イリュージョンのように
俺が稲荷の源泉の前で両手を眺めていたら、
「大丈夫でございますか」
千代さんがニット姿のまま、凶悪な物をボインボインと揺らしながら走り寄ってきた。
「あれからどれぐらい時間が経った」
「御屋形様がスマートフォンの怪しげなアイコンをタップされてから、四半刻も経っておりません」
千代さんの言葉にはたまに時代掛かった単語が混じるから戸惑うが、一刻が確か二時間だから、その四分の一だと三十分ってことだろう。
息を切らしながら千代さんが説明してくれたが、どうやら俺はあの後黒い霧に包まれ姿を消したそうだ。
異世界特有の魔術である転移魔法が感知されない状態で姿を消したので心配になり、稲荷の皆で捜索をしてくれ、そして、俺の魔力を感じた千代さんが急いでここに駆け付けてきた。
「それじゃあまるで手品の脱出イリュージョンみたいだな」
きっと悪夢の魔力がここの要岩に反応して、出現ポイントが歪んだだけだろう。俺が苦笑いすると、
「まあ、それでは兄の悪戯かもしれませんね」
千代さんは俺の軽口に楽しそうに笑ってくれた。
「玄一さんはやはり手品か何かをやってたの?」
「はい、加奈子殿とお会いする前に『天狐』と言う名でテレビにも出てたんですよ。人気になりすぎて、急病で亡くなったことにしましたが」
それって確か俺が生まれる前の昭和の大スターじゃないのかな。人に歴史ありとは言うけど、ちょっとスケールが大きすぎて対応に困る。
「じゃあ二代目『天狐』って……」
そう言えばプリティ・天狐と名乗る謎の年齢不詳美少女がその後を継いでいたような。
「あれは姉の『百葉』です」
ニコリと笑う千代さんと、以前テレビで見たプリティ天狐が重なる。今まで気付かなかったけど、目元とかそっくりだ。
玄一、優十、百葉、千代。
そうなると兄弟で桁が変わる名前なのだろうか。
いやいや今はそれより、
「どうして玄一さんはそんな事を」
何故かそこが引っ掛かる。
「さあ…… 良くは知りませんが、確か狐は人を化かす妖だからとか何とか。妖術の訓練として手品のトリックを勉強していたら、そうなってしまったと言っていたような」
千代さんは可愛らしく首を傾げたが、確かにそれは理にかなっている。この世界の魔術は限られた魔力をいかに効率よく利用するかがポイントになっていた。
そこで手品のトリックを取り入れるのは発想として間違っていない。
魔力が豊富で手品が存在しない異世界でも、その技は十分通用しただろう。
いやむしろ、希少なテクニックとして重宝したはずだ。
そもそも放電現象を利用する『狐火』のように、魔力ではない力を応用して使うのが妖狐の魔術の基本だから、
「そうなると……」
神は殺せないが、脱出イリュージョンなら可能かもしれない。
あの刀は俺の僧兵を利用して作り直した。
駒にはそれぞれ力の象徴として、俺の得意とする魔法を仕込んでいる。
歩兵には衝撃魔法。
騎士には飛行魔法。
僧兵には転移魔法。
塔には監視魔法と防御魔法。
そう、僧兵には斜めに移動する駒の力の象徴として、『転移魔法』を仕込んでいる。
稀代のイリュージョニストと呼ばれた天狐こと玄一さんが転移魔法を使えるようになれば……
しかもあの刀には妖狐の力を増幅する術式も存在する。
「御屋形様、どうされたのですか」
俺が悩み始めると、また千代さんがムニュリと凶悪な胸を押し付けてきた。
千代さんの顔はとても心配そうな表情だから、やはり無意識でそうする仕様になってしまっているようだ。
――まったく、困った妖狐一族だな。
「さっき悪夢と会って、真相を聞くことができた。やはり魔族軍に囚われて利用されているようだ」
俺は千代さんに『記憶の蜘蛛』の話をしながら、収納魔法から玄一さんの書いた郷土資料や歴史書、そして魔族軍から盗み出したと思える資料を取り出し、読みやすいように空中に展開させる。
それを確認しながら額に指をあてて、状況を整理しながら頭の中でチェスのボードを組み立て直す。
1、悪夢は自分を操っているのは神獣、記憶の蜘蛛だと言った。
2、玄一さんは『神殺し』の刀を持ち出した。
3、しかしあの刀で概念が具現化した神は殺せない。きっと玄一さんが狙っているのは悪夢と記憶の蜘蛛の入れ替えだ。
捕らえられた美少女を脱出させ、代わりに悪役が檻に入る。いつかテレビで見たイリュージョンのように。
それならショーの為に特別なステージが必要だろう。あんな大きな手品には専用の舞台装置が欠かせないはずだ。
その舞台装置のひとつは、間違いなくこの稲荷。
玄一さんの資料を確認すると、この源泉の中央に位置する要の岩には転移魔法と同じ魔力が流れていると仮説付けられていた。
その『要の岩』の力と『神殺し』の刀の力を融合させても、記憶の蜘蛛と呼ばれる神獣を捕らえるには、まだまだ力が足りない。
ひっくり返っていた狛狐、俺の布団の中に転移してきた阿斬さん、ドアに挟まれた「悪夢は踊る」と書かれたメッセージ。
これが手品の種だとしたら、狙っているのはミスディレクション。
――俺の気を他に向けるためのパフォーマンスだ。
魔族軍の資料には、加奈子ちゃんの瞳についても考察がなされていた。そうなると魔族軍の狙いは俺と師匠の命だけではなく、加奈子ちゃんの瞳も含まれている。
「悪夢が俺や師匠の殺害に失敗したと知ったら」
次に狙われるのは加奈子ちゃんだ。
そこで玄一さんは加奈子ちゃんを守るためにあの『神殺し』の刀を使おうとするかもしれない。
そうなるとステージは加奈子ちゃんの家。
足りない舞台装置は…… 俺の収納魔法の中の転移扉。
そこに仕込んだ俺の転移の扉を開ける術を、玄一さんは魔族軍で知り合った暗殺者から聞いたと言っていた。
きっとそれを利用して足りない力を捕捉し、更に自分の命と引き換えにして出力を上げ、イリュージョンを完成させる気だ。
「読み切った」
俺は空中に展開していた資料を収納魔法の中にしまう。
今、クイーンは学校に行った麻也ちゃんのリボンになって彼女を警護している。今回の件には巻き込みたくないから丁度良いだろう。
龍王は加奈子ちゃんにつけたままが良いだろう。
そうなると……
「千代さん、手伝ってほしいことがある」
「はい何でしょう、御屋形様」
一瞬春香を呼ぶことも考えた。しかし身長的には加奈子ちゃんに近いが、ブツのサイズが違い過ぎる。
やはり注目が集まる場所が似ている千代さんが適任だ。
「イリュージョンにはイリュージョンで対抗する。魔族軍を退治して玄一さんを救うには、それが一番確実だ」
俺が千代さんに作戦を話すと、
「まあ、そのような恰好をあたしが」
何故かまたムニュリと凶悪なブツを押し付けながら、ポッと顔を赤らめる。
やはり色々な意味で妖狐族の将来が気になったが……
この戦いを制するプランの組み立てに、俺は何とか意識を集中した。




