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第47話 「迷宮に挑む者たち」

 俺は頭を抱えていた。

 旅館の自室の机の上には、大量の苦情を書いた紙が積み上げられていた。


「どうしてこうなったんだ」


 苦情の案件はすべてダンジョンに関することだった。


 この前、偶然地震によって見つかった穴は、地下迷宮へと通じているものだった。温泉は皆で分かち合おうと言ったのだが、さすがにダンジョンはみんないらなさそうなので俺が引き取った。このダンジョンを使って、一山当ててやろうと思ったのだ。


 俺はそのダンジョンに何度か調査に向かった。もちろんナルやミエリを連れて、だ。

 ダンジョンの中で竜穿をぶっ放すとダンジョンが破壊されてしまう危険性があったので、ナルには弓を封印してもらった。ナルは素手でも結構強かった。それはいいとして。


 ダンジョンには、さらに地下へと続く階段があった。

 地下一階を探索し尽くした後に、俺たちは地下二階へと降りる。そこはやはり石に覆われた迷宮である。出てくるモンスターたちもスライムやスケルトン、リビングアーマーやレッサーゴーレムなど、大して強くはない無機物系ばかりだ。

 これはどこかの魔法使いが研究ひきこもりのために作った迷宮なのかな、と話しながらもさらに地下へと進む。


 三階に降りたところで様子はいっぺんした。インプやジャイアントバット、ドラゴンパピー、グレムリン、ダンジョンサソリなど、生命体が現れ始めたのだ。

 こいつらは意外と手ごわかった。レッド隊長の剣の前には雑魚だが、駆け出し冒険者では手も足も出ないだろう。

 なので俺は地下三階を封鎖し、二階までのスペースをレジャーランドとして開放することに決めた――のだが。


「くそう、地下三階までのモンスターが、地下二階へとのぼってきてやがるのか」


 苦情の原因はそのほとんどが『強いモンスターが出てきたぞ、この嘘つきめ! ほら、小さな怪我をしちまったじゃないか! 賠償しろ! 賠償!』というものだ。


 今のところ病院に駆け込むような、大きな怪我人は出ていない。しかしこのままだとどうなるかもわからない。

 安全のためには、今すぐにダンジョンを閉鎖するべきだ。そうしたほうがいいのだろう。だが……。


 俺は苦悩していた。


「レジャーダンジョンの収益がもう、ばかにならなくなっているんだ! 今さらやめるわけにはいかない!」

「割と最低な理由ですよねー……」


 俺が叫ぶと、近くでせんべいをかじっていたミエリが白い目で見つめてきた。


「……他人事のようにしているが、お前がかじっているそのせんべいの代金も、レジャーダンジョンで稼いだ金から出ているんだぞ」

「そ、そんなの関係ないですもん。これはわたしが女将で稼いだお金ですもんー」

「じゃあお前を解雇する。女将見習いはもうナルひとりで十分だ。お前を雇っておくだけの余裕は俺にはない」

「ちょ、ま、待ってくださいよぉ、マサムネさん! なんですか解雇って! 不当解雇ですよそれ! 訴えますよー! 労働者が牙を剥いたらこわいですよー!」

「知るか、ない袖は振れないんだ。もうせんべいは諦めろ」

「そ、そんなぁ……」


 ミエリは手元のせんべいをまじまじと見つめて、急に大切そうにはむはむと食べ始めた。これがこの世界の女神の生れの果てである。哀れだ。金がなくなると、女神もああなってしまうのか。


