第55話 「そろそろ終わるよダンジョンも」
ブラックマリアは恐るべきことを口にした。
それは、地下三十階――すなわち、ボスのもとへと直行するエレベーターがあるということだ。
「それ、使わせてもらえるのか!?」
俺はブラックマリアに詰め寄る。
すると魔族の少女は少しだけきょとんとした後に、その目の色を変えた。『してやったり』の顔だ。彼女は唇を舌で舐めながら、蠱惑的に微笑んだ。
「別に使わせてあげてもいいケドー、でも、条件があるかなあー」
俺をじろりと見つめるその視線は、妖艶。とても外見年齢十三才の少女がするような顔ではない。思わず胸に手を当てながら俺は引いてしまった。
い、いったいさせようってんだこいつは!
ブラックマリアは楽しそうに指を踊らせると、その後にピッと俺を指した。
「マリアが用事があるのは、タンポポ神だけー」
「ぐ……」
そんな予感はしていたさ。周囲の視線が俺に集まってゆく。俺は眉根を寄せた。
「俺にはあんまり大したことはできないぞ、ブラックマリア」
「いいのいいのー、できることをやってもらうだけだからー」
ブラックマリアは楽しそうに手を叩く。そうして、どこかへ通じているドアを指差しながら、笑った。
「というわけでちょっと、寝室に来てもらってもいい?」
バンッと音がした。振り向けば、キキレアがテーブルに手を叩きつけていた。赤髪が逆立っている。これは怒り心頭のキキレアだ。
「あんたなに勝手なこと言ってんの!? マサムネをそんな危険な目に遭わせられるわけないでしょ! あんたが魔族であろうがなかろうが、こんなところで暮らしている怪しい女とマサムネをふたりっきりにさせられるわけないわ!」
確かにもっともだ。続いてナルも声をあげた。
「そ、そうだよ! マサムネくんはあたしたちの大切なパーティーメンバーなんだから! 行くとしたらあたしたちも一緒に行くよ! あたしたちがちゃんと守るって決めたんだから!」
ミエリもなにか言いたげな顔をしていたが、ふたりの剣幕に押されてなにも言わなかった。ソファーのクッションをもむもむしている。暇そうであった。
キキレアとナルに食って掛かられたブラックマリアは「ふぅん」とつぶやいた。スッと目を細めると、面白いものを見るように俺を眺める。
「ずいぶんと懐かれているんだねー、タン・ポ・ポゥ。さすが神様。でも闇ダメダメー、ひとりで来なかったらエレベーターは使わせてあげなーい」
「この女、足元見やがっているわね!」
キキレアが腕まくりをしながら立ち上がった。俺はそこで口を出す。
「ちょっと落ち着け、キキレア。人のものを使わせてもらおうと言っているんだ。見返りを要求されるのは当たり前のことだろう」
「あんたなんでこの女の言うこと聞こうとしてんのよ!」
なぜだろう。かつて一瞬でもデュエリスト魂が通じ合ったからかもしれない。いや、それも俺の妄想なのだが。
「信頼も信用もしているわけじゃない。だが、地下三十階へのエレベーターだぞ? ここで一気にダンジョン攻略できるのは、大きすぎる」
「あっちにめちゃめちゃたくさんアンデッドが集まっていて、あんたが入った瞬間に掴みかかられたらどうすんのよ!」
「そうなのか?」
最後の質問はブラックマリアへのものだ。ブラックマリアは首を横に振った。
「そんなことするわけないじゃん。妄想力豊かすぎー。だいたいアンデッドだらけの寝室とか闇嫌に決まっているじゃん。臭いがついちゃうもん」
ごもっともすぎる。だがキキレアは納得しなかった。彼女はブラックマリアを睨みつけながら問う。
「じゃあ寝室でふたりきりでなにするつもりなのよ。やましいところがないなら言ってみなさいよ」
「えー」
ブラックマリアは俺を見つめながら、意味深に微笑んだ。え、なに、ドキッとしちゃう。俺なにをされるの?
