第63話 「正妻同盟」
初めまして私マーニー! 毎日一生懸命がんばる、十七歳のごく平凡な女の子!
冒険者ギルドの受付嬢をしていたら、ある日銀髪のイケメンに告白されちゃってもうびっくり☆ さらにさらに、なななーんと、そのイケメンが帝都イクリピアの王子さまだっていうから、またまたびっくりー☆☆
そんなこんなで王子さまに『正妻にならないか?(キラキラッ)』って誘われちゃって、それってもしかして私がお姫様ってことー!?(ウソウソそんなの信じらんない!)
でもドキドキしていると、その王子さまの婚約者を名乗るとっても綺麗なエルフのお姫様がやってきちゃって、ひゃーん、これって修羅場のヨカン!?
どうしようどうしよう、マーニー困っちゃうー! わたしはただ平和に生きたいだけなのにー!(涙)
と、そんな謎のナレーションが頭を流れていった。
どうも、マーニーです。今、修羅場に巻き込まれています。
あたふたとうろたえるイクリピアの王子ジャックと、絶叫は収まったもののメソメソと泣いているエルフの姫ディネリンド。俺はいったいどうすれば。気まずい。ものすごい気まずい。
ジャックはこちらをちらちらと見ている。見ているが、俺はなにもしないぞ。だってディネリンドのこと、なにも知らないし。もう余計なことは言わない。無の境地だ。
がんばれジャック。俺の好感度を稼ぐチャンスだぞ。マーニーエンドは絶対にありえないが。俺は内心で応援をする。この空気を吹き飛ばしてくれるなら、なんだって構わない気分だ。
ジャックは「そうだ!」と手を打った。
来る。イクリピアの第二王子の起死回生の一撃が、今、来る――!
ジャックは朗らかに語り出した。
「実は昨日、こんな分厚いステーキが出てさ。それが肉汁がたっぷり出ておいしくてさ。それをシェフに聞いたら、フェルマーレ地方で獲れたブラックバイソンっていうモンスターの肉だってね。いやあモンスターも食べたらおいしいんだねー。いやあびっくりびっくり!」
「…………」
「…………」
ジャックと俺とディネリンドの間を、冷たい風が吹き抜けていった。
こいつ、へらへらとなにを言っていやがるんだ……!?
笑っていたジャックは真顔に戻ると、顔を背けながら一言「おかしいな……」とひどく重苦しい声でつぶやいた。
「……女性相手には、グルメの話題が鉄板だと聞いたのに……、なぜこんな空気に……」
「時と場合によるだろ!」
俺は思わず元の口調のままで怒鳴ってしまった。ジャックはハッとして俺を見る。ジャックのことだから別になにも気づいていないとは思うが、俺はわずかに身を引いた。な、なんだよ。俺はマーニーだぞ。
ジャックは怪訝そうにつぶやいた。
「女性関係で修羅場っているときに提供する話題として、グルメはふさわしくない……?」
「言わずもがなー!」
俺は床に怒鳴った。だめだ。ジャックはもうホントにだめなやつだ。お前自分で一度ぐらいモノを考えろ! それでも俺の二つ上か!
そんな俺たちを見て、ディネリンドが再び目に涙をためてゆく。なんだよ、なんかトリガーがあったのか!? もうわからないよ、女心なんてわからない!