 俺はそこで、持っていたペンをくるりと回す。


「ただまあ、お前がこれから先もせんべいを食べ続ける未来もある。そのための方法を俺は知っている」

「ほんとですか!?」


 キラリと目を輝かせてにじり寄ってくるミエリに、俺は口元をニヤリとゆがめた。


「ああ、そのためにはな、――あの地下ダンジョンを攻略するんだよ」


 俺の口車を、ミエリは真剣なまなざしで聞いていた。

 別に騙すわけじゃないんだ。これはお互いにとってもいい方法だ。


 最下層まで踏破し、そうしてボスなりなんなりを倒し、そのダンジョン生態系を完全に破壊する。

 そしてそこに改めてゴブリンなどを招致し、俺たちが適当な宝箱を設置する。これこそが完璧なレジャーダンジョン化計画だ。

 やはり天然のものを遣おうだなんて、虫が良すぎたのだ。なにごともきっちりと管理せねばならない。


 というわけで、俺たちマサムネパーティーは、ダンジョンの『本格的』な攻略へと移ることになるのだった。




 ナルと俺とミエリは、それぞれ準備を整えていた。

 そうして改めて、ダンジョンへ持っていくものの確認だ。


 キキレアがいなくなった今、うちのパーティーには回復魔法の使い手がいない。なので大半は薬草の類を詰め込んでいた。


 あとはランプ、三日分の飲み水、保存食。これらは俺の魔力が尽きたときのためだ。

 それ以外にも封印石。これは砕くことによって一定時間安全なポイントを確保できるというマジックアイテムである。主に寝泊まりのためだな。だから寝袋も用意した。


 マッピングツールもとりあえず二セット。地下で迷ったら大変だからな。新しい色鉛筆みたいなのを買ってきた。使うのが楽しみだ。

 さらにもしものために着替え、タオル、歯磨きなどの生活用品。ゴミ袋もだ。ダンジョンは綺麗に使わなくてはいけないからな。

 それになかなかかさばるのが、ダンジョンのモンスターをまとめた辞典だ。結構高かったので、ぜひとも持っていきたい。


 あ、トラップ開錠ツールセットも忘れてはいけない。もし使わないとしても用意をしておくにこしたことはないからな。


 ううむ、色々と詰め込んではみたが、まだまだ抜けがありそうだな。もう一度メモを取りながら洗い直してみるか。


 俺が慎重に熟考をしていると、ミエリがジト目でこちらを見つめていることに気づいた。


「あのぉ、マサムネさん」

「ん? どうした」

「……それ、全部持っていくつもりですか?」

「ああ、もちろんだ。なんといっても俺たちはダンジョンに行くんだぞ。なにが起きるかわからないだろう。一寸先は即死トラップだ。慎重すぎて困るということはあるまい」

「あると思うんですけど……持ち運びとか……」


 なおもミエリはジト目だ。なにを言っているんだこいつは。まさか生きたくないのか? くそう、女神は死生観が人間と違いすぎる。こわいぞ。


「なんでそんなドン引きしたような顔をしているんですか!? だっておかしいじゃないですか、これ! ダンジョンに行くのに大荷物すぎやしませんか!?」


 ミエリが勢いよく指差した先には、俺の荷物――すなわち、パンパンに詰め込まれた鞄が四つあった。


「どうやって持っていくんですか!?」

「キャリーケースを作る。さらに荷物持ちを雇い、そいつらに持たせるさ」

「なんでトラップ開錠ツールとか必要なんです!? ちゃんとしたシーフさんは雇うんじゃないんですか!?」

「そいつが忘れ物をしたらどうするんだ。俺たちは一巻の終わりだぞ。まったく、これだからお前は想像力がないのだ。もう少し人間というものについて学んだほうがいいぞミエリ。アーアー、コトバァ、ワカリマスカァ?」

「きいいいいいいいい!」


 ミエリは地団太を踏む。子どもの癇癪のようだ。


「ナルルースさんからもなにか言ってあげてくださいよお!」

「あ、うん……、あの、マサムネくん、どうして剣を十二本も持っていくの? ダンジョンの中で武器屋でも始めるの?」

「いい質問だなナル。俺はダンジョンに潜るにあたって、さまざまな調査をした。その中で、ダンジョンで剣がなくなって困った冒険者の手記を見つけたのだ。ならば普通の男は『よし、剣を二本持っていこう』と考えよう。だが俺はそんじょそこらの普通の男ではない」

