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第13話 あなたと私の挽回の日

 仲直りにふさわしい日。星見の知恵の中にはそういうものもある。元はと言えば、戦争の講和会談にふさわしい日という扱いだったが、星見の知恵が一般的になるにつれ、俗世的な仲直りへと矮小化していった。

 もちろん、今では誰も気にしない。

 レーヴェ星見伯家の者でもない限り。


「……それも考慮して日程を組むべきでしょうか」

 ユッタが訪ねてくる。

「いえ、講和の日を待っていたら、二週間後には間に合わないからそこは大丈夫。ところでユッタ、アンネ様のお誕生日をご存知?」

「ええ」

「教えてちょうだい」

「はい」

 アンネの誕生日を母のノートから探す。

 守護星は黄色だった。夏の盛りに輝く星。

「……よし」

 ステラは立ち上がった。

「どちらへ?」

「かんたんな刺繍をするわ。ふたりの守護星の色で、ハンカチにモチーフを描くの。そのための道具を伯母様から借りようと思って……」

「そのような雑事なら、お任せください。布の種類と糸のお色は?」

「でも……」

 自分で向かおうとするステラの目をユッタはまっすぐ見つめた。

「慣れてくださいませ、王太子妃候補殿下」

「……わかったわ」

 ステラは長ったらしい自分の肩書きに少し苦笑いをすると、うなずいた。

「わかりました。道具の手配は任せます。ただ刺繍自体は私にさせてね? そうでなければ、おまじないの意味がないもの」

「おおせのままに」


 ユッタの帰りを待ちながら、刺繍の構図を考える。

 何がいいだろう?