ディネリンドの大号泣が炸裂するその寸前――、ノックの音がした。
ジャックは蜘蛛の糸を見上げる罪人のごとく勢いで「どうぞ!」と叫ぶ。するとドアがガチャリと開かれた。
執事騎士、ハンニバルだ。彼はいつもの能面のような微笑の中に、一滴の冷や汗をこめかみに垂らしていた。
「で、ディネリンドさま。本日はどうやらお疲れのご様子。いかがでしょうかな、また日を改めるというのは」
「…………やだ……」
「そう! そういえばこないだ出されたスープに入れられていた香辛料がどうも特別製らしく、南の国のジャングラでとれたばかりの!」
「少々お黙りください王子」
「はい」
「…………わたくしは…………」
ディネリンドはキッと俺を睨む。ひい、すみません。
だが、彼女はやってきたメイドからハンカチを渡されると目を拭いて、ジャックに向かって恭しく一礼をした。
「……それでは、ここはハンニバルの言う通り、わたくしは一度帰ります。お見苦しいところを見せてしまい、誠に失礼いたしましたわ、ジャラハドさま」
「う、うん。ま、またね。あっ、き、気をつけてね!」
「……、ああ、やっぱりジャラハドさまは、お優しい方ですわね」
ディネリンドは微笑すると、そのままゆっくりと部屋を出てゆく。
行ってくれた。去っていった。
しばらくして。俺とジャックとハンニバルのため息が重なった。
ずいぶんとエキセントリックなお嬢様だったな……。
「しかし、ハンニバル……さんが動揺するなんて、あのお姫様はとんでもない人なんですか?」
マーニーの口調で問うと、ハンニバルは困った笑みを浮かべながらヒゲを撫でる。
「いえ、まあ……、そういうわけではございません。素直で優しくて、気のいいお嬢様なんですよ、ディネリンドさまは。ただ少しだけ感情表現に豊かなものがございますが……」
「ものはいいようですね」
「なにぶん、あの方が生まれた頃から知っているので、あまりよくないことだとはわかっているのですが、どうも孫を見ているような気持ちになってしまうのです」
そうか、この爺さんにも苦手なもんがあったんだな……。
横でジャックが「あれ!? じゃあ生まれる前にから知っているはずの僕にはどうして冷たいの!? ねえハンニバル、ねえ!?」と騒いでいるが、それは些細なことである。
ひとしきり騒いだ後、ジャックはおもむろに髪をかき上げた。それから俺に手を差し出してきて、はにかむ。
「ふふっ、情けないところ、見せちゃったかな? マーニーさん」
う、うん……。
そんな軽口を叩けるようなレベルの情けなさじゃなかったけどな……。百年の恋も冷めそうな感じだったんだけどな……。なんなんだこいつ、図太いのか繊細なのかわかんねえ……。
「さ、というわけでマーニーさん、そろそろあの返事を聞かせてほしいんだけどさ」
「……あ、あの返事ってなんですか?」
俺は首を傾げる。とぼけたその態度が、なんかジャックのツボに入ったらしい。感極まったような態度で「か、かわいい……!」とか言いやがった。今お前のせいで俺が大変なことになってんだぞ、わかってんのか……!
「まあまあ、ジャラハド。そう急くな」
「えっ、あっ!?」
振り返るジャック。応接間の入口に立っていたのはランスロットだ。さっきまで俺たちと話していたからな。外でひやひやしながら待っていたんだろう。
ジャックは背筋を正してランスロットに頭を下げる。
「に、兄様! きょうは兄様にお話をしたいことが!」
「まあ待て、ジャラハド」
ランスロットはジャックを制止した。制止できずに手の甲にキスされた俺とは違う。弟の扱いがわかっている。すごい。
ランスロットは堂々と言い放った。
「ディネリンドの気持ちを整理する時間も必要だろう。一週間後に小さなパーティーを開く予定がある。そこで思う存分想いを打ち明けるがいい。舞台は俺が整えてやる。もちろんそこにいるマーニー殿も来てくれるそうだ」
ジャックは目を見開いた。
「兄様……! さすが、兄様は僕のことをなんでもわかっている! わかったよ、兄様、マーニーさん、ハンニバル! 僕はその日のためにより一層男を磨くとしよう! ありがとう!」
「ははは……」
俺は乾いた笑い声をあげた。胸が苦しい。コルセットに締めつけられて、もうそろそろ倒れそうな勢いであった。女ってのは大変だなあ!
