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第75話 「恋人はナルルース その3」

 ナルと手を繋ぎながら、歩く。


 女の子と手を繋ぐという行ないを今までやったことがあるかどうか己の胸に問い返してみれば、答えはイエスである。


 当然だ。別段、俺は女性とそこまで縁遠い人生を送っていたわけではない。不運なめぐり合わせによって付き合ったことはまだ一度もないが、だからといって手を繋いだこともないだろうなどと言われるのは不名誉だ。


 事実、幼稚園の頃は保母さんと毎日のように手を繋いでいたという記憶もある。見くびらないでもらいたい。


 などと考えつつも今、俺の心はドッキンドッキンだった。


 俺の左手の先に、ナルの右手があって、指を絡めながら繋がっている。横を向けばナルは優しく微笑んでいて、幸せそうに俺を見返してくれた。


 いつまでもこのときが続けばいいのに、なんてことを思ってしまう。


 今の俺は慎重で冷静なマサムネではなく、恋する賢者マサムネであった。


「ね、マサムネくん、ディナーの場所はあたしに選ばせてもらいたいんだけど……、いいかな?」

「ああ、いいとも」


 辺りも暗くなってきた頃、ナルがそう言い出した。お金はナルが持ってくれるらしい。ナルはすぐに高い装備品を買ったりするキキレアと違って、きちんと貯蓄をしているのだ。装備を更新する必要がほとんどないからだろう。たまに魔法効果のある装飾品をちょこちょこと買うぐらいだ。将来もきっと財布のひもをしっかりと握ってくれる素敵な奥さんになるんだろうな、ナルは。


 そんなマイスイートナルに連れられて、俺は町の郊外まで向かう。手を繋いでいると、普段は見慣れたような町の景色も、まるで違ったものに見えた。これがナルの普段見ているものなのかな、と思いつつ。


「ナル、こんな郊外においしい食堂があるのか?」

「うん、そうだよ」


 といっても、なんか道も砂利道に変わってきたんだよなー。ま、ナルの言うことだから間違いはないと思うが。


 そんなことを思った途端だ。


 俺の足がずぼっとなにかにハマった。ナルは手を離している。あれっ?


「あ、あれ? これ」


 俺は這い上がろうとするが、腰まで埋まっていて抜け出せない。ちょ、ちょっとなんだこれ。落とし穴か? さんざん人を落としてきた俺が、よもや落とし穴にかけられる日が来るとは……! いったい何者がこんなことを!


「おい、なんだこれ! ナル、もしかしたら敵かもしれないぞ! 辺りを警戒するんだ!」

「ごめんね、その必要はないんだよ、マサムネくん」

「え?」


 俺は見上げる。ナルが後ろに手を組んで俺の前に立っていた。その表情は見えない。ただ、なんとなく笑っているような気がした。


 え、ええー……。


 もしかしてこれは、あれか。以前に俺を監禁したあのダークナルが蘇ってきたのか。最近全然姿を見せないから、油断していた……!


「ナル、お前どういうことなんだ、これは。ことと次第によっちゃあ――」

「――マサムネくんが、かっこよすぎるからいけないんだよ」

「え?」


 なんか急にすごい褒められた。


「いや、別に俺は。まあそうでもあるかもしれないけど」

「マサムネくんがかっこよすぎるから、他の人もみんなマサムネくんのことが大好きになっちゃって、だからマサムネくんをあたしひとりのものにするためには、こうするしかないって思ったから!」

「え、ちょ、ええ?」


 ナルはじりじりと距離を詰めてくる。俺はカードバインダを呼び出した。


「ま、待てナル。さっきまでのピュアなお前はどこにいったんだ! 落ち着いてよく考えるんだ! 闇の力に飲み込まれるんじゃない!」

「よく考えたんだよ! 十三分じゅうさんぷんぐらい! でもあたしはこうするしかなかったんだよ!」

「もっとよく考えろおおおおおおおおお!」


 一晩ですらねえのかよ! なんなんだお前! 思い付きで行動するにもほどがあるだろ! だから落とし穴も中途半端な深さなんだよ! もうこれでいいやって思ったんじゃねえのか!


