第39話 「魔法塔をぶっ壊したぜ」
魔法塔は五階建ての建物ぐらいの大きさで、その頂上にピカピカと紫色に光るものが取りつけられている。中は小部屋ほどの広さしかないだろうが、それでもこれを破壊するとなると、相当骨が折れそうだ。
乾いた風が吹き抜け、砂を巻き上げる。見上げる魔法塔の入口の前には、ビガデスが巨像のような威容さで立ちはだかっていた。
七羅将のひとり、『巨氷のビガデス』だ。
その前には、たくさんの獣どもの群れ。デカい犬やら、ハイエナやら、獅子やら虎やら。ビガデス率いる魔獣軍団だ。
ほとんどはドクター・ゴグの救援にいったはずなので、ここに残るのはごくわずかな手勢のみ。それでもなお五十匹以上は、いるだろう。
分厚い雲の隙間からは日の光が届かず、辺りはどんよりとして薄暗い。そんな中、ビガデスの目は爛々と真っ赤に輝いていた。
まるでライオンのようなたてがみが風に揺れている。
石を積み上げて作ったような魔法塔の周りは、荒涼とした平野だ。それは魔王城の近くの風景と酷似していた。どうにも闇の力が強い地域では、光によって育つ植物などは生命力を吸い取られ、枯死してしまうのだという。
ということはイクリピアも魔法が使えなくなるだけではなく、間もなくこういった運命を辿ってしまうのだろう。
見渡す限り、岩と砂と丈の短い草以外は、なにもない世界だ。
魔族たちは世界中をこんな風にするつもりなのか。
そんなことは、俺がさせない。
この、タンポポ神が――!
「うが……お前、まさか、タンポポ神……?」
「そうだ。俺はこの世界に生きとし生けるすべての植物を守るために、お前と戦う――ってそれはもういいんだよ!」
俺は地面にバインダを叩きつけた。
いつまでやるんだよこのコント!
「ともかくビガデス、お前を今から倒すからな! いいからな! 本当に倒すぞ! 覚悟しろよ!」
「マサムネ、これはあくまでも愛で指摘してあげるんだけど、売り言葉がバカっぽいわよ!」
「うっせえ!」
長く白い毛に覆われたビガデスは首を傾げると、しかしすぐにその長い両手で地面をバンバンと叩き始めた。
「タンポポ神! 俺、タンポポ神、殺す! 俺が神! 新たなる神になる!」
「えっ、タンポポ神ってそういうシステムなの?」
「俺に聞くな、ナル!」
無垢な視線を振り払い、俺はなおも叫ぶ。
「じゃあ雑魚どもは任せたぞ! ジャック&キキレア!」
「ええ、愛の力で骨の髄まで消し飛ばしてやるわ」
なんでも『愛』ってつければいいと思っているらしいキキレアが自信満々に言い切る。
そして、ジャックは……。
「……ああ、任せてくれ、マサムネ」
覚悟を決めたような目で、しっかりとうなずいた。
……こんなに凛々しくなりやがって、ジャック。
「でもあの数はちょっと多くない? 別にこれ怯えているわけとかじゃないんだけど。さすがにあれは多くない?」
「任せたぞジャック!」
「う、うん」
強めに背中を叩く。じゃあ俺たちはあのビガデスを引きつけないとな。
俺は息を吸い込んで、指令を放つ。
「ともあれ、行け! 囮ーズ!」
『ええええええええええええええええ!?』
俺は特攻を指示するが、六つ子たちはなかなか動き出そうとはしない。
ビガデスがどういう相手であるか、それについては入念に下調べをしてきた。
あいつはギルドラドンのような偽物とは違い、生粋のパワーファイターだ。言うなれば、高コストで12/12のステータスを持ち、特殊能力は貫通といったところだろう。
どんなデッキに入れても決定打を担当するような、そういう魔族だ。
「グルルルルルルル」
歯を剥くビガデス。そいつはまず、真っ先に囮を狙った。両腕を振り回しながら、その見た目よりもよっぽど素早い動きで冒険者たちに肉薄する。
「う、うわー!」
「やられるー!」
「だめだあ!」
と言いつつも、あいつらはそれなりに腕の立つ冒険者たちだ。すぐにやられたりはしないだろう。
俺はその場を皆に任せ、爆弾のたんまり入った木箱を担いだナルとふたりで魔法塔へと走ってゆく。
「よし、頼んだぞナル。作戦は頭に入っているな?」
「もちろん、任せてよ! あたしの弓の修業の成果が見せられないのが、ちょっと残念だけど……」
「ああそうだな、残念だなー! あとでそれはたっぷり見せてもらうからさー! ハハッ」
そうだ、俺たちの任務は魔法塔を破壊すること。
決して後ろは振り向かない。仲間たちの犠牲を乗り越えてでも、俺は任務を遂行するのだ。
友の屍を越えてゆくのだ!
