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第66話 「最後の旅路の始まり」

 車いすに乗せられたジャックが、庭園を散歩している。

 その瞳は遠くを見つめていた。ここではないどこかを思い浮かべるように。


「なんだか、変な夢を見てしまってね……、ふふふ、こんな僕を笑っておくれよ……」


 彼の後ろで車いすを押しているのは、エルフの王女ディネリンドだ。彼女は儚げな花のように微笑んでいた。


「ジャラハドさまはきっと疲れていらっしゃったんです。少し休めば、よくなるに決まっていますわ」

「はは、そうかなディーネ……うっ!」


 次の瞬間だ。ジャックは頭を押さえてキツく目を瞑った。


「ううっ、なんだこれ……、ぼ、ぼくのなかに、いまわしき記憶が……! よみがえる……!」

「ジャラハドさま……」


 ディーネはその男を一瞬痛ましいものを見るような目をすると、すぐに彼の前に回り込んで、ひざまずきながらその手を握った。


「ジャラハドさま、大丈夫ですよ、ジャラハドさま……。ここにはあなたを苦しめる人は、どこにもいませんよ……」


 ジャックは彼女の手を取ると、その顔をおそるおそる覗く。

 そして悲鳴をあげた。


「う、うわあ! ディーネの顔が! ディーネの顔がっ! マサムネにぃいいいいいいいい!」


 大きくのけぞったジャックは、車いすから転げ落ちた。そうして恐怖から逃れたい一心で丸まって震えている。

 それを見るディーネは切なさそうであり、哀しそうであり、しかし――。


 頭を抱えたまま震えるジャックの手を取って、ディーネはなおも辛抱強く微笑んだ。


「大丈夫です、ジャラハドさま。わたくしはわたくしです。ずっとここにおりますよ。大丈夫です、ジャラハドさま」


 触れた手の優しさに、ジャックは恐る恐る顔をあげた。一縷の希望をたぐり寄せるように、ディーネを見つめる。ジャックの目は不安に揺れていた。


「ディーネ……本当に、ディーネなのかい……?」

「ええ、わたくしですよ、ジャラハドさま……。ディネリンドはずっとジャラハドさまのおそばにおりますから……、ね、ジャラハドさま……」

「だいじょうぶ……? 急に顔がべりべりべりべりべりと剥げて、『俺だよおおおおおおおおお!』とか言い出さない……?」

「言い出しませんわ、ジャラハドさま……、言い出しませんから……」


 ああ……、とジャックは安堵のため息をついた。


 それはまるで、長い旅の終わりにようやく会えた恋人を見つけたように。母親に抱かれて微笑む幼児のように。安楽の地を見つけ出したかのように――。


「ディーネ……、僕には君が、君がいたんだな……。ああ、そうか、ディーネ……。君だけはそばにいてくれるかい……?」

「ええ、ジャラハドさま……。もちろんですわ……」


 ふたりは手を握り合っていた。

 あるいはそれは、とても幸せそうな光景にすら見えていた――。



 俺は応接間の窓から彼らを見下ろしながら、満足そうにうなずいた。


「よかったな、ふたりとも……。これからも仲良くな」


 これによって、ジャックは大切なものに気づけたのだろう。ずっと近くにいた、本当に大切な人に……。


 そう、幸せなままじゃ見えないものが、不幸になってからハッキリと気づけるってことがあるよな。


 これからふたりは支え合って生きてゆくのだろう。


 ――あばよジャック。機会があったらまたパーティーを組んで、バカ騒ぎしようぜ。あのときみたいに、さ。お前のことは忘れないよ。ありがとう、俺の戦友。


 俺は口元を緩めて、窓に背を向けた。


「なんだか一件落着したみたいな空気を出さないでもらえないかな」


 ランスロットが額を押さえながらつぶやいた。えっ?




 というわけでジャックを廃人にしたあと、俺はランスロットとハンニバルに感謝された。あれはたぶん感謝だったのだろう。手放しというわけではなかったが、まあジャックを城にとどめることができたからな。


 俺は宿屋のベッドに寝転んだまま、バインダを開いていた。


 ジャックの胸から手に入れたカード。イクリピアの第二王子の魂から抽出したそのカードは――。


 なんと、六枚目の『フィニッシャー』であった。


「ふうむ……」


 意外だ。ジャックの魂からこんなに強力なカードが出てくるなんて。もしかしたらあのままジャックが成長したら、とてつもない傑物になっていたのだろうか。まあもう廃人になったから無理なんだけどね。


