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第76話 「恋人はキキレア その1」


 なにものかに揺すられて、目が覚めた。


 俺の睡眠を妨げるとはいい度胸だ。俺は一日十時間は眠りたい性分だというのに……。


 と、そんなことを思っていると一瞬で布団をはぎ取られた。俺はあまりの寒さに身を丸める。


「くそっ、誰だ! いきなりなにやってんだっ!」

「なにやってんだ、じゃないわよ。もう朝でしょ、いつまで寝てんのよ」


 知り合いの声だった。声の主から毛布を奪い返すと、俺は再び横になった


「俺、眠い。俺、寝る。おやすみ」


 だが改めてはぎ取られる。うおー! 寒いー! 返せー!


 呆れ声が降ってくる。


「はいはい、さっさと起きる起きる。ったくあんた、いっつも二度寝してるんでしょ。そんなんだから冒険者ギルドに昼から顔を出したりしていたのね……。まったく」


 俺はあくまでも駄々をこねていたが、そうこうしているといよいよベッドの上から蹴り転がされた。頭を打って、俺はさすがに目を覚ます。てめえ!


「おいなにやってんだキキレア!」

「あんたこそ、私が迎えに来てやってんのに、なにを寝こけてやがるのよ。それって私にめちゃめちゃ失礼だって思わないの? ただでさえいつもいつも迷惑かけているんだから、この日ぐらいはバッチリ起きてタキシード来て待っているとかしなさいよね」

「無茶言うな! 事前になんにも聞いてねえんだぞ! 俺だって約束してたらそれぐらいやってやるわ!」

「あっそ、楽しみにしているわね。じゃあこれからお出かけするから、早く着替えてね」


 キキレアはニコニコと笑っていた。適当な椅子を引っ張って座ると、手を叩きながら「はーやーくー、はーやーくー」と俺の着替えを急かしてくる。ぐぬぬ。


「マサムネが準備終わるまで待っててあげるから、早くしなさいよね」

「ったよ、くそう」


 俺は【マシェーラ】を使って髪型を直すと、適当にタオルを掴んでシャワー室へ向かう。


 なんかナルのときと全然違うなあこれ……、ナルは俺を思いっきり甘やかしてくれたのになあ……。横暴ヒロインだなあ、キキレアは……。


 立ち止まってキキレアを見返すと、「なによ」と首を傾げていた。


 キキレアの格好はいつもよりきれいに髪を結んで、さらに可愛らしいフリフリのワンピースを着ていた。魔法使いの杖などは宿に置いてきたんだろう。そうしていると本当に、どこかの貴族のご令嬢のように麗しい姿だ。相変わらずの少女趣味ではあるが。


 俺はこれ見よがしに言ってみた。


「ナルは一緒にシャワー浴びてくれたんだけどなあ」

「はあ!?」


 キキレアは目を剥いた。効果は抜群であった。俺は口を尖らせてそっぽを向く。


「ナルは俺の髪も洗ってくれたんだよなあ」

「それあんた私にもやれっつーの!?」

「いや別に。ただナルはしてくれたんだよなー、って言っただけですー。別にキキレアにやってくれなんて言ってませんー」

「ぬぐぐぐぐ」


 今度はキキレアが歯噛みする番だった。


「ナルは簡単に自分の体を使うから、もう! マサムネを甘やかしてばっかりいて、もう!」

「先におっぱいを揉ませてくれたのはお前のほうだけどな」

「うっさいわ! あれはあんたの口車に乗せられただけよ! これ以上ヘンなこと言ったら焼き尽くすわよ!」


 顔を真っ赤にしたキキレアがその手に炎を宿す。しまった、からかいすぎたか。俺は両手をあげてじりじりと下がる。するとキキレアはビシッとシャワー室を指す。


「いいからさっさとシャワー浴びてきなさいよ! まずはお出かけ! そういうのは夜になってからでしょ! あとでよ! あとで!」

「はーい」


 あとで、か。

 シャワー室のドアを開き、俺は去り際にちらりとキキレアの姿を見た。


 キキレアは俯きながら、ぎゅっとワンピースの裾を握り締めていた。自分で言った言葉に、自分で悶えているようだ。ぷるぷる震えている。あとでどんなことになるのか想像してしまっているのだろう。耳まで赤い。


 ふむ。


 まあ、これはこれでいいかもしれないな。俺はサッとシャワーを浴びて、更衣室で着替えてから、キキレアと外へ出かけた。


 こんな時間に外に出るなんて、久々だなー。




 のんびりと町を歩く。俺は相変わらずの童貞Tシャツだ。しかしこのシャツを着て歩くのもきょうが最後だと思うと、なんだか妙に愛着がわいてしまいそうだ。個人的に買い取ろうかな。


 町の人も俺を指差しながら、微妙な顔をしていた。やはりキキレアを連れて歩いているからだろう。今のキキレアはどこからどう見ても貴族のお嬢様で、品がある。いつものエキセントリックなキキレアとは全然違う。中身も入れ替わっているんだろうか。