「異常な男ですよね」


 ミエリが間髪入れず水を差す。


「フ、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」

「……なんですか? それ」

「しょうもない女には、俺のような大人物の志は計り知れないだろう、という言葉だ」

「わたし女神なんですけどぉ!?」


 俺は腕組みをしながら、人差し指を立てた。


「もし武器を破壊するような酸性スライムが現れたらどうする。そうでなくてもダンジョンはなにが起きるかわからないんだぞ。穴に武器を落としたらどうする。剣が不良品だったらどうする。普通に使っていても当たり所が悪くて壊れることはあるだろう。突然落盤して武器がその下敷きになったら? 奥に眠っている魔法使いが原始分解魔法の使い手だったら? 突然落下してきた隕石が剣を直撃したら? ひとつひとつの可能性を検証して突き詰めた結果、俺は十二本の剣が必要だという結論にいたったのだ」


 どうだ、この完璧な理屈は。ミエリもナルも感銘に打ち震えているだろう。


 しかしふたりは『おい、どうするよこいつ……』という風に顔を見合わせていた。おかしいな、思っていた反応と違う。


「とりあえず一本あればいいと思うんだけど、マサムネくん……」

「バカなことを言うんじゃないナル! いいかお前たち、ダンジョン攻略を舐めるなよ!」


 叫びながらも、俺は気づいていた。

 そう、この三人。誰もダンジョン攻略の経験がないのである――。




 ナルとミエリのつたない意見を受けて、俺はパーティーメンバーに歩み寄ることにした。仕方ない。メンバーの考えを尊重するのもリーダーの務めだからな。

 というわけで鞄を七つから五つに減らしてやった。


 ふたりとも「ふ、増えてる……」となぜか微妙な表情をしていた。七つから五つに減らしてやったと言っておろうに。


 さ、ダンジョン攻略だ。


 メンバーは俺、ナル、ミエリ。それに雇ったC級冒険者のシーフ。さらに荷物持ちとして雇ったD級冒険者が五名。心もとないメンバーだが、仕方ない。現時点でのベストは尽くした。


 地下二階までの道はたやすい。もう一時間ぐらいで着いてしまう。何度も通ったからな。ダンジョンの中にがらがらがらがらと車輪が回る緊張感のない音が響く。


 さて、問題は地下三階からだ。

 俺たちはひんやりとした通路を並んで歩く。


 ここから迷宮は一気に広がりを見せる。まだ大して探索はしていないが、地下二階の四倍の面積はあるだろう。狭い通路があちこちに伸びていて、まるで迷路のようだ。


 でも、通路の幅もほとんど等間隔なんだよなー。碁盤の目というかなんというか、やたらと几帳面なやつが作ったダンジョンなんだろうなー。

 俺ならばここに宝箱を置こうとか、そういうことを考えながらマップを埋めていると。


『キシャー!』とこちらに襲来してくる一団が見えた。ジャイアントバッドの群れだ。動きが素早く、初心者にとっては攻撃を当てるのがなかなか難しい相手である。

 D級冒険者たちは「うわぁー!」と叫びをあげた。あからさまに狼狽えているようだ。大丈夫、お前たちは最初から戦力に数えていない。

 俺はマッピングツールをとりあえず床に置くと、身を屈めてクロスボウを構える。先制射撃だ。【ロックオン】の効果でボルトは吸い込まれるようにしてコウモリに突き刺さる。


「今だ、ミエリ!」

「はぁい、『メガサンダー』!」


 ミエリが魔法を唱える。指先から放たれた雷は、俺が当てたボルトを避雷針のように使い、辺りのコウモリを全員巻き込んで弾けた。

 その中で取り逃した一匹のジャイアントバットがこちらに向かってくる。俺がバインダを開こうとしている間に、ナルはすでに動いていた。壁を蹴って天井付近までジャンプすると、そのまま蹴りを叩き込む。豪快なジャンプキックによって、コウモリは地面に叩き落とされた。

