077.夢か、現実か
「んっ……ぁ…………?」
ふと、何らかの気配を感じ取ってゆっくりと目を開ける。
身体全体を包み込む、暖かさとやわらかさが両立した至福の空間。
夏だから当然のごとく暑さも感じるが、それを気にしないほどのリラックスできる空間。
それは以前プールでジャグジーに打たれていたときのような心地よさ。
さすがにマッサージされている感覚はないが、このリラクゼーション効果はまさしくそれと同等のものだった。
目を開いてまっすぐ向けた視線で、俺は全てを理解した。
正面に映るは毎日、一日の始まりに必ずといっていいほど視界に入ったおかげで見慣れた、自室の天井だった。
少し視線を動かせば壁掛け時計や自らが選んだカーテンが目に入る。ここは間違いなく俺の部屋だ。
そして自らが居る位置はベッド。このリラクゼーション効果は自らの寝具のおかげだろう。毎日使って使い慣れたものとなれば、当然至福の空間にもなる。
「あれ…………? 店は…………?」
しかし、時計の針を確認した時点で俺はとある違和感に行き着く。
眠る直前……つまり最新の記憶では筋肉痛の中心配してくれた伶実ちゃんに膝枕をしてもらってからの記憶がない。
寝ぼけてるからそう思い込んでしまっているのだろうか。しかし、それを差し引いても今時計が示している時刻……4時なのに外がやけに明るいのはおかしい。
いくら夏とはいえ朝4時に昼のように明るいのはどう考えてもおかしい。もしかしてさっきの膝枕は夢で、16時まで寝過ごしてしまったのだろうか。
「ヤバい! 店――――つぅ………!」
ここでようやく寝坊したこととその重大さに気づいて身体を起こすも、全身に走る痛みによって立ち上がることに失敗してしまう。
完全にやってしまった。
昨日……おそらくプールに行った日はたしか0時になる直前に布団に入った。
つまり16時間も眠ってしまったということだ。何という長時間睡眠。学生時代を含めてもダントツの最長記録かもしれない。
「起きな……きゃ…………」
再度立ち上がろうとしても、今度は腕に力が入らなくてベッドに倒れ込んでしまう。
筋肉痛にしてもかなり酷い。痛いし力も入らない。おまけに差し込む光で日焼けしたのか身体がやけに熱い。これは重症だ。
立ち上がることを諦めて大の字になった俺は、自虐的な笑みを浮かべる。
たかが一日遊ぶ……というかジャグジーに打たれただけでこうなるなんて、優佳に笑われるな。
きっと「年寄りなんだからだからもっと身体を労らないと」なんて言われるだろう。くそう……同い年なのに…………。
仕方ない。ここまで重症なら今更だけど伶実ちゃんに連絡しなきゃ。
今日は確かバイトの日だったはず。きっと一度店に足を運んで閉まっていることに驚いただろう。
俺は今更ながら彼女に事を伝えるため痛みを堪えて枕元に置いたスマホを探す。
たしかここらへんに…………あれ?
手探りで探しても、身体を動かして目で確認しても、いつも置いてある場所にスマホがない。
どこか別の場所に置いたまま寝ちゃったかなぁ。それなら早く探しに行かないと。
そうスマホが無いことに危機感を覚えながらもう一度立ち上がろうとすると、何故か誰も居ないはずの空間にガチャリと。何者かが扉を開ける音がする。
「さ、ちょっとは落ち着い――――って、総!起きたのね!!」
「…………優佳?」
扉を開けて入ってきたのは、ここに居るはずがない我が姉、優佳だった。
彼女は俺が起きていることに驚いた表情を見せるも、すぐに平静を取り戻してゆっくりと近くの椅子に座る。
「なんで優佳がここに? ってか、鍵は?」
「なんでって、そりゃアンタが……って、寝てたんだし知らないわよね」
「……?」
当然の問いをするも、訳知り顔で終える優佳。
寝てたから知らない?なんのこと?