「なあに、ジロジロ見て」

「あ、いや」

「あんた、なんなのそのTシャツ……、いくら町の決まり事だからって、一緒に歩きたくなくなってくるわね……」

「なんだか俺もちょっと、悪いなって気がしてくるよ」


 ナルのときは全然気にしなかったのだが、隣にこんなに着飾った女の子がいると、さすがに申し訳なくなってくるな。


 キキレアはため息をつく。


「別にいいけどね。あんたの服を選んであげるっていう、私の楽しみがひとつ奪われただけよ」

「へえ、そりゃ残念だな」

「あんた、中身はともかく外見はそんなに悪くないんだから、しっかりとした格好をしたら、それなりに見えるんだからね」

「中身はってなんだよ、中身こそ最高だろ」

「あんたそれ正気で言ってんの? まだ起きてないんじゃないの?」


 隣を歩くキキレアは、笑いながら俺を見る。


「ナルがあんまり持ち上げるからって勘違いしているんじゃないの? ちゃんと自分のことは自分で把握しておきなさいよ。あんた、とてつもないゲスよ。近年まれにみるゲスよ。ジャックへの仕打ちは聞いただけでこいつを野放しにしていいのかしらってちょっと悩んだほどよ」

「ちなみにお前、自分のことはどう思ってんの?」

「え? 私?」


 俺が尋ねると、キキレアは胸に手を当てながら気持ちよさそうに告げてくる。


「そりゃー、当然S級冒険者にふさわしいだけの知識、実力、勇気、慈愛、人格を兼ね揃えた、完璧な人でしょう。最近では炎魔法の調子もいいし、向かうところ敵なしって感じよね」

「なるほど、人間って自分のことは見えていないもんなんだな」

「なんで私を見てしみじみ納得すんのよ!?」



 さて、きょうはどこへ向かうのかと思えば。


「ま、私に任せなさいよ。先攻後攻ではナルに先を越されちゃったけど、その分、昨日一日使ってあちこちの店をリサーチしてきたんだからね」

「へえー、お前そんなことをしていたのか」

「もちろんよ。このキキレア・キキさまの完璧なデートコースプランにミスはないわ」


 突っ込もうかどうか迷ったんだが、俺はとりあえず指摘する。


「お前も案外ノリノリだな。デートコースプラン、って」

「えっ!? そ、そう?」


 キキレアは顔を赤らめながら聞き返してきた。俺は頬をかきながらそっぽを向く。


「いやあ、まあ、きょうは一応、恋人同士って話だしな」

「そ、そうよね、べ、別に変なことはない、わよね……? う、うん……、だって、その、こ、恋人同士なわけだし……」


 急に視線を斜め下に這わせながら、キキレアは髪をいじり出す。俺とキキレアの間に流れているこの空気は間違いない。初々しい中学生カップルとかが醸し出す、付き合い始めのあの青春丸出しの気まずさだ!


 まさかこんなところで青春をやり直すとは思わなかった。十七歳の俺と、十七歳のキキレア。言うなればこれは、休日デートみたいなものか……。


 俺は気分を変えるために明るい声を出す。


「ま、まあ別に、いつも通り気楽にやろうじゃないか、キキレア。な、普段通りに、な?」

「……それじゃダメなのよ」

「ええっ?」

「だってそんなの、ムードも減ったくれもないじゃない。だから、私はこのデートであんたの私への印象を変えてやらなきゃいけないのよ。そうじゃなきゃ、ナルに先を越されちゃうだろうし、いつまでも仲のいい男女の友達みたいになっちゃうわ。そんなの……いやよ」


 自分に言い聞かせるように、キキレアはぎゅっと拳を握り締めていた。俺は意外そうにキキレアを見返した。


「……お前、そんなことを考えていたのか」

「やっぱり、おかしい? 私が、そういうことを言うのって。似合わないってことはわかっているわよ。悪いわね……って、ほら、また憎まれ口を叩くし! もう!」


 キキレアは頭を抱える。俺は「んー」と考えながら、つぶやいた。


「別に、おかしいってことはないさ。俺だって、魔典の賢者だってバレたとき、お前に精神崩壊されそうなぐらいに驚かれたしな」

「あれはいまだにまだ夢だったんじゃないかって疑っているわ」

「オイ。……いや、それはいいとしてだな」


 童貞を丸出しにした服を着た俺は、人差し指を宙に回しながら告げる。


「自分を変えようと努力しているやつに、似合わないからやめろだなんて俺は言わないよ。変化はすばらしいことだ。ロマンを求めるのはいいが、古い戦術だけに固執していたらトレーディングカードの世界では戦えない。その点、お前はすごいよ」


 S級冒険者まで極めた雷魔法を失って、ゼロからやり直して、それでも折れずに炎魔法を一流品まで鍛え直して。並のタフさではない。俺が同じ目に遭ったとして、キキレアのようなことができるかどうか。本当にキキレアは大したやつだ。心からそう思う。


 俺がそう言うと――。


 キキレアは赤くした頬を膨らませながら。

 だがしかし、俯いて俺だけに聞こえるような小さな声で、お礼をつぶやいた。


「……あんたの、そういうところが、好きなのよ。……もう、ありがと」



 そのとき俺は、不覚にもキキレアに萌えてしまった。


 俺は確信する。やっぱり俺の運命の相手は、キキレアだったのだ、と。

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