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第70話 「童貞を卒業する町」

 キキレアたちに引っ張られて。


 ここではなんだからということで、場所を変えることになった。

 宿屋には俺が(童貞だから)入れてもらえないため、近くの『休憩所』という建物の一部屋を借りた。


 中には大きなベッドがひとつドンと置いてあり、それ以外にもくつろぐスペースがあるような部屋だ。たくさんの鏡があり、大きな声を出しても外には漏れないようになっているらしい。いったいなにをするための部屋なんだろう。監禁部屋かな?


 まあそれはいい。


 俺は広々としたソファーに、女性陣と向かい合って座っていた。左から順番にナル、キキレア、ミエリという並びだ。ミエリだけがよくわからないという顔をしている。


 口火を切ったのは、キキレアだった。


「なぜここに連れて来られたか、わかる?」

「いやあ」


 俺はごくごく自然に見えるような仕草で首をひねった。


「俺にはちっともわからないなー。はははー」

「ナル」

「はい」


 キキレアが鋭く合図すると、ナルは腰から鋭いナイフを引き抜いた。野生動物の皮を剥ぐときに使うような、ぶっといナイフだ。それをナルは俺に見えるように手のひらで弄んでいた。なんなの? こわいんですけど。


「あんたが私たちの問いにすっとぼけたりはぐらかしたりするたびに、ナルがあんたの指を一本ずつ切り落としていくから、心して答えるようにね」

「ふざけんなよ!? どこの尋問だ!」


 見ろ、ナルも困惑しているぞ。ほら、困惑して……、困惑している、んだよな? ですよね? ナルさん。


 ナルは暗い瞳をナイフに映しながら、淡々とつぶやいた。


「ごめんねマサムネくん、なるべく痛くないように済ませるからね」

「指を切り落とされて痛くないわけねえだろ!?」


 なんなんだ、どうなってんだよ。キキレアもナルも様子もおかしいぞ。


「ミエリ、お前もヘンになってんのか!?」

「え? いえ、わたしはついてきただけですけど……」


 よかった、ミエリだけは無事だ。他のふたりはもしかしたら精神攻撃を受けているのだろうか。俺のいない間に魔族が宿に忍び込んで……? くっ、なんてことだ、魔族のやつめ! だがそんなことを口に出すと指を切り落とされそうなのでやめた。


「あんたとは一度、きっちりと話をしなければならないって思っていたんだけど」

「あ、ああ」


 キキレアはじっと俺を見つめる。


「その、童貞卒業サポート? ってやつで、あんたは童貞卒業をしようとしているんだってね」

「……そうだよ。ウェンディに頼んだんだ」


 別にお前たちに迷惑をかけているわけじゃないだろう。だいたい俺が童貞を卒業しないと、この町では同じ宿にも泊まれないんだぞ。


「その子って、胸が大きい子なんだよね、マサムネくん……」

「お、おう」


 ナイフでなにかを削ぎ落すようなジェスチャーを繰り返しながらつぶやくナル。こわい。まだキキレアのほうが話が通じそうだ。


 キキレアは深いため息をついた。


「あんた、バカだバカだとは思っていたけど、ここまで言わないとわからないなんて、ホンットウにバカね……」

「誰がだよ、なんだよ、なにが言いたいんだよ」


 先ほどまでナルのナイフに気を取られていたから気づかなかったが、じろりとこちらを見るキキレアは、どことなく緊張をしているようだ。なんだ?


 彼女はナルに目配せをした。ナルはうなずくと、ナイフを腰にしまった。よかった。指を切り落とされずに済みそうだ。


「あのね」


 キキレアは小さく唇を開いた。


「あたしが前に、あんたに言ったことを覚えている?」

「『ああ、ああ……。ありがとうございます、助かりました……。私はキキレア・キキ。あなたが、パンの神様だったんですね……』だろ?」

「記憶力がいいわねあんた! それは忘れなさいよ! 指切り落とすわよ!」

「理不尽の極みじゃね!?」


 キキレアはそんなものは知らないとばかりに、バンバンとソファーを叩く。


「あたしたちはね! あんたに『好きだ』って告白したのよ! 覚えてんでしょ!?」

「そりゃあ覚えているよ。心のメモリーの奥の奥の奥に、大事にしまっている」

「たまには開けて見返したりしなさいよ!」

「うっせーな! いい加減に本題に入れよ!」

「うぐぐ」


 俺が怒鳴り返すと、キキレアは唇を噛む。なんだってんだよ、いったい。ナルが挙手して立ち上がった。


「はい! あたしもおっぱい揉まれました!」

「座ってろ! 話がややこしくなんだろ!」


 ナルは「はーい」と返事をして座った。素直か!


