」


 受付の若い男が俺を見て、驚いていた。そのまま手に持ったシャツを俺に見せてくる。


「あ、こ、こちらはお着替えです! そちらのシャツは引き取りますので。ほら、見てください、『童貞卒業』と書かれているシャツですよ! 元お童貞様にふさわしいもので……あっ、ど、どこにいかれるんですか!? 元お童貞様! 元お童貞様!?」



 夜の公園をフラフラと歩く。


 俺は自分がこんなにもダメなやつだとは思わなかった。俺はダメなやつだ。新発見だ。初めて気づいた。


 なんてダメなんだろう、俺は。


 俺は、頭がよくて、度胸があって、勇気を持っていて、人格も優れていて、トレーディングカードがめちゃめちゃ強く、顔がいいだけの、――どうしようもないダメなやつだったのだ!


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