 ジャックのことはとりあえずどうでもいい。つまりこれで、残るフィニッシャーはあと一枚。あと一枚で、フィニッシャーのすべてのパーツが揃う。


 異世界に来て半年と少し。つらいことはたくさんあった。もう駄目だと思うことも何度もあった。それでも俺はくじけずに、ずっとがんばり続けてきた。諦めなければ、いつか必ずこの世界を幸せにできると信じて。


 人々の笑顔さえあれば、他にはなにもいらなかった。感謝されるためにやっているわけじゃないんだ。金貨なんてもってのほか。ただみんなが笑顔でさえいてくれればそれでいいんだ。


 その夢がもう少しで叶う。俺は魔王を倒し、この世界に平和をもたらすことができるんだ。それこそが女神ミエリとともにやってきた賢者マサムネの使命であり、――俺自身の願いだからな。


 そんな風にフィニッシャーを眺めて物思いにふけっていると。


 ばっと急に俺の視界が開けた。バインダを何者かに奪い去られたのだ。


「あにぼーっとしてんのよ」


 キキレアだった。彼女は腰に手を当てて、俺を見下ろしている。なぜか目が尖っていた。


「あー?」

「あーじゃないわよ。もうホットランドいきの馬車が出る時間だっての」

「お、もうそんな時間か」


 俺は身を起こす。キキレアはまだ俺を睨んでいた。


「……なんだ?」

「別に……」


 キキレアはぷいと顔を背けた。ふむ。なんだか妙にとげとげしさを感じるが、その理由はよくわからないな。


 俺が身支度を整えていると。


「やっほー、マサムネくんー。もう出かける時間だよー」

「にゃっほー」


 部屋にはナルだけではなく、ミエリまで入ってきた。


「あれ、なんでお前いんの?」

「女神は困っている人のもとに現れて、いつだって微笑みますもの」

「だったらもうちょっと前に現れてほしかったんだけどな……」


 具体的には俺がジャックに口説かれている最中に現れてほしかった。そうしたらあいつも廃人にならずに済んでいただろう。


 まあ終わったことはもう仕方ないな。忘れよう。はい次、次!


 そんな感じで、ミエリに改めて問う。すると、種明かしをしてくれたのはキキレアだった。


「私たちが出発したそのあとに、すぐにホットランドを発ったらしいのよ。でもあちこち観光がてら寄り道していたら、到着が遅れちゃったって」

「なんでお前らは別々に来るんだよ」


 なんなんだ、金が有り余ってんのか。有り余ってんだろうな。ずりぃな。俺は旅館で散財しちまったってのに……。


「でも帰りはみんな一緒だね!」


 ナルは嬉しそうに言った。俺もつられて笑う。やっぱりナルの笑顔は心に染み入るな。ジャックから手の甲にキスをされた記憶も癒されてゆく。


 そうだな、イクリピアの思い出は捨てて、ホットランドに帰ろうじゃないか。ここでは本当にロクなことがなかった。


 元気でな、ジャック、ディーネ。幸せになれよ!




 つーわけで、俺たちは一緒にホットランドに向けて馬車に乗った。

 またここから一週間の道中だ……。長い……。


 旅の最中、キキレアとミエリはゼノス神殿に行ってなんとかかんとかとか語り合っていたが、俺は特に興味がなかったためスルーしていた。ゼノス神殿……? いったいなんだっけそれ……。


 しかし、いつものメンバーに囲まれていると、やっぱり落ち着くもんだな。

 マーニーの姿は体が軽くなるし、なんとなく気分がよくなるもんだが、やっぱり慣れ親しんだ男の体が一番だ。

 早いとこ旅館に帰って、こたつでぐーたらしたいぜ。


 と、そんなことを思いながら数日間を馬車で過ごしたところで、アクシデントが発生した。


 急にガコンと音がして、すぐに馬車が止まった。


 俺たちは顔を見合わせて馬車を降りる。荒野のど真ん中だ。昼を少し過ぎたあたりか。このへんはまだ太陽の光が温かい。


 見やる。馬車の車輪が見事に外れていた。


「え、故障か?」

「おかしいな」


 御者が首をひねる。すると、俺たちの後ろで急激に土が噴き上がった。


 俺たちはいっせいに振り返った。そこには巨大な亀の魔物が出現していた。地面の中に埋まっていたのか。


「あ、あんなやつ、今まで見たことないぞ!」


 悲鳴をあげる御者。なるほど、あいつの甲羅を踏んずけたから車輪が痛んで外れちまったんだな。


 亀の魔物は四つ足で立ち上がる。その姿は見上げるほどだ。高さは四メートルほどで、体長は十五メートルぐらいあるんじゃないだろうか。こんなのが土の中に埋まっているなんて異世界すごいな。


