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第58話 「マブダチ竜王アシュタロス」

 ブラックマリアを呼びにエレベーターの前に立とうとした時だが。

 そういえば、俺の大事なパーティーメンバーをあの竜王と一緒に置いとくのは、いかがなものだろう、とかが一応脳裏をよぎった。


 そう思って振り返れば、アシュタロスは玉座の後ろで真っ青な顔で頭を抱えたまま「やばいむりやばいむりやばいむりやばいむりやばいむり」と怨霊のように唱え続けていた。


 大丈夫過ぎる……。なんであんなのが竜王になれたんだ……。


 釈然としない気持ちを押さえながら、俺はエレベーターに乗って地下六階に向かった。


 部屋について事情を話すとブラックマリアは「え、やだな……」という顔をしていたのだが、俺の頼みということで、なんとか聞いてもらった。持つべきものは【タンポポ】だな。

 冗談とかじゃなくて、この世界で一番俺の危機を救ってくれているカードは【タンポポ】の気がする……。


 というわけで、ブラックマリアを連れてきて、俺は再び地下三十階に戻ろうとして。


 エレベーターの前まで来たところで、――ふと、大切なことを思い出した。


 そういえば、だ。


「……うん? どうかしたの? タン・ポ・ポゥ」

「いや……」


 この女、そういえば直前に……。俺に、胸を揉まれても構わないと、そのような言葉をほざいていたような気が……。


 いや、でも、今からこいつをアシュタロスのもとに連れて行こうとしているのに、その前に一揉みするとか、さすがに人間としてゲスを通り越して最低すぎる気がする……。


 いくらなんでも、それをするのは、俺の良心が……。


「?」


 ブラックマリアは無垢な瞳で俺を眺めている。今はローブを羽織っているため、あの豊満な胸は見えていない。だが、このローブの中にはぷるんと揺れる素敵な宝島が隠されているんだ。


 この世界の女子は、ひとりひとつの宝島を隠し持っている。俺はどうして今さらそんなことに気づいてしまったんだろう。もっと小学生時代だとか、中学生時代に気づいていれば、なんかもっと、こう、巧いやり方があったはずなのに! くそう!


 だめだ。いくらなんでもアシュタロスにお届けする前に胸を揉むわけにはいかない。あいつの想いを聞いてしまったんだ。さすがにダメだ。俺はそこまで屑に落ちるわけにはいかない。


 だが――、だがもしも――。


 今この場で、例えばもしも! ブラックマリアが「揉まないの?」なんて聞いてきたら、俺は抗う自信がない! だってそれはもう、チャンスを与えられているってことじゃん! 絶好球を前にして振らないバッターなんて、そんなのはもう男じゃないじゃん!


 まさかこんなところで義理と男のプライドを天秤にかけさせられるとは……。なんか俺、おっぱいに目覚めてからものすごいでっかい弱点がひとつ増えたような気がする……。


 色を知れば強くなるってなんか漫画で読んだけど、嘘じゃん……、こんなの絶対に嘘じゃん……。俺めちゃめちゃ弱体化している気がするんだけど……。


 ブラックマリアは俺をじーっと見つめている。やばい。そんなに見ないでくれ。期待してしまうから! 許してくれ! 俺は最低の人間にはなりたくないんだ! 俺の願い、届け!


「あの」

「はい!」


 俺は笑顔で彼女に向き直った。

 ブラックマリアは小首を傾げながら、俺の後ろを指差して、言う。


「タン・ポ・ポゥの仲間も、迎えに来たの?」

「ん?」


 振り返る。そこにはキキレアが腕組みをしながら仁王のように立っていた。


「あんたが直前におっぱいおっぱいうるさかったから、一応見に来てやったのよ」


 俺は髪をかきあげながら笑った。


「なに言ってんだ、キキレア。今からこいつをアシュタロスのもとに連れて行こうっていうのに、そんなことするわけねーだろうが。頭どうかしてんのか? この俺、マサムネはそこまで落ちぶれちゃいねえぜ」

「…………」


 すごく寒々しい視線が返ってきた。


 いいんだ。心の中で思っていたことはノーカンだろ、ノーカン。俺は実際にやっていないわけだしな。うん。俺は正しいことをした。俺の正しさは後世に語り継がれるであろう。伝説に残れ。