「……そんなの恥ずかしくて、言えないしー」
「手足もぎ取ってすり潰してやるわこの女!」
「さすがそれはちょっと! 落ち着いてキティー!」
ナルですらキキレアを止めに入るほどの剣幕であった。こわあ。
仕方ない。ここは冷静で慎重な俺が、解決策を提示しようじゃないか。
「わかったわかったキキレア、ナル。お前たちが俺をそこまでして心配してくれるというのは十分にわかった。今の俺は剣の名手だ。そうそうひどいことにはならないと思うが、それでもさらに慎重にいこう」
「あによそれ」
剣の腕はめっぽう立つが向こう見ずで衝動的に突撃を繰り返しては窮地に追いやられる体力のない男の魂を宿しながら、俺は提案する。
「そうだな、ブラックマリアの両手を拘束しておくというのはどうだ? 自由にならないように、後ろで結んでおくんだ。それだったらいざというときにでも、すぐに俺が取り押さえられるはずだろう。どうだ、いいアイデアじゃないか?」
俺がそう言った途端、キキレアが目を剥いた。
「はあ!? 女の子をそんな状態にしてあんななんかと同じ部屋に入れられるわけないでしょ!? なに考えてんの!?」
「えっ」
……えっ?
結局、ブラックマリアの腕を拘束することもなく、キキレアとナルも隣の部屋で待っていることになった。
「お、お邪魔します」
「ん」
多少緊張しながら、寝室に足を踏み入れる。そこはまさしく女の子の部屋という感じであった。内装はほとんどピンクで、タンスの上にはテディベアのぬいぐるみなどがかざっており、ベッドも小綺麗だ。とても迷宮の中にある部屋だとは思えない。窓がないくせになぜか壁にカーテンリールが取りつけられている。雰囲気の作りのためだろうか。
しかし、初めて入る女の子の部屋が、元七羅将のネクロマンサーというのは、どうなんだろうな……。運命のいたずらを感じてしまう。
「適当に座ってて」
「は、はあ」
座っててと言われても、ベッドぐらいしかないんだけど。俺は戸惑いながらもベッドに腰かけた。ふかふかだ。しかし魔族の部屋だというのに、なんだかいい匂いがする気がする。死肉の臭いとかまるでしない。詐欺だ。
ブラックマリアは俺に背を向けてなにやらカーテンの奥をごそごそと漁っていた。ホットパンツに包まれた臀部を突き出すようにしているため、その丸みは俺の目の前にあった。手を伸ばせば届きそうだ。
なんだこの状況。女の子とふたりきりで、他の人がいると恥ずかしいことってなんだよ。俺はなにをさせられるんだ。ドキドキが止まらない。
普段なら気楽にいられるのだろうが、俺の頭はどうかしてしまったんだろうか。いや、どうかしたのは俺ではない。キキレアとナルだ。あのふたりが俺に新たな悦びを教えてしまったのだ。俺は堕落してしまった。あの淫魔たちのせいで、楽園を追放されたアダムのように堕落してしまったのだ!
再び強いマサムネを取り返さなければならない。女なんかに負けない、鋼鉄のごとき自制心を保った俺を。そうだ。頭の中ピンク色の男なんて、俺が一番軽蔑していたようなやつじゃないか。俺はクールでシリアスでストイックな男なんだ。目を覚ませマサムネ。
俺がネオ俺への進化を遂げようとしていたところで、ブラックマリアが肩越しに振り返ってひょこひょこと手招きをしてきた。
「ねえね、タン・ポ・ポゥ、こっちに来てくれる?」
「お、おう」
ごくりと唾を飲み込んでしまった。だめだ。俺はだめだ! どうせしょうもないことを頼まれるに決まっているというのに、なんで妙な考えがへばりついて剥がれないんだ!