 素手のナルは普通に強くて、頼りがいがあるな……。


 よし、これで相手を全滅させることができた。

 最初にドラゴンパピー、次にインプの群れ。そしてこれが三度目のエンカウントとなる。しかしこの階の敵は問題ないな。


「さあ行こう」


 俺たちは地下三階を踏破し、地下四階へと向かった。

 そこがなかなかの難所であった。



 道幅は一気に広がった。これまでの三倍ぐらいだ。馬車が通れそうなほどに広い迷宮になったのである。

 ということは三階よりもさらに広いのだろう。このダンジョンはどうやら逆漏斗状に広がっているようだな。


 俺はあちこちを見回す。なんだか嫌な気配がする。ここからグッと強い敵が現れてきそうな、そんな雰囲気が。

 天井はところどころが焼け焦げていたり、あるいは通路の壁になにかを引きずったようなあとがついていたりする。

 ううむ……。


 ナルは地面に耳をつけている。辺りの音を探っているようだが、顔をあげて首を振った。


「だめだー、ダンジョンは音が反響して、どこにどんなやつがいるか全然わかんないよー」

「ふむ……、そういうもんか」


 一方、C級冒険者の小さなオッサンシーフ――種族がノームなのだ――は、辺りを見回している。慎重に罠がないかどうかをチェックしてくれているのだろう。

 オッサンシーフは、髭をさすりながら床や壁をぺちぺちと叩いている。素人目にはなにをしているのかまったくわからないな。


「どうだ? 罠はあるか?」

「いンや、この辺りは平気そうだナ」

「そうか、よし、進むとしよう」

「いきますにゃー!」


 俺とミエリが足を踏み出したその直後、ガコンと音がした。

 ……ん?


 足元を見ると、床のその部分だけが小さく沈み込んでいる。

 ……ん、ん。


 俺とミエリは顔を見合わせる。

 直後、ぱかっと床が割れた。


「――お、おおいいいいいいいいいい!」

「ひええええええええん!」


 俺とミエリが落下してゆく。浮遊感は一瞬で、すぐになにかによって支えられた。ナルだ。彼女が両手で俺とミエリを引っ張り上げてくれた。

 下を見やれば、たくさんの針がにょっきりと生えている。ご丁寧にも串刺しにされたと思しき白骨死体が、恨めしげに天井を睨んでいた。


 俺は通路に戻るなり、オッサンシーフに掴みかかった。


「てんめえええええ! ここは安全だって言ったじゃねえかあああああ!」

「悪かったナ、儂もまだまだ修行中の身じゃ、フォフォフォ」

「もうちょっとで死ぬところだったんだぞ!?」


 くそう、C級冒険者ってこんなに役に立たないのか!?

 オッサンシーフは少し顔を赤らめて、もじもじしながらつぶやく。


「そもそもこのダンジョンがちょっと儂には高難易度すぎるんだナ」

「そうか! じゃあしょうがねえな!」


 俺はやけっぱちになって叫ぶ。と、そのときだ。どどん、という地響きがした。近い。ランプの光の届かぬ暗闇に、真っ赤な一対の光点が浮かんでいた。


「……む、オンリーカード・オープン……【ピッカラ】」


 俺の目が急に光り出したことで、D級冒険者たちは声を揃えて『うわきもちわるいー!』と叫んだ。ほっとけ。

 ばっちりと照らし出された。暗闇の中には巨大な一匹の腹這いになった赤い蜥蜴がいた。


 ていうか、ドラゴンだった。


『ドラゴンー!?』


 叫ぶ。唯一すごく嬉しそうな声をあげたのはナルだ。


「ねえ、マサムネくん、あいつ討伐しようよ! ね、ね!」

「どうやってだよ! お前竜穿持ってきてねえだろ!」

「あああああっ、そういえば!」


 ドタバタ言い合いながら俺たちは逃げてゆく。くそう、なんでこんなところでドラゴンなんかいるんだよ! 地下三階にたくさんいたドラゴンパピーの親玉か! そりゃ子どもがいれば親もいるよなあ!


