第50話 「恋する赤鬼」
俺は夢を見ていた。
あれはいつの頃だったろう。小学校低学年のときだろうか。
周りのやつらが俺をバカにしてくる。正宗くんはなにを遊ぼうって誘っても悩んでばっかりでつまらない、と。あれもヤダこれもヤダってワガママがすごい、って。
俺だってそうだ。衝動的に動き回る考えなしのガキどもを見下していた。
学校生活において友達はほとんどできなかったが、俺はそれでも構わなかった。
所詮、話の合わないやつらだ。
大人たちに交じって『オンリー・キングダム』で遊ぶようになるまで、俺は孤独を常に感じていた。
いや、遊ぶようになってからもだな。
なんてことはない。
俺自身が周りと打ち解けることのできない、ただのガキだったからだ。
苛立ちを叩きつけるように、俺は場にカードを出していた。オンリー・キングダムで遊んでいたときの記憶か。しかしそれがすべて、遠い過去のように過ぎ去ってゆく。
今の俺の体は、空に浮かびながら淡い光に包まれていた。
これはいったいなんだろうか。温かくて、心地よい。誰かが俺に向かって、何度も呪文を唱えている。耳元で俺を一生懸命励ます声がする。俺のことを想ってくれている人がいる。
熱い雫が頬に落ちた。声はまだまだ続いている。この夢がいったいなにを意味するのかはわからない。だけど、夢の中で俺は思った。
俺の居場所は今、確かにここにあるのだろう、と。
目が覚めた。
体の下は地面か。硬くて、あちこちが痛む。だが、頭の後ろにはなにか柔らかい感触を覚えた。俺はゆっくりと身じろぎをする。
「ここは……」
「落下した先よ」
すぐ上の方から声がした。見上げれば、そこにはキキレアの顔があった。
キキレアの指が俺の髪をすく。意識が急速に覚醒した。
そうだ、俺たちはドラゴンの尻尾攻撃を避けて、その先のトラップに引っかかったのだ。じゃあここは、穴を転げ落ちた先か。
パーティーメンバーが分断されてしまった。なんてことだ。俺はキキレアに膝枕されている体勢から、慌てて起き上がる。
「って、おい」
「うん?」
「ピンチじゃねえか!?」
「そうねー」
「なんでそんな悠長にしてんだ!」
辺りは薄暗いが、謎の光源があるのか奥の方まで見渡すことができた。ここは小部屋だ。生き物の気配はまったくない。キキレアは俺が目を覚ますまで待っていたのだろうか。
俺が立ち上がろうとしたところで、キキレアが俺の袖を強く掴んだ。
「動かないで」
「え?」
なに、俺そんなやばいの? 落下の衝撃とかで強く頭を打ったりしたの? もう長くはないの? 助からない怪我なの?
いや、違った。キキレアは腰に括りつけた道具袋からひとつの鳥を取り出した。……鳥?
「これは『迷宮のカナリア』っていうマジックアイテムなんだけど」
「カナリア」
「見てて」
キキレアはデフォルメされたぬいぐるみのようなカナリアの首の後ろから出ている紐を引っ張った。すると辺りに場を和ませるような澄んださえずりが響き渡ってゆく。カナリアだ。うん、心が安らぐな。
『ギュ、ギョゲギョゲオッギェオギェゲヨゲグェエェェェエェェェエ』
「なんか首を絞められたみたいな声出してるー!?」
目が内側から圧迫されているみたいに飛び出しているし、めちゃめちゃ苦しそうだし、なにこのおもちゃ、こわい。
「というわけよ」
「わかんねーよ!?」
「『迷宮のカナリア』は近くに罠が仕掛けられていると、普段とは違った鳴き声を発して警告してくれるの。つまり、この部屋は罠まみれよ」
不気味な呪いの人形を鞄にしまい直しながら語るキキレア。
「マジか」
「ええ。しかも私ですら発見できない、高度な罠ね。下手に動き回ったら、もっとひどい事態に陥るわ。部屋に毒ガスが撒かれたりしたら、もうおしまいだもの」
「あー…………」
俺は大人しくその場に腰を下ろした。
つまり、シノが来るまで俺たちは動けないってわけか。
「そういうことか……」
「そういうわけよ」
俺たちは、薄暗い小部屋の隅っこにいた。辺りには淀んだ空気が流れている。こんなときだってのにキキレアは落ち着き払っていて、髪をいじりながら枝毛なんかを探している。プロ冒険者だな。
なにげなく上を見上げる。
「俺たちどれくらい落ちてきたんだろうな」
「だいたい、地下二階分ってところね」
「ってことは、ここは地下六階か……」
地下四階の探索で難儀していたのに、六階まで来れるのかねえ。