 エレベーターに三人で乗ると、キキレアが口を開いた。


「ねえ、ブラックマリア」

「うん?」

「もしマサムネが『胸を揉んでいい?』って言ってきたらさ」

「うん」


 俺がドキッとしていると、キキレアは何食わぬ声で言った。


「チ○コねじ切っていいからね」

「了解ー」


 ブラックマリアもものすごい軽く了解していた。


 俺は真っ白になりながら、エレベーターの天井を見上げて拳を握り締める。グッバイ。俺のささやかな甘い夢――。




 玉座の間につくと、アシュタロスは大仰に足を組んで椅子に座っていた。

 だがよく見ればワイングラスを持つその手はぷるぷると震えている。超絶ブルっちまっているな。


「ほ、ほう、よ、よ、よく来たな、ブラックマリアよ!」

「いや、連れられてきたんだケド」

「はっ、そ、そうだったか! で、では、何の用だ!?」

「用があるのはそっちなんじゃないのー?」


 早くもブラックマリアの目が尖り始めてきた。『うっとうしいわー、このガキ。マジでうっとうしいわー』っていう顔だ。そう、ブラックマリアは超絶短気だ。俺は何度も殺されそうになったからな。


 ていうか、もしかしてアシュタロスは、いつもこんな風にクソ偉そうな態度を取っているのだろうか。デレの裏返しのツンか? そうしないとまともに話せないのか?


 だとしてもめちゃめちゃ問題だぞ。俺はダッシュでアシュタロスのもとに行くと、そのまま肩を掴んで顔を近づけた。


「なっ、なにをする! 人間め!」

「うるせえ! 黙って聞けアシュタロス!」


 俺はブラックマリアたちに聞こえないようにして、アシュタロスに小声で怒鳴る。


(いいか!? お前のその態度を見て、ブラックマリアが完全に呆れているだろ! 付き合っていられるか、って顔をしているぞ! だからまずはそれをやめろ! 下からいけ! 褒めておだてていい気分にさせろ!)

(ばっ、ばかな! なにを言うんだお前は! かつて魔王の腹心として七羅将をも従える立場にあった我が、そんな女々しい真似をできるか! だいたい人間のお前とこんな風にしゃべっているだけでも、印象が悪いに決まっている!)


 こいつはなにもわかっていない。ダメだ。こんなんで女に好かれるはずがない。女に好かれた経験もほとんどない俺ですらわかる。まずは意識を改革させてやらないと。


 俺はぼそりと告げた。


(そのままじゃ、おっぱい揉めないぞ)

(――――――ッ!)


 アシュタロスに電撃が走った。このガキは目を見開いて、口をぱくぱくと開閉する。威力がありすぎる一言だった。


 改めて言い聞かせる。


(いいか、お前に言っておく。女は、偉そうな男のことなんて、好きでもなんでもない。むしろウザイ。鬱陶しい。キモイ。死ねばいいのに、だ)

(そ、そそそ、そんな……)

(お前の好感度なんて今はマイナスだ。そんなお前が今から挽回する方法はただひとつ。完全に下からいけ。そして食べ物で釣れ。めちゃめちゃ気を遣え。隙あらば褒めろ。この四点を守り続けろ。そうすればいずれお前も俺のように――おっぱいを、揉めるであろう)

(お前の――ように――)


 アシュタロスは愕然とした。お前はおっぱいを揉んだことがあるのか……、という顔だった。


 俺はゆっくりとアシュタロスの前からどく。後はお前次第さ、アシュタロス。視界が開けたアシュタロスはブラックマリアを見つめる。視線は揺れていた。


 ごくりとアシュタロスはつばを飲み込んだ。

 その頭からは煙が噴き出しそうなほど。

 次の一言で、アシュタロスの運命は決まるだろう。

 俺は心の中で十字を切る。


 だめだったら、骨は拾ってやるよ、アシュタロス。


 緊張の一瞬だ。

 破軍の竜王は、声を震わせながら、あくまでも視線を逸らしつつ言った。


「ご、ごめんね、忙しいところを呼び出して……。我、どうしてもとっても素敵なマリアちゃんに会いたくて……、で、その……、マリアちゃん、喉とか乾いていない? す、すっごいいい悪魔的な紅茶が手に入って……、砂糖菓子もあるんだ……。その、よければごちそうさせてほしいな、なんて……。えへ、えへへ……」


