新たな悪しき神
さすがに皇帝陛下とおつきの二人を加奈子ちゃんの家に連れて行くわけにはいかない。加奈子ちゃんも麻也ちゃんもまだまだ瞳の魔力が安定していないし、異世界からの刺客もあの記憶の蜘蛛が最後だとは思えない。
陛下と一緒にいることでトラブルが起きたら大変だ。
だから俺の収納魔法に陛下を匿うのも難しいだろう。
加奈子ちゃんや麻也ちゃんを守る龍王やクイーンは収納魔法と連結するような状態になっている。
やっと安定し始めたその布陣を安易に移動させたくない。
温泉稲荷も同じだ、あの場所には時空の歪みである『要岩』が存在する。『要岩』の謎はまだ解けていないから不用意に陛下たちを近づけるのは危険だ。
そうなるとリトマンマリ通商会に陛下の保護をお願いしたいが……
異世界からの転移を急襲してきたニンジャの件が引っかかる。
このタイミングで陛下が転移してきた理由とニンジャたちが襲ってきた理由がどこかでつながっているかもしれない。
正に八方塞がりで、さてどうしたら良いのか考えを巡らせていたら、
「ご主人様、お茶をお持ちしました」
メイド服の春香が部屋に入ってきた。
柔やかに微笑みながら俺と陛下の前に和菓子を置くと、新しいポットから空になっていたカップに暖かい紅茶を継ぎ足す。
陛下も春香を微笑みながら眺めていた。
春香にはどこか人を引きつける魅力がある。
協調性があって、気が利いて、ちゃんと目上の人間と付き合いができ…… しかも理不尽な環境下で長く生活していたせいか、この手の権力を持つ人間になれている。
うん、これなら幼児逆行した陛下の面倒をみることができるだろう。
しかもこの老舗旅館は陛下を匿うのにもってこいの場所だ。その昔、天皇陛下や各国の貴賓を迎えるために設計された場所だけに、あちこち警備しやすい配慮がなされている。
さすがに魔力結界までは存在しないが、俺がいくつかの駒を配置すれば急造でもそれなりのものが構築できるだろう。
帝都城程度の防御なら、それ程労力もかからない。
女将さんには迷惑をかけてしまうが、春香たち元『戦闘巫女集団』が協力して陛下たちの警護に就いてくれればいろいろな問題が解決する。
思わずポンと手を叩くと、陛下と春香の視線が同時に俺に向かった。
「陛下、彼女は俺の弟子で春香と言います」
春香はちょっと驚くと、慌てて陛下にお辞儀をする。
「ほお、天下無双とうたわれるあの若き大賢者サイトーが弟子をとるとはな。さぞ優れた者なのだろう」
陛下は優雅にカップを傾けながら、そんな春香に微笑む。
「いえ、あの。そんな」
春香があたふたしながら顔を赤らめると、陛下の後ろに立つ二人からは冷たい視線が注がれた。
「帝国一の腕と呼ばれた魔法剣士の弟子入りも、聖国一の才女とうたわれた神官の弟子入りも、こいつは断っているからなあ」
そう言えば、そんな事もあったっけ。
例え陛下とうまくいっても、おつきの二人と不仲になったら警備の連携に支障が出るかもしれない。
でも春香のことを良く知れば、きっとうまく行くだろう。
俺が不安そうな視線を投げかける春香の頭をポンと叩き、
「心配するな、お前の才能と努力を俺は認めている。自信を持ってくれ」
微笑みかけたら春香の顔がパーッと明るくなる。
しかしソフィアさんとエマさんは、そんな俺に冷たい視線を浴びせてきた。
「ソフィアさんやエマさんの才能に問題があるんじゃなくて、春香は俺と同じ世界の人間ですから親和性が高いですし、それに……」
説明を始めたら、陛下は楽しそうに頬杖をつきながら俺の顔をのぞき込んできた。
「それに何だ?」
「俺が持ってないものを持っています」
「ほう、それは面白そうだな。良ければここで見せてくれぬか」
まあ、そう来るだろうと思って春香に視線を向けると、
「ななな、何をすれば良いんですか」
目を丸くして困ったように身を縮み込ませる。
「そんなに困らなくても良いよ、そうだな…… 以前練習してた、なんちゃらかんちゃらアタックの舞を見せてくれれば」
凄い技なんだけど、名前が長すぎて今ひとつ思い出せない。
