第68話 「童貞を殺す町」
三人の視線を感じる。後ろから俺を見つめているナル、キキレア、そしてミエリ。彼女らは俺がなにかを言い出すのをじっと待っているようだった。
それはすなわち、俺が誰を正妻に選ぶかを待っているか、ということなのだろうか……。
いや、決めつけるのは早計だ、マサムネ。ここはいったん落ち着け。冷静で慎重な俺の持ち味を取り戻すんだ。
まずは過去の事実を確認しよう。ナルもキキレアも確かに俺のことを好きだと言った。そうしておっぱいも揉ませてくれた。嬉しかったけど、別にそれはただそれだけだろう? 『恋人になりたい』だとか、『結婚したい』だとか、そんなことは一言も言わなかった。そう、言わなかったんだ。
ということは別に、ふたりはそれを望んでいるわけではないということなのではないか? そうだ、俺はいいことに気が付いたな。さすが俺。早合点して『正妻はこの人です!』だなんて言ったら、嫌われしまうかもしれないところだったぜ。ふたりはただボランティア的な意味で胸を揉ませてくれただけだったんだ。
こんなにも気がついて気が利く俺だからこそ、モテてしまうんだろうな。自分の頭の回転の早さが怖いぜ。
俺は気を取り直した。宿屋のおばちゃんに胸を張って言う。
「別に誰が正妻というわけではない。俺たちはただのパーティーメンバーだ。勘違いしないでもらおうか」
俺がそう言った直後、据わった目のキキレアが横から口出してきた。
「すみませんこの人、童貞なんで」
おまええええええええ!!!
するとおばちゃんは目を細めた。上から下まで俺を見る。なんだよ、いいじゃねえか別になんだって。俺は七羅将を倒した異界の賢者さまだぞオラァ。
おばちゃんは深くため息をついた。
「困るんだよね、童貞の人に泊まられると……、お兄さん十五歳過ぎているんでしょ? なのにまだ童貞なんて……、はぁ……」
「なんだよその態度は! だったらこいつらだって処女だぞ!」
「それは別に」
「なんでだよ!」
俺は足を踏み鳴らす。女はよくてなぜ男はだめなんだ。そしてなんでここまで俺がバカにされないといけないんだ。
宿屋のおばちゃんは「仕方ないねえ……」と言いながらなにやら手元のメモに地図を描き始めた。なんだなんだ。
「お兄さん、まだこの町の役場に顔を出していないんだろ?」
「役場……?」
なぜ俺がそんなところに行かなくてはならない。
「ちゃんと童貞証明をもらってきてもらわないと、この町じゃどこもお兄さんのことを泊められないからね」
「童貞証明!?」
なに言ってんのこいつ!? これドッキリ!? ドッキリなの!? ジャック辺りが俺への復讐を果たそうとしてんの!?
俺が憤慨していると、キキレアがそっと肩に手を置いてきた。
「……我慢しなさい、ここはそういう町なのよ……」
「説明をしろっつってんだ、俺は! 説明をしろ!」
「そういう言われても、『ただのパーティーメンバー』の私は、わざわざあんたにそれを教える必要はないわよね」
「キキレア!?」
なんだこいつ、言葉の節々に棘を感じる!
ナルやミエリは当然知らないだろうし、ぐぐぐ。
「じゃあ私たちは一足先に宿を取っているから、あんたも早く童貞証明をもらってきなさいよ。ほら、いきましょ、ナル、ミエリ」
「う、うん」
「いってらっしゃいー」
ナルは心配そうに俺を見ていたが、ミエリは何事もなく手を振っている。
宿屋のおばちゃんはゴミを見るような目で俺を見ているし……。
なんなんだよ本当に、この町は!
俺はポケットに手を突っ込み、ダークな雰囲気をまといながら歩く。通りを歩く人たちは俺の姿を見て、みんな横に逸れていった。
そういえば先ほどからやけにカップルを多く見るな。……ていうか、ひとりで外を歩いている男がひとりもいないんじゃないだろうか。
俺は嫌な予感を覚えつつ、メモに書かれた地図に従って、役場までやってきた。中は冒険者ギルドをさらに清潔にしたような感じだ。受付があってカウンターがあって、ジジババたちが椅子に座って順番を待っている。若い奴らも結構いるな。
ひとまず受付に向かう。受付はおっとりした感じの、亜麻色の髪を伸ばした美人な女性だった。全体的にむっちりしていて、俺のあまりにはあまりいなかったタイプの人だ。彼女はたれ目を笑顔に細めて、俺に声をかけてくる。
「どうかしましたか~?」
「あ、いや」
俺は口ごもった。
え、なに、この人に俺が童貞ですって告げなきゃいけないの? それなんて罰ゲーム?