 とりあえず【ホバー】を使ってここから抜け出そう。そう思ってバインダをめくる俺に、ナルが肉薄してきた。


「くっ、ナル、お前俺を殴る気か! そうして前みたいに気絶させる気だろ! お前そんなことやったら今度こそ絶交だからな! お前の好感度、最低まで落ちるからな!」

「大丈夫! あとで挽回するから! あたしを信じて!」

「大丈夫じゃねえええええええええええええ!!!」


 絶叫が響き渡った直後、ナルの繰り出した掌底が俺の意識を吹っ飛ばしたのであった。




 目覚めた場所は、薄暗い空間であった。


 俺は手と足を拘束され、ベッドの上に寝かされていた。当然のようにバインダが使えない仕様である。辺りを見回せば、蝋燭の火が揺らめていた。その部屋はずいぶんと手狭ということがわかる。気絶したあと、ナルによってどこかへと連れて来られたのだろう。


 って、またこの始まり方かよ!


「いい加減にしろよナル! お前! さっきまでめちゃくちゃうまくいっていただろうが! なんで台無しにしちまうんだよ! バカじゃねえの!?」


 シーンとした。返事はない。俺はなおも叫ぶ。


「おい! ナル! 出てこい! 今ならまだ百叩きで許してやるぞ! だからほら! 早くこの手をほどけおら! ナルー!」


 わめき続けること十三分。しかしナルは一向に出てこなかった。


「おい、ナル……、出て来い、出て来いってば……。だんだん叫ぶのも疲れてきたぞ、ナル……」


 しかしいまだにナルは出てこない。え、ひょっとして俺ってここにひとりきり? 延々と閉じ込められたまま? どうするのそれ。


「おーい……、ナルー……」


 ひとしきり元気がなくなったところで、ようやくナルが顔を出した。


「お待たせ、マサムネくん」

「な、ナル!」


 いや、違うぞ。今のは喜びの声などではない。ようやくこれでナルを罵倒できるとかそういう意味での呼び声だ。


 そのナルはニコニコと笑いながら、両手にすり鉢のようなものを持っていた。……嫌な予感がする。


「なあ、ナル。それ」

「うん、エルフの媚薬。こないだイクリピアでお兄ちゃんに作り方習ったんだ」


 ギルノールー!


 俺は距離を取ろうにも、拘束されているから動けない。


「まあ待て、ナル。話し合おう。まずどうしてお前はこんなことをしようとしていたんだ? ぶっちゃけ、キキレアとナルではお前のほうが若干勝っているかも、とか思わなかったのか?」

「うん、全然思わない」


 ナルはきっぱりとうなずいた。それは少々意外だった。


「だってあたし、料理だって獣のさばき方ぐらいしか知らないし、がさつだし、全然可愛くないし、女の子らしいことなんてなんにもわかんないし、取り柄といったら百発百中の竜穿を扱えることぐらいだし……」


 猛烈に突っ込みたかったが、俺は口をつぐんだ。鋼の自制心のたまものであった。


 ナルは俯きながらつぶやく。


「キティーはしっかりしているし、美人さんだし、おしゃれだし、頭いいし、女の子っぽいし、優しいし、マナーだってちゃんとしているし……、あたしとは全然違うもん!」

「え? あ、ああ、そうだな」


 今なんだ、誰のことを言っていたんだ。キティーって誰だ。ナルの幼馴染かな? そういう優しい子がいるのかな?


