後日談4話 「憤激のお笑いポンコツ三人組」
フラメル。新生と炎を司る女神であり、ミエリの実の妹だ。
だが前に見たときよりもずっと大人びた容姿をしている。といっても、そのことにはさほど驚きを感じない。ミエリなんてしょっちゅう猫になっていたからな。女神はある程度自分の外見をコントロールできるのだろう。個人的にはフラメルのロリ可愛い姿もそれなりに魅力的ではあったのだが、今の姿もかなり捨てがたいな。
そんな現実逃避をしている間にも、空気中にピリピリとした気配が充満してゆく。ミエリは思いっきり不機嫌そうにフラメルを睨み、それを妹はニコニコと受け止めていた。
「えっ、フラメルさま、なんで……?」
この場にいる誰よりも動揺しているのは、あるいはキキレアだったかもしれない。今まで自分が喧嘩を売ろうとしていた相手が信仰神だったなんて、とキキレアの顔が青ざめてゆく。本当にごめん、俺も知らなかったんだ。
フラメルは俺を見てニコッと微笑んだ。
「ね、マサムネお兄ちゃん、ね」
今の大人の女性を模した姿のメープルことフラメルに『お兄ちゃん』と呼ばれると、なんだか背徳的な感動を味わうことができたものの、
「え、ええっ?」
今さらごまかせると思わなかったが、俺はとりあえずしらばっくれてみた。どんなに手札が悪かろうが、最後の最後まで戦いを諦めない。それが俺の信念だから――。
「あっ! そ、そういえばユズハはどうしたんだ!? きょうは一緒に来ているのか!? いやあ久々にデュエルとかしたかったんだよなー!」
「ユズハちゃんはイクリピアで修業しているよ。だからここにきたのはあたしだけだよ」
「そ、そうなんだー。あ、そうそう、そういえばこないだゴルムのアホがさー」
流れるような手管でさりげなく話を変えようとすると、ミエリがわめき出した。
「なんなんですか、フラメル! あなたはこの世界の主神争いに負けたじゃないですか! さっさと神の国に戻ったらどうなんですか、むきー!」
リアルに『むきー』とか言うやつ初めて見たわ。
新鮮な感動を味わっていると、フラメルが口元をニヤリと歪める。
「お姉ちゃんこそ、自分の手柄で主神になったわけじゃないくせに。っていうかこの世界の主神ってそこにいるマサムネお兄ちゃんだし。お姉ちゃんの名前とか誰にも知られていないし」
「地味に知られてますよ! 沿岸部ではわたしの信仰のほうがあなたより上ですもん!」
「……お姉ちゃんはホント、昔からそうだったよね」
「なにがですか!」
フラメルは目の笑っていない笑顔でミエリを見据える。
「ずっとそう、なにをしてもどんくさくて、運動会ではいっつもビリ。ぶっちぎりのビリのくせに、一生懸命ゴールしたって言われて、他の人から最終的にはいっつも甘やかされるの。あたしはいっつも一位だったのに、ビリのお姉ちゃんばっかりが目立つなんて、ずっと納得がいかなかったよ」
女神の世界にも運動会とかあるんだ……。
ミエリは顔を赤くしながら、拳を握って怒鳴る。
「そ、そんなこと言ったらフラメルなんて、いつも要領がよくてみんなに褒められて、ずっとずっとわたしのことをバカにしてきたじゃないですか! ていうかわたし運動会でビリじゃないですし! そ、そんなあれじゃないですし……!」
いや、その否定は無理だろう。ミエリがビリっていうのはあまりにも似合いすぎる……。
フラメルはさらに意地の悪い顔でミエリの恥を晒す。
「学生時代だって忘れ物は当たり前、授業なんてまともに聞かないでグーグー寝てばっかりで、お昼のときだけ元気でアホ丸出しだったのに、『ミエリちゃんってなんかマスコットみたいでかわいいよねー』みたいに言われててさ。あたしは品行方正でずっと努力していたのに、なんでお姉ちゃんばっかりそう言う風に言われるのか、ほんとわけわかんない」
「ち、違いますってば! 授業すっごく真面目に聞いてましたし、成績はいつも一番でしたしむしろ殿堂入りして第ゼロ番とかかっさらっちゃってましたし! 神童! そうアダ名は神童神ミエリでしたし! あることないこと言わないでくださいよ!」
ミエリはあたふたと両手を振りながら、ときどき俺をチラチラと見やっていた。親に恥ずかしい本の在処をバラされたかのようだった。いや、無理だよミエリ。弁明なんてできないよ。
「お姉ちゃん、子どもの頃は神様カエルの手足をちぎって遊んでパパとママに死ぬほど怒られたくせに……」
「そ、そんなこともう忘れましたし!」
「ウサギ小屋の掃除をしていたときに『あれっ、チョコボールみたいなのが落ちているー! えへへ、いただきまーす』って満面の笑みでウサギのフンを食べて三日三晩寝込んだくせに!」
「もうやめてー!」
ミエリのアホエピソード暴露大会は、ミエリの悲鳴によって中断した。正直、ゴルムのアホ話の何万倍も面白かったので、もう少し聞いていたいぐらいだった。
アホ丸出しのミエリは涙目でフラメルを睨みつける。
「なんなの!? なんなんですか! いったいなにが目的なんですか、フラメル! お金ならありませんけど!」
「そんなのはいらないよ、お姉ちゃん。あたしが今、一番ほしいものはただひとつ。ミエリお姉ちゃんの『一番大事なもの』だよ」
「えっ、そ、そんな!」
ミエリは目を見開いた。がくがくと震えながら彼女は、懐からなにか包み紙を取り出す。……なんだあれ?