『ぎゃーーーーーーーーーーーー!!』
その直後、俺はすごく嫌な予感がして振り返った。
見れば囮たちは一瞬でやられていた。ビガデスのパンチに吹き飛ばされたのか知らないが、六つの影が地面に広がって伸びている。
「てめえらああああああ!」
俺は絶叫した。いくらなんでも秒殺されるとは思わなかった。
くそう、だって攻撃力4000でヒットポイント4000のカードだったら、それぐらいの活躍するじゃん! 人間はなんで気分とか相手によってパラメーターが変わっちまうんだ! これだから人間は! 劣等種め、やはりこの俺が進化を促し導いてやらねばならんのか!
そんな自分でもよくわからないことを内心で叫びながら、俺はこちらに猛然と向かってくるビガデスを見返す。
くそう、大型トラックが突っ込んでくるような圧迫感だ。足が竦む。
爆弾を抱えているナルはとっさには動けない。ここでの俺の役割は、ビガデスの足止めだ。最低でも、ナルだけは魔法塔に行かせねばならない。あんなに重い荷物、俺は持てないしな。
俺はバインダをこの手に呼び戻す。本を開くと凄まじい勢いでページがめくられてゆく。俺の願いを叶えるための力、覇業――。
「オンリーカード・オープン! 【グリス】!」
第三騎士団の副団長、アローネのオッサンを息子と仲直りさせて手に入れたこのカード、食らえ――!
俺が掴んでいるカードから、凄まじい衝撃が放たれる。
白い水球はまっすぐに飛翔し、ビガデスにぶち当たる。詠唱もなく放たれた魔法をビガデスは正面から食らってしまった。
このカードには実質的な攻撃力はほとんどない。だが――。
ビガデスは顔面を白い粘性の液体で覆われて、前が見えなくなったようだ。その場で腕を振り回し、俺が先ほどまで立っていた場所を執拗に狙ってくる。俺は慌ててその場から距離を取った。
ビガデスの凄まじい剛腕によって地面が抉れる。そばにいればひとたまりもないだろう。
しかし、これでその行動は一時的に封じた。
さらに何発も繰り返して【グリス】を放つ。使えるな、このカード。
よし。俺は声で居場所がばれぬよう、【ダイヤル】を使って小声でナルに指示を飛ばす。
「さあ、ナル。早く爆弾を……!」
両手で箱を抱えているナルから返事はない。だが、あいつはしっかりと任務を果たしてくれるだろう。
雑魚を引きつけたジャックたちはどうしているかというと……。
おお、まだ立っている。
獣たちに取り囲まれながら、ジャックはなんとか耐え続けているようだ。
あの白銀のサーコートが硬いのか、ジャックの腕がいいのか。あるいはその両方かもしれない。
「くっそう……、来い! 他の人を手出しはさせないぞ! うおおお! 『ホーリータウント』!」
そのとき、ジャックの全身からオレンジ色の光が放たれた。
獣たちはそれを浴びた直後、まるで吸い寄せられるようにジャックへと飛びかかってゆく。
数十の獣が一斉に、だ。
ジャックは煌めく剣を振り回し、カイトシールドを構えながら、叫ぶ。
「キキレアくん! 僕が耐えているうちに、早く!」
「わかったわ」
キキレアはいつになく真剣な顔をして、赤い宝石の輝く杖を掲げる。
「あなたの覚悟受け取ったわ、ジャック。今までクソ金持ちとか、能なシーフとか、道楽息子とか、生ける根性なしとか、色々と言ってごめんなさい。あなたの覚悟、受け取ったわ!」
「ほんとひどいなキミは!」
「だけど受け取ったわ! 感じ取ったわ! それが愛! あなたの愛なのね! ならば私も愛を持ってあなたにお返しをするわ!」
魔力が膨れ上がる。辺りに赤い閃光が走った。
牙や爪をいなしつつ、その全身が傷だらけになってゆくジャックの顔が、青ざめた。
「ちょ、ちょちょちょっと待ってくれないか、キキレアくん! 今ちょっと僕たちの間になにか意思疎通の齟齬があったような気がするんだ! 話し合わないか!? そう、人類には言葉が必要だと思うんだ!」