 アンネは、何が好きだろう? 知らない。わからない。

「……ふー」

 そんな簡単な事柄についてすら、語り合えなかった。

 ただ寄りかかり、支えられ、そして傷付ける羽目になった。

「ダメね……」

 構図はなかなか思い浮かばなかった。


 結局黄色が活かせる果実や花と、それを彩る緑色の草木をデザインすることにした。

 まあまあ合格だろうと、ステラは自分を納得させた。




 ユッタがセッティングしてくれた日は、朝から雨が降っていた。

「……まあ、昼間だしね。あまり関係はないわ」

 そう言い聞かせながら、支度をした。

 ステラはドレスの中にハンカチをそっと忍ばせた。


 緊張が胸を襲うのを感じながら、ステラはユッタを伴い、伯父に借りた馬車でアンネの家へと向かった。


「やあやあ、ようこそ、ステラ嬢」

 アンネの屋敷でステラを出迎えてくれたのは、アダムだった。にこにこと笑顔だ。

「……ご、ご機嫌よう」

「驚かせたかな? すまない」

 アダムが同席する予定はなかったはずだ。

 アダムは使用人のようにステラを案内してくれた。

 パーティーの日に使ったのとは違う通路を行く。

 ややプライベートな空間に向かっているようだと感じながら、ステラはアダムについていく。その後ろに気配を消してユッタが続く。

「日程だけはアンネから聞いていてね、余計な真似をするつもりはなかったんだが……あいにくの雨だろう?」

 アダムがちらりと窓の外を見やる。

「雨の日は……アンネの顔の傷が少し痛むからね。心配になって駆けつけてしまった」

「そう、でしたか……」

「同席するつもりはないから、顔を見せに来ただけだから……」

 言い訳するようにアダムがそう言うと、苦笑した。

「はは、過保護だろう?」

「……いえ、ええ……いえ……」

 どう答えたものか、ステラは迷い、口ごもる。

「素直に、どうぞ、ステラ嬢」

「……うらやましいですよ」

 アダムの促しに、ステラは素直にそう言った。

「アンネ様には、アダム様のような理解者がいて、うらやましいです。過保護だなんて……ええ、少しは思いますけれど……あんな姿を見たら……」

 ステラはパーティーの日のアンネを思い出す。怯え、傷付き、すがりつくようなアンネ。

「そうか」

 アダムは小さくうなずいた。

「しかし、理解者というのはどうだろう。……ううん、理解、か。理解……」

 アダムが考え込んでいる間に、ひとつのドアの前にたどり着いた。

 使用人が待機していて、ステラ達のためにドアを開いた。

 その先は、ややこぢんまりとした応接間になっていた。

「ここはアンネ用の応接間でね。俺も……たまにあいつも、ヘンリックも来るんだ。ヘンリックが一人で来ることはないけどね」

「そうでしたか」

 言われてみれば、装飾などどこか可愛らしさを感じる。

 アダムに勧められるままにステラはソファに掛ける。

 その間にアダムは使用人に声を掛けた。

「モーリス、アンネは?」

「支度に少々お時間いただきます。お待たせして、申し訳ありません、ステラ様」

 アダムには謝らない辺りに、アダムとの信頼の厚さを感じる。

「大丈夫ですわ。ゆっくりご用意くださいとお伝えしていただける?」

「かしこまりました」

 モーリスが礼をして去って行く。

「……理解というのは、どうなんだろうね。俺はご婦人の顔に傷があることの重さを身をもって感じることはできない。俺は男だから、自分の顔に傷が付いていようとあまり気にしないだろうから」

 アダムがしみじみと先程の話を続けた。

「それは、そう、ですね……でも、ええ、多分、顔に傷がある女性同士であろうと……それは同じかもしれません。……少なくとも、私は……同じ女性だからと言って、アンネ様のすべてがわかるわけでもありません」