「も、もしかして、わたしが半分かじって、午後にもう半分を食べるのをワクワクして待っていた、このシュークリームのことですか……? まさか、これを奪われたら、わたしは、わたしは……っ」
「お前の一番大事なものってそのシュークリームなの!?」
思わず俺は叫んでしまった。アホ丸出しのミエリのアホさ加減がとどまるところを知らない。しかもシュークリーム半分だけ残すなよ! 持ち歩いている最中にクリームがぶちゅってなるだろ!
フラメルは頭痛をこらえるような顔をしながら、しかし顎を持ち上げて毅然とした態度を取った。
「……いつまでも自分のペースが通用すると思ったら大間違いだよ、お姉ちゃん」
すると急にフラメルは俺の片腕を掴んでぐいっと引き寄せてきた。ナルとキキレアが「あっ」と声を上げる。
片腕を抱き締められて、俺はその押しつけられた大きな胸の感触を味わうことぐらいしかできることがない。
「お姉ちゃん、結局今回の魔王討伐だってほとんどなにもしていないくせに、マサムネお兄ちゃんのおかげで主神になって……。要領も世渡りもダメダメなくせに、こんなラッキーで主神になるなんて、そんなのずるいってずっとずっと思っていたんだから……!」
フラメルは俺の耳元で、押し殺した声をあげた。
「あたしのことほんっとバカにして、許せない……。あたしより先に、順調に幸せになるなんて許せない……。ポンコツお姉ちゃんのくせに……、だからあたしは、お姉ちゃんの幸せを全部奪ってやることにしたの!」
「っ!?」
ミエリは真っ青な顔で手元のシュークリームに目を落とした。お前まだそれが一番大事なの!? 話の流れ読んでくんない!?
「うふふ……、ねえ、お姉ちゃん、どんな気持ち……?」
「ふぇっ?」
フラメルはニタリと笑う。俺を決して逃がさまいとギュッと抱き締めながら。
「最愛の人をあたしに寝取られるのってどんな気持ち!? ねえ、ねえ! 教えてよ、お姉ちゃん!」
ああー。
きょうはいい天気だなあー。
その瞬間、空気がひび割れた感じがした。
ナルやキキレアが唖然とする。ミエリがぽとりと手のひらからシュークリームを落とした。
汗が、汗がとまらない。俺はロボットみたいな声をあげる。
「イヤ、アノ、コレハ」
まず真っ先にキキレアが俺を見た。
「浮気?」
「イヤ、ソノ」
「浮気?」
「エットォ」
「浮気?」
「当社とつきましてはー」
ナルはその間、ずっと瞳孔の開いた瞳で俺を見つめ続けている。超怖い。このプレッシャーは俺がキキレアのおっぱいを揉んでいるところを見られたときの比じゃない。
フラメルは満面の笑みだった。
「お兄ちゃんは、あなたたち三人より、あたしのほうがずっとずっと気持ちいいって言ってくれたよ! ね! お兄ちゃん! こいつらは度量が狭くてすぐ怒るし、あたしのほうが断然にいいんだもんねー!? 女としての魅力は断然あたしのほうが上だよねー!?」
「ち、違う! そうじゃない! それは酒に酔っぱらったからだ! ちょっとむしゃくしゃしていただけで、俺の本心じゃないんだ!!」
「そうは言っているけど、体は正直だよねぇ?」
「あひゃん!」
女神さまにズボンの上からさらりとリトルマサムネを撫でられて、俺は思わず悲鳴を漏らす。こんなときになにやってくれてんのお前!
「よしわかった」
俯いていたキキレアが顔をあげる。そこには涙の跡が――、などといういじらしいものはなにもなく、ただただ殺意に染まった目があった。
「殺そう」
「ちょっと短絡的じゃないですか!? 浮気したものイコール死って! そのあとのことを考えてものを言っている!? 俺がいなくなったら悲しまない!?」
「あんたのいない世界で幸せを掴むから大丈夫よ。地獄で見守っていてちょうだい」
そう言ってキキレアは手に炎を呼び出そうとする、だが――。
「――って、ちょ、待って! 魔法がまた使えなくなっちゃっているんだけど!?」
ああ、フラメルへの信仰心が消えたから……。
俺の同情がましい視線に、キキレアは半狂乱で叫ぶ。
「なんであんたたちの浮気であたしがまたパワーダウンしなきゃいけないの!? 理不尽もいい加減にしなさいよ! なんなのこの世界、あたしにどんだけ厳しい仕打ちをすれば気が済むの!?」
「前向きにいこうじゃないか! ほら切り替えていこう! キキレア、次はなんの属性を覚える!?」
「そうね! あんたを木っ端みじんにぶち殺せる属性かしらねー!」
ぎゃあぎゃあ騒いでいると、ミエリが天に指を突き上げた。
「……わかりました、キキレアさん。その役目はこのわたしに任せてください」
すると晴れていた空に暗雲が立ち込めてゆく。ちょっとこれ、やばくない?