「勘違いなんてなにひとつないわ! 私のやることはいつだって正しい! 愛の道を歩んでいるからね!」
キキレアの掲げる杖に秘められた魔力が、また一段階強さを増したように見えた。
ジャックは死にもの狂いで剣と盾を振り回し、獣たちからの猛攻を跳ね返している。すごい、見違えるほどの強さだ、ジャック。
まさしく生命の輝き。
あるいはそれは蝋燭が燃え尽きる寸前の炎のようだった。
「やめろ! キミは僕をどうするつもりだ! うおおお獣たちめーあっちの赤髪の女の子がすごい詠唱をしているぞーってこいつら、僕のスキルの効果で僕から離れない! やめろ! 僕が死ぬぞ! というか君たちも一緒に死ぬぞー!」
「見ていてくださいねフラメルさま! 今この私が! 愛の使徒たるこのキキレアが! あなたさまのところに愛の生贄をお送りいたします! ああ私の信仰心は今、万物を焼き尽くす劫火と化してあなたの下へ!」
「やめろおおおおおおおおおお!」
ジャックを送られても、フラメルは困るだろう。俺は妙に冷静にそんなことを思っていた。
さらばだジャック。どのみち、この距離では俺ができることはなにもない。誰かを守って死ねるなら、お前も本望だろう。
タンクが集めた敵をAoEで吹き飛ばすのは、世の常だしな。
そこでようやく、キキレアの詠唱が完了した。
高められた愛徳によって習得した、キキレアの新たなる魔法――。
キキレアは杖をジャックに向けて、そうして渾身の力で叫ぶ。
「イラプション――!」
次の瞬間、地中から凄まじい熱が噴き上がった。
それはマグマだ。赤黒いドロドロとした魔力の塊はあらゆるものを飲み込むかのように立ちのぼり、ジャックを取り囲んだ獣を炎のカーテンで覆い尽くした。離れていても凄まじい熱波が伝わってくる。
――そのとき、ジャックと視線が合った気がした。
炎の中で、やつは笑っていた。
真っ白になりながら、炎に焼かれて掻き消えながら。
『ああ、これでやっと、僕も誰かを守れる――』
そんな風に、儚く――。
馬鹿な奴だ。
そんなことをしなくたって、お前はきっと誰かを守れていたはずなのに……。
ああ、どうしてこうなっちまったんだろうな、ジャック。
お前とはまだまだ、話したいこともたくさんあったはずなのに。
一緒に駆け抜けた数か月が、走馬灯のように走り去ってゆく。
俺の頬を涙が伝い、こぼれ落ちる。(※イメージ映像だ)
さらばジャック。フォーエヴァージャック。
俺たちは君の雄姿を忘れない。
最期にお前は、聖騎士になったんだ――。
一方、噴き上げられるマグマの前で、キキレアは子どものようにはしゃいでいた。
「やった、やったわマサムネ! やったわパチェッタ! できたわ! 私にだってやっぱりできるじゃない! これが愛の力よ! これが愛の炎よ! 愛って私にぴったりね! 愛とはなにもかもを消し飛ばすことと見つけたり、だわ!」
顔を赤くして興奮しながら手を叩いている。白い肌に火照った顔が美しいのだが、しかし喋っている内容はまるでテロリストである。
パーティーメンバーを道連れにして放った中級魔法が果たして愛の産物かどうかはともかくとして、それはかなりの威力だ。
恐らく地面がある場所でしか使えない魔法なのだろうが、今のシチュエーションにはぴったりだ。
魔獣は火に弱いらしいしな。
やがて炎熱が収まると、そこにはもはやなにも残っていなかった。
なんだかんだで、とんでもない威力だ。さすがは天才魔法使いキキレア・キキだな。
魔獣も一匹残らず仕留めたようだ。動くものはもはやなにも――いや、ごめん、嘘。ぴくぴくと痙攣している男がいた。ジャックだった。パラディンにクラスチェンジして、魔法防御力もだいぶ上がったのか。いや、俺は信じていたよ。うん。あれぐらいで天下のジャックさまが死ぬわけないじゃん。ジャックが戦死したってことになったら、あとでハンニバルとかにぶち殺されそうだし。ねえ?
