第21話 「受付のマーニー」
私の名前はマーニー。
冒険者ギルドに務めて二年目の、新米受付嬢だ。
今回の異動によって、ホープタウンにやってきたばかりなんです。
冒険者ギルド近くの宿を借りている私は、寝起きと共に髪を梳かす。
一杯の紅茶を口にした後、軽く水浴びをして、ギルド職員の制服に着替えて出勤するのだ。
私の朝は早い。これは大事な仕事だから。
冒険者さんたちは命を懸けてこの町を守ってくれている。
そんな彼らに報いるために、私はきょうもしっかりと仕事をしようと思う。
「よーし、きょうもがんばっちゃうぞ!」
小さくぎゅっと拳を握り、私はつぶやいた。
マーニーの毎日は、こうして始まるのだ――。
「という設定を考えてきた。今から俺のことをマーニーと呼ぶがいい」
「はーいマーニーちゃん!」
「う、うん…………わかったわ…………」
おいなんで引いてんだよキキレア、おい。
「やれとは言ったけれど、別にここまで全力でやれとは言ってないわ……。だって、中身マサムネなんでしょ……引くわ……めっちゃ引くわ……。かける言葉が見つからないわ……」
ぶち殺すぞお前。
どうやら【トランス】の効果は丸一日続くらしい。
着替えや下着を買ってきた後――さすがの俺も死ぬほど恥ずかしかった――、その日の夜に変身は解けた。
ちなみに金はナルから借りた。彼女が快く払ってくれたんだ。キキレアのゴミ虫を見るような目が忘れられない。
これで晴れて俺も借金持ちだ。
なんとしてでも、ジャックから金貨をふんだくらないといけなくなったわけだ……。
まあそれはともかく。
変身はあの後に解けたが、俺は再び使用した。
効果が一日とわかっているのなら、今度は精神的動揺はないからな。
レイズアップ・トランスを使うとどうなるか衝動的な興味はあったが、怖すぎて嫌だ。
永遠に女になる、とかだったら取返しがつかなすぎる……。
というわけで今。
俺はギルド職員の制服を着て、受付に佇んでいた。
当然だが受付嬢はスカート着用が義務付けられている。非常に履き心地が悪い。
「くそっ、なんだよこれ、なんでこんなひらひらとしたいかにも防御力が低そうなものを、履かないといけないんだよ……。なに考えているんだ、女ってやつは……」
「あー、そういう決まりすからー」
笑っているのは、冒険者ギルドの中にある酒場のウェイトレス、エマだ.
そばかすの残る顔に、栗色の髪を片結びのポニーテールにしている。
綺麗と言えば綺麗な娘なのだが、いつもなんだかやる気のない感じが、このギルドの沈鬱とした雰囲気に似合っている。いやそれじゃあダメなんだが。
俺より少し年上だ。
「しかしジャックくんがそんなにお金持ちだったなんて知りませんでしたよ。ああ、ジャックくんの叔父さん、どんな人なんすかねえ。あしにも玉の輿のチャンスありますかねえ」
エマの夢は、大金持ちの冒険者に取り入って、専業主婦になることだ。
ちなみにこいつ、少しでもチップを払わないと舌打ちしながら料理を運んで来やがる。
ジャスティス仮面が義賊じゃなかったら、金貨盗みの犯人は真っ先にこいつが疑われていただろう。
「なにが玉の輿だ。視察という名の監査だぞ。そんな甘い話があるかよ」
「あらあら、マサムネっちは夢がありませんっすな。男と女が揃えば、どこにでもロマンスの種は転がっているんすよ」
「俺はマサムネじゃなくてマーニーだ」
「『俺』じゃなくて『私』でしょ」
ちっ。
エマに揚げ足を取られ、俺は舌打ちをする。
まあこんな寂れている冒険者ギルドで、あの受付ババアとうまくやっていける従業員というのは、貴重だ。
その上、その中では飛び抜けて顔がよく、度胸もあるということで、なにげにエマにはファンも多いらしい。
確かにチップさえ払えば、百点満点のスマイルを見せてくるしな。そこに騙される男もいるんだろう。
「それより、その他のことはよろしく頼むぞ」
「おねえさんにまっかせっなさいー」
今回、エマには最初から協力してもらうことにした。経費はジャックもちだったから、霊銀貨を二枚だ。
奮発しすぎかもしれないが、どうせ金はジャックのものだ。どーんといこう。
というわけで俺は引き続き、受付嬢になりすますための業務の把握に入る。
受付の中には山ほど書類が積まれていた。
これを全部、把握しなければならないんだが……。
あのババア、なにげに結構大変なことを毎日ひとりでこなしていたんだな。
「いひひひ……ようやくアタシのありがたみがわかったかい? いひひひ」