「このわたしの最強魔法、インディグネイションを使ってマサムネさんを消滅させてあげましょう」
「お前たち武闘派すぎるだろ! 少しは話し合おうとかさあ!」
「来世はなんの虫になりたいですか? おすすめは蚊ですけど。ブンブンうるさくてみんなに嫌われているマサムネさんにはぴったりだと思いますけど」
ミエリの目も本気だ。いつになく昏く淀んでいる。そんなに妹に取られたことが嫌なのか! お前ら姉妹ホント歪んでんな!
そしてミエリはインディグネイションの詠唱を開始した。マジかよ。
フラメルは「きゃー、お姉ちゃんこわーい。マサムネさま助けてー」と黄色い声をあげながら腰をくねらせている。それを見たミエリの額に次々と怒筋が浮かび上がった。
お前を助ける気はないが、このままにもしておけん!
「くそう! オンリーカード・オープン! 【ホール】!」
「インディグ――」
魔法を唱えようとしたミエリの姿が消えた。「きゃー!」という悲鳴が響き渡る。落ち慣れているからか、よろよろと穴から這い出してきたミエリは、俺を見て怒鳴る。
「ま、マサムネさん! なんなんですか! その女をかばうんですか!」
「違うわ! こんなところでインディグネイションなんてぶちかましたら、周囲のおうちからどんだけ損害賠償求められると思ってんだよ! 破産するぞ! お前の大好きなシュークリームも二度と食べられなくなるぞ!」
「だったらクレープにします!」
「どっちもだよ!!!」
そう叫んだ直後、俺はハッとした。
ナルがぷるぷると震えていた。己の両手を見下ろしながら、細い声をつぶやく。
「マサムネくん……、愛しているって言ってくれたのに……」
「え!? いや、その――愛しているよ、ナル!」
「言ってくれたのに、言ってくれたのに、言ってくれたのに……、言ってくれたのに言ってくれたのに言ってくれたのに言ってくれたのに言ってくれたのに言ってくれたのに言ってくれたのに言ってくれたのに言ってくれたのに言ってくれたのに言ッテクレタノニノ言ッテクレタノニノ言ッテクレタノニノ言ッテクレタノニノニノニノニノニノニノニノニノニノニノニノニノニノニノニニニニニニニニニ」
「愛してい――いやいや、怖すぎんだろおい!?」
壊れたオルゴールのようにブツブツとつぶやくナルは、その背中から竜穿を――取らず。
腰から一本の短剣を引き抜いた。ナルはそれを体全体で固定するかのように、胸の前で構えた。肩を畳んで肘を折ったその姿は、よく火サスで見かけるようなホンマモンの殺意が高い構え方であった。俺に向けた切っ先がギラリと血を欲しているかのように輝く。
やばい。
こいつ本気だ。
「フラメル、俺は逃げるぞ!」
「えっ?」
「そうだみんないったん頭を冷やそう! 冷静になってからまた話し合いをだな!」
俺の言葉は誰も聞いちゃいなかった。
ナルとかはさらに過激な内容を口走っている。俺を殺してあたしも死ぬだの、来世では幸せになろうねウフフだの……。こわすぎる。漏らしちゃいそうだ。
確かに今回の件は全面的に俺が悪かった。浮気をしたのは俺だ。合わせる顔がない。
だが待ってくれ。問答無用で三人が俺を殺しに来るとはさすがに思わなかった。もうちょっとなんかこう、ひとりぐらい乙女らしい反応をしてくれてもよかったのではないか! うちのハーレムメンバーは感情表現がみんな過激すぎる!
フラメルは俺に抱きついていた腕を放すと、今度は俺の手をギュッと握ってきた。
「わかったよ、お兄ちゃん♪ このままふたりで逃げたら、またふたりでイイコトしようね? あんなつまんないお笑いポンコツ三人組なんかより、あたしのほうがよっぽど気持ちいいことしてあげるからねー♪」
『――』
こ、こいつうううううううううう! ミエリだけじゃなくてキキレアやナルまで挑発しやがったあああああああ!
お笑いポンコツ三人組の堪忍袋の緒が爆発四散する音が聞こえた気がした。
俺は余計なことを口走ったフラメルを腰に抱えて走りだそうと、背を向けたその直後である。
「殺す!」
「マサムネくん、死んで!」
「インディグネイショおおおおおおおン!」
「ウオアアアアアアアアアアアアアア!」
四者四様の悲鳴がホープタウンの閑静な住宅街に響き渡り、そして。
この世の森羅万象を打ち抜く万雷の光が辺りを包み込んだのであった――。