とりあえず、一週間の時間をいただけたわけだ。
俺はこの日、コルセットを外した後にご飯をご馳走になって、宿へと戻った。【トランス】を使うと、丸一日マーニーの姿から戻れないからなー……。
夜の道をいつもの調子でのんびりと歩いていると、妙に視線を感じる気がする。なんでだろうな。そう思って辺りを見回すと、なにやら男たちが俺を見ているような気がした。自意識過剰だろう。早く帰って寝よう、マーニーちゃんきょうは疲れた。
そんなことを思いながら早足で路地裏を帰っていると、途中で三人の酔っ払いに絡まれた。
「おうおうねーちゃん、ちっとこっちで一緒に飲もうじゃねえかあ」
「ああー?」
俺はギロリとそちらを睨みつける。だが普段はその一撃で退散するはずの酔っ払いが、きょうはやけに嬉しそうな声をあげた。む、そうか。女の体だからか。まったくこれだから男ってやつは本当に仕方がないな。
相手はふたり。よし、生き地獄を味わわせてやろう。そう思ってバインダを呼び出そうとした俺は、その腕を大柄な男に捕まれた。
お、おお……?
やばいびくとも動かない。バインダがどさりと手から落ちる。その間にも酔っ払いたちは包囲網を狭めてくる。なんだこれは。ひょっとして私、今ピンチなのかしら。
「ちょ、ちょっと待て、待て!」
「待てと言われて待てるやつがいるかぁ~! ヒャッハー!」
「ヒヒヒヒ、ねーちゃんあんま暴れんなよヒヒヒ、手が滑っちまうだろォー」
「暴れるなと言われて暴れないやつがいるか!」
私は怒鳴りながら蹴りを見舞う。だが大して効いていない。もちろんそうだ。私は格闘技の経験なんてないからね。蹴る蹴る。しかし男は笑っている。おおい、なんだこれ! 男め!
「私は王子さまに好きだって言われているんだからね! ジャラハドさまにぶち殺されるんだからね、あんたたち!」
やぶれかぶれに叫ぶが、しかし男たちは聞いていない。うおおー! お前たちもうこうなったら俺がなんかすごいヤバイ方法を使って殺すしかないー!
そんなことを思っていたそのときである。俺の腕を掴んだ男が、ぱっと手を離した。そうして真横に吹っ飛んでゆく。激しい衝撃音が響いた。
「えっ?」
酔っ払いどもは慌てて大通りのほうを見やる。するとそこには、魔法灯を背にひとりの少女が立っていた。彼女はその手にふわふわと水球を浮かべている。魔法使いだ。
「大勢の男が寄ってたかってひとりの女の子に……、恥を知るべき行ないですわね。ぶっぶー、はい人としてすごい失格ぅー」
「なんだテメ――」
叫ぶ男の顔面に、水球が直撃した。鋼鉄のボールを投げつけられたかのように、大きく吹っ飛んでゆく男。水は弾けてばしゃんと地面に染みてゆく。凶器は残らない。完全犯罪である。
「冷水で頭をお冷やし遊ばせ」
酔っ払いの最後のひとりは、仲間のふたりを引きずってどこかへと立ち去っていった。
なにやら執事のような男が少女に「こんな危ないことに首を突っ込まないでくださいませお嬢様!」と叱っていたが、しかし少女はどこ吹く風。緑色の髪を翻し、少女はこちらへとつかつかと歩み寄ってくる。
「こんな危ないところをどうしてひとりで歩いているの、あなた。大丈夫でした? ……って、あなた、先ほどの……」
ディネリンドであった。
まさかこいつに助けられるとは。
俺はそっぽを向きながらつぶやく。
「……別にあれぐらいの相手、私ひとりでもなんとかなったけど。でも、一応お礼は言っておく。助けてくれて、ありがとう」
ディネリンドはため息をついた。
「とりあえず、来なさいな。庶民を守るのは我々の務めです。送って差し上げますから」
そんなこんなで、俺はディネリンドの馬車に乗せられた。なんだか馬車の中の空気が重いです。ディネリンドは窓の外を眺めたままずっと喋らないし。
いよいよこれは俺がグルメの話題を口にするしかないのだろうか、と間違いなくスベる予感を覚えていた頃であった。
ぽつりと、ディネリンドがつぶやいた。
「わたくし、ジャラハドさまが大好きなんですわ」
「……ん」
「ずっと昔から一緒で、物心ついたときからそばにいて、わたくしはジャラハドさまと結婚するようにと言われておりました。そのことになんの疑問も覚えず、むしろそれが光栄なことだと思っておりました」