キキレアはジャックを燃えそこなったゴミを見るような目で一瞥し、そうして自らの杖を眺めた。
ぽつりつぶやく。
「……私の愛の力も、まだまだね」
炎に巻き込んだパーティーメンバーが生きていたことを知り、己の魔力の腕が未熟だと悔しがるような行ないを果たして愛と呼んでいいものかどうか。
俺は激しい煩悶の念を投げ捨てて、塔を仰ぎ見た。そろそろナルは爆弾をセットし終えた頃だろうか。
ビガデスはすでに視界を取り戻していた。狙いは再び俺。あくまでもタンポポ神の座がほしいのかもしれない。
「よくも……。二度目、ないぞ!」
「ああ、そうかい」
さて、今度は俺の戦いだな。
俺はバインダを持ち上げながら、こちらにのっしのっしとやってくるビガデスを見つめる。
「なあ、お前はタンポポが好きか?」
「……俺、タンポポ、好きだ」
「だったら、今は見逃してはくれねえか? お前の部下を倒してしまったことは悪いと思っている。だが、このまま世界が闇の力で覆われたら、タンポポはいつか枯れちまうんだ。それは、嫌だろ?」
「……」
ビガデスはぴたりと立ち止まった。
その顔には表情らしい表情は浮かんでいない。
ていうかイェティの顔見ても、よくわかんねえ。
「俺、タンポポ、好き。だが、魔王様、裏切れん」
「ほう」
俺はタンポポを咲かせる。
するとビガデスはその花を、容赦なく踏みにじった。
あれほど愛していたタンポポをだ。
こいつ……。
「魔王様、宿願。俺、叶える。それ、俺、願い」
タンポポを踏み越えたビガデスには、悲壮なる決意の炎が点っていた。
本気だ。
この怪物は、タンポポ神を殺すという覚悟を持っている。
たかが花ひとつ。されど花ひとつ。
俺はビリビリとした殺気を肌で感じ取る。
なんという『強さ』だ。
俺は少し舐めていたかもしれない。七羅将という魔族たちを。
こいつらは目的のためなら――平気でタンポポだって踏み潰すようなやつらなのだ!
「わかったぜ、ビガデス! だったら俺も、全力でお前を足止めしようじゃねえか!」
俺はバインダをめくると一枚のカードを引き抜いた。それをビガデスの足元に突き刺し、怒鳴る。
決定打となるであろうそのカードの名を。
「トラップカード! 【レイズアップ・オルトロス】!」
体からグッと力が抜けてゆく。
きょう使ったカードはせいぜいダイヤルとグリスが数回。それでもオルトロスの消費魔力は半端なものではなかった。
今までだったら意識を失っていただろう。だが俺の最大MPも増えているのだ。
しかし、このトラップカードはちと厄介でな。
ただ踏ませただけでは発動しない。威力が高いだけあって、条件が厳しいんだ。
発動条件は『相手が怯えている状態で』踏ませること。
今回はその条件をクリアーして、なおかつビガデスをあそこに誘導しなければならない。
さて、うまくいくかどうか……。
「俺、勝つ! お前、勝てん!」
ビガデスは無防備に一歩足を踏み出してきて――。
だが、なにか嫌な予感がしたのだろう。カードの埋まった位置を迂回した。
ま、その程度のこと。
「ナル! 今だ!」
俺が喉を振り絞り、叫ぶ。すると魔法塔右側の壁面が音を立てて爆発した。
爆発は次々と広がってゆく。よし、魔法塔が傾いてきた。あれをぶっ壊すまで、あと一息だ。そっちを達成したら一目散に逃げるぞ、俺は。
「ヌウッ!」
ビガデスはそちらに構わず、俺に向かってきた。もはや魔法塔は諦めたのだろう。
だが、いくら俺だって逃げるくらいのことはできるんだぜ。
――って。
ビガデスは勢いよくその場で腕を振るった。そのとき、やつの体中の毛がまるで針のように俺へと向かってきた。
俺は足を串刺しにされ、その場を転がる。
い、いてぇ……っ!