 いや、とぼけるのはあとにしよう。ナルは叩きつけるように叫ぶ。


「それにマサムネくんは目を離すと勝手に童貞卒業サポートとか受けにいっちゃうし! キティーのおっぱいを揉んじゃうし! モテモテだからきっと女の子がたくさん寄ってくるんだよ! そんなマサムネくんをゲットするためには、もうこの方法しかないじゃん!」


 まったくなんでも人のせいにしやがって! 俺は首を振りながら言う。


「しかしだ、ナル! だからといって薬で俺の心をどうにかしようだなんて、そんなことをしてお前は満足なのか! お前は以前俺を監禁したときにも言ってたじゃないか! こんなのはあたしが間違っていたって!」

「うん、今まではそう思っていたよ」


 すり鉢を手にナルが迫ってくる。


「でも、お兄ちゃんが言ってくれたんだ。『エルフの媚薬を作れるのは、それはお前の技術だ。料理上手が料理を使って男を落とすのと変わらないだろう。ならばお前は手にした技術を使って男を落とすといい』って! その言葉であたしは勇気をもらったの!」


 ギルノールううううううううう!


 なんだよ! あいつあんな澄ました顔しながらも、ただのシスコンじゃねえか! 妹大好き人間か! 妹を甘やかしてんじゃねえよ!


「だからね、マサムネくん。ね、もう余計なことは考えなくていいからさ、あたしはマサムネくんのものになるんだから……、ね、マサムネくんも、あたしのものになってよ、ね」

「や、やめろ……」


 徐々に顔にすり鉢が近づけられてゆく。その中の毒々しい紫色をした液体は、コポコポと泡立っていた。こんなものを飲んだら死んでしまいそうだ。


 しかも恐ろしいことに、今のナルは思いっきり素である。以前のナルは媚薬を飲んで我を失っていた。だが、今のナルは素でこんなことをしているのだ。


 ナルは追い詰められると本当に意味のわからない行動に出る節がある。竜穿をぶっ放す癖とか、その最たるものだ。普段はニコニコ笑っているから、気が付きにくいのだ。


 俺はナルに訴えた。


「な、ナル……、俺はお前のことが好きだと言ったはずだ……、それなのに俺を信じてくれないのか……」

「……」


 ナルの動きがぴくりと止まる。よし、この方向性だな。良心に訴えかけよう。


「媚薬なんて飲まなくても、俺たちは両想いじゃないか、なあナル。違うか?」

「でもお兄ちゃんが媚薬を飲ませたらもっと確実だって……」


 ギルノール、マジであいつとは決着をつける必要がありそうだな。


「だったら、そうだ! 媚薬なんかよりも俺を釘づけにするための、もっといい方法があるぞ! 俺はそれを知っている!」

「えっ、ほ、ホントに?」


 ナルの目が輝き出した。やはりナルも媚薬はよくないと思っているのだろう。その心の隙を、俺は刺す。


「ああ、聞きたいか? ナル」

「うん、聞きたい聞きたい。カッコいいマサムネくんのアイデア、ぜひ聞きたいよ!」

「よし、ならカッコいい俺のアイデアを教えてやろうじゃないか!」


 俺は拘束されたままナルに向かって、下から言い放つ。


 よし、ここで俺は俺の本当の心を明らかにしようじゃないか。見てくれ、ナル。真の俺を。


 これが俺の思い描く、本当の幸せだ――。


「――それは、ひたすらゴロゴロする俺を養ってくれることだ!」


「え……?」

「え?」


 ナルに輝いていた胸のカードが、徐々に小さくなってゆく。寒々しい空気が俺とナルの間を吹き抜けていったのだった……。





 作戦通り、俺は郊外の地下室から解放され、童貞専用宿へと帰っていた。


 あの直後、ナルは「ちょ、ちょっと考える時間をちょうだい……」と言っていた。俺の誘拐を十三分で思いついた女が、長考に入ったのだ。別にショックというわけではないよ。全然。ナルにすら思いっきり引かれたけど、別に全然ショックじゃないよ、うん。別に……うん……。


 ていうかね、そもそもナルはだめだな。あいつ見境なくなるとヤンデレ化しちまうし。あんな手綱、俺には握り切れない。


 あんな言葉で消えそうになるカードなんて、どうせフィニッシャーじゃないに決まっているさ! 悔しくなんてない。悲しくなんてないぞ! 俺はこの胸の気持ちに従っただけだしな!



 そうだ。やはり、俺にはキキレアしかいないんだ!!!


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