それでもまた日は昇る その2
もう一度遮断魔法を張り直し、雨が降り注がないことを確認してからエマさんの服から水分を転移魔法で弾き飛ばしたが、
「くちょん! く、く、くちょん!」
エマさんは寒さに震えながら可愛らしいクシャミを連発した。唇は紫に染まり、神官服の大胆に開いた胸元から露出した凶悪な谷間も鳥肌が立っている。
それが体の動きに合わせてプルンプルンと揺れるから目のやり場に困るし、コントロールを失っているのか、クシャミのたびに俺の遮断魔法を破った魔力波があちこちに飛んで行くから、そいつを受け止めるのも大変だ。
ひとつひとつの威力が異常に高いし、予測不可能な場所に向かってランダムに発射されるから、まるで千本ノックを受ける甲子園球児のような状態になってしまう。
一発でも外したら後ろにある湯明館が崩壊しかねないだろう。
しかし似たような訓練は師匠のしごきで何度もやったから楽勝だ。あの時は『大賢者養成ギプス』という謎の拘束具を装着させられていたから、今は超楽勝と言っても過言じゃない。
華麗なる大賢者様スライディングキャッチから半回転して次のクシャミをジャンピングキャッチで受け止め、額の汗を拭いながら爽やかな笑顔をエマさんに向けたら、たれた大きな瞳を丸くして、酸欠の金魚のように口をパクパクした。
ついでに魔法エフェクトで前歯もキラリと輝かせたが…… やり過ぎだったのだろうか? 引きつった微笑みをたたえながら、エマさんはそっと一歩後ろに下がってしまう。
どうやらコレは受けなかったらしい。
乙女心とはやはり難解なものだ。
気を取り直してエマさんに掛けたローブの温度を魔法で上げたが、引きつった笑顔と身の震えは緩まなかった。
「申し訳ありません大賢者様、魔力が上手く制御できなくて」
「どうしてこんな状態になるまで?」
冬の大雨の中、強引に大魔法を施行したのが問題なのだろう。
「今回この世界に転移した原因はわたくしでして…… 何とかそれを挽回できればと」
エマさんは赤い髪と大きな胸を揺らしながら、申し訳なさそうに何度も頭を下げる。これじゃあ幼気な美女を虐げてるみたいだとため息をつくと、エマさんは更に申し訳なさそうに頭を下げた。
おかげで深い谷間がドーンと見えちゃってるし。
「怒ってるんじゃないんです、どうか頭を上げてください」
「いえその、昔から魔力ばかり強くて制御が苦手で…… 周囲の人に迷惑ばかり掛けて。ドミトリー様がお見えになった頃はそれでも制御できていたのですが、最近は魔道具に頼るばかりで」
エマさんはネックレスのチェーンを外し、凶悪な胸の谷間に手を突っ込む。
ムニッとかボヨンとかさせた後、ピンポン球ほどの魔法石を取りだして手のひらにのせると、小さなため息をつく。服が乱れちゃって更に胸元が開いてしまったが…… そこをできるだけ見ないようにして手のひらをのぞき込むと、その石には幾つかの亀裂が入っていた。
どうやらあの谷間の圧力は並みでは無いようだ。
かなり高度な魔力が詰め込まれた石が、すっかりと朽ち果てている。
俺がダイナマイトバディーに秘められた真の実力に驚いていると、
「宮殿に出入りしている魔道具販売の業者から購入した最新型の魔力制御石でしたが、どうやら先ほどの探査魔法で壊れてしまったようです」
エマさんは苦笑いしながら俺を見上げた。
「お借りしても?」
「はい、かまいませんが」
俺はエマさんの体温が残る、ちょっと生暖かい石にドキドキしながら石の術式を読み取る。
やはりこの世界のIT技術の流用があちこちに見られ、おまけに魔法制御と関係なさそうな妙な術式まで盛り込まれていた。
――うん、やっと見つけた。
この石が俺の感じた違和の正体で間違いない。
まだハッキリとは判別できないが、それはセキュリティー関連の書籍で読んだトロイの木馬とかバックドアとか呼ばれる乗っ取りや情報漏洩を起こすプログラムによく似ていた。
俺はその術式だけ取り除いて魔法石を修復し、エマさんの白くすべすべした手のひらに乗っける。
ついでに取り除いた術式を封印魔法で保管し、収納しておく。
「しばらくこれで代用してください」
「まあ、こ、これは」
エマさんは修復された石を見ると小さく息を吸い込んでから両手で石を大切そうに包み、まるで神に祈るように片膝を折って俺に頭を垂れた。
ふとそんなエマさんを眺めたら……
両肘で乱れた胸元を寄せて頭を下げているせいで、谷間からいろいろはみ出ちゃってて、もうてんやわんやだ。
また何か違和を感じたが、俺はそっとその凶悪な谷間から目をそらした。