幸いにも本当に細い毛で、血は流れていないようだ。
だが、足の感覚がなくなっていくのがなによりもやばい。起き上がろうとするが、正座して痺れたときのようにまるで言うことを効いてくれない。
「こ、こんなのデータになかったぞ! 『巨氷』っていうぐらいだから氷を操ってくるんじゃねえのかよ!」
「ビガデスニードル。俺、奥の手、切った。お前、確実、殺す」
くそ。
俺はバインダをめくる。なにかこの状況を打開できるカードはないか。
「そうだ、【ホバー】!」
「させん」
俺の体が浮き上がった直後、ビガデスはさらに両手を振る。またさっきのビガデスニードルとやらが来るのか。
俺はバインダを掲げて顔をかばう。針が全身に突き刺さる。痛くてたまらん。
それに、今のは止めを刺すための技ではなかったようだ。今度は俺の左腕の感覚を奪われた。これではカードが使えない。
「てめ――」
「俺、油断、しない。ギルドラドン、違う」
力ばっかりのパワーファイターって聞いていたんだぜ……。
集めた情報が間違っていたってことか。
くそ、この状況をどうすれば打開できる。
だめだ、俺ひとりではどうにもならん。
俺ひとりでは――。
「マサムネ!」
そのとき、叫び声がした。こちらの様子に気づいたキキレアだ。
しかしまだ遠い。ビガデスは構わず俺のもとへとのっしのっしと歩いてきて――。
「にゃあ!」
その足元に一匹の猫が駆けてきた。毛並みの美しい白猫だ。こんなに綺麗な猫はこの世界に二匹といないだろう。
猫はまるで俺をかばうようにして、ビガデスの前に立ちはだかった。
それはただの猫ではない。本当の姿は、雷と転生の女神ミエリだ。だが、今は猫の姿で、魔力もない。
力のないミエリが、いったいなにができるというのか。
白猫を見下ろして、ビガデスはニヤリと笑った――気がした。
「無駄。俺、獣の王。すべての獣、俺、従う。どけ、猫」
真っ赤な眼が瞬く。
だが――、その猫は微動だにしなかった。
「……ン? どけ、猫。どけ!」
ビガデスは歯を剥いて叫ぶ。
怒号に真っ白な毛皮を揺らしながら、それでもミエリはどかなかった。
お前……。
「なんだ、この、猫。……だが、もういい」
ビガデスは俺とミエリもろとも殴り潰そうとしている。
ミエリは俺の服を一生懸命咥えて引っ張ろうとするが、さすがにそれは無理ってものだろう。
そのとき、さらに爆発が巻き起こった。
魔法塔にナルが俺の手筈通り仕掛けた爆弾だ。
ビガデスはもう魔法塔はどうでもいいんだろうな。ドクター・ゴグに言われて守っていただけのようだし、まったく関心がないんだろう。
だからって。
こんな状況まで目を離しているのは――失策と言わざるを得ないぜ、ビガデス!
