第52話 「修羅場に踏み込む者たち」
俺の目の前には子羊のようにぷるぷると震えているキキレアがいる。
いい景色だ。
今まで見たどんな景色よりも、胸を打つ。
ローブとベストとシャツの前をはだけて、薄手のキャミソール姿で俺におっぱいを好きにされようとしているキキレアだ。
先ほどから顔は紅潮しており、赤毛のツインテールの下のうなじがじっとりと汗ばんでいる。瞳は怯えるように、あるいはなにかに期待するように潤んでおり、ピンク色の舌が口内でちろりと踊ったのが見えた。
父さん母さん、今から俺は女の子のおっぱいを揉みます。
異世界で俺、元気に生きているよ。だから心配しないでくれ。
キキレアは俯きながら、ゆっくりと区切るようにして、その台詞をつぶやいた。
「早く、私のおっぱい、触ってください……」
うむ、今のはなかなか。テイク5にしてようやく合格ラインに達したな。キキレアのこめかみがひきつっているように思えるが、気のせいだろう。
「よし、わかった。そこまで言われたら触ってやらないといけないな」
「~~~~~っ!」
キキレアが声にならない叫び声をあげる。もしかしたら俺はきょうここでキキレアに八つ裂きにされてしまうかもしれないが、待ってほしい。もしやるとしても、触ったあとがいい。全世界の男子の夢を叶えた後に死にたい。いや死にたくないけど。
というわけで俺は手を伸ばす。未だ見ぬ、その頂きへと。
正確にはキャミソールの下から手を入れるわけだが。正面から手を入れようとして、そのついでにつるりと見えたキキレアのおへそを一撫でする。「ひゃあ!」という甲高い叫びがキキレアの口から洩れた。おっとすまねえ。でも触れた素肌はなかなか柔らかかった。あと温かかった。やばい、キキレアっていい女かもしれない。なんかそんな風に見えてきた。
ゆっくりとさらに手を伸ばす。上にあげていって、そうしてついに念願のおっぱいに触れるか触れないかというところに至ったその刹那――。
「――ちょ、ちょっと待って! 待って! 待って!」
キキレアが俺の手を叩き落とした。
えっ。
唖然とした顔でキキレアを見る。まさか、この期に及んで尻込みを……? 気が変わったのか……? お前、そりゃ、そりゃないだろ……? 男の子の夢をなんだと思っているんだよ、キキレア……! S級冒険者キキレア・キキ、お前はその程度のやつだったのかよ……!
「な、なんて顔してんのよ、あんた」
「いや、だって……おっぱい……」
「べ、別に今さらやめろなんて言わないわよ! だけど! この体勢は恥ずかしいわ! 正面から顔を見られるもの! だから、揉むなら後ろからにして!」
「はあ」
どうでもいい理由だった。俺がそう思っていることが顔に出たんだろうか、キキレアは一気に目を吊り上げた。俺はにこやかなスマイルを浮かべた。
まあ、キキレアには重要なんだろう。仕方ない、キキレアの望みを叶えてやろうじゃないか。揉まれる側への配慮も忘れないなんて、俺はなんて紳士なのだろうか。キリッ。
俺は努めて優しく、キキレアに声をかけた。
「わかったわかった。じゃあ早く後ろを向けよ。おら、揉んでやっからよ」
「あんた徐々に私の扱いが雑になっていないかしら……」
キキレアは首を傾げながらも素直によいしょと後ろを向く。俺に背を向けてぺたんと座るキキレア。その華奢な首筋があらわになって、俺は思わず「ほう」とうなった。いい仕事しているじゃないか。
正面からだけの魅力に囚われていたが、後ろからという体勢もどうしてなかなか、悪いものではないのではない。俺は認識を改める。女子というものは360度余すところなく趣があっていいものだ。父さん母さん、俺を産んで育ててくれて本当にありがとう。マサムネは立派になりました。
でもこのままの状態は、微妙に距離が離れていて、手を伸ばしても揉みづらいので。
「キキレア、ちょっと引っ張るぞ」
「えっ、あっ、は、はい」
俺はあぐらをかき、キキレアの腰を掴んで彼女をぐいっと引き寄せた。小柄なだけあって、大変軽い。ちょうど後ろから抱き締めるような形になった。よし、これなら思う存分揉みしだき放題だ。おっぱい祭りの開催も近い。
後ろから抱き締められて、キキレアはなにやら少し甘えたような声をあげる。
「あ、なんかこの体勢……、ちょっとイイ、かも」
「はあ」
「……あんたホンットに私のおっぱい以外興味ないのね……!」
生返事をすると、キキレアが憎々しげにうめいた。おっぱいに興味があるんだからいいだろ……。
そもそもなにか勘違いしているようだが、これはお前を異性として見るための通過点なんだぞ。お前が頼んでやっていることなんだからな。その辺りをちゃんとわきまえてもらわないと困るぞ。全身これおっぱいという気持ちでいてもらわないと。よくわかんないけどな。
口に出したらまた話がこじれそうなので、俺は黙っていた。俺は経験から学ぶのだ。よし、揉もう。もうこれ以上我慢できない。おっぱい祭りの始まりだ。
俺の心はもう、明鏡止水のように澄み渡っている。そうだ、愛はここにあったのだ。ラブアンドピース。俺は今まさに愛の化身であった。
愛の本当の意味を知った俺は、これから先もう二度とブチ切れたり、乱暴な言葉を使ったりはしないだろう。だってこの手の中には愛があるのだから……。
「ちょ、ちょちょちょちょちょちょ、ちょっと待って!」
俺はブチ切れた。
「今度はなんだよ!!!!」
大人しく揉ませろよ!!!!