× × × × ×
「あらあらお二人ともすっかり冷えきって…… 顔が青いですよ。何があったか知りませんが、ゆっくり湯にでもつかって体を温めてくださいな」
エマさんから話を聞きながら湯明館の正面玄関まで連れて行くと、浴衣の上に高級そうな綿入れを着た女将さんが飛び出してきた。
ロビーに入ってラウンジに置いてあったガラス細工の仕掛け時計を見ると、針は深夜二時を越えている。
「こんな雨だし、裏山の崖は以前土砂崩れを起こしたことがあるから心配でねえ」
女将さんは最悪の場合お客さんがちゃんと避難できるようにとフロントに待機していたら、話し声が聞こえてきて、不審に思い外を見たら俺がいたから駆けつけたそうだ。
「すいません、気を遣わせちゃって」
俺が笑いかけると女将は俺の後ろにいたエマさんをチラリと見て意味深に頷き、
「どうせ今は閑散期で客の数も少ないし、気にしないでくださいな」
フロントに入って鍵を取り出した。
「大浴場はこの時間は清掃中で使えないから、この貸し切り露天風呂に入ってくださいな。露天といってもちゃんと屋根があるし、落ち着いた造りで当館の自慢の施設なんですよ」
またエマさんにチラリと視線を送ると、鍵を俺に手渡す。
そして小声で、
「どうせ訳ありなんでしょ。まあ英雄色を好むって言いますし、加奈子には内緒にしときますから」
俺に顔を近づけて妖艶に微笑む。
「貸し切りって…… ひょっとして」
俺が思わずたじろぐと、
「安心してくださいな、入り口はちゃんと男女別々ですよ。抜かりはありません」
女将さんは顔を離すと、エマさんにウインクしてから俺たちに笑いかける。
何だか俺を挟んで謎のコミュニケーションが成立しているようだが……
俺の後ろで大人しく佇むエマさんを振り返ると、
「妹のアンジェから『おんせん』の話は聞いております。興味はあったのですが、なかなか踏み出せなくって」
柔らかな笑顔で俺を見上げた。
そもそも異世界ではお湯につかる習慣がなかった。浄化魔法もあるし、平民はもっぱら川や池での水浴びが中心だ。
しかしアンジェから話を聞いているのなら心配する必要は無いかもしれない。
ローブに保温効果を付加したがやはりまだ体の芯が冷えているようだし、聞きたいことがまだ沢山あったが、急いで無理に聞く必要も無いだろう。
「じゃあ温泉に入ってくつろいでからまた話を聞かせていただけますか」
「はい、もちろんです。ふつつか者で作法をよく知りませんが、どうかよろしくお願いします」
エマさんがまた頭を下げると、女将さんが「ふふっ」と不敵な笑みを浮かべる。
何かがちょっとズレてるような気がしたが、俺も寒さからか背筋に冷たい物が走ったので、女将さんの教えてくれた貸し切り露天風呂までエマさんを連れて行く。
何処かから鋭い視線を感じた気がしたがが、きっとそれも思い過ごしだろう。
貸し切り露天風呂の看板のあるドアを、預かった鍵で開けると、入り口が二つあって『男湯』『女湯』ののれんが掛かっている。
うん、やはり取り越し苦労のようだ。
それを見たエマさんが首を捻ったので、
「この文字は女性専用という意味です、俺はこちらから入るのでもし何かあったら呼んでください。後からあちらで待ち合わせましょう」
俺は女湯を指さしてから、貸し切り露天風呂の入り口近くにある待合室を指さす。
「分かりました大賢者様、で、で、では」
エマさんが女将さんから預かった浴衣やタオルをギュッと抱きしめ、何だかポーッとした表情で頷いた。
ちゃんと待ち合わせの場所が分かったかどうか不安になったが、まあ知らない文化に初めて触れるのだから緊張しているのだろうと、
「心配しなくても大丈夫ですよ、じゃあ、待ってます」
俺は爽やかに笑いながら男湯ののれんをくぐった。
脱衣所は貸し切り風呂とは思えないほど広く、作りも調度品も豪華だった。
きっとVIP待遇の限られた顧客だけが使用できる施設なのだろう。
これなら聖国王の娘であり帝国でも皇帝陛下付けで暮らしてきたエマさんにも無礼はないだろうと、女将さんの配慮に感謝する。
しかし才能と美しさに恵まれ皆がうらやむような出自でも悩みはあるものだと、俺は服を脱ぎながら先ほど聞いたエマさんの話を思い出してため息をついた。
やはり話しぶりから妹であるアンジェにはコンプレックスがあるようだ。
神聖王国の長女として生まれ、その類い希な魔力量から将来を期待されたが、どれだけ魔法を習得しても制御が上手く行かなかったらしい。