あんまり聞きたくない話だが……、代わりにグルメの話題ぐらいしか提供できない俺は、黙ってより他なかった。
「幼い頃から夢見ていたそんな幸せが、いつか崩れてしまうものだなんて、思ってもみませんでしたわ。はい人生とはすごく儚いものですぅー……はぁ」
ふー、っと窓ガラスに吐息をはくディネリンド。彼女はハートマークを描いたあとに、それにバッテン印をつけた。悲しげであった。切ない。
ううむ。俺はおそるおそるディネリンドに問う。
「あのー、ディネリンドさんー」
「なんですの」
「つかぬことをおうかがいしたいんですが……、どうしてそんなにジャラハドさまのことが好きなんですかー」
「……」
ディネリンドは頬を染めながら目を逸らした。
「だ、だってかっこいいじゃありませんか」
「………………」
あれ、今誰のことを話しているんだっけ。
「男気があって、優しくて、大人で、振る舞いが高貴で、気遣いができて、女性の扱いがうまくて、華があって、社交界では人目を引いて……」
「それマサムネってやつのこと?」
「違いますわ。というか誰ですの、そのマサムネって。ダサい名前。ジャラハドさまのことに決まっているじゃありませんか」
センスは人それぞれだからいいとして。
「そこまでジャラハドのことが好きなのかー……」
俺は馬車の屋根を見上げた。
恋は盲目と言うが、こいつの場合はやばいな、極まっているな。
そういえば同じエルフであるナルも、かなり思い込みの激しいところがあるんだよな。もしかしたらエルフの固有スキルなのかもしれない。
……って、待てよ。
あれ、今思えば、別にこいつと敵対する必要なくない?
ジャックのことが好きで好きでたまらないディネリンドだろ? だったらふたりをくっつければいいんじゃないかな。ていうか、恐らくランスロットもハンニバルもそれを狙っているんじゃないか?
別に悪いやつじゃなさそうだしな、うん。
「あのさ、ディネリンドさん」
「なんですの……、だらしない胸の方……」
「実はわたし、好きな人がいるんだよね」
そう言った瞬間である。ディネリンドは、ぱぁぁぁぁと顔を輝かせた。さっきまで暗く落ち込んでいたのが嘘のようである。
だが、直後にハッと気づく。
「そ、それはやっぱりジャラハドさまのことが……? ジャラハドさまはこの世界のありとあらゆる男性の頂点に位置するお方……」
「いや、まあ、違います。違うのですが」
俺が明確に否定すると、ディネリンドはさらに瞳に光を取り戻す。
「ま、まさかまさかそんな! いえ、でも! ジャラハドさまに求婚されたらそれ以外のすべてなどまるで目に入らず、ただひとつの愛の奴隷になってしまうのはまさに確実……! それが大正解……! なのにジャラハドさま以外に好きな人が……? いったいどういうこと……、ジャラハドさまには知られざる第二の人格があってその人のことを好きだとでも……?」
「うん、ちょっと待ってね。話を聞いてね」
俺はこめかみを押さえながら辛抱強く語る。
「実は一週間後のパーティーで私、ジャラハドさまからの求婚を断るつもりで――」
その計画の一部を俺は、ディネリンドに話した。
パーティーで別れを告げられるジャック。
傷心する王子。
そこに現れる救いの手。
そう、エルフ族の姫君。
彼はその優しさに、本当に大切なものがなにかと気づく。
古典映画のようだ。
そう、その話をするとだ――
ディネリンドはその瞳を真っ赤に潤ませたまま、俺の両手を握り締めながら、興奮した面持ちでこう言うのだ。
「ありがとうございますわ! マーニーさん! わたくし、あなたさまのことを誤解しておりました! あなたはなんていい人なんでしょう! わたくしのことはディーネと呼んでくださいまし!」
「う、うん」
俺は身を引きながらうなずいた。
どうして俺の周りはこんなやつしかいないのだろうか。
それともこの世界には、こんなやつしかいないのだろうか。
もしかして、キキレアとナルとミエリって結構まともなやつだったんじゃないだろうか……。マーニーはそんなことを思っていました。