「……そうだな」

 アダムは笑った。

「まあ、そうだ」

 そう言うと、アダムは部屋のドアへと向かった。

「あ……」

「また、今度」

 アダムがそう言って浅く礼をする。

 アダムがドアを開けるより前に、ドアは廊下側から開いた。

 モーリスがドアを開き、アンネを案内してきていた。

 アンネは今日も顔の半分を隠すヴェールのついた帽子を被っていた。

「…………」

 こうして、パーティーではない日の、それも彼女の家での装いとして見ると、それはずいぶんと仰々しく見えた。

「……あら、アダム」

「場を繋いでおいたんだぜ」

 やっぱりどこか言い訳がましくアダムはそう言って、去って行った。

「……それはありがとう」

 アンネは少しだけ微笑み、そしてステラに目を向けた。

 ステラは立ち上がり、彼女を迎える。

「ああ、ステラ嬢、どうかそのままで。ごめんなさいね、遅れてしまって」

 アンネがステラを制する。

「いえいえ、お気になさらないで……」

 ステラはアダムが言っていた『雨の日はアンネの顔の傷が痛む』という言葉が少し気になったが、少なくとも目の前のアンネは苦痛に耐えている様子ではなかった。

「まあ……とりあえず座りましょう。あらやだモーリス。お待たせしているお客様にお茶も出さないで」

「ああ、申し訳ありません……」

 モーリスが慌てて、部屋を出ていった。

「…………」

 アンネはそれを見送るとステラの向かいに腰掛けた。

 ふたりは、一瞬黙り込んだ。

 静かだ。

 部屋には分厚い壁があるというのに、外の雨音すら聞こえてきそうだった。


 しばらくしてアンネがまっすぐステラを見つめた。

 ヴェールに隠れている片方の目からも、視線を感じる。

「先日のパーティーでは、我が屋敷を会場に選んでいただきながら、とんでもない不手際、申し訳ありませんでした」

 そう言って、アンネは深々と頭を下げた。

「気にしないでください」

 ステラは食い気味にそう言った。

「……事故です。ええ、事故です。……私が不注意だった部分が大きいのです。アンネ様が謝る必要などありません」

 ステラはヘンリックの言葉を思い出して、何度か謝りそうになるのを必死にこらえた。――ステラが謝っても、アンネが惨めになるだけだろう。――それは、少しわかるから。

「……しかし、パーティーの主催の役目を十全に果たせませんでした」

 アンネは悔しそうにそう言う。

「せっかくヘンリック殿下の婚約者様のお披露目だったのに……私の乱心で妨げてしまった」

「いえ……そんな……ええと……、お披露目だなんて……すっかり忘れてしまってました」

 正直にそう言ってステラは笑って見せた。

「……あんまり、実感がありませんの。……殿下と婚約しているなんて。だから、ええと、いいのです。気にしないでくださいませ、アンネ様」

「あら……」

 アンネは少し困ったような顔をした。


 ロマンスがあるわけでもない。

 具体的な展望があるわけでもない。

 ステラは王家との繋がりが必要で、ヘンリックはわずらわしいことから逃れたかった。

 それだけの、婚約。


 どう実感を持てばいいのやら。


「……まあ、人それぞれでしょうけれど……。ええと、ステラ嬢と殿下はオルティス公爵のところで初めて出会われたのですよね?」

「ええ、まあ……」

「この短期間で……ええと、恋に……落ちられて……? それにしては……その、うーん」

 アンネはずいぶんと言葉に迷っていた。

「短絡的に婚約を決めたわりに、情熱がないでしょう?」

 ステラはなんとなくアンネの言いたそうな事を想像してそう言った。

「……え、ええ」

 アンネは苦笑いしながら、うなずき、続けた。

「……ステラ様は、殿下のこと、お好きではない?」

 アンネは少し気遣うような表情でステラに尋ねた。

「……あまり」

 ステラは正直に答えていた。

「アンネ様は、その、殿下達からは……どこまで聞いてらっしゃいます?」

「……アダムからだけです。ヘンリック殿下が色々企んでるようだから、できるだけ協力してやりたい、とその程度です」

「そうですか……」

「アダムはああ見えて、ヘンリック殿下のことが大好きなんですよ」

 そう言ってアンネは笑った。婚約者のことを語る彼女は、少し楽しそうだった。

「……大好き、ですか……」

 遠慮の無い間柄だとは思った。友人なのだろうとも思った。それでも、大好き、という言葉は少しそぐわない気もした。

 大好き。

 なんだかおおらかで、少し子供っぽくて、あんまり頼りない言葉のように感じてしまう。

 そんな言葉、子供の頃に両親や弟に告げて以来、口にしていない気がする。

「アダムと殿下は親戚で、私とアダムは生まれたときからの婚約者で、私は殿下とはアダムを通じて知り合って……私達、昔から知り合いだけれども……幼い頃からずっとふたりを見てきたけれど……。私、ずっとうらやましいんです」

 うらやましい。それはくしくもステラがアダムに言った言葉だった。

「あんな風に遠慮なく言い合える友達なんて、一生のうちに一人見つかることもないでしょうから」

「……殿下の頭を叩けるような関係性は……確かに稀でしょうね……」

 そう言いつつステラもヘンリックの顔をぶったのだが。

「ふふふ」

 アンネはおかしそうに笑った。

「子供の頃なんて、あのふたりくだらないことで取っ組み合いなんかして……そのまま転がって池に落ちたことがありましたわ」

「うわあ」

 子供なんてそんなものかもしれないが、それが王子のやることだろうか。

「……周りの大人たちが慌てて引き上げて、まあ浅い池だったのですけれど……。でも、私は池には入れませんでしたの。まあ、子供ですから引き上げることなんてできませんけれど、そうじゃなくて……」

 アンネはそっとヴェール越しに顔に触れた。

「……顔のこれが見えてしまうのが、怖くって。一番近くに居たのに、手を伸ばすことすら、できなくて」

 ステラはスカートに忍ばせたハンカチにそっと触れて、アンネの言葉に耳を傾けた。


 アンネの表情には、深い苦しみと、少しばかりの慈しみのようなものが混じっていた。

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