073.ジャグジー
ボコボコと水面にとめどない泡が溢れ出る。
水下から昇り来る気泡が水面で弾け、踊るように白く揺れるそれは水中すら見えないほど。
俺はそんな休むことを知らない水の踊り場へ身体を沈め、そこから吹き出す水流に身を任せていた。
「あ゛ーーーーー」
何ともだらしない声が出てしまうが、仕方ない。
全てはこの水流……ジャグジーが悪いのだ。
――――あれから俺は灯と奈々未ちゃんを両隣に携えてプールに行こうとしていたが、直前にやってきた伶実ちゃんに2人が連れ去られ、またもプールに1人きりとなってしまった。
どうも遥の母親が呼んでいるらしいからと、2人は残念な様子で俺から離れていったが、正直俺は恥ずかしさがキャパオーバーしかけてたから助かった。
2人とも……というより、ここに来てる子たちはみんな可愛すぎるんだ。
そんな子達がああやって水着姿でひっつかれると俺もドキドキしてしまう。
無論嬉しいのだが。残念な気持ちもあったのだが…………。
……と、いうわけで1人になった俺は迷うこと無くジャグジーへ。
選ぶのは比較的浅瀬になっているエリアで、仰向けになって様々な角度からジェットが噴出されるもの。
こうしてリラックスしていると、俺も年を取ったのだと自覚する。
小学生の頃父親の勧めでジャグジーに入ったときも楽しさはあったのだが、くすぐったさが勝って何がありがたいのか理解できなかった。
けれど大人になって入ってみるとその効果がよくわかる。肩やら腰やら、色々な箇所が解れていく気がして気持ちがいい。お風呂みたいな水温も最高だ。
もう……もう離れたくない。老人と言われようが構うものか。
そうだ。ここを家にしよう。そうしたら毎日色々なジャグジーで身を解すことが――――
「な~に年寄りみたいな声出してんのよ」
身も心も揺れる水面に任せてボーッとしていると、ふと頭上からそんな呆れるような声が聞こえてきた。
薄っすらと目を開けて見ればプールサイドから俺の顔を覗き込むように立っている我が姉の姿が。
「…………優佳か。他のみんなは?」
「もうみんな遊んでるわよ。ほら」
そう言って送る視線の先にはプールを目一杯使ってボール遊びをしている高校生の面々が。
みんな……元気だな。あの笑顔を見てると俺も心が暖かくなる。
「それじゃ、あたしも失礼するわね」
彼女は俺の返事を待つこと無く隣のジャグジーへと横になり、その身体を預ける。
と、同時に聞こえるのはリラックスするような吐息の音。
「あら、思ったよりコレ気持ちいいわね。 あぁ……これがいいのよぉ……」
「……結局同じように年寄りみたいな声出てるじゃないか」
年寄りとは言ったもののホントは甘い声でドキッとしかけたが、ちょっとした意趣返し。
そもそも、俺が老人だとしたら優佳も同じだろう。
お互いに誕生日は4月。そして姉という立ち位置からわかるように、彼女のほうが数日早い。
「あたしは可愛い可愛い看板娘だからいいのよ。……でも、立ち仕事だからどうしてもねぇ。足とか表情筋とか、色々解さないといけないの」
「街のあの店で働いてるんだってな。俺も隣には行ったことあるが……」
優佳は以前俺が行ったコーヒーショップ、その隣のカフェで働いている。
その容姿なら看板娘も容易だろう。だからこそ心労もあるわけか。
表情筋はともかく、足はここでほぐしていってくれ。
「そう、それよ。 夢見楼のバイトは断られたからアッチにして……コーヒーに目がないアンタのことだから併設のカフェならきっと寄ってくれると思ったのに……。驚かせたかったのにいつまでたっても来ないんだもの!」
「それは…………悪かった」
夢見楼というのは俺の喫茶店の店名。
それなら、何か言わないとわからないでしょ。まぁサプライズ好きな優佳のことだ、ノーヒントでバッタリ会ったところで驚かせたかったんだと思う。
「ホント、アンタが悪いのよ……。いつの間にかバイトを雇った上に年下の女の子ばっかり囲っちゃって……」
「それ、車でも聞いた……」
「何度も言うくらい驚いたの。 それに、1人はあの子だし…………」
「…………あの子? 知り合い?」
すごく小さな声で呟いたから聞き逃しかけたが、なんとか耳に届いた。
あの子って誰だ?知り合いか…………それとも車で言ってた”ナナ”のことか?