「で、あんたが目を覚ましたら、ちょっとやってほしいことがあったんだけど」
「【ホバー】で部屋から脱出するか?」
「どっちみち扉があるから無理よ。扉に罠が仕掛けられているケースが一番多いからね」
「そうか、じゃあ【ホール】だな」
俺は即座にカードバインダを開き、カードを使用した。そうして【ホール】を唱えるも……、効果はなかった。
「ダメか。もともと【ホール】は建造物には使えねえんだよな」
「地下へ向かったってしょうがないでしょ。それよりあれをお願いよ。遠くの人と連絡を取れるあの魔法」
「ああ、【ダイヤル】か。相手はシノか?」
「ええ」
俺は唱えた。だが。
「圏外だな、繋がらない」
「そう」
本来は一キロぐらい届くはずなんだが、地下だから電波が弱いんだろうか。キキレアは特に残念がる様子もなくうなずいた。
「あっちはどうかね」
「ま、シノがいるから大丈夫でしょ。ミエリもいるし、ナルが前衛もできるし。なんだったら一時撤退して、応援を連れてから来てくれてもいいしね」
「ま、そうだな」
俺たちの無事を伝える手段があるといいんだがなあ。ナルなんかはやたら忠誠心が高いから、相当無茶しちまいそうだし。
俺は頭をかく。
「ってことは、しばらくここでお前とふたりっきりか」
「そうねー。ま、あんたがいるから餓死することがないのだけは安心ね」
「いくら俺でも水は出せないけどな」
「クリエイトウォーターぐらいなら、私だってできるわよ」
マジか、立てこもり態勢ばっちりじゃねえか。
それからしばらく、俺たちは並んで座っていた。常にキキレアの体のどこかと触れ合っている状態だ。辺りが肌寒いため、自然に俺たちはくっつくような形となっていた。
「しかし、二階分も落ちてよく無事だったな。特に俺なんて、背中をざっくりとやられていたってのさ」
なのに、全身ほとんど怪我も残っていなかった。ま、背中の傷はキキレアが治してくれたんだろうけどさ。
すると、キキレアは膝を抱えて座りながら、何気ない口調で訂正した。
「全然無事じゃなかったわよ」
「はあ?」
まるで昨日の天気を思い出すように、キキレアは言う。
「あちこち強打して、もうどこも無事なところはないぐらいボッコボコだったわよ。背中の傷だって開いちゃってたし。目覚めるかどうかもわからなかったわ。私の迅速な回復魔法があったから一命をとりとめたみたいだけど、あんたひとりじゃ確実に死んでたわね」
「マジかよ」
そんなに大ピンチだったのか、俺……。
手術が無事成功した後に『本当は危なかったんですよー』って言われている気分だ。実感がないな。
と、そこで俺は先ほどから髪をいじっているキキレアをじっと見る。なんか、隠そうとしているみたいだが……。
「……お前、怪我していないか?」
「してないわ。しているように見えるのなら、恐らく幻覚の罠ね。ここに落ちてきた拍子になにかを踏んでしまったのかもしれないわね。まったく、罠っていうのは本当に厄介だわ」
「どれどれ」
俺はキキレアの前髪をどけてみる。すると、目の上に大きな青あざができていた。ついでにローブの裾に隠れた手や足も黒く腫れている。この分だとまだまだあるだろう。
ふむ。
「幻覚の罠っていうのは、やけにリアルだな」
「そうね。いや、私はわかんないんだけど、きっとそうなんでしょうね。私にはあんたがさっきからデブオークに見えているしね」
「もっとマシなもんに見えとけよ」
そう言いながら、俺はキキレアの目の上のあざをちょいとつつく。
「~~~~~っ!」
するとキキレアが俺の手を離れて思いきり目をつむった。全身を硬直させて、必死に痛みに耐えているようだ。開いた瞳には涙が浮かぶ。
開口一番、怒鳴られた。
「いきなりなにすんのよあんた!」
「幻覚じゃねえじゃん! 本物じゃん! なんで嘘ついてんだよ!」
「別になんでもいいでしょ! 私のやっていることをあんたにとやかく言われたくはないわね!」
がるるると牙を剥くキキレアだが、しかし全身に同じような傷があるのだろう、すぐにその勢いは鎮火していった。
むくれたようにして、膝を抱えながらキキレアはそっぽを向く。
「自分にはヒール使わねえの?」
「……なにが起きるかわからない。……魔力がもったいないもん」
「すげえ痛そうじゃん」
「……これぐらい平気よ。死んだりしないわ」