俺は心の底から怒鳴る。するとキキレアは肩越しに振り返ってきた。顔がめっちゃ近い。真っ赤な顔だった。いつまで照れてんだよお前は!
「恥ずかしがり屋さんの処女かよ!」
「処女ですけど!?」
キキレアは必死に言い訳するように早口で叫ぶ。
「ていうかあのさ! これ、私があんたの胸に寄りかかるようにして座っているんだけどさ!」
「見りゃわかるよ! なんだよ!」
「あんたさ! 私のことを異性として見れないから、だからおっぱい揉ませろって言っていたわよね! そうしたら私のことを異性として見れるようになるから! ジャンル:キキレアからの脱却を果たせるからって!」
「そうだよ!」
「だったら――」
キキレアはそこでいったん言葉を切る。なんだよ、雰囲気作っているんじゃねえよ……。早く言えよ、気になるだろ……。
するとキキレアはとてつもなく言いづらいことを無理矢理口に出すように、声を振り絞った。
「――さっきから私のお尻に当たっているこれは……、なにかしらねえ……」
「…………」
早く言えなんて思わなければよかった。
攻守交代の音がした気がした。
俺の背中をだらだらと脂汗が流れ落ちる。
キキレアはずっと俺を白い目で見ている。
なにがお尻に当たっているのか、そんなの俺にだって言えやしない。
こんな事態、想定外だ。
「これは……、その、あれだ」
「なによ」
据わった目のキキレアに向けて、俺は衝動的に言い返す。
「お、オンリーカードの力だ。いつなんどき敵が現れるかわからない。だ、だからここに武器を隠し持っているのだ……、そ、その名も……【リトルマサムネ】と言う……」
「へえ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~?」
キキレアは尻に思いきり体重をかけた。すると俺のリトルマサムネがぎゅうと潰れる。これはやばい。生き地獄だ。さらにキキレアは尻を押しつけてくる。俺のリトルマサムネがへし折られそうだ。死ぬ。
「いくらなんでも苦しすぎるでしょうその言い訳! あんたなに急に白々しい顔になってんの!? 当たってるのよさっきから! これはなんなのよ! 説明しなさいよ!」
俺に抱きかかえられたまま、キキレアはぎゃあぎゃあ喚き出した。
「お前、俺にそんな難易度の高いことを要求するのかよ……、やめろよ、セクシャルハラスメントだぞ……。そういうのよくないんだぞ……」
「私、知っているんだからね! ちゃんと本で読んで勉強したんだから! これって性的興奮の表れなんでしょ!? だったら興奮しているじゃない! 私のことあんた思いっきり異性として見てんじゃないの!?」
「いや違う!」
俺は慌てて声を張った。
やばい、キキレアの論理が通っている。確かにそうだ。俺はキキレアを異性として見れないからキキレアのおっぱいを揉もうとしていたのだ。だったら、もうキキレアを異性として見れるようになったら、そのおっぱいを揉めなくなる!
「これは――ただの、生理現象だ!」
「どうせそれも嘘でしょ! なんなのよリトルマサムネって! バカじゃないの!? バカじゃないの!? バカじゃないの!? バカじゃないの!? バカじゃないの!? バカじゃないの!?」
「バカじゃないし嘘じゃない! 男はしょっちゅうこうなる! 本当だ!」
俺には確信があった。本で読んだ知識しかないキキレアには、強弁すらも押し切れるという自信があった。事実、キキレアはわずかに「うっ」という顔になっている。よし、このまま突っ込め、マサムネ。
「お前は今まで何度も目にしてきたのに、意識がいってないから気が付かなかっただけだ!」
「だったらあんた、そのリトルマサムネをスタンドアップさせながら私たちと冒険してたってーの!? ええ!?」
「し、してたときもあったさ! ああ、あったさ! しょっちゅうだね!」
「ド変態じゃないの!?」
「うぐ」
くそう、なぜ俺がこんな目に。こんなことを叫ばなければならないのだ。キキレアめ、最後の最後であがきおる……! この俺をド変態などとののしるとは……。誠実さだけで異世界を過ごしているこの俺に……!
