郷宙尉補さん、はじめてのおつかい。(前編)
「ねえ板額さん。ここはどこなのかしら」
郷義弘宙尉補さんが言った。
こんな名前だが、歴とした女性である。
『私に聞かないでください』
板額型護衛アンドロイド一番機、板額さんが答えた。
今日も律儀にリードで繋がった二人の前で、老夫婦が朝ごはんを食べている。
焼き鮭に漬け物に豆腐の味噌汁。
いい匂いだ。
「あ、やばい」
郷宙尉補さんが言った。
『なんでしょう、郷宙尉補さん』
「この二人、私たちの存在に気づいたみたい」
『私にもそのように見えます。おじいさんがこちらに視線を寄こして、限界まで目を広げています』
「警察を呼ばれるかもしれない」
『大丈夫です。私はSAT一班相手でも戦えます』
「あなたは何を言っているのかしら、板額さん」
『公安相手に戦ったこともあります』
「本当に、あなたは何を言っているのかしら!」
そして遅れて二人の存在に気づいたおばあさんの、けたたましい悲鳴。
泥棒、泥棒!というおばあさんの声に、二階の子世帯住居から階段を駆け下りてきたのは、パークの地球人事務員の林田さんだ。
「郷宙尉補に板額さん……?」
ゴルフクラブを手に、林田さんは目を丸めている。
「おっはようございまーす、林田くんっ!」
『おはようございます、林田さんっ。お迎えにあがりましたっ!』
張り付いた笑顔で敬礼する美女二人だ。
『ホテルを出たところまで覚えているのですが』
「気がつくと、目の前でごはん食べてたのよね、あなたのご両親が」
出勤する林田さんの車に便乗させてもらっている二人だ。
「郷宙尉補のその迷子グセ、まだ治らないのですか」
林田さんが言った。
ロボ子さんたちの村に置かれた、えっち星領事館。
領事たる提督さんが殺人事件を起こしてしまって(これはまだ地球側にはナイショで、林田さんももちろん知らない)てんやわんやになっているところに、地球衛星軌道を回る宇宙巡洋戦艦不撓不屈から助っ人としてやってきたのが秩序の権化長曽禰興正宙尉さん。そして、宙軍一の事務処理能力を持つといわれる郷義弘宙尉補さんだ。
ただ、この郷宙尉補さん。
天才的な方向音痴なのである。
もとより狭い宇宙艦の中でも縦横無尽に迷子になる事ができると怖れられていたのだが、地球に降りてそれを悪化させてしまったらしい。この頃は明らかに空間を無視してどこかに行ってしまうようになった。
もはや、迷子や方向音痴のレベルではない。
怪異である。
やむなく彼女に首輪をつけ、リードを板額さん――護衛対象である領事さんが斯様な有様で暇になってしまった板額さんに握らせて目付としたのだが、今度は板額さんまで引き連れてどこかにいってしまうようになった。
お手上げである。
まあ、なんで地上で悪化したのかは、どうやら例によって「11次元の歪み」が関係しているようなのだが、それはまた別のお話。
「やばかったわー」
帽子を団扇にしてぱたぱたと扇ぎ、郷宙尉補さんが言った。
「もう少しで警察沙汰になるところだったわー。えっち国宙軍士官が、三六光年はなれた星で警察沙汰なんて、シャレにならないところだったわー」
『たまたま、林田さんの家で良かったです』
「たまたま、ねえ。そりゃ、たまたまなんだろうけどさ……」
『なんです?』
「私、林田くんの家なんて知らなかったよ。今日知ったよ?」
『……私もです』
ふたりは顔を合わせ、そして前を向いた。
そこには車の前半分があり、運転席には林田さんがいるはずなわけだ。
しかし今、二人の目の前に広がるのは、ただ机が並ぶ殺風景な部屋。背中から凍り付くようなバリトンの声。
「君たちはなにをしているのだね」
振り返らなくてもわかる。
二人はこの部屋のボス、長曽禰興正宙尉さんの膝の上に座っていたのだ。
秩序の権化、長曽禰興正宙尉。
虎徹さんの実のお兄さんだ。
「どいてくれないか。重い。申し訳ないが、板額さんが座っているほうの足は折れそうなのだ」
ふたりは飛び跳ねるように立ち上がり、お兄さんに背を向けたまま敬礼した。
「事故であります、宙尉!」
『ごめんなさい、宙尉!』
「わかっている。とつぜん目の前に君たちが現れたのだから。その変なクセはまだ治らないのだな」
「それ、たった今、林田くんにも言われちゃいました!」
「林田くんにまで迷惑をかけたのか」
「宙尉!」
「なんだね、郷宙尉補」
「結婚しましょう!」
お兄さんは背もたれに深く体をあずけた。
「朝からなんだが、殴ってもいいか?」
「えっ、地球司令代理に?」
郷宙尉補さんが情けない声を上げた。
地球司令代理。
虎徹さんのことだ。
提督さんが捕囚となってしまったため、太陽系方面で不撓不屈艦長さんに次ぐ先任士官になってしまった虎徹さんは、パーク社長、地球司令代理と忙しい。
「これを渡してきて欲しい」