「そうね。アンタは色々あったし、覚えて無いものね」
「…………?」
「なんでもないわ。 忘れて頂戴」
その言い方から察するに前者……知り合いのようだ。
俺が忘れる?あの4人で昔会った記憶はないが……
「そ・れ・よ・り・よ!! アンタ、あたしのこれをみて何もないわけ?」
「これとは?」
「水着のことよ! あたしだって新調したんだから。どぉ?かわいい?」
そう言って今まで寝転がっていたジャグジーから起き上がるように身体を起こし、しゃがむようにしてこちらに身体を向いて見せつける水着。
彼女は、基本的かつシンプルなビキニだった。黒色で、シンプルであるがゆえにそのスタイルが目立つもの。
大きすぎるというわけではないが、小さくは決して無い胸。そして太る気配のないお腹にバランスの良い腰。
まさに自信を持って胸を張るにふさわしい、健康的な身体だった。
「お……おぉ…………。いいんじゃないの……?」
「適当な返事ねぇ。でもま、いいわ。唐変木のアンタでも魅了できるってわかったしね」
「別に俺は唐変木なんかじゃ……!」
「な~に言ってんのよっ! ”ナナ”の視線にも気づかなかったクセに~!ウリウリ~!」
「わっ! ちょっと……優佳……!?」
俺の横でしゃがんでいた優佳は、前かがみになるように俺に近づいて仰向けになっている俺の胸元を人差し指でつつきだす。
更に抗議を重ねようとしたが、彼女の顔は満面の笑顔だ。その楽しげな表情に俺も毒気を抜かれてされるがままでいる。
「…………。 総。アンタ変わったわね」
「? 突然どうした?」
そんな優佳からの攻撃がふとやんで、小さく聞こえてくるのは思わぬ言葉。
その声は優しく、そしてほんの少しの寂しさが含んでいる。
「総の店……あんな辺境にした理由をママから聞いたわ。 夢だった店は開きたい、でも人と極力関わりたくない。そんな理由らしいわね」
「まぁ、うん」
俺が店を開いたのは、そんな相反する理由。完全に矛盾だ。
当然母さんにも指摘されたが、押し切る形で開店した。
人と関わるのは嫌いではない。けれど多くの人を相手にした時、嫌な思い出が蘇る。
それは両親の葬儀の日。
俺に遺された資産をどこからか聞きつけた顔も名も知らぬ親戚らしき人からの、嫌な視線。
心配してくれる言葉は形式的なもの。俺を心配しつつも、その奥に何かえも言えぬ感情が込められていることは、子供ながらに感じ取っていた。
けれど優佳の両親は違った。
父さんと母さんは遺された資産を一切手をつけることなく、幼い頃からその存在と利用法について俺に知らせてくれていた。だからこそあんな矛盾した店を開くこともできたのだ。
「そんなアンタがあんなに沢山の女の子を囲って。昔のアンタならありえないわよ」
「それはまぁ……成り行きというか何というか……」
伶実ちゃんがやってきて、遥を連れてきて。そして遥が灯を連れてきて、奈々未ちゃんがやってくる。
徐々に増えていった成り行きだが、昔の俺なら……たしかに。3人以上はもう無理って感じだったかもしれない。
「でも、それは優佳のおかげかもな」
「あら、殊勝な態度ね。 どうして?」
「優佳が俺を養子に誘ってくれて、ずっと引っ張ってくれて……。だから変わることができたんだろ。 ありがと、感謝してる」
「…………!」
もし優佳が俺を養子にって言わなければ。もしずっとそばに居てくれなかったら……。
どうなっていたかはわからない。けれどきっと、今のようにみんな楽しい状況にはならなかっただろう。
「……そういう素直な態度が変わったっていうのよ……バカ」
優佳は俺の言葉に一瞬だけ驚いたような顔を見せてから、身体を捻って背中を向けるように顔を隠す。
その表情に何の感情が浮かんでいるか知らないが、きっと悪いものじゃないだろう。
たまには姉に感謝するのも悪くないなと、俺は身体も心も落ち着いた状況の中、素直にそう思うのであった。