俺は気恥ずかしさを感じながらも、そんなキキレアに苦し紛れの一撃を放つ。もうやぶれかぶれだ。
「――なんだっていいだろう! 俺は今、お前のおっぱいが揉みたいんだ! キキレア!」
「――っ」
それは我ながら最低の言葉であると結構自覚していたのだが、もう叫ぶより他なかったのだ。
だって揉みたいんだ! 揉みたいものは揉みたいじゃないか! しょうがないだろ! おっぱいだぞ! 目の前におっぱいを揉ませてくれるって女がいるんだぞ! そんなの理屈をこねまわしてでも揉みたいに決まってんだろ! 揉ませろよお前!
そんな俺の心の声が、まるでお見通しであるかのように。キキレアは深い深いため息をついた。
額に手を当てて、小さく首を振る。
「このS級冒険者のキキレア・キキが、なんでこんなクズを好きになっちゃったのかしら……」
少しの間に俺の評価がめっちゃ下落していないか!?
くそう、セーブポイントから戻ってやり直したい。こんなはずじゃなかったんだ。俺は頭をかきながら悪態をつく。
「うっせーな……」
「あんたのそんな必死な顔、私今まで一度も見たことないんだけど……」
「男には必死にならなくちゃいけないときだってある……」
「それが今だとは到底思えないんだけど……、ま、いいわ」
キキレアは肩を竦めて、俺に寄りかかって体重を預けてきた。
「いいわよ、ほら、好きなだけ触りなさいよ。なにがそんなにいいのかわかんないけど、それがあんたの望みなんでしょ」
その声には呆れと諦め、そして少しの愛が感じられた。
「……き、キキレア?」
俺は急変したキキレアの態度をいぶかしむ。こいつ、なにを考えているんだ……。
するとキキレアは小さく首を振って、そっぽを向きながらつぶやいた。
「別に、いいわよ。……へ、減るもんじゃないし」
そう言って胸を張りながら顔を真っ赤にして口を尖らせるキキレアは、その瞬間、最高に天使だった。
こいつ、本当にいい女かもしれないな。
俺は後ろからキキレアのキャミソールの中に手を突っ込んだ。
つまり、生おっぱいだ。
「……ん、っ……」
生おっぱいだ。
生おっぱいであった。
俺の心は幸福で満たされた。
胸を揉みながら、俺はずっと世界のことを考えていた。
この世界は魔王が闇の力で支配を広げようとしている。
魔王領域に引きこもっている魔王は強大だ。なんといっても、俺たち人間は闇の力の前では自分たちの本来の力を発揮できないからな。
フィンたちが魔王城に攻め込むことができないのも、そのせいだ。
剣士は動きが鈍くなり、魔法使いはその消費MPが急激にあがる。あるいは魔法がそもそも使えなくなったりもする。そんな状況では満足に戦うことはできないだろう。
「……っ、……あっ」
闇の力を祓うためには、いったいどうすればいいのか。それがわからない。あるいは光の魔法塔を作り出し、それを魔王領域に配置するなどの必要があるのかもしれない。
つまり、正攻法ではとうぶん先ということだ。
ミエリは創造神ゼノスの試練で、この世界を救うためにやってきた。ユズハの飼い主であるフラメルもそうだろう。
女神は闇の力に非常に弱いが、俺やユズハの力は闇の力の影響下でも関係ない。魔族たちと戦うことができる。
やはり俺たちは魔王を倒すために送り込まれた賢者なのだ。
「……ちょ、つよい、て、ば……」
フィンたちと旅立ったユズハが魔王を倒すのが先か、あるいは俺がフィニッシャーのカードを集めて魔王を撃破するのが先か。
それによって、ミエリかフラメル、どちらかがこの世界を総べる女神となる。
別にどっちがどうなろうと知ったことではないし、さらに言えばミエリよりもフラメルが治めたほうがいい世界になるのだろうけれど、ユズハに先を越されるのは悔しいな。
俺は俺のやりたいようにしよう。その結果、この世界が救われるのならば、誰も文句は言わないはずさ。
「ま、まだ終わんないの……?」
「あと半日ぐらい」
「好きなだけとは言ったけどー!」
そう、俺は魔典の賢者マサムネ。この世界を救うためにやってきた男。これからも旅を続けてゆくだろう。異世界での冒険でなにが待つのかはわからない。
それでも、俺の未来はきっと明るいはずだ。