だが、俺の目を見るブラックマリアは明らかに頬を赤らめていた。恥ずかしそうに目を逸らしつつ、俺を手招きしている。その上気した表情は、完全にメスの顔であった。
これは……、ひょっとして……、勘違いではないのだろうか! 俺のモテ期が、やってきたのか……!? 俺の時代か!?
ブラックマリアはカーテンを開いた。そこには鉢植えがあった。
「……あの、ここに、タンポポを咲かせてほしいんだケドー……」
「あ、はい」
勘違いだった。数秒前の俺をなかったことにしたい。
拍子抜けしつつも、尋ねる。
「それだけでいいのか?」
「うんー、ダンジョンの中でお花を育てようって思ってたんだけどー、ダンジョンって闇闇の力が強いじゃない? それだとお花が闇咲かないんだよねー」
闇闇の力ってなんだよ。
「でもタン・ポ・ポゥってドレイクの前でお花咲かせていたでしょ? だからタンポポだったらいけるかな、ってさ」
ん? それって魔王領域での話か。一番最初にミエリと一緒に転移したところの。
「あれ……、お前もあの場にいたのか」
「いたいたー」
はーいと手を挙げるブラックマリア。そうだったのか、全然気づかなかった。まああのときは、俺もいっぱいいっぱいだったしな。
「だからお願い、早くー、早く―……」
鉢植えを持つブラックマリアは、こちらを上目遣いに見やってくる。なんでこの女、ネクロマンサーとかやってんだろう……。
俺はバインダを呼び出す。そうして【タンポポ】のカードを引き抜いた。ふと疑問を覚えて、聞いてみる。
「しかし、なんで他のやつらには内緒だったんだ?」
「いやー……だって、魔族の趣味がお花とか、知られるの恥ずかしくない?」
「いや、どうだろう……。そうかもしれんが」
この世界でタンポポが大好評だったから、そういう感覚を失っていた気がする。てっきり魔族はみんなタンポポが好きなことが知れ渡っているとばかり……。
まあいいや。
「じゃあ、咲かせるぞ」
「はーい」
俺が【タンポポ】を使うと、鉢植えにポンッと黄色い花が咲いた。
ブラックマリアは手を叩いて喜ぶと、さらにプランターを持ってきて、そこにも俺はタンポポを咲かせる。ついでにイクリピアの前で頼まれたサインも書いた。迷宮でも力強く咲くタンポポを愛でるブラックマリアは満足そうであった。
「闇ありがとっ! タン・ポ・ポゥ!」
「おう」
こんなお願いだったら、いつだってチョロいもんだな。
するとそのときである。
俺の目の前に、久々のカードが舞い降りてきた。
おっ。
『異界の覇王よ――。其方の誠意に、新たなる力が覚醒めるであろう』
ありがたい。ブラックマリアの願いを叶えたからか。だとしたらこれは相当強力なカードが手に入るに違いない。バインダに一滴の光が落ち、カードが誕生した。
そのカードは――。
『其方のささやかな復活は、その覇業によって叶えられるであろう』
――復活!?
今、復活って言ったか。
俺は慌ててバインダをめくった。そこにあったカードの名は【リンカ】。大魔法リンカネーションのことだろうか。一度失った命を復活できるとしたら、こんなに強力なカードはないぞ。人に使えるのか? 自分だけのものか? ええと、どれどれ。
そのカードには説明文があった。
『――本人が死んだときに自動発動。ただ一匹のゾンビとして復活する』
「いるかあああああああああああああああ!」
「!?」
死んだらゾンビになるだけだろ!? これじゃあただのウィルス感染じゃねえか! なんという屑カード! っていうか呪いのカードじゃねえか!?