「ど、どっから出たババア!」
「あんたが怪しいことをしないか、見張っていたのさ。ずっとずっと見ているよ……。ほら、ほら、キリキリ働きなさい、いひひ」
「くそううううううう」
面倒だ。
なんだよこれ、なんでババアにこき使われなきゃいけないんだ……。
だがこれもすべて金のため――じゃなくて、三枚目の【フィニッシャー】のためだ。
正義のために働くぞ、俺は……。
男と言う性を捨ててまで、な……。
プライドで飯は食えないんだ。
ナルの竜穿を改造するので、残りの金貨二枚はたいちまったんだから……。
ギルドの隅っこでは仮面の爺さんが、「はっはっは! 頑張ってください、若人!」とかなんとか言っている。
あいつなにしに来てんだよ……。
当然だが【フィニッシャー】はいまだに色づいていない。
この視察を無事に終えたら手に入ると信じたいな……。
その間にエマはチップを払わなかったらしい新米に、いちゃもんをつけていた。
「スーパー貧乏なお客様、お待たせしましたっす。スーパーケチなお客様にお似合いのスーパー手抜きサンドでございまっす。材料はパンと謎の草と未知の肉っす。五分以内に食べてさっさとテーブルを開けてくださいす。でははいスタートー!」
「ええっ!?」
平和な、なにも変わらない冒険者ギルドの風景だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
いよいよ叔父がやってくる日が迫ってきた、
というわけで俺はジャックを冒険者ギルドに招き(ハンニバルに言って軟禁を解いてもらい)、その成果を確認してもらうことにした。
一応、今回のスポンサーだしな。
「ほらほら、こっちこっち」
ナルはウィグレットさんの加工屋でバイト中のため、キキレアに連れてきてもらった。
ジャックは、ギルドの中を見回して、感嘆のため息をつく。
「ほあー……。す、すごい、見違えたじゃないか!」
「フフン、でしょう?」
なんでお前が誇っているんだよ、キキレア。
ま、ジャックの驚きも無理はない。
俺が初めてみたときの冒険者ギルドは蔦が這い回り、ゴーストが出没するような洋館にしか見えなかったものだが。
今回、ジャックの金で冒険者ギルドはとことんまでにクリーニングされた。
壁は真っ白なペンキで塗りなおされ、さらに室内にもたくさんのランプを設置した。床も綺麗にしたし、ボロボロだったテーブルやイスはまとめて買い揃えた。
そしてババアひとりで、冥土の渡し船みたいだった受付にはこの俺、マーニーちゃんが笑顔で待ち構えている。
「いらっしゃいませ。こちらはホープタウンの冒険者ギルドでございます」
どうだ、百点のスマイルだろう。
後ろに控えていたエマも、ご満悦の出来だ。
(おお、やればできるじゃないすか、マーニーちゃん)
(……お前にさんざん頬を引っぱたかれたからな……)
(愛があるから厳しくするんすよ、あしは)
胸を張るエマに、俺は小声で舌打ちをする。
この自然な受付スマイルを体得するために、俺がどれだけ血の涙を流したか……。
もうすっかり自分の口から出る女声に、違和感がなくなっちまったよ。
どうだ、ここまで体を張ってやったんだ。
お前も満足だろう、ジャック。
もし満足していないというのなら、俺はお前の眼球を潰して、その世界から光を失わせてやる。
そんな風に俺が人知れず決意をしていると――。
ジャックはふらふらと光に吸い寄せられる虫のようにこっちにやってきた。
俺が視線を向けると、ジャックは突き刺さった釘のようにピンと動きを止めた。
……なんだなんだ?
ジャックの鼻が膨らんで、顔が紅潮してゆく。
銀髪がふわりと逆立っていった。
……まだ体調が治っていないのか?
「ああ、えと」
キキレアがなにかを言い出すよりも早く。
ジャックはスライディング気味の勢いで、俺の足元に滑り込んできた。
そして、俺の手を取った。
――ぞわりと鳥肌が立つ。
なんだこの感覚は。
これが生理的な嫌悪感というやつだろうか。
ジャックの口から寝言が漏れた。
「な、なんて可憐なんだ……。君みたいな女の子がこの町にいるだなんて……。僕はジャック、ああ、君に出会えたきょうという日に感謝しよう! 美しい……。君みたいな子に出会えた自分の幸運が恐ろしいよ……。ああ、そしてともに明日を見に行こうじゃないか!」
俺の顔はひきつった。
……これ、もしかして俺、口説かれているのか……?