おねえさんは首を傾げている。よし、せめてメモだけ見せて、それでどうにもならなかったら帰ろう。
暗い決意を固めながら俺はおねえさんにメモを差し出した。すると、それを受け取ったおねえさんは「ああ~」とうなずくと、俺の行く先を手のひらで指し示す。
「『フランクの宿』さんからのご案内ですね。童貞の方でしたら、十三番カウンターへどうぞ~」
「…………あ、はい」
俺は肩を落として、とぼとぼと十三番カウンターへ向かう。そこにはひとりの人も並んでいなかった。隣のカウンターはカップルだらけだ。婚姻届を受理する場所らしい。配置に問題があるんじゃないだろうか。カップルたちは十三番カウンターの前に立つ俺を見てクスクスと笑っていた。
「やばい、あれ童貞?」
「うん、そうみたいだねキャサリン」
「うっそー、童貞ってまだ生き残っていたんだ、マジやばいー」
「そうだね、本当に面白いねキャサリン」
ぶち殺してやろうかキャサリン。俺が拳を握り締めながら破壊の意志と戦っていると、カウンターの前にパリッとした男がやってきた。男は事務的な顔で俺を見て、「童貞の方ですね」と声をかけてきた。もう「はい」と言うしかない。
「では、こちらのシャツに着替えてもらえますか」
「はい……、はい?」
着替える? なぜ?
いや、いい機会だ。俺は恥を忍んで問いかける。
「あの、俺はつい先ほどこの町についたばかりの冒険者で、なんで童貞がこんなに差別されているか知らないんですけど」
「とりあえず着替えてください」
「教えてほしいんですけど」
「着替えてください」
「あの」
「着替え」
「はい」
俺はその場で渡された真っ白なシャツに着替え直す。
その胸にはプリントで文字が書いてあった。
『私は童貞です』
「うおおおおおおおおおおおおい!」
俺はその勢いのまま、シャツを引き裂こうとする。だがそれをカウンターの中の男に止められた。
「どうしたんですか! 急に暴れないでください童貞さん! 童貞であるがゆえの悩みがあるのはわかります! 人生はつらいことばかりでしょうが、がんばってください!」
「違ぇよ! なんなんだよこの町は! 童貞になんの恨みがあるんだよ! ああ!?」
「それでは着替えたことですし、簡単にご説明させていただきます」
全然動じないなこいつ……。コホンと男は咳をして、語り出す。
「魔王領域と近い場所に位置するこの町は、昔から魔族の攻撃にさらされてきました」
「なんだ!? まっとうな理由があるのか!?」
内容はこうだ。
魔族の攻撃で住人がどんどんと減少していったこの町は、子どもを増やすための政策を始めたのだ。
カップルに支給金を与えて、子どもを持つものに支給金を与えて……、とそんなことを繰り返して、人口を拡大していったらしい。
だが、その反動か、義務を果たさない十五歳を過ぎた童貞に対してやたらと厳しい町になってしまったとか。
よくわからんな……。
そんなラバーズガーデンのトチ狂った歴史を語られても、ゼンゼン納得できないんだが……。
「ともあれ、これでこの町の宿に泊まれるようになったんだな?」
「はい。さまざまな各種、童貞割引も使えますよ」
「童貞割引て……」
俺、この町に来てから一生分の『童貞』って言葉を聞いた気がするな。
「ただしそのシャツは、前を隠して歩くと捕まりますので、注意してくださいね」
「俺は犯罪者かなにかか!?」
くそう。もういい、宿に帰ったら三日間引きこもってやる……。
「それではこのあとに受付に向かってください、童貞さん」
「わかったよ! くそう! いちいち連呼すんな!」
俺は怒鳴り返す。そうして受付に向かっている最中だ。小さな男の子を連れたママさんが通りがかった。男の子は俺を指差して嬉しそうに笑う。
「わー、ママ―、あの人あんなにおっきいのに、どうていなんだってー」
「だめよボク、そんな風に言ったら。人にはいろんな事情があるんだからね」
「はずかしいのー。どうていー、どうていー、はずかしいー」
「…………」
俺は歯の根を噛み締めながら歩く。
さらに椅子に座っている中学生ぐらいのカップルが、俺を見て笑いをかみ殺していた。
「ねえ、あの人……、童貞って、すごいね……」
「うん、いまどきいるんだね、童貞って。絶滅したかと思ってた」
「悩みとかあるのかな、童貞さんにも」
「どうだろうね、ないんじゃないかな。なにが楽しくて生きているんだろうね」
「うっわ、さすがにそれはひどいよ」
「そうかな、ごめんごめん。童貞の気持ちはちょっとわからなくて(笑)」
………………。
この町に三日も滞在したら俺は、守るはずの人類を滅ぼす側に回ってしまうのではないだろうか、という予感をヒシヒシと覚えていたのだった。
【フィニッシャー】って、町にもぶち込めねえかなー。