書類を手にお兄さんが言った。
部屋がざわめいた。
それはそうだ。宙尉補といえば自衛隊でいえば二尉|(中尉)にあたる。
郷宙尉補さんはこの部屋、チーム興正の次席なのだ。メッセンジャーボーイをやらせていい立場ではない。
『私が行ってまいりましょうか』
板額さんが助け船を出したが、お兄さんはそれを手で制した。そして立ち上がり郷宙尉補さんの首輪からリードを外した。
「板額さんもこの部屋に残る。郷宙尉補、君にはひとりで行ってもらう」
この言葉を聞いたとき、郷宙尉補さんの顔に絶望が走ったという。
「私に死んでこいと!?」
「君は何を言っているのだね。地球司令代理の部屋は同じ社屋のたかだかひとつ上だ。幼稚園児でも迷うことはない」
「うう」
「構えるな、郷宙尉補」
お兄さんが言った。
「君が地上に降りたとき、君には妖精さんというあだ名がついた」
「だって、私、かわいいですから」
「そうではなく。君が軽やかにどこにでも現れて消えたからだ。鼻歌まで交えて。まずは、あの頃を思い出せ。今は恐れるより楽しめ。そうしていれば」
お兄さん、ここで微笑んだ。
彼のような強面が微笑んでも、ただの脅しにしかならないのだが。
「君は必ず、それをコントロールできるようになるだろう」
脅しを浮かべているお兄さんの顔を見つめていた郷宙尉補さん、やがて表情を引き締めて書類を受け取ると自分の席にもどってキーを叩きはじめた。
「なにをしているのだね」
「遺書を書いています」
「あのな」
「そしてこの婚姻届にサインを願います」
「だから君は何を言っているのだね」
「だって!」
郷宙尉補さんがすがるように言った。
「なにかご褒美が欲しい!」
「わかった! 誰か、購買かコンビニできのこの里を買ってこい!」
「ハーゲンダッツがいい!」
「彼女はハーゲンダッツをご所望だそうだ! 地球司令代理に書類を渡し無事に帰ってきたら、ハーゲンダッツは君のものだ。これでいいかね!」
がたん!
机に両手をつけたまま、郷宙尉補さんが立ち上がった。
そして上げた顔には、不敵な笑いが浮かんでいたのだった。
「郷宙尉補、地球司令代理の元に行ってまいります!」
軽やかに敬礼し、郷宙尉補さんはチーム興正の部屋を出て行った。
しかし、ドアを閉めたすぐにドアを開けて戻ってきた。今度は頼まれた書類を忘れずに手にして、また部屋を出て行った。
お兄さんは腕時計を眺めている。
「よし、10秒。行くか」
お兄さんが立ち上がった。
『私も参ります』
板額さんが言った。
「板額さん、彼女がどこにいるかわかりますか」
『階段に向かって廊下を歩いています。引き返す気配はありません』
「よろしい。行きましょう、板額さん。林田くん、一等兵曹、あとを頼む」
お兄さんと板額さんは部屋を出て行った。
苦笑いを浮かべたのは林田さんだ。
「はじめてのおつかいかよ」
チーム興正の面々に笑いが広がった。
「正直、宙尉は人に厳しいだけの人なのだとおれは思っていた」
一等兵曹さんが言った。
「厳しいったって、理由がないところや理不尽には怒らないしさ。むしろいい上司だと思うよ、おれは」
林田さんが言った。
「ああ、実はおれもそう思うようになってきたところだ」
あまり笑わない一等兵曹さんが、にやりと笑った。
きれいな長い髪をひるがえし、郷宙尉補さんが廊下を歩いている。
その後ろを、強面の男と真っ赤なコートのアンドロイドがコソコソと追いかけている。
はじめてのおつかいは始まったばかりである。
■登場人物紹介。
郷義弘。(ごうのよしひろ)
宇宙巡洋戦艦・不撓不屈所属の宙尉補(中尉相当)。
歴とした女性。事務仕事にかけては有能だが、とんでもない方向音痴。
板額さん。(はんがく)
板額型戦闘アンドロイド一番機。
高性能だが、乙女回路搭載といわれるほど性格が乙女。郷宙尉補が勝手にどこかにいってしまわないように、彼女の首輪に繋がったリードを握っている。
■人物編。
長曽禰興正。(ながそね おきまさ)
宇宙巡洋戦艦・不撓不屈所属の宙尉(大尉相当)。
超有能なのだが、その唐変木ぶりで未だに宙尉のまま。虎徹さんの実のお兄さん。
林田さん。
長曽禰宙尉の部下。地球人で非軍人。
一等兵曹。
長曽禰宙尉の部下。えっち星人で軍人。林田さんと並んでリーダー扱い。
長曽禰虎徹。(ながそね こてつ)
ロボ子さんのマスター。
現在は領事代理代行、地球指令、パーク園長と忙しい。宙佐(本来は少佐相当だが、艦長なので中佐相当になっている)。
■アンドロイド編。
ロボ子さん。
モデル雪月改二号機。長曽禰ロボ子。本来の主人公。
神無さん。(かむな)
モデル雪月改のえっち星人特化モデル。雪月改よりさらに高性能。
ただし性格は、ロボ子さんに輪をかけてちゃらんぽらん。ロボ子さんを「先輩」と呼ぶ。