おい、目を覚ませ……、ジャック……!
俺がひきつっていると、横からひょっこりとキキレアが現れる。
「ジャック、あんたビビりのくせにこういうときだけ度胸あるのね」
本当だよ。
お前、転んでいるゴブリンに止めを刺すことしかできないようなやつじゃねえか。
そんな風に睨んでいるとジャックは「はっはっは」と笑った。
「こないだの気分が高揚するポーションを、ハンニバルに言って錠剤にしてもらったんだよ! これを飲むようになってから、毎日気分がいいんだ! もう絶対に手放せないね! 一日16錠飲んでいるけど、依存性はまったくないよ、安心して! はっはっは、おクスリなしの生活なんて考えられない!」
キキレアが「うわぁ……」とつぶやいた。
お前、それ……いや、いい、なにも言うまい……。
「それよりも、いきなり女の子の手を取っちゃダメよ、ジャック。この子はマーニー。きょうのために東の町からやってきてくれた助っ人よ」
「は、初めまして、マーニーと言います」
間に入ってくれたキキレアに俺は生まれて初めて感謝しつつ……。
にっこり笑って自己紹介した。
するとジャックも同様に――。
「僕はジャック! よろしくね! ちなみに家は大金持ちです!」
『うわぁ……』
俺とキキレアは同時にうめいた。
なんて最低な自己紹介だ。
お前、それで惹かれる女がいると思ってんのか……。
「す、ステキっす……!」
エマの目がハートマークになっていた。
いや、いい、なにも言うまい。
ん……。
いや、ていうか、待てよ。
なんで俺がマーニーって名乗っているんだ。
別にマサムネでいいじゃないか、
「なあキキレア――」
「マーニーちゃんは美人だし、頭脳明晰で仕事がテキパキとできるのよね! まったくもう、羨ましいわね! 妬ましい! 死ねばいいのにね!」
「さすがマーニーさん! すごいね! 最高! ところで君、金貨好き? 奇遇だね、僕も金貨好きなんだ!」
ジャックはぱちぱちと手を叩いてくる。
……って、いや、あの、キキレアさん?
すると、俺の横にやってきたキキレアは耳打ちしてきた。
(もう無理よ。出だしが悪かったわ。諦めてマーニーを通して)
(なんでだよ!?)
(あのジャックを見なさいよ! 完全にあんたに惚れたわよ! 今ここでバラしたら、あいつは絶対に寝込むに決まっているわ! そんな状態で叔父を招いたら、今までやってきたことがすべてパーでしょ!)
(む、むぐ)
なんつーことだ。
だが、一理ある……。
(ね、ここはマーニーで通して。一日だけフリを続けたら、あとは東の町に帰ったって言えばいいだけでしょ)
(だが、さすがに不憫ではないか……? そんな、あいつの心をもてあそぶような……)
(はああああああああああああああああああ!?)
目を見開きながら顔を近づけてくるキキレア。
(あんたそれでも『馬鹿使い』のマサムネなの!? そんな腑抜けたことを言うだなんて、思いもよらなかったわ! 見損なったわよ! 見なさいよ、あのジャックの馬鹿丸出しの顔を! あんたも馬鹿使いの端くれなら、あの馬鹿を上手に使ってみなさいよ!)
(俺は自ら名乗ったことは一度もねえええええええええええ!)
俺の声なき絶叫がキキレアにぶち当たる。
そんな風に息を切らせながら顔を突き合わせていた俺たちを、ジャックは不思議そうな顔で見つめている。
くっそう、これ以上続けたら怪しまれる。
もし俺が男でマサムネだとバラしたとして。
それで、気にするような男か? ジャックが。
『なーんだマサムネだったんだー、あははー』って笑って。
爽やかに、引き続き仕事の話をするような……。
……いやごめん、どう考えても無理だ。
こいつは最悪、廃人になっちまうだろう。
(ね、わかったでしょ?)
勝ち誇るキキレアの顔が微妙にムカつく。
だが俺は渋々うなずいた。
(……そうだな、キキレア)
(それに、もし本当にプロポーズをしてくるようなことがあったら、その時点でバラしたほうがより金持ちに大打撃を与えられて、すごく楽しそうだと思わない? 『お前の好きだったマーニーは実は俺だよ!』ってさ。ついでに意味はないけど落とし穴にも落としましょう。なんだか私、楽しくなってきたわ!)
(邪悪すぎないか!?)