「キキレア」

「知っているわ」


 もう俺がなにかを聞くよりも先に、キキレアはうなずいていた。キキペディアはきょうも絶好調だ。


「あれはアーケオタートルね。普段は人里離れた陸地に住む魔物で、心優しい生き物のはずなんだけど、まれに人間の生活圏に足を踏み入れるやつもいるわ。そいつらはたいてい、人の肉の味を覚えた魔物よ。退治するしかないわ」


 なるほどな。


「じゃあ俺とナルが前に出る。キキレアとミエリがいつも通り援護だ。頼んだぞ」

「だめよ」

「あ?」


 突然の反抗期か? 今さらになって第二次成長期なのか?


 違った。キキレアは首を振る。


「アーケオタートルは魔法防御が抜群に高いのよ。私やミエリじゃダメージは与えられないわ」


 キキペディアの記述に、ミエリは胸を張りながら異を唱えた。


「ふふっ、人間の常識に当てはめれば、そうかもしれませんけどねっ。キリッ」


 そこで自信満々に言い放ったミエリはその指を晴れた空に掲げた。

 ミエリの金髪がふわりとなびく。魔力によって衣がはためいた。


 そうして詠唱を開始する。あの呪文は――。


「だったら見せてあげましょう! このわたしの力を! ――脈々と受け継がれし聖なる鉄槌! この世のあらゆる魔を滅し、灰燼と化せ、穢れなき雷! 此処に! 我がかいなに出でよ!」


 雷属性最強魔法――。


「いんでぃぐねいしょおおおおおおおおおおん!」


 天から巨大な稲光が落ちた。


 世界を青白く染め上げるほどに放たれた強大な魔法は、アーケオタートルに直撃した。爆風が広がり、土煙が巻き上げられてゆく。「ひゃあー!」と叫び声をあげながらキキレアが吹き飛んでいった。俺はナルにしがみついて必死に耐える。


「こんなところでいきなり大魔法を使うんじゃねえよー!」

「わーお! 威力絶大! 雷神招来だね!」


 ナルは興奮して拳を握っていた。しかし――。


 甲羅に引っこんでいたアーケオタートルは、まるで無傷のようににゅっと首を出した。そうしてこちらにズンズンと駆けてくる。

 速い、亀のくせに!


「ぜんぜん効いてねえじゃねえか! ポンコツ女神!」

「あれー!?」


 悲鳴をあげて首を傾げるミエリ。その体が踏み潰されそうなところで、俺が【ラッセル】のカードに切り替えつつ、ミエリをお姫様抱っこで担ぎ上げた。キキペディアを疑うなんて、神でも許されない所業だぞ!


 ミエリは顔を赤くしながら叫ぶ。


「はっ、ま、マサムネさん! どさくさに紛れて今、わたしのお尻触りませんでした!?」

「お前のなんて触らねえよ! だったらナルかキキレアに頼むわ!」

「は!? わたし女神ですよ!? 希少価値は人間よりはるかに高いじゃないですか!? 特殊性癖者ですか!?」

「お前がミエリだからだよ!!」


 言い合っている間に、二度目の攻撃が来た。俺はさらに間一髪で飛び上がって踏みつけを避ける。馬鹿をしている場合ではない!


「ナル! 亀の下に潜り込んで、下から矢をぶっ放せ! ギガントドラゴンのときと同じやり方だ!」

「わかったよー!」


 ナルは叫びながら竜穿を手に持ち、四つ足で立ち上がったアーケオタートルのその真下に走っていった。

 うちのダメージソースは魔法攻撃がメインだから、それが通用しない相手はナルに頼るしかないんだよな。ま、俺の【オルトロス】も一応あるんだが。


 ナルの思惑を察したのか、アーケオタートルは腰を下ろそうとした。このままではナルが潰れてしまう。ということで、俺は先に【ゴーレム】を呼び出す。隙間に挟んでおけば、ナルが潰されることはないだろう。そして竜穿でトドメを刺してもらう。完璧な作戦だ。


 アーケオタートルが腰を下ろした。【ゴーレム】ごとナルは潰された。


「ナルううううううううううううう!」


 昼間の空にナルの笑顔が浮かんでいた。彼女は満面の笑みで親指を突き立てていたのだった。


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