次女であるアンジェは魔力量こそ姉であるエマさんに劣っていたが、めきめきと実力を伸ばし、年を重ねるごとにその差は開いていったそうだ。
業を煮やした聖国王は修行と言う名目で、エマさんを帝国に派遣する。それは帝国の属国である聖国の政治的な人質であることは、誰の目から見ても明らかだった。
帝国に務めてからは陛下やドミトリーさんに可愛がられ、問題だった魔力の暴走も治まってきたらしいが、
「今思えば、ドミトリー様が陰で制御されていたのでしょう」
エマさんが気付かないようにドミトリーこと龍の末裔である麒麟がエマさんをサポートしていたのは知っていた。
そしてポイントポイントで魔法の手ほどきをしていたことも。
あの男が目を掛けるぐらいだから、ある意味妹のアンジェより期待されているのかもしれないが、本人はそれに気付けないのだろう。
魔族領の不審な動きを知ったドミトリーさんが帝国を去ると、安定していた魔力がどんどん暴走をはじめた。
ソフィアさんの紹介で最新型の制御魔道具を購入し、何とか他に迷惑を掛けない程度には落ち着いたらしいが、
「体調が優れない日が続き、どうすれば良いのか毎晩神に祈りを捧げておりましたら」
ある日目の前に嫉妬の女神リリアヌスが現れたそうだ。
それに気付いた陛下とソフィアさんがエマさんの元に駆けつけたが、
「陛下は女神リリアヌスと何か契約を交わすと、現れた転移魔方陣に飛び込んでしまい…… 慌ててわたくしとソフィアが追いかけて、このようになった次第です」
まあ、あの陛下ならやりかねないだろう。
契約の内容は後から陛下を厳しく尋問するとして、問題はあの制御魔道具にあったコンピュータウイルスのようなトラップと、エマさんの謎の行動だ。
何故あんな広域探査魔法をこんな土砂降りの夜中に行っていたのか。
肝心な理由を聞く前に風呂に入ることになったが、
「まあ、慌てることはないか」
エマさんの状態が心配だったし、この後続きを聞けば良いだけだ。
俺は考え事を中断して脱衣所を出て風呂場に入ると、小さく息を吸った。
豪華な内風呂を抜けると、外には美しい日本庭園のような場所に、十人はゆったりくつろげそうな岩に囲まれた露天風呂がある。
風呂には女将が話したとおり檜造りの屋根があり、雨が降っていても情緒がにじみ出ていた。
幸い雨も小降りになってきたので、俺は露天風呂につかって脚を伸ばし、
「うーん、いい湯だ!」
大きく腕も伸ばす。
やはり知らぬ間に疲れが溜まっていたのかもしれない。千代温泉稲荷と源泉を共にするこの旅館の湯にも、回復効果の高い魔力があふれているようで、徐々に俺の体を癒やしてくれる。
湯をすくい取ってジャブジャブ顔を洗っていると、人の気配がした。
ふと顔を上げると、
「だ、だ、だ、大賢者様、ふつつか者ではございますが、どうかよろしくお願いいたします」
真っ赤な髪をタオルで巻いてアップにして、バスタオルを胸に巻いたエマさんがモジモジしながら湯船の外に佇んでいた。
「へっ?」
思わず口をぽかんと開けながらエマさんの後ろを確認したら、露天風呂への入り口は二つ存在した。
どうやら脱衣所と内風呂までは別々だが、露天風呂は共有らしい。
うん、女将さんが言ってた「抜かりはありません」って…… このことだったのかな。
「あっ、いやこれは、その、知らなくって」
急いで湯船から立ち上がると、エマさんは俺の下半身チラチラ盗み見ながら、
「ままま、待ってください大賢者様!」
俺に向かって慌てて両手を伸ばした。
そして勢い余ってハラリとバスタオルが落ちる。
ついついボヨンと弾んだその大きな膨らみに目が行ってしまい……
俺はその谷間をもっと早く、ちゃんと観測していなかったことを後悔した。
つんのめって湯船に落ちそうになったエマさんを抱き留め、赤く妖艶に輝く瞳をのぞき込む。
ムニュンと吸い付くような柔肌の感覚が俺の思考を邪魔したが、瞳の奥に存在した術式が俺を冷静にさせる。
――何故下神が使用していた自爆術式がここに? しかも春香たちに仕掛けられていた物より高度なロックが掛かっていて、爆破範囲も広そうだ。
押しつけられた胸の左上に存在したステルス式の魔方陣が、カチリと音を立てて起動する。魔力の向上と同時にエマさんの表情が変わる。
どうやらエマさんもこの状況に気付いたようだ。
「動かないで、それから俺の目を見たまま視線を離さないで」
一糸まとわぬエマさんをお姫様抱っこして、ボヨンとかフニンとか揺れるダイナマイトバディーに困惑しながら、俺は急いで脱衣所に向かった。