そう、俺は明日を信じているから――。
もうだんだんキキレアの反応も薄くなってきて、俺が手を伸ばせば「はいはいおっぱいね、おっぱいおっぱい」ぐらいの感じになってきた頃合いである。
相変わらずキキレアを後ろから抱きかかえている最中――。
――ぎぎぎ、と音がした。
ゆっくりと扉が横に開いてゆく。そこに青髪のセミロングの頭が見えた。
さらに彼女の横から、緑色のポニーテールが生えた。それは髪を振り乱しながら部屋に飛び込んでこようとして、シーフの手によって遮られた。
「……待って、……危ない」
「マサムネくん! キティー! 無事!?」
少女は叫んだ。そうして、部屋の中の光景を見て、目を丸くした。彼女は驚愕とともにつぶやく。
「……………………へ?」
同様に。
『……』
俺とキキレアも、完全に固まっていた。
ナル、俺たちを助けに来てくれたのかー! とか、そういう感謝の言葉も浮かばなかった。つか【ダイヤル】するのもすっかり忘れていた……。
そんな俺は今、キキレアのキャミソールの中にばっちりと手を突っ込んでいるからである。すぐに抜けばよかったのに、硬直してしまっていた。俺の手の中にはキキレアの生おっぱいがあった。
俺たちとナルの視線が交錯する。
ナルはこちらを見つめていた。ガン見だった。瞳孔が開いている気すらした。
まずい。なにか、なにか。
ご、ごまかさないと。
シノがカチャカチャとトラップを解除してゆく音だけが響く中、さらにひょっこりとミエリが顔を出した。
ナルの肩越しに俺たちの姿を見つけると、ミエリは太陽のように笑う。
「あ、マサムネさん! キキレアさん! おふたりとも無事だったんですね! よかった、よかったですね! あれ、というかふたりともそんなに密着してどうしているんですか? あれ、あれ? あ、もしかしてあれですか? 心細かったから身を寄せ合っていたんですか? もー、心配しなくてもちゃーんと助けに来ましたからねー」
その言葉で石化の呪いが解けたかのように、俺たちはガバッと離れた。
「そ、そーだ! そーなんだよ! なあキキレアぁ!」
「え、え、ええ! そうね! とても心細かったわ! 助けに来てくれて本当にありがとうね! わーい助かったわーい!」
「いえーい命ー!」
「やったわ生きてるぅー!」
俺とキキレアは顔を見合わせて、両手でハイタッチをする。どこからどう見てもアホ丸出しだが仕方ない。この空気の前にはなにも勝てない。せめて道化になるしかない。
シノがトラップを解除して俺たちの元へとやってきた。俺たちは無事助けられた。九死に一生を得たのだ。
いそいそとシャツやベストのボタンなどを閉じてゆくキキレアに、シノが頬を赤らめながらぽつりと尋ねた。
「……で、……キキレアちゃん、……純潔を捧げちゃったの?」
「ヤってないわよ!?」
その声は予想以上に小部屋に響き渡った。キキレアは顔を真っ赤にして慌てて口を塞ぐ。ナルは依然変わらず無表情だった。
ミエリだけが唯一なにもわかっていないような天然丸出しの顔で「いやー大変だったんですよー、ここまで来るのー! ナルルースさんとわたしとシノさんで、トラップを回避したりモンスターを回避したりしてー! ま、道のりが遠いだけで実際はそんな大したピンチもなく来れたんですけどー、えーへーへー。マッピングもちゃーんとしておきましたからねー! マサムネさんがいないほうがダンジョン攻略スムーズだったかもー、キリッ!」などと朗らかに叫んでいた。
今だけはそのミエリの空気を読まないポンコツっぷりがありがたかった。
というわけで、俺たちは小部屋を出てようやく通路へと出る。
地下六階も地下四階とほとんど代わり映えのない景色が続いていた。
「いやあ助けてくれてありがとうな、ナル。お前が来てくれるって信じてたよー、はははー」
「…………………………」
ナルはなにも言わなかった。
ナルは目の光を失ったまま、ずーっと俺たちを見つめていた。
その視線に気づかないふりをして、俺は大きく伸びをした。
「うーん! 歩けるって最高!」
「……………………」
ナルは無言でずっと俺を見ていた。
ずっとずっと見てきた。
やばい。
こわい。