俺は地面にバインダを叩きつけた。突然の大声にブラックマリアはビクッとしていた。
俺たちが部屋から出ると、キキレアが憮然とした顔で腕組みをしながら待っていた。
「……なんか、突然めちゃめちゃ大声が聞こえてきたんだけど」
「気にするな。ちょっと俺の死後の運命が決まっただけだ」
キキレアは「???」という顔をしていた。ナルはぺたぺたと俺の体を触って「大丈夫? なんともなっていない?」と尋ねてきた。大丈夫だよナル、ありがとう。
シノは部屋の隅っこに立っていて、そしてミエリはソファーの上で大口を開けて寝てた。MP回復に余念がないな女神さまは。
俺は振り返りながら尋ねる。
「じゃあこれでエレベーターを使わせてくれるんだな、ブラックマリア」
「うん、もちろん闇オッケー」
指でマルマークを使ったブラックマリアは、のんきに笑う。俺はものすごいテンションが下がっていた。【リンカ】のカードは適当に嘘をついてユズハとトレードすることにしよう。そうしよう。
「ミエリ、そろそろいくぞ」
「ふぇっ? もうお昼ですかにゃ……?」
「ああ、メインディッシュが待っている」
俺はミエリの鼻をつまんで起こす。女神さまは胸をぷるんと揺らしながら起き上がった。死ねばゾンビとなってさまようであろう俺は、その程度の誘惑ではもう微動だにしない。心が一足先にゾンビになってしまったようだ。
俺たちは部屋から出たところにある廊下を渡り、そのままエレベーターの前までやってきた。確かに三十階直通と書いてある。ブラックマリアが魔力を込めると、エレベーターがガタガタと音を立てて下からあがってきた。これで使えるようになったんだな。
見送りのブラックマリアは「あいつそんなに強くないから大丈夫大丈夫ー」とか言って笑っていた。ご機嫌であった。
俺たちは皆でエレベーターに入る。五人乗っても平気そうだ。このまま地下へと向かおうじゃないか。
そんなとき、キキレアが俺に耳打ちする。
「あんた、本当にあの子になにもしてないんでしょうね」
「してねえよ。ちょっと願いを叶えてきただけだ。断じて少しも胸など揉んではいない」
俺がそう言って地下三十階のボタンを押し、胸を張る。いや人間として当然のことなんだが。ちょっと俺はどうかしていたな。そろそろ真面目マサムネに戻る頃だ。ラブコメ時空はここまでだ。
すると、ブラックマリアはきょとんと目を丸くした。
「あれ、タン・ポ・ポゥ、胸揉みたかったの?」
「え? いや、なにを言う。俺は生まれ変わったネオ俺だぞ。真面目にダンジョンを攻略するのが生きがいのストイックな男だ。そんなものに興味などあるか。俺が好きなのは金と権力だ」
「それはそれで最低な台詞だわ……」
「そっかー」
キキレアが眉をひそめる中、ブラックマリアは唇に指を当てながら、斜め上を向いた。薄着のギャル然とした彼女は、その胸をまるで見せつけるように持ち上げながら語る。
「別にタン・ポ・ポゥがしたかったらそれぐらいお礼してもよかったんだけどなー。マリア、タン・ポ・ポゥのこと別に闇嫌いじゃないしー」
エレベーターのドアがチンッと音を立ててしまった。
俺は『開』へと手を伸ばす。
「あ、ごめん、忘れ物したわ」
「ナル、そいつ羽交い絞めにしといて」
「りょーかい」
俺の両腕がナルに捕まれた。俺は暴れる。
「待て! 忘れ物をしたのは本当だ! あ、あれだ! えと、カードバインダを忘れてきた! あれがなければ戦えない!」
「嘘つきなさいよ! あんたいつも手から出してんでしょ!」
「おっぱい揉みにいく気なんでしょ!? そうでしょ!?」
「違う! 断じて違う! 俺は生まれ変わったネオ俺なんだ! そんなよこしまな気持ちなどとうに捨ててきたに決まっているうおーやめろードアを開けてくれー痛い痛い痛いナルそれちょっと関節キマっていると思うんだがー!」
俺の悲鳴がこだまし、エレベーターはグラグラと揺れながら、地下三十階へと到着するのであった。
ちくしょう! なんだか損した気分でいっぱいだ!