俺が首をひねってると、
「バーニングアフター・バラフライストリューム・バレットアタックですか?」
春香が小声で耳打ちしてくる。
うん、確かそんな名前だった。
「陛下達への防御結界は俺が張るから、こいつにその技を仕掛けてくれ。そうすればきっと誤解は解ける」
俺がローブのポケットから歩兵を取り出して指ではじくと、
「任せてくださいご主人様!」
春香はメイド服のスカートに仕込んであった二つの洋風扇子を取り出し、その場でくるりとターンを切った。
一見何気ない動作だが、最近ダンスを極めた俺には良く分かる。
まずターンの基本は回転となる体の軸をずらさないことだ。
猫のようにしなやかに春香は動き出し、軸は一切のブレもなく切れのある回転を始めた。まるで神楽を舞うように手に持った扇子を操りながら魔力を高め、同時に俺の放った歩兵の位置や動きを探る。
そして紙吹雪のように現れた式神が蝶のように舞い始め、春香の周囲に魔力の渦が形成された。
その姿は神秘的で美しかったが、ソフィアさんは春香の翻ったスカートからこぼれる瑞々しい太ももを睨んで目をつり上げているし、エマさんはプリンと揺れた春香のささやかな胸と自分の豊満な胸を見比べて余裕の笑みを浮かべた。
俺は春香の術が陛下や建物を傷つけないように結界を張りながら、二人の視線の位置に少々疑問を抱いたが、
「バーニングアフター・バラフライストリューム・バレットアタック!」
春香が例の長すぎる技の名前を叫びながら両手の扇子を振り切ると、舞っていた数十の式神が一斉に歩兵に集中し、陛下を始めおつきの二人の視線もそこに集中した。
「カシャン」
陶器が割れるような乾いた音が響くと歩兵が真っ二つに割れ、俺が張った防御結界が音もなく静かに揺れる。
この術を見るのは三度目だが、そのたびに威力と正確性が増していた。今の衝撃なら、俺の結界がなければ周囲の山の一つや二つは平地に変わっていただろう。
震度三程度の結界の揺れが収まると同時に、陛下が小さく息をのむ。
「なかなかの術であったが我が軍にも数人、相応の術者はおる。魔族軍相手なら単騎で四天王クラスと張り合えるかもしれんが、逆に言うとその程度ではないか」
そして頬杖をついたまま、俺の顔を確かめるように眺める。どうやら俺の弟子としての資質に疑問を抱いたようだ。
仕方なく割れた歩兵を拾い上げてテーブルの上に乗せる。
これは春香を使役してから気付いたものだが、式神を動かす力も炎を発生させる力も、元になる魔力は電子操作によるものだった。
「まだまだこの程度の実力ですが伸び代はありますし、春香の属性はコレなんです」
「ほう、小さな雷のようなものがまとわりついておるな。確かにそれはまれに見る属性と聞くが……」
それがどうしたとばかりに、陛下は首をひねる。
異世界では「火」「水」「土」「風」の四大エレメントが魔法属性の中心で、それ以外にも例外は居たが『電子』を属性として持つ術者はいなかった。
確かに陛下が言う『雷』属性のユニークプレーヤーは居たが、電力を力任せにぶつけるだけの魔法で、春香のように電子を操作するような属性ではなかった。
魔法とは、概念の具現化だ。
きっと石油や石炭と言った化石燃料が存在しなかった異世界には、電力を操作するという概念が存在しなかったからだろう。
「以前陛下にお話ししたことがありますが、俺の産まれた世界…… ここでは魔術の代わりに科学が発展し、陛下の生まれた世界と変わらぬレベルで文明が形成されてます。そして科学文明を支えている力がこの電力なのです」
「ふむ、それが親和性というやつか」
「はい、それに春香は出力だけでなく」
俺は割れた歩兵の断面を陛下に見せた。
春香は訓練の一環として操作性を高めるために、攻撃した面に図柄を残している。今も特に指示はしなかったが、この歩兵を砕くと同時に何か細工をしていた。
「その操作の細やかさが桁外れです」
やはり断面には図柄が存在し、陛下もおつきの二人も驚愕の表情でそれをのぞき込んでいた。