「俺が寝てる間に何があったのか?」
「ちょっと待ちなさい。すぐに呼ぶから…………。お~いっ!伶実ちゃーんっ!!」
「は~いっ!!」
彼女が閉まった扉に大声で呼びかけると、返ってくる聞き慣れた伶実ちゃんの声。
えっ!?伶実ちゃんまでここにいるの!?なんで!?
「呼びましたか優佳さ…………あぁ、マスター。起きたんですね」
「伶実ちゃん……」
またも開いた扉から姿を表したのは、喫茶店の制服姿の伶実ちゃんだった。
彼女は俺を認識すると優しげに笑いながらベッドの脇に移動する。
「…………どういう状況?」
「アンタ、自覚ないの?」
「自覚?」
自覚というと、寝坊した事の重大さとかそういうものだろうか。
「寝坊したこと?」
「まさか。総、今身体熱くない?」
「まぁ、うん。昨日のプールで日焼けしたかもだけど……優佳も?」
「いえ…………」
その問いに首を横に振る。
日焼けしてなかったか……まぁクリームの塗ってなかったしな。つまり俺だけ焼けたの?
「マスター、今日お昼までお店開いてたのは知ってますよね?」
「店を……? あぁ、確かになんとなくそんな夢を見たような…………伶実ちゃんに仕事任せきりだったけど」
優佳と交代するように問いかけてくる伶実ちゃん。
夢うつつだが、そんな記憶は確かにある。あれ、現実なの?つまり膝枕も?
「そこでマスターがお眠りになったんですけど、凄い高熱だったことに気付きまして」
「えっ!?」
「38度3分だって。大方昨日のアレで湯冷めしたか、疲れが出たんでしょ」
伶実ちゃんの説明に補足するよう体温を告げる優佳。
え、そんな高熱出してたの俺!?つまり筋肉痛だと思ってた痛みも熱で!?
「事後報告となりますが上がりこんですみません。優佳さんを呼んで2人で運んだんです」
「上がるのは全然構わないけど…………」
そっかぁ……あれら全部現実だったかぁ。
でも、どうして優佳が?仕事じゃなかったっけ?
「昨日の今日で電話してくるものだから驚いちゃったわ。 総、伶実ちゃんったら凄かったわよ。電話口ではすっごい剣幕で、急いできた時も大泣きで大泣きで……」
「ゆ……優佳さん!! それは言わないでって言ったじゃないですかぁ!!」
あぁ、伶実ちゃんが電話したのか。それは2人に悪いことをした。
よくよく見れば確かに、伶実ちゃんの目が普段より赤い。
「伶実ちゃんゴメン。心配掛けたね」
「いっ……いえ…………。大事無いようでよかったです」
「ちょっと~。あたしはー?」
伶実ちゃんに頭を下げると優佳が椅子から不満の声を出す。
「優佳も悪かった。 ……仕事中だったか?」
「ううん、ママと2人でお茶してたわ」
「そっ……そうか……」
仕事と聞いていたが、早上がりだったのかな?
ともかく、優佳がフリーで助かった。
「――――でも、アンタのことは守るって言ったしね。たとえ仕事中でも飛んで来たわよ」
「…………」
いつもの調子でまっすぐ言われる言葉に、俺は思わず目をそらす。
優佳はこういう、いつもまっすぐに好意を伝えてくるんだ。そのおかげでこっちは照れるというのに…………。
「マ……マスター!」
「伶実ちゃん?」
優佳の言葉を恥ずかしがりつつも受け取っていると、突然伶実ちゃんが声を上げる。
何事かと驚いて見ると、彼女はそのまま椅子に座っている優佳さんのそばまで移動する。
「マスターは休んでいてくださいっ! お昼も食べて無いようですし、優佳さんとお粥作って来ますねっ!!」
「えっ!?あたしも!?」
「はいっ! ぜひお願いしますっ!!」
そのまま引っ張るように優佳を連れていき、2人して部屋から出ていってしまった。
突然どうしたのだろう……でも、お粥か…………。
「いってらっしゃい……材料は好きに使っていいからね…………」
16時に食べるお粥。
それはお昼ごはんに入るのか夕ご飯に入るのか、どっちに入るのかをベッドに倒れ込みながら考えるのであった。