 ブラックマリアはその場で目をぐるりと回し、肩を竦めた。


 さあ、どうなるか。

 卒倒しそうなくらい顔が赤くなっているアシュタロスに、ブラックマリアは言う。


「……ま、いつもみたいな闇キモいウザ口調じゃないし。これはこれでかなり闇キモいけど。どうしてもっていうなら、ご馳走されてもいいかな」


 満願成就――。


 アシュタロスは「うおー!!」と拳を天井に突き上げた。本番に強い。それがアシュタロスの、竜王たるゆえんなのだと俺は静かに納得をしていたのだった。



 俺たちは玉座の間で軽くお茶会を開いた。

 ブラックマリアはあくまでもアシュタロスとめっちゃ距離を開いて座っていたが、しかしそれでも竜王さまは満足そうだった。

 夢が叶った、とでも言いたげな顔だった。よかったな、竜王。


 ブラックマリアは終始面倒そうだったが、しかしお茶と砂糖菓子の味は気に入ったようだ。あの分ならまた呼ばれたら来てくれるだろう。


 そもそもブラックマリアは竜王があのときのドラゴンパピーと知らない様子だったしな。それさえ言えば状況はもうちょっと変わると思うんだが。


 しかし、俺がそう言ったところで、アシュタロスはブルっちまってそんな勇気は出ないだろう。まったく、世話が焼けるやつだ。これ以上世話を焼く気もないけどな。


 ブラックマリアはお茶飲んでお菓子をつまむと、さっさと帰っていった。滞在時間はせいぜい十五分ぐらいだった。だが、アシュタロスはそれを人生でもっとも幸せな十五分だったと語った。良い話なのかそうでないのか、よくわからんな。


 まあ、こいつが幸せそうならいいか。

 というわけで、俺は本題に切り込む。まずは信頼。そして要求。人付き合いの基本だな、うん。


「で、今度は俺の頼みを聞いてほしいんだが」

「ああ、任せろマサムネ。我はお前の大親友だ。お前が望むことならば、なんでもしてやろう」


 菩薩みたいな笑顔を浮かべてそう言い切るアシュタロス。いや、そこまで懐かれるとなんか、むずがゆいな……。


「実はな――」


 俺はこのダンジョンのレジャーランド化を頼んだ。するとアシュタロスは眉をひそめていた。そりゃそうだ。ダンジョンは相手をビビらせてなんぼだ。楽しませたところで、得られる魔力なんてほとんどない。


 レジャーダンジョンって言ってもお化け屋敷みたいに怖がる奴らはいるだろうが、そんなもんじゃ微々たる力だろう。

 でも、今さら戦うってなったら、ちょっと気まずいな。できれば態度を軟化させてもらいたいものだが。


 するとアシュタロスはしばらく悩んだ後に、――首を縦に振ってくれた。


「構うまい。我が力を求める理由も、もうなくなった。ここでブラックマリアとともに、生きてゆくよ」

「そ、そうか」


 まるで添い遂げた男のような台詞だが、お前まだ十五分一緒に茶をしただけだからな? 忘れるなよな?


 ま、解決したならいいか。あとで『ブラックマリアは花が好きだぞ』とでも、教えてやろうじゃないか。




 その後、俺はしばらくこの最下層に寝泊まりをすることになる。

 俺とアシュタロスは共同でレジャーダンジョンの作成に取り掛かった。


 キキレアやナル、ミエリやシノは一階直通のエレベーター(これは作ってもらった)で、旅館と往復をしているようだ。


 新しいダンジョンを造ると言うのは、非常に楽しい作業だな。

 俺は初めて魔王領域に飛ばされたとき、【ホール】で自宅を作ったことを思い出していた。まだあるのかな、あの秘密基地。



 そんな折、ニューダンジョンもほぼできかけたある日のことだ。


 俺は倉庫扱いされている地下三十階の埃の積もったとある部屋で、一枚のカードを見つけた。

 そう、オンリーカードである。しかもよく見れば、それが突き刺さっているそこは、妙な模様が地面に描かれていた。


「……ん? おーい、アシュタロスー」

「なんだー?」


 同じく倉庫でトラップ作成作業していたアシュタロスがこっちを振り返ってくる。俺は顎に手を当てながら、地面を見下ろしていた。


「これって、なんだかわかるか?」


 足元を見下ろして、アシュタロスはこともなく言う。


「ん、ああ、転送陣か」

「ほう、ワープ装置か」

「うむ。だがもう使えないぞ。二百年前に壊れてしまったからな」

「ふーん」


 俺はその転送陣の上に突き刺さっていたカードを引き抜いた。やはりこのカードはアシュタロスにも見えていないようだ。

 カードの名前は【ゲート】。うん、めっちゃそれっぽい。しかも今すぐに使えそうだ。


 いったいどこに飛ぶんだろうか。


「あ、おい、マサムネ! そろそろおやつの時間だぞ! マリアちゃんを迎えに行ってくれ!」

「ん……。ああ、いいけど……。でもあれから28回連続で断られているじゃねえか。しばらく日を置いた方が」

「なにを言うマサムネ」


 アシュタロスは目を輝かせながら、俺の胸を叩いて言った。


「一度きてくれたんだ。だったらこれから先、何度でも……、少しの希望があれば――、我は生きてゆける!」


 うん。

 なんかこいつ、変な方向にポジティブになっちまったな……。




 その後、俺が手に入れた【ゲート】のカードが、とんでもない事態を引き起こすことになるのは、そう遠くない未来の話。


 アシュタロス曰く、この壊れた魔法陣はなんと――、魔王城の内部に直接転移するものであったのだ。


 次回:第五章最終話

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