あれだけの高出力の魔法でこれほど繊細な操作が出来る人物なんて、師匠以外には知らない。俺は春香より精密な魔法を使うこともできるし、高出力の魔法も使える。
しかし高次元でそれを両立するのはちょっと苦手だ。
しかもこの属性なら…… 電子の魔法を極めれば現代文明の基幹をなすコンピュータや通信を掌握できるかもしれない。それにはコンピュータや通信技術、プログラムなどの知識も必要になるが、物覚えの早い春香ならいつかそんな魔法を使えるようになるだろう。
異世界に帰った際に師匠にも相談してみたが、
「クイーンに弟子入りした狐耳の少女の瞳と言い、お前に弟子入りした猫耳の少女と言い…… それぞれの能力に、何か必然のようなものを感じるな。あの世界でざわついていた正体不明の力を何とかするのが、本当のリリアヌスの願いかもしれん」
そんなことを言っていた。
嫉妬の女神リリアヌスは『世界を救ってください、そのために必要な力も与えましょう』と呟いてから、俺を異世界へ転移させた。
師匠はそれが、
「まだ仮定の話じゃが、どこかで新たな悪しき神が生まれ、この世界とお前がいた世界に君臨し始め、それを治めるためにお前を我の前に使わしたのだとしたら…… 嫌なことにつじつまが合ってしまう」
俺が転生した本当の理由じゃないかと心配していた。
確かに、魔王が暴れて異世界の人々を脅かす程度の問題なら師匠ひとりでどうにかなってしまう。わざわざ俺を転移させる理由にはならないかもしれない。
最悪、リリアヌス本人が魔王を倒してしまえば済むことだし。
異世界に流入し始めた現代テクノロジー。そしてこの世界で起きた事件の裏にはいつも魔法文明と科学文明の融合した兵器の影があった。
下神の利用していた兵器や勇者だったケインの持っていた剣。
記憶の蜘蛛は悪夢を現代社会でスマートフォンの『アプリ』という形で広げようとしていたし……
そうなると魔族軍の裏にいたやつは、異世界の神々ですら手を出すことが出来ないほどの者なのだろうか。
神も魔法も、人々の概念だ。この世界で新たな神が生まれたとしたら、それはどんな概念が具現化したものなのだろう。
いまだ驚愕しながら割れた歩兵をのぞき込んでいる三人が不思議で、ふと俺の隣でオロオロしている春香に話しかけた。
「何を描いたんだ?」
「えーっと、異世界の皇帝陛下様はこっちの文字って読めるんですか?」
質問を質問で返すのは良くないと言おうとして、陛下たちの目が翻訳魔法で輝いていることに気付き、
「それなりの魔力と語学的センスがあれば、翻訳魔法で解読できるけど……」
必死になって何か解読している陛下たちに割り込んで、慌てて俺も割れた歩兵のぞき込む。
「もう、ご主人様。それ先に言ってください!」
顔を真っ赤にして縮こまる春香と歩兵刻まれた図柄を見比べた。
指先ほどの断面には尻尾が二本ある猫がウインクしているイラストが刻まれ、その上には『ご主人様LOVE』と小さいがハッキリと読むことが出来る可愛らしい文字がある。
「なかなか可愛らしい猫だな、サイトーの弟子は絵の才能もあるようだ」
陛下は苦笑いしながら俺の顔をのぞき込んだが、確かに猫のイラストもその上の文字もなかなかのものだ。
「春香すまなかった、いままでお前のもう一つの隠れた才能に気付いてやれなくって!」
俺は割れた歩兵を手に取って、その出来映えに感心した。
なかなか弟子を育てるというのも難しいものだ。
今後の教育方針を見直さなくてはと首をひねっていたら……
春香の手を涙ぐんだソフィアさんが無言で握りしめ、その手の上にエマさんが慈しみの笑みを浮かべながら自分の手を重ねた。
「あっ、やっぱり同士だったんですね」
春香の声におつきの二人が頷き、陛下が眉間に指を当てて小さく顔を左右に振る。
どうやら春香は陛下たちに受け入れられたようだが、何故か俺のアウェー感が増している気がしてならない。
どうしてこうなったのだろうかと俺がさらに首をひねると、麗しき四人の乙女が同時に、吐息のような深いため息をつく。
その息遣いに何故か背筋が凍り、俺はふと…… 何処かで新たな悪しき神が微笑んだような気がした。