「……ン……?」
ゆっくりと影が落ちてくる。
俺は表情のほとんどわからないビガデスの顔が確かにひきつってゆくのを見た。
ナルの仕掛けた爆弾によって魔法塔の壁が破壊されて。
魔法塔は、倒壊する。
そう、そのままゆっくりと傾いてきたのだ。
――俺たちの頭上へと。
「ウ、ウガアアアアアア!?」
ビガデスは勢いよく後ろへと駆けてゆく。
そこにキキレアの魔法が放たれた。
「本日二度目の――イラプション!」
炎のカーテンがビガデスを包み込む。
だが、直撃かというと、そうでもない。
なぜなら、地面から噴き上げるマグマには、安全地帯があるからだ。
ぽっかりと空いた穴。そこをめがけて、ビガデスはイラプションの中を駆ける。
黙って突っ立ってたって、ビガデスにとっては致命傷にはならないであろうイラプションを。
安全地帯があるがゆえに、そこへとビガデスは駆けこむ。
駆けこんでしまう――。
さて、いったいそこにあるのはなにか。
決まっている。
俺の感覚のない腕が握り締めているバインダが光輝いた。
ゆえに俺は叫ぶ。
デュエリストの嗜みとして、その言葉を。
「……トラップカード発動! オープン【レイズアップ・オルトロス】!」
光の槍が三本。
地面を突き破って現れた槍は、ビガデスを下から串刺しにした。
さらに交錯して、斜め下の左右からビガデスを貫く。
あの分厚い毛皮を貫通するほどの威力。さすがはS級冒険者の置き土産だよ。
断末魔。獣の鳴き声を何重にも重ね合わせたような叫び声が辺りに轟いた。
七羅将は三本の槍に串刺しにされたのだ。
決まった。
俺はため息をついて、つぶやいた。
「こいつが俺の決定打……。お前の敗因はたったひとつ。タンポポを踏みにじったことだ」
そうかっこつけていると、ミエリに頬をひっかかれた。
痛え。なにすんだよ。
ミエリはニャーニャーと喚き散らすようにして、頭上を指す。
今まさに倒れてこようとしている塔。
ああ、これか。
「いや、本当はホールにゴーレムをして蓋をして逃げようと思っていたんだけどさ。この通り、手が動かなくてな」
「に゛ゃ!?」
「このままじゃ潰されて俺たちも死ぬよな。うーん。どうすりゃいいかな、これ」
「に˝ゃあああああああああああああああ!」
そのとき、一陣の風が吹いた。
もとい、そう感じただけだったが、俺の体は確かに浮かび上がっていた。
なんだこりゃ。
「あ、ああ?」
俺が首を動かすと、そこには――。
開幕でビガデスにワンパンKOされた六つ子たちが、俺を担ぎ上げているじゃねえか。
「お、お前たち!」
六つ子は甲冑の奥で恐らく笑顔を浮かべながら、俺とミエリに言った。
「心配いらねえさ」
「この鎧は硬いんだ」
「あんな攻撃、へっちゃらよ」
「軽く死にかけただけさ」
「めっちゃ痛かったんよ」
「ってわけで、ダンナ」
声を揃えて叫ぶ。
『――ずらかるぜ!』
猛然と走る六つ子たちの健脚はすさまじかった。まるで獣のようだ。この逃げ足で数々の戦場を生き残ってきたのだろうと思わされた。
やがて塔の影を抜ける。すると光の槍に貫かれたままのビガデスが必死にこちらに手を伸ばしてきて。
俺を見やりながら、その真っ赤な眼を見開いて、こう言った。
「俺、今度、生まれ変わった、その時は――」
直後、すぐにその体はハンマーのような魔法塔に叩き潰されて、見えなくなった。
本当に死んだかどうかわからなかった。だがその体から三つの光が浮かび上がり、俺のバインダに吸い込まれたから、俺だけは死んだってことがわかった。
死体も残らないようなぐちゃぐちゃな死に様だろう。
あいつが最期になにを言おうとしていたか、それは俺だけはわかる。
きっと、そうだ。
塔の崩れ落ちた跡地に、俺は一輪の【タンポポ】を咲かせた。
これがタンポポ神の深情けさ、ビガデス。
俺たちは馬車を起こし、イクリピアに戻ろうと準備を整える。
針を抜けば足も腕も動くようになったから、よかったぜ。一生このままだったらと思うと、さすがに将来設計の大幅な書き換えが必要になるからな……。
そのとき、視界の端におかしなものが見えた。
立ちのぼる煙。あれは合図の狼煙だ。
あ、そういえば俺たちもやらないとな。
魔法塔を無事破壊したってやつだ。
見る限り、ふたつの狼煙が立ちのぼっていた。
ひとつはフィンの向かったドクター・ゴグの塔。作戦無事成功の狼煙だ。
さすがだな、あいつらは。
だが。
もうひとつは、騎士たちが時間稼ぎをしているブラックマリアの塔から。
その狼煙は紛れもなく知らせていた。
『救援求ム』
って、大ピンチの状況を、な。