 ドラゴンは俺たちを見据えながら大きく息を吸った。走っていた足が止まって吸い込まれそうになるほどの吸引力だ。地面にしがみついて耐える。いや、ここは攻撃をしたほうがいいのではないか。

 俺は振り返りざまにクロスボウを撃った。ボルトはドラゴンの口の中に吸い込まれてゆき、しかしその歯にはじき返された。ダメだ!


「ミエリ、魔法、魔法を撃て!」

「は、はい! インディグネイションですね!」

「この洞窟がぶっ壊れちまうだろうが! サンダーでいいんだよ、サンダーで!」

「『サンダー』!」


 ミエリの指先から放たれた雷撃は、ドラゴンの硬い鱗に弾かれて霧散した。魔法防御力も高いな、こいつ!


 縦三メートル、横五メートルほどのドラゴンは草原などで出会えばそれなりに普通に見える相手なのだろうが、しかしこの洞窟の中ではとてつもない圧迫感である。

 ていうか、やばい。ここでブレスを吐かれたら、逃げ場なんてないんじゃないだろうか。

 ドラゴンの口の中に炎が見え隠れする。俺たちにできることは、全力で階段へと駆けることだけだ。


 せめて――。


「オンリーカード・オープン! 【レイズアップ・ゴーレム】!」


 このバカデカいゴーレムで道を塞ぎ、炎の息吹をここまで通さないことぐらいだ。

 よし、このまま走って逃げよう、と振り返ると――、鞄を抱えたまま転んだD級冒険者たちの姿が見えた。

 お、お前たちいいいいいいい!


「早く立て! 死んじまうぞ!」

「ひいいいいい!」

「ママぁぁぁあああああ!」

「助げで、だずげでぇぇぇぇぇぇぇ!」


 大の大人が泣き叫ぶ絵というのも、なかなか地獄絵図であったが。

 俺が発破をかけている間に、ブレスは発射されたらしい。見やれば、ゴーレムが炎を浴びながらも必死に耐えている姿があった。俺のゴーくんがんばってる!

 早く、だから早く立ち上がれ!


 D級冒険者たちを助け起こしているその最中だ。

 直後、ガコン、という音がした。


「あ」


 声を出したのは、あのC級冒険者のオッサンシーフだ。

 目が合う。オッサンの足元の地面がわずかに沈んでいた。トラップを踏んだのだ。オッサンは舌を出して、片目を瞑っていた。てへぺろであった。


 重力が消失する。俺と五人の荷物持ち冒険者たちは皆、まっさかさまに落ちた。


「もうダンジョンなんてコリゴリだ――!」


 針に突き刺さった大量の鞄の上に立ち一命をとりとめた俺たち六人は、遠吠えをする犬のように叫ぶ。


 その後、やってきたミエリとナルに救助され、俺たちは元来た道を引き返すのであった……。




「はぁ……、つ、疲れた……」


 結局、鞄を五つ無駄にしてしまった……。さすがに引き上げるほどの余裕はなかった。つらい。つらたんだ。


 地上に帰ってきた俺は、ほうほうの体で自分の部屋の床に寝そべる。

 オッサンシーフも、荷物持ちの冒険者たちも皆、お金はいらないんでもう勘弁してくださいと言って去っていった。オッサンシーフだけは個人的な復讐をしてやろうかと思ったが、もうそんな気力も俺にはない。