俺は全力でおののいた。
このキキレア、心に飼っている闇が深すぎる。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そしてついにその日。エックスデーの到来だ。
東の東、かなり遠方にあるらしい東の街、冒険都市エンデバーより、一台の馬車がやってきた。
冒険者ギルドのレリーフが飾られたその馬車からは、なんとも偉そうな集団が降りてくる。
相手はあくまでも視察に来た一団だ、というわけで。
俺たちは特に出迎えもせずに冒険者ギルドで待ち構えていた。
変に気取って接待などをするほうが、相手に悪印象を与えかねない。
とても真面目な人物という話だったからな。
「……」
冒険者ギルドには今までにないほどの緊張が走っていた。
ギルドラドンが攻め込んできたときも、これほどのピリピリムードはなかったはずだ。
というのも――。
「いいかい、アンタたち……。ぜーったいにしくるんじゃないよ……。この冒険者ギルドの運営資金が削られたら、アンタたちに払う報酬も98%減だからね……。しっかりやるんだよ、しっかり、ね……いひひ……」
このババアだ。
こいつが山姥みたいな顔で目を光らせているからだ。
冒険者ギルドの全員はこのババアに逆らえない。
このババアにクエストを受注し、このババアにクエストを発行してもらい、このババアに報酬をもらうからだ。
この冒険者ギルドを支配しているのはババアなのだ。
くっそう、もっと柔らかい雰囲気でやりたかったんだが。
まあいい。俺たち全員でこのギルド視察を乗り切るぞ。
そのときだ。
重苦しくドアが開いた。
――来た。
顔を見せたのは、ひとりの男……男? だった。
というか甲冑そのものだ。
そいつは全身プレートメイルを装備していて、一切の肌を見せていない。
だが、胸元にギルドのエンブレムを装着していることから、関係者であることは間違いないだろう。
ぬうと現れたプレートメイルは、辺りを見回す。
その異形に、誰もが茫然としていた。
プレートメイルの中から、くぐもった声が漏れる。
「あの……。自分、視察に、来ました……」
日陰で育ったネギみたいな声であった。
俺たちは、顔を見合わせる。
……あれが、ジャックの叔父……?
誰かが言葉を発するより前に、ジャックが嬉しそうに歩み出た。
「チャッキー叔父さん! よく来てくれましたね! こんな辺鄙なところまで!」
その目は爛々と輝いている。わずかに頬がこけていた。
明らかにヤバい顔である。きょうもバッチリ(クスリが)キマっているな、ジャック。
「おお……ジャラハ……、じゃなくて、そうそう、ジャックくん、お久しぶりですね……。なんだか前に会ったより、元気そうで安心しました……」
「はっはっは、いつまでも前の僕と思っていたら大間違いですよ!」
そうだよ叔父さん。
あんたの甥っ子は、ヤク中になっちまったよ……。
自信満々に胸を張るジャックは、俺たちに向き直る。
「じゃあこの僕を大きく育ててくれた冒険者ギルドを案内するよ! 叔父さん、気になったところがあったらなんでも聞いてね!」
「……あ、それはいいです」
「へ」
拍子抜けするジャックに、チャッキーは首を振る。
「これは、あくまでも視察なのでー……。案内されたら意味がないというかー……。あ、自分には気にしないで、みなさんいつも通りにしていてくださいー」
チャッキーは弱弱しい声で告げてくる。
ジャックはぽかんとしていたが、すぐに「あ、そ、そうだよね、あはは……」と取り繕うように笑った。
そうか、こういうやつか。
なんとなく声の感じからチョロそうな印象を受けたが、さすがにそんなことはなさそうだ。
神経質で、警戒心が強いタイプか。
厄介だな。この手のやつを騙すのは、難易度が高いぞ。
ジャックが怯えていたのもわかる。
……だが、やってできないことはないだろう。
「おお、ハンニバル……。久しぶりですね。今はジャックくんの元にいるんですね……。元気そうで、なによりです……」
「……」
ジャックのそばにいた燕尾服の老紳士は、無言で頭を下げた。相変わらず仮面をつけていないと一言もしゃべらないな。
しかしそれはチャッキーもわかっているのか、特に気にせずギルドの中へと足を向けた。
いいだろう、甲冑の男よ。
この一週間、みっちりと訓練した俺たちホープタウン冒険者連合の実力を見るがいい。
俺は気合を入れて、拳を握り、最高のスマイルを浮かべて、ギルド内に響くような明るい声をあげた。
「――冒険者ギルドへようこそ!」
覚悟しろよ。
俺たちがお前を骨の髄まで、もてなし尽くしてやるぜ――。