 いよいよキキレアが顔を赤くしながら、俺に詰め寄ってきた。そうして早口で言い放つ。


「だからね!? あんた、私たちがあんたに告白してんのに、そんなのお構いなしで初めて出会ったような女で童貞を卒業するのは変じゃないかって言いたいんだけど!」

「え?」


 俺は思わず聞き返した。なんだ、どういう意味だ? 俺は極めてプレーンな気持ちで問う。


「いや、だってそれとこれとは別の話じゃない?」

「え!?」


 驚いたのはキキレアのほうだった。

 なぜ驚くのか俺にはイマイチわからないのだが、とりあえず話してみよう。


「なにが違うのよ!? 私たちはあんたのことを好きだって言ってんのよ! ていうかこのセリフ何度言わせんのよ!」

「でもさ、キキレアもナルも、俺のことを好きだとは言ったが、別に恋人になりたいとか正妻になりたいとか、そういうことは言ってなくね?」

「物事には段階ってもんがあるでしょうよ!」

「はあ」


 俺は『めんどくせーなー』って顔をしていた。するとそのままキキレアとナルにめっちゃ睨まれてしまった。納得できかねる話である。


 俺が頬をかいていると、キキレアがミエリに向き直った。


「ちなみにこの際だから聞いておきたいんだけど、ミエリはどうなのよ」

「ふぇ?」


 ミエリは目を瞬かせる。寝耳に水の顔だ。


「マサムネのことをどう思っているのか、って聞いてんのよ」


 いやいや、キキレア。いくらなんでもそれはないだろ。ミエリが俺のことをどうこう思っているっていうのは二億パーセントない。今そうして聞いてみたところで、ミエリなんて『そうですね! マサムネさんはわたしのシモベです!』ぐらいのことしか言わないはずだ。


 そうだろうミエリ。


「そうですね! マサムネさんはわたしのシモベですよー!」


 そうだった。期待に応える女神、ミエリ。

 俺が睨むと、ミエリは視線を逸らす。


「し、シモベは言いすぎましたね。そうですね、こう、マサムネさんはこう、あれです。仲間……? 的な……? 友達……? いえ、なんでしょう……、知り合い……?」


 どんどんとランクがさがっていく!

 知り合い!? 俺知り合いと旅していたの!?


「……ふーん、そう」


 ミエリのことはその一言で諦めたらしい。それはそうとして、キキレアはなおも俺に詰め寄る。


「……断んなさいよ」

「え?」

「その、どっかの知らない女の童貞卒業サポートだかっての、断ってきなさいよ、マサムネ」

「おいおい」


 なに言ってんだこいつは。


 よしわかった。キキレアもナルも俺の恋人になりたいと明言はしていないが、そのつもりだったということなんだろう。そうかそうか。その上で、俺がウェンディに童貞卒業をさせてもらうことを、よしとしない、と。


 俺は視線を転じる。


「ナルも同じ意見なのか?」

「うん」


 ナルは暗い顔をしていた。


「マサムネくんがどこかあたしの知らない場所で、ど……、童貞卒業サポートとか、とか、そういうしてくるのはいやかなーって……。キティーと話し合って」


 恥ずかしそうに『童貞』の一言をつぶやくナル。そういえば俺たちさっきから童貞童貞連呼しているけど、本来はこれが正しい反応だよな。


「だいたい」とキキレアは言う。


「あんた、もしこの町が処女に冷たい町だからって、私たちが役所でイケメン相手に処女卒業サポートを受けてきまーすって言ったら、どういう気持ちになんのよ」

「……え?」


 俺は目を瞬かせた。


 キキレアやナルが、処女卒業サポートを受けてくる……? イケメン相手に……?


 黙って考え込む。俺は腕組みをした。なんだろうこの気持ち、心の中にもやもやが広がってゆく。


 ……あれ、嫌だな。それかなり嫌だな。なんでだろう。言語化しにくいが嫌だぞ!?


「嫌だな!」

「でしょう!?」


 キキレアは我が意を得たりとばかりにうなずいた。


「だってお前ら俺のこと好きって言ってんじゃん! だったらおかしくね!?」

「マサムネくんはあたしたちのこと、好きじゃないの?」

「え?」


 今度はナルが言葉の矢を放ってきた。竜穿は当たらないくせに、その一言は俺の胸に突き刺さった。


 キキレアはふてくされたような顔で俺を睨む。


「……そういえば私も聞いたことないわ」

「うん、あたしも聞いたことないよ」

「えっと……」


 俺は目を逸らす。ナルに顎を掴まれた。無理矢理目が合う。


「どうなの? マサムネくん。好きじゃないの?」

「えーとー……」

「恥ずかしいからって言わないのはフェアじゃないわよね。だって私たちは言ったんだから」

「あ、そういえば御者のおっちゃんどうしたかな。いい馬車買えたかな。きょうは旅馬車組合の宿で寝るって言っていたけど、おっちゃんは童貞じゃないから関係ないよなー」

「ナル、ナイフ」

「了解」

「好きだ! 俺はお前たちのことが好きだよ! これでいいんだろ!」


 俺は破れかぶれ叫ぶ。するとキキレアもナルも俺を解放してくれた。くそう、言わされた感が半端ない。


 キキレアは「そ、それでいいのよ」と言っているが口元が明らかににやけていた。ナルなんかはもう頬を手で押さえながら「やだー好きって言われちゃったーえへへー」って感じだ。ちくしょう。人を辱めやがって……。


 いいじゃねえか。お前たちが自分の意見を押し通そうと言うのならば、俺にだって考えがある。


 深淵を覗くとき、深淵もまたお前たちを覗いているということを教えてやろう。


「わかったよ、童貞卒業サポートをやめろっつーんだろ? だったらさ」


 俺は椅子にふんぞり返りながら、キキレアとナルを見返した。


「――お前たちが俺の童貞卒業に付き合ってくれるっていうの? そういうことなの?」


 そうだ。代替案がなければ、そんなものは提案とは呼べないよなあ? 俺はにやにやして問う。


 キキレアとナルは顔を見合わせていた。

 そうして、お互いうなずき合う。


「いいわよ」

「うん」


 ……。


 ……えっ?


「話し合ってきたのよ」

「あたしかキティーか」

「別にどっちでもいいけど……」

「好きな方を選んでね、マサムネくん」



 ええええええええええええええ!?


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