俺は頬をかく。一方、この俺にはわずかな傷も残っていないのだ。それはきっとキキレアが治してくれたのだろう。
「でも俺の傷は」
「……あんたは一応、助けてくれたからね。死なれたら、目覚めが悪いのよ」
「その割にまだお礼ももらっていないが」
「そうね。…………た、助けてくれて、ありがと」
キキレアは俯きながら小さくつぶやいた。耳が赤くなっている。珍しいものが見れたな、これ。
「……な、なによ、もう言わないわよ」
「いや、そうじゃなくて。やっぱ気になるぞ、その傷」
「……、べ、別に」
じーっと見つめていると、キキレアが気まずそうにこちらをチラチラと窺う。
「……言っとくけど、別に、これぐらいなんともないからね。冒険では死にかけるようなことも何度もあったし、たったひとりだけ泥をすすって生き延びたことだってあったわ。それに比べたら今なんて天国みたいなものよ」
「わかったわかった。それはそうとして、なんか落ち着かねえから自分にヒーリングもかけておけよ」
「だから、少しでも魔力を残したいって言っているでしょ。なにがあるかわかんないんだし」
「心配するなよ、俺がいるだろ」
俺はキキレアの頭をぽんぽんと撫でた。
キキレアは呆れたように、あるいはなにか不意を突かれたような顔で、俺を見上げる。
「……あんた」
なんだかこうしていると、初めて会ったときを思い出すな。
ギルドラドンに狙われていて、キキレアを差し出せと言われて、魔法が使えなくなったキキレアはたったひとりで町を出ようとしていた。意地を張ったまま死んじまおうとしていたんだよな。まったくこいつは。
キキレアも同じことを考えていたのか、小さくため息をついた。
「……まったく、わかったわよ」
キキレアは額に手を当てると、小声で回復魔法を唱えた。淡い光が浮かび上がり、キキレアの目の周りの腫れが少しずつ小さくなってゆく。
「……あんたって、なんか、ホント不思議なやつよね」
「お前に言われるのはかなり釈然としないが……」
こうして並んで座るとよくわかる。キキレアは小柄だ。普段はパワフルだから身長三メートルぐらいに思える日もよくあるが、実際は百五十センチにも満たないだろう。
「私ね」
「ん」
キキレアが少しだけ俺に寄り添ってきて、ぽつりと語り出す。その声は険が取れたように柔らかかった。
「昔っからそうだったの。意地っ張りで、自分が本当に思っていることは口に出さなかったわ。誰かになにかをしてほしいとか、誰かに助けてほしいとか、そう言うのは恥ずかしいことだと思っていたの。そういう気持ちは、今でもちょっと、あるわ」
「ふーん」
難儀な娘だな。
ヘンになんでも自分でできちまうから、そういうことを考えるんだろうな。俺なんてみんなに助けてもらわないと、ゴブリンだって倒せないのによ。
それからキキレアは少しずつ、自分のことを話し始めた。
「私ね、下級貴族のおうちに生まれたの。貴族なんて、偉くて威張っていられる人は一握り。私が物心ついた頃から覚えているパパとママの姿は、人にぺこぺこしてばっかりだったわ。なにを言われても情けなく笑っていて。私はそれがすごく嫌だった。お姉ちゃんを見ていたら、どうすればそういう人のご機嫌取りがもっとうまくなるのか、って、そんなことばっかり教えられていて。私の人生もそうなるんだと思うと、我慢できなくて、私は家を出て魔法学校に入ったの」
それが八歳のときだったわ、とキキレアは言う。
ずいぶんと早熟な女の子だったんだな。
「でも、学校も似たようなところだったわ。偉い貴族にぺこぺこしているやつらだらけで、ずっと成績で一番を取っていた私は意地でも頭を下げなかった。私は実力があれば認められるって思っていた。若かったのね。そいつらは私の邪魔ばかりしてきて、汚い手だって使ってくるようになったわ。だから私はもっと汚い手を使って全員百倍にして返してやったわ」
さすがのキキレア・キキ。黙ってやられるタマではない。
が、そこでキキレアは小さく首を振った。
「でも、私のやったことのせいで、パパやママに迷惑がかかっちゃってね。もっと用意周到で鮮やかに貴族の坊ちゃんお嬢さまたちを叩きのめしてやればよかったんだけど、相手方の家にバレちゃったのよ。やっちゃったわ。魔法学校にもいられなくなった私は、ついに家出したの。家族と縁を切れば、私がやったことでもう迷惑がかかることはないだろうって思って。そうして、完全に実力だけが求められる世界――、冒険者になったのよ」
なかなか壮絶な人生だ。
そこでキキレアはふっと口元を緩めた。
「冒険者になってからは、本当に大変だったわ。世間なんてなにも知らなかったお嬢様の私が生きていくためには、やれることはなんでもやった。汚い仕事にだって手を染めたわ。あんたに知られたら軽蔑されるようなことだって。すべて私をバカにしたやつらを見返すために。私は強くなって、S級冒険者にまで成り上がったわ」
それはきっと凄まじく困難な道のりだったのだろう。
膝を抱えて座るキキレアは、その頭を俺の胸に預けてきた。
「私はなんの苦労も知らずにぬくぬくと生きていているようなやつらが嫌いよ。自分たちの生活を守ってくれている兵士や冒険者を見くだしているやつらが嫌いよ。この世界はバカばっかり。嫌いなやつらばかりだわ。だから私は、誰にも弱みなんて見せる気はなかったのに」
キキレアはそばで俺を見上げていた。そのとび色の瞳は揺れている。
「なんでかしらね、あんたにこんな話をするなんて」
「ずっと痛みを我慢して、起きるか起きないかわからない俺のそばにいたからだろ。そんな状況になったら、俺だって頭がおかしくなっちまうよ、バカだなお前は」
「……そうね、バカかもしれないわね」
キキレアはくすりと笑った。
気になったことがあった俺は、そんなキキレアに尋ねる。
「お前がいちいち『S級冒険者のキキレア・キキ』って名乗るのは、家名をずっと名乗っていたのか?」
「……ん、どうして、そう思ったの?」
「いや、なんとなくだ」
本当に家のことが嫌いだったら、ただの『キキレア』って言うはずだろうしさ。今の話っぷりからも、父と母を嫌い抜いていないということはわかったし。
キキレアはなんだか恥ずかしそうに頬を染めて、髪をいじり始める。
「……まあ、そういう意味もあるかもしれないわね。キキ家がS級冒険者を輩出したとなれば、世間の見る目も少しは変わるでしょう。意味なんてあるかはわからないけど……」
「本当に面倒くさいやつだな、お前は……」
「……あんたに言われるのはかなり釈然としないわね」
どこかで聞いたような台詞を口にするキキレア。
いつの間にか、俺は笑ってしまっていた。
なんだか俺はキキレアに共感を抱いていた。
学校になじめなかった俺が、オンリー・キングダムの場で自分の可能性を見いだしたように。
キキレアも冒険者になって、救われたのだろう。
俺たちは少し、似ているのかもしれない。
「今度、ナルにもその話をしてやれよ。お前のことが知れたら、あいつも喜ぶぞ」
「……そうね、あの子も相当ヘンな子だから。いいかもしれないわね」
すると俺は、キキレアがじっと俺を見つめていることに気づいた。
なんだなんだ。どうした。顔が近いぞ。
「私、あんたがイクリピアに私を置いていって、本当にあんたのことを恨んだわ。なんで、どうして、って。納得がいかなかった。あんたは私の命を助けたのに、別に私のことが必要じゃなかったなんて。すごく軽んじられた気がした。悔しかったわ」
「って、またその話かよ……」
「ずっとあんたのことばかり、考えていたの」
キキレアが言った言葉に、一瞬俺の息が止まった。
「それは追いかけて焼き殺したいとか、そういう意味か?」
「そういう気持ちがないわけじゃなかったけど、それだけがすべてじゃなかったわね」
こわい。ここで襲われたら誰も目撃者がなく殺されてしまう。だが俺の不安をよそに。
緊張に固まる俺の目を見つめながら、キキレアは口を開いた。
「あんたが大怪我をして、もう目覚めないんじゃないかって思ったら、すごく怖かった。……そのとき、私はわかったの。こういう気持ちは初めてだから、どう言えばいいのかわからないけれど……」
キキレアはそう前置きすると、そっぽを向いた。
その頬は赤く染まっている。ひどく緊張しているのが、見て取れた。
いったいなにを言われるのだろう。お前を今から八つ裂きにすると言われるのだろうか。治してから殺すとは、怨念が深すぎる。
だが、違う。キキレアの表情は今、これまで見たことがないほどに女の子っぽかった。まるでキキレアではないように、いじらしかった。
彼女は口を尖らせて、小さな体中の勇気をかき集めたような顔で、俺を横目にはっきりと――言った。
「私、たぶん……、あんたのことが好きなんだわ」
なんだって。