 半日も歩いて帰ってきてしんどい。このままではレジャーダンジョン計画を諦めなければならないじゃないか。だが、それじゃあ金が、金が……。


「くそう……、ダンジョンは一朝一夕で攻略できるようなものではない……、もっと、ダンジョン攻略のプロフェッショナルを呼ばなくては……」

「そういえば」


 ジャパニーズ・コタツに足を入れて、ぼんやりと温まっていたナルがつぶやく。


「キティーがイクリピアでダンジョン攻略に行くって言っていたよねー。キティーがいてくれたら、とっても心強かったんじゃないかなあ」

「……ん」


 そのとき、俺の頭に光が瞬いた。

 がばっと起き上がって、俺はナルを見つめる。


「そうか、ナル!」

「えっ、えっえっ? ど、どうかしたのマサムネくん? 急に異性として見れるようになっちゃった!?」


 ナルの手を取ると、彼女は頬を赤らめた。違う、そういう意味じゃない。


「キキレアだよ! あいつがいたじゃないか!」

「う、うん、いるけど……、え、なに?」

「あいつに戻ってきてもらえばいいんだ。よし、今すぐに手紙を出そう。なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだ。そうだ、俺には素敵な仲間がいたじゃないか。元S級冒険者さまのお力をお借りしようぜ!」


 俺が張り切りながらそう言うと、ナルはしばらくぽかんとしていた後に、少し首をひねった。


「ううーん、でもキティーは忙しそうだったし、そんなに簡単に来てくれるのかなあ……」

「大丈夫さ。だって俺たち、一緒に死闘を潜り抜けた仲間なんだから。どこにいたって仲間の絆は血よりも濃いのさ。ビバ、仲間!」


 そんな風にはしゃいでペンを取る俺を、ナルは複雑そうな顔で見つめていたのだった。



 そして結論から先に言えば、キキレアは来てくれた。




 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 ――その夜、ジャックのもとをキキレアが訪れた。

 キキレアは旅装に身を包んでおり、これからイクリピアを発つのだという。


「また急だね」

「ええ、手紙を受け取ってね」


 ぴらりと人差し指と中指で挟んだ手紙は、ホットランドから送られてきたものだ。


「……マサムネくんからかい?」

「ええ、ダンジョン攻略をあたしに手伝ってほしいってね。頭を下げてきたわ」

「それで力を貸しに行ってあげるのか。キキレアくんもずいぶんと優し――」

「はああああああああああ?」


 眼前に顔を突きつけられて、ジャックは笑顔を浮かべながらも固まった。キキレアは腰に手を当てたまま、絶対零度のまなざしでジャックを見下ろしている。


「この私が! あんなやつのために! ただでのこのこと! 行くとでも! 思ってんの!?」

「い、いえ、思っていないです」

「でしょうね! ハッ!」


 キキレアは髪をかきあげて、自信満々な笑顔を浮かべる。そうして胸に手を当て、一国の女王を思わせるような身振りで語る。


「いい? このS級冒険者キキレア・キキ、一度侮られた相手には骨の髄まで私の偉大さを叩き込んでやらなければ気が済まないのよ! 相手がマサムネであろうが同じことだわ! あいつは一度私を捨てたのよ! 自分たちは温泉でゆったりしている間に、私はダンジョンで死にもの狂いの冒険を繰り広げていたのに! 今さら戻ってこいだなんて虫が良すぎるでしょう!」

「そ、そうだね」


 まごうことなき一国の王子さまを威圧しながら、キキレアは冷然とした薄笑いを浮かべる。


「でも、そうね。私だって鬼ではないわ。ただ一度だけチャンスをあげましょう。もしあいつが私を前にしたそのときに、歓迎以外の言葉を吐くなら――そう、前と同じように気安く、この私を軽く扱うようならば、そのときは! 私はあいつの持っているすべての服とその旅館を焼き尽くして、そうしてホットランドを真っ赤に染めて帰ってきてやるわ!」

「う、うん、そっかあ」


 この日、キキレアは馬車に飛び乗り、ホットランドへと向かった。

 その目には、黒い炎が宿っていたという。



 ジャックはひそかに心に誓う。

 キキレアがホットランドに到着する前に早馬で衛兵に伝えなければ。


『もしかしたら放火魔が現れるかもしれないから気をつけてくれ』と。


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