070.スケコマシ
熱い…………熱い太陽が降り注ぐ、とある平日。
まだ太陽が天辺に昇りきるには幾ばくかの時間が必要なのにうだるほど暑い夏の日。
普段は届くはずもない恨みを、未だに燃え盛っている天の惑星に念じているものだが、今日に限ってはそれが歓迎しうるほど嬉しいものだった。
真っ青な天空に輝く太陽。そして茹でられているような熱気は、絶好のプール日和だった。
今は暑いが、それはこれから待ち受けるプールへの助走期間だと考えれば、なにもかも許せるほど。
更に移動は涼しい冷房の中。俺は背もたれに寄りかかりながらワイワイと騒ぐ子たちにチラリと目を向ける。
「あかニャン!今日何持ってきた!?」
「えっ!? 何って……何のことですか?普通に水着では?」
「違うよ~! 水着は当然だけど遊ぶ物! アタシは浮き輪持ってきたんだけど、そういうのある!?」
「買い物の時言ってた物ですね。 一応、水鉄砲を持ってきましたが……」
「おぉ~! あかニャンやるぅ!!」
俺が座るすぐ後ろでは、いつも以上にテンションの高い遥と、彼女にピッタリとひっつく灯が仲良く談笑していた。
2人はバッグから持ってきたものを見せながら笑い合っている。
「それでね~、アタシ今日が楽しみすぎて…………ほら見て!下に水着着込んじゃったぁ!」
「もうですか!? ……一応お聞きしますが、下着は持ってきてますよね?」
「えっ……? えぇ~……と……。 もちろん!タブン……おそらく持ってきてるよ!」
灯に問いかけられた彼女は、怯んだ様子を見せながらすぐに手にしていたバッグを漁りだす。
……さすがに下着、忘れてきたなんてことはないよね?俺たちにはどうしようもないよ?
「まさか遥先輩本当に…………」
「いやっ! ちょっとまってね!絶対入れたハズだから……」
「も、もし本当に忘れてるのでしたら、遥先輩がいいのであれば私の下着を――――」
「――――あ~! あったぁ~!」
アレでもないコレでもない、というようにタオルやらポーチやらを引っ張り出した末、ようやくお目当てのものを探し当てたのか遥は一際大きな声で安堵の声を出す。
よかった……ちゃんと見つかったようだ。 辛うじてその見つけた物も取り出そうとしたが寸前で止めたようだ。……チラリとライム色のものが見えたのは黙っておこう。
あと、灯の下着は色々と……ね。難しいかもしれないよ。
「えっ、もう新曲出すんですか!?」
遥と灯のやり取りに一安心していると、今度は更に後ろから驚きの声が聞こえてきた。
伶実ちゃんだ。隣に座る奈々未ちゃんと談笑している2人に目を向けると、彼女は驚いたように目を丸くしている。
「うん……最近、調子いい……から」
「でも、夏休み入る頃に一枚出してますよね?」
その会話から察するに、奈々未ちゃんの仕事ぶりについて話しているようだ。
どうも曲のペースが早すぎるとかそういう話らしい。
俺も業界のことについては詳しくないが、”ナナ”が新曲を出したのはシンジョのテスト期間中。それからまだ1ヶ月も経っていないのに新曲は、きっとハイペースなのだろう。
「最近……喫茶店に行くようになってからすごく……仕事に身が入るの」
「それは……おじいさまが倒れられて、打ち解けることができたからですか?」
「……無くはないけど……。 でも、思った、の。 恋の力って……凄いなって……。ねっ?」
「――――!」
彼女は、俺の視線に気がついていたのだろう。
奈々未ちゃんはそう言ってチラリとこちらに視線を向けるやいなや、すぐに唇に手を当てて投げキッスをするような動作を見せてくる。
「奈々未さん何を…………って、マスター!?」」
「えっ? だって……マスターがジッと熱い視線を向けてた……から」
熱くはない!普通だ!!
驚く伶実ちゃんの問いを難なく答える彼女に、俺は大きく首を横に振る。
「またまた~。席が遠くなったから寂しくなったんだよね? マスター?」
「奈々未さん。 マスターは奈々未さんではなく私を見ていたんですよ。お仕事でもプライベートでも一緒の私をです」
それを受けて『え~?』と抗議をしてくる奈々未ちゃんと、俺の意思を代弁するかのように説明をする伶実ちゃん。
代弁してくれるのはありがたいけど、だいぶ意味は違うかなぁ。普通に様子が気になっただけだからね?
「…………アンタ、少し見ない内にどれだけスケコマシになってるのよ」
「いや……予想外すぎて俺が知りたいんだが……」
2人の応酬はそっとしておいて前に向き直ると、今度はすぐ右隣から呆れた声が。
その声にチラリと目だけを動かすと、まっすぐ前を向いたまま慣れたように手元のハンドルを操作する我が姉、優佳がそこに居た。
彼女は心底呆れた様子で話しかけてくる。
「ほんとぉ?あたしが行くのはノリだったけど、男女比にはホント驚かされたわよ」
「……それに関しては否定のしようがない」
今は遥の提案で行くことが決まった、貸し切りプールへの移動時間。
一旦店で集まった俺たちは、姉の優佳が運転する車で現地まで移動することとなった。
本当は俺が母親の車を借りて5人で行くつもりだったが、隣で話を聞いていた優佳までもが行くとか言い出し、ついには俺の根負け。
他のみんなに聞いてみるも快諾され、今日一日の運転をお願いする代わりに彼女の同行も認められたのだ。
「それにあの子……奈々未ちゃんだっけ? 最初はスルーしちゃってたけど、あの子ってあの”ナナ”よね?なんでアイドルまで一緒にいるのよ?」
「………………シラナイよ? ナナって、誰?」
「何バカな誤魔化ししてるのよ。 あれだけ容姿の目立つ子をあたしが見間違えるわけないじゃない」
やはり、誤魔化しは無理だったようだ。
もしかしたら他人の空似で通せると思ったんだけどな。
「で、なんであの子までも落としてるのよ。 アンタにぞっこんじゃない。どんな非合法な手を使ったの?」
「俺は普通に喫茶店の店長してるだけなんだけどね……」
非合法だなんてとんでもない。
俺だって流され続けた結果がこれで、自分でも信じられないほどなんだから。
それに、さっきからスケコマシとかぞっこんとか、言葉のチョイスがなかなかね。
「てか、なんで俺のことゾッコンって? そういう感情無いかもしれないじゃん」
「アレで気がないとしたら、よっぽどよ。 むしろなんでアンタが今ソレに気づかないのかって不思議に思ってるわよ」
「……ソレ?」
俺の必死の誤魔化しも効かないのか、彼女は確信を持つように言葉を重ねる。
それって何だ?
ふとした疑問を問いかけると、彼女はほんの少し声量を小さくして答えてくれた。
「この中で気づいてないのはアンタだけでしょうね。外で会った時もそうだったけど、アンタ、ずっと見られてるわよ。…………今もルームミラー越しに見たらわかるんじゃないかしら?」
「ルームミラー? …………あっ――――」
優佳の言葉に従うようにルームミラーを使って後部座席の様子を伺うと、チラリとこちらの視線に気づく灯はいたが、それ以上に奈々未ちゃんとバッチリ目が合ってしまった。更にこちらにウインクしてくるほどに。
俺は慌ててミラーから視線を外して正面を向くも、なるほど確かに、ずっと見られていたんだなと確信する。
「ね?」
「確かに……」
「嬉しい? あたしが好きって言ったときより」
「だからアレは小学生の頃…………。 まぁ、あの日は特別な日でもあったがな。 それでも、好きって言ってくれる気持ちに優劣なんて付けられないよ」
そうだ。優劣なんて付けられない。
好きと言ってくれる気持ちは相手が誰であろうとも嬉しい。その気持ちに優劣をつけるなんて愚の骨頂だろう。
まぁ、だからこそロクに返事もできない最低野郎になっているという自覚もあるんだが。
「優劣つけれない、ねぇ…………。 アンタ、いつか女の子に刺されても知らないわよ」
「その時は名誉の負傷だな。また小学生の頃みたいに看病頼むわ」
「お断りよ。 刺される前にあたしが守るもの」
「それは、心強いことだな」
俺たちは軽口を交わし合いながら移り変わる景色に目を向ける。
目の前の大きなドーム状の建物が見えたと同時に、カーナビのアナウンスが響き渡る。
そこは普段なら長時間の渋滞となってしまう、駐車場に通じる細い道。
しかし今日だけはガラガラになった道を、車が一台通っていくのであった――――




