086.お金を貯めたら
「さて、ご飯も食べたことだし……今日は何しようかしら」
開店して今日一日の業務が始まって数時間。もはやお昼前と言える時間に差し掛かる頃。
目の前に座る彼女……優佳はホットドックの乗ったお皿を空にしつつ、うんと伸びをしながら1人つぶやく。
「今日、バイトは?」
「おやすみよ。おやすみ。 夏休みに入った子がようやく使い物になって自由の身になったもの」
彼女が働く店は、珈琲店。豆も料理も提供するなかなか珍しい店だ。
この店で取り扱う店も偶然ながらそこの取り寄せで、彼女は偶に配達もするらしい。
けれど本業は併設されている喫茶店。そこの自称看板娘…………らしい。
確かに優佳は美人だし、看板娘と言われても納得はできる。けれどなんだか悔しいから自称ということにしておく。
「つまり、看板娘もお役御免?」
「そんなわけ無いわよ。今も昔もこれからも。私が働く限りは1番の看板娘よ」
当たり前のように口にする彼女のそれは、事実であり自信の表れ。
贔屓目ナシに見て、優佳以上の女性はなかなか表れないだろう。
「じゃあ、そこに奈々未ちゃんとか伶実ちゃんとか、みんなを入れたら?誰が看板娘に?」
「……そこにアンタは居るの?」
「そりゃ居ないけど。ここの店があるし」
そりゃそうだ。俺が行ったらここで働いてもらうのと大差ないだろう。
まぁ客としては十分ありだが。もちろん毎日通う。朝から晩までずっと居続けてみせよう。
「…………アンタ、あの店でそれをやったらどうなると思う?」
「? いいや?」
はて、何になるだろう。
パッと思いつくのは、”ナナ”目当てにかなりの人が集まるくらいか。もしかしたらゲリラライブなんかもあったりして。
「はぁ…………。 いい?そうなったら戦争よ戦争。誰が1番になるかの壮絶な争いになるわ」
「戦争? いやいや、ないでしょ。みんなお淑やかだし」
ため息をついて教えてくれる彼女に俺は信じられないと肩を上下させる。
忙しくなりすぎて戦争という意味なら理解できるが、1番の争いはないだろう。
みんなしっかり大人の精神を持っている。そんな何にもならない1番なんてとっても意味がないことくらいわかっているはず。
「でも、アンタはもちろん通うのよね?」
「そりゃ当然でしょ」
「なら戦争確定ね。誰がアンタの接客をするか……それはもう総だけの水商売の如く、ね」
「………………」
否定が、できなかった。
彼女たちが抱いている想いについては、当人である俺も理解している。
だからこそ、彼女の言っている意味がようやく理解できた。1番……それは俺が選ぶことになるのだと。
「ねぇ、総」
「ん……」
「総は今、薄氷の上に立っているってことを忘れないでよね」
「ん…………」
それはそうだ。今は彼女たちが何も行動に起こさないからいい。
けれどもし誰かが俺の先延ばしを嫌になって、ひとたび無理矢理にでもとなれば今の状況が一変する。
奈々未ちゃんは仕事上での影響が、遥はその家の影響力が。伶実ちゃんや灯だってその頭の良さから先述の2人を動かすくらい容易いだろう。
つまり誰かが俺に嫌気をさしてしまえば……今の日常は一気に瓦解する。
「ちゃんと覚えてることね。……まぁ、あの子達は優しいからそんな事しないけど」
「気をつけるよ。 でも、みんなそんな事しないと思う。……俺に伝票押し付けようとしてる姉を除いてだけど」
フッと真剣な目から柔らかいいつもの目に切り替わったところで、俺は肩を竦めながら釘を刺す。
カッコよく忠告しておきながらゆっくりゆっくり伝票をこっちに移動させてるの、気づいてないとでも思ったか。
「え~。いいじゃないこれくらい。 ほら、プールの運転の代わりだと思ってっ!」
「その代わりにプールに参加って話だったでしょ! ほら、ちゃんと払う!」
「む~! あたしにはお金貯めなきゃならないのに~!」
渋々……といった様子で口を尖らしながら受け取る優佳に俺は疑問符が浮かぶ。
はて、何か欲しい物でもあったのだろうか。物欲の少ない彼女が欲しがるなんて珍しい。
「ちなみに、なんでお金を?」
「…………教えたら、おごってくれる?」
「物によるな」
それでブランド物のバッグとか言ったら伝票は優佳のものだ。
さすがに彼女はそういうの興味ないし、違うと思うが。
「…………家」
「えっ?家?」
「うん……」
「えぇ!? 優佳、家買うの!?」
嘘!?家!?
まさかの答えに俺は声を荒らげてしまう。
さすがにそれは予測してなかった。家なんてブランド物の10万20万じゃきかない。1000万の単位はいる。
俺だってこの家を確保するのにかなり頑張ったんだ。ちょっとの貯金でどうにかなるとは思えない。
「さすがに一棟購入なんてしないわよ。あたしも借りて引っ越ししようと思ってね」
「……初耳だ」
「だって初めて言ったもの」
あービックリした。
実家を出るのか。まぁ大学生だしそれもアリっちゃアリか。
「ちなみに物件も決まってるわよ」
「え!?どこ!?」
お金貯める段階なのに早くない!?
大家と知り合いで確保してもらってるとか?店から近いのかな?
「もちろん…………ここよ!」
「……はっ?」
「ここよ!この夢見楼の2階!!」
ビッと。
まっすぐ指を突き立てて胸を張って謎の事を言う我が姉。
そこは――――
「俺の家なんだけど」
「知ってるわ。 ルームシェアよ、ルームシェア。姉弟なんだし普通でしょ?」
「――――」
空いた口が塞がらない。
何を言っているんだ。この姉は。俺が早くにでた理由は………そういえば本人に言ってなかったか。
でも、血のつながらない姉弟でそれはマズイだろう。
「ね? だから良いでしょ?総」
「……はい、伝票。 ちゃんと払ってね」
「ケチー!! お姉ちゃんと一緒に暮らしたっていいじゃない~!」
ポンとその手のひらに一枚の紙を置くと吠える優佳。
良くないと言うに。
ただでさえ実家でも意識してたんだ。上みたいな更に狭い場所だと俺がヤバい。
「む~! 弟に虐められたってママに言ってやろー!」
「はいはい。好きにどうぞ」
「むー!! なら伶実ちゃんに言ってやる~!総に酷いことされたって~!」
「それは酷くない!? ――――おっと。優佳、ストップ。お客さんだ」
さすがにそれを言われちゃ俺の信用ガタ落ちだ。
お互い笑い合いながらボケとツッコミの応酬を繰り広げていると、ふと視界の奥に人影が通る気配を感じた。
誰かはわからなかったが、お客さん。
俺はボケを重ねようとした優佳を止め、来客してくる人物を待つ。
それから数秒。
俺の判断に間違いは無かったようだ。チリンチリンと鳴るベルにゆっくりと扉が開いて一人の人物が入ってきた。
「いらっしゃいませ! お好きな席に………って、えっ――――」
元気よく来客してくる人を受け入れようとしたその時、俺の言葉は驚きに満ちて途中で終わってしまった。
「…………先日ぶりですね。――――大牧さん」
至って冷静に。
ゆっくりとした歩調で店に入ってきたのは和服姿の女性だった。
髪を後ろに束ねた和服姿の、凛とした雰囲気の女性……遥の母親は俺の名を呼んで一礼し、訪ねた理由を真っ先に伝えてくる。
「本日は私の家に来ていただきたく、こちらに足を運びました